ホーボージュン アジア放浪2カ国目ベトナム「夜行列車とファンシーパンツ」

2016.05.25 Wed

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ホーボージュン 全天候型アウトドアライター

All photo by Makoto Yamada

日本もその一部である「アジア」をあらためて眺めてみると、
じつはまだまだ知られていない魅力的なトレイルが方々に……!
世界中を旅してきたサスライの達人ホーボージュンが
そんなアジアへバックパッキングの旅へ出た。
二カ国目は、インドシナ半島・ベトナム北部へ!

 

夜行列車でベトナムの奥地へ
 ねっとりとした暗がりに鋼鉄の塊が浮かび上がっていた。赤と白に塗られた機関車に黄色いタングステン灯が反射してヌラヌラと怪しい光を放っている。チェコスロバキアから払い下げられたオンボロ機関車だったが、僕ら徒歩旅行者からみるとその姿は威風堂々としていて、まるで原子力潜水艦のようだ。

 ハノイ発ラオカイ行きの夜行寝台列車。ハノイB駅の6番線は世界各国からやって来たバックパッカーたちで溢れていた。ある者は大きなバックパックにクバ笠を下げ、あるものはタイパンツの裾からエスニックなタトゥを覗かせている。僕らはこれから都会を離れ、国境の町へと向かう。そこはハイヒールよりもトレッキングブーツ、スーツケースよりもバックパックのテリトリーだ。

「ビール、ビール! 冷たいビールが欲しいならこれがラストチャンスだよ!」

 コンクリート打ちのホームで売り子のおばちゃんが大声を上げる。

「ビア・ハノイはある?」
「あるよ。いっしょにバインミーは?」
「いやいいよ。もうメシは食ったから」

 缶ビールをバックパックのポケットにねじ込むと僕は長いホームを歩き始めた。赤い機関車の後ろには色とりどりの客車が繋がっていた。
ハノイからラオカイまでは約8時間。日本国内では夜行寝台列車に乗れるチャンスがめっきり減ってしまったが、ベトナムでは長距離移動の主力選手だ。海外からやってきたバックパッカーもたくさん利用していた

 サイゴンからラオカイまでベトナムを南北に縦断するベトナム国有鉄道は通称「統一鉄道」と呼ばれ市民に愛されている。総延長は2,000kmで、ちょうど青森から熊本ぐらいだ。日本だったら新幹線で10時間ほどの距離をこの列車は46時間もかけて走る。

 客車は車両ごとに異なる旅行会社やホテルが運営していて、設備も値段もさまざまだ。基本は3クラスで、板張りベッドの「ハードスリーパー」、マットレス付きベッドの「ソフトスリーパー」、そして普通の座席の「シート」があり、エアコンありとなしで値段が変わる。今回僕が買ったのは4人部屋、二段ベッド、エアコン付きのソフトスリーパーだ。日本では絶滅危惧種となった寝台列車だが、ベトナムの庶民と外国人バックパッカーにはいまだ絶大な人気を誇っている。
僕が今回泊まったのは4つの寝台が備えられた相部屋タイプ。この日の相棒はドイツ人でラオス経由でやってきていた。運営する会社によって値段は上下するが、ハノイーラオカイ間で40ドルほど。2人用のVIPルームは70ドルほどだが、今回利用したタイプで十分快適だった。車掌さんがえらく親切で、なにかと世話を焼きに来てくれた

 22時10分。巨体を揺らし夜行列車は動き出した。ゴウゴウと機関車が唸りを上げ、ガタンゴトンと線路が歌う。僕はパックと登山靴をベッドの下に押し込むと、清潔なシーツの敷かれたベッドにゴロンと横になった。ああ、最高の気分だぜ。ハノイの喧噪も東京のシガラミも遙か彼方。これから僕はベトナム最高峰のファンシーパン山まで登山に行くのだ。

インドシナの屋根「ファンシーパン山」

 ファンシーパン登山を思いついたのは去年の11月のことだ。プライベート旅行でホーチミン(旧サイゴン)を訪れた僕はその喧噪と猥雑さ、パワーと明るさにすっかりベトナムが好きになった。そして今度来るときには登山靴を持ってきて、どこか山にでも登ってみようと思っていたのである。

「だったらファンシーパンがいいよ」と山好きの友だちが教えてくれた。日本でベトナムというとメコンデルタや戦争映画にでてくるような熱帯のジャングルを思い浮かべるだろうが、じつは北部の中国国境付近は高山が連なる山岳地帯なのだ。

 なかでもファンシーパン山は標高が3,143mもあり、インドシナ半島の最高峰でもある。麓の町からは標高差1,500mに渡って急勾配が続き、途中には深い谷が横たわっていることから登山の難易度は高く、登頂には2泊3日程度が必要になるという。そのかわり山頂からは遙か中国やラオスの山々も見渡せ、それはそれはエキゾチックだそうだ。
ベトナムはインドシナ半島の東に位置し、北は中国、西はラオスやカンボジアと国境を接する。ハノイは政治の中心地で1000年の歴史を持つ首都だ。そのハノイから北西に約250km、山々が連なるホアンリエンソン山脈にファンシーパン山がある。(詳細地図は4ページ目に掲載)
 そんな山がベトナムにあるのなら登ってみたい。僕は張り切って登山計画を練り、安いエアチケットを購入し、現地の旅行会社にメールをしてこの夜行寝台も予約しておいたのである。

 ところがどっこいぎっちょんちょん。
 3月のある日、日本の僕の元にこんな衝撃的なニュースが飛び込んできた。


【インドシナの屋根・ベトナム最高峰のファンシーパン山に世界最長のロープウェイが就航!】

「ええええええええ~!」

 寝耳にミミズとはまさにこのことだ。

 ニュース記事によるとこのロープウェイは全長が6.3kmもあるクレイジーなもの。もちろん全長も標高差も世界一で、街から山頂までをわずか15分ほどで結ぶ。国家的プロジェクトとして建設され、ベトナム観光の新たな目玉として注目されているそうだ。

 写真を見ると遙か空の彼方、雲の中から巨大なゴンドラがバビューンと突き出していた。ロープウェイというよりそれは飛行船か何かの飛行物体みたいだ。スゲエ。ハンパねえ。でもよりによってなんでまたこのタイミングに……。

 僕は3,000mの山頂に観光客がワラワラ群がり、記念写真を撮っているシーンを想像してゲンナリした。いってみればそれは富士山の山頂までロープウェイがかかったのと同じである。登山者にしてみれば悪夢としかいいようがない。果たしてそんな山に登る必要があるのか? 2泊3日もかける意味があるのか? てゆーかそんなことして楽しいのか?
ハノイの路地裏でバックパッカーのおねいさんに「このバイクを230ドルで買わない?」と声をかけられた。山なんか登るより彼女とどこか旅に出る方が楽しそうだぜ
 僕は猛烈に逡巡した。でもその一方でワケのわからない欲望が僕の頭の中を渦巻いていたのである。

「乗って……みたい」

 男子として生まれた以上、世界一の乗り物に乗りたくなるのは当然の欲求だ。世界最速のバイク、世界最大の客船、世界最凶のジェットコースター、世界一の巨乳……。僕なんか世界一と聞くだけで血が騒ぎ、鼻の穴が膨らんでしまう。しかもコイツはまだ開通したばかり。もしかしたら日本人一番乗りができるかもしれない。

「よーし決めた!乗るぞ!……いや、登るぞ!」

 かくして僕は計画続行を決意し、ファンシーパンをめざしたのである。

もうひとつの衝撃的事実
 翌朝5時。夜行列車はガタゴトとラオカイ駅に到着した。そこから乗り合いのミニバンで1時間ほど山道を走り、今回の登山拠点となるサパの町に入った。
夜行列車の終着駅「ラオカイ」は中国雲南省と接する国境の町だ。駅前には観光地サパへ向かう乗り合いのミニバンが並び、下車した旅行者を呼び止めるドライバーの客引きがスゴイ
 サパはかつてはモン族やザオ族などの山岳民族がひっそりと暮らす秘境だったが、フランス統治時代に避暑地として開発が進み、過ごしやすい季候と美しい景色に惹かれて多くの観光客がここを訪れるようになった。山を切り開いて作った棚田はそれはそれは美しく、世界的に知られている。街に入り一休みしていると、ひとりの男の子が迎えに来た。
ファンシーパンの登山基地となるサパの集落は標高1,600mほどにあり、日本で言えば避暑地・軽井沢みたいな感じだろうか。ラオカイ駅から約1時間かけて山道をグングン上がっていく

「ホーボーさんですか? サパ・エスニック・トラベルのチャンです」

 てっきりお使いの子どもかと思ったら、彼こそがファンシーパンの山岳ガイドだった。少数民族モン族の少年だが、流暢な英語を話した。

 じつは出発直前になってもうひとつ新たな事実が発覚した。ファンシーパンに登るには入山許可が必要だが、その取得がかなり難しいようなのだ。これまでに何人ものバックパッカーがトライしてきたが、この数年は個人に許可が出された例はない。サパの観光局に問い合わせても「山岳ガイドを雇え」「登山ツアーに参加しろ」の一点張りで追い返される。表向きは登山安全のためというが、どうやら地元経済のためらしい。
サパにはいくつかの山岳民族が生活しているが、町中でもっともよく見かけるのがモン族だ。彼らは藍染めに刺繍をした衣料や銀細工のアクセサリー作りが得意で、ツーリストは女性陣の販売の猛攻にあう

 しかたなく僕は現地のガイド会社に連絡をとり『1泊2日ファンシーパン登頂ツアー』というのに予約を入れ、とりあえず入山許可を取ってもらったのである。

「ところで、なんですかその荷物は?」

 僕のバックパックを見てチャン君は目を丸くしている。今回の登頂ツアーにはガイドのほかにポーター兼コックが同行し、3回の食事がすべて付く。さらに山小屋での宿泊にはマットとシュラフがレンタルされ、登山者は自分の飲み水とトイレットペーパーだけを持てばいいのだ。
 
 しかし僕はいつものようにフル装備でやってきた。テントやシュラフはもちろん、ストーブ用のガスカートリッジや3食分の食糧もしっかり買い込んである。

「俺のことはお構いなく。ちゃんと自分で持つからさ」
「はあ……」

 衣食住のすべてを自分で背負い、自己完結で旅をする。それがパックパッキングの基本である。こうして自己完結しているからこそ好きなペースで自由に歩ける。自分の力で旅を切り開くことができるのだ。このスタイルは僕の旅のこだわりなのである。

 登頂ツアーに参加したのは僕のほかに7人。フランス系カナダ人やドイツ人など外国人ばかりで、全員が20代の若者だった。僕はみんなに自分はフル装備でペースが遅いことを謝り、自分を待たずにどんどん先に行ってくれるようにお願いした。人のペースにあわせるのは苦手だし、がんばったところでどうせ追いつけない。

 午前9時。いよいよ登山開始だ。チャン君は竹林の中の細いトレイルをグングンと登っていった。

 覚悟はしていたが、のっけから急勾配だ。すぐに息が上がり、額から汗が噴き出す。1時間もしないうちに僕はフラフラのクタクタになった。

「お兄さん、ダイジョブ?」

 少年ポーターたちが軽々と僕を追い抜いていく。背中の巨大な竹カゴには米や肉や野菜がぎっしり入っていて重さはゆうに20kgを超えるというのに、まるで風船でも担ぐようだ。そしてびっくりするのはその足元。なんとサンダル履きなのである。今回僕は3,000mの高所に備えてガッツリした登山靴を履いてきた。それがサンダル履きに追いつけないのだがら面目丸つぶれである。アゾロのみなさん、ごめんなさい。
左上がガイドのチャン君。その下が今回のツアーの食糧を運び上げてくれたポーターのふたりだ。全員10代で、揃って足元は同じサンダル。ファンシーパン周辺の森は保護禁猟区に指定されていて、野鳥のサンクチュアリになっている。野鳥観察のマニアックな一団がバズーカ砲みたいな望遠レンズを担いで山を闊歩していた

 約3時間の苦闘の末、昼過ぎに標高2,250mにあるキャンプ1に到着した。

キャンプ1にはトイレと水道、そしてキレイな山小屋がありツアーメンバーはここでランチタイム。その横で僕もガスストーブを出して食事を作ることにした。今回はわざわざベトナムコーヒーのドリッパーと豆を持ってきていた。こんな山中でコーヒーを入れる僕をツアー参加者の女の子がいぶかしげに見ている。
驚くほどキレイな小屋が並ぶキャンプ1。ツアーのお昼はベトナム風サンドイッチ「バインミー」だ
「みなさんおまたせー」

 チャン君たちが運んできたのは、フランスパンを使った豪華なサンドイッチだった。旧フランス植民地だったベトナムは完全なフランスパン文化圏で、バゲットにレバーパテや肉、ナマスや香草を挟む「バインミー」というサンドイッチが名物なのだ。

 メンバーは思い思いの食材を挟んでサンドイッチをつくっているが、どうやら味が薄いらしい。そこで僕は「醤油とクレイジーソルトならあるよ」と声をかけた。自炊用に少しだけ日本からもって来ていたのだ。

「えええ!マジで!」
「私キッコーマン大好き!」

 小さなナルゲンボトルに入れた僕の醤油はみんなに大評判で、それまで「わざわざ自炊する変な日本人」扱いされていた僕は、ほんのちょっとヒーローになったのである。
ファンシーパンへの登りは後半がハード。道は悪くないが標高が高くなるにつれ空気の薄さにやっつけられる

 キャンプ1から宿泊予定地のキャンプ2までは急登につぐ急登。登れば登るほど勾配が急になる手強い地形で、重い荷物と薄い空気にやっつけられて、つらいつらい。正直途中でバックパックを捨てたくなった。午後になると登山道はすっかり雲のなかで展望もまるでない。なんだか「なにかの罪滅ぼし」みたいな登山だった。トホホホ……。


ようやく着いたキャンプ2
 2,800mにあるキャンプ2には立派な山小屋が建っていたが、今回のツアー一行が使える部屋はひとつだけだった。4畳ほどの狭いスペースに7人が重なるようにシュラフを広げる。寝返りを打つスペースもなく、まるで通勤ラッシュの銀座線みたいだ。
板張りの小さな部屋をいくつか備えたキャンプ2の山小屋。日本の山小屋のように常駐スタッフがいるわけではなく、各ツアーのポーターが別棟の調理スペースで食事を用意してくれる

 うしししし。僕は外に出るとテントを建てた。この時だけは「勝ったぜ」と思った。世界中のどんな場所も自分の個室にしてしまえるのがテント暮らしのいいところだ。
ハノイのアウトドアショップで購入したガス缶は韓国製だった。そしてなんと山小屋には缶ビールがストックされていた。そのことを知った途端、クタクタだったツアー参加者全員が急に元気になった。ビールの威力は世界共通だ

 この日の夕食はポーターの少年たちが焚き火料理の腕を振るってくれた。チキンのバーベキューや野菜炒め、厚揚げのチリトマトソース煮込み、青梗菜のスープなど、ベトナム料理専門店も驚くほどの美味しい夕飯だ。僕は荷物を少しでも軽くしたかったので泣く泣く自炊したけど、ほんとアホらしい。ああ、やっぱり手ぶらで来ればよかったかな……。

ポーターのふたりは慣れた手つきで焚き火料理をどんどん作っていく

 この日は夜半から大荒れの天候になった。キャンプサイトは径の細い支那竹の竹林で覆われていたが、風が吹くと枯れた竹が「カリンカリン」と大きな音をたてた。竹林を通り抜ける風がピューと笛のような音をあげ、叩かれた竹の打音とアンサンブルを奏でる。カリンカリン、ピュー、カリン、ピューピュー。まるで山ぜんたいが歌っているようだった。

 夜中に一度、ペグが抜けるほどの強風にあおられて目が覚めた。「ガイラインを足そうかなあ……」ほんの2秒だけそう思ったが、疲れ果てた僕にはもう起き上がる気力がなく、ブワブワと揺れるテントの中で再び眠りの泥沼に引きずりこまれてしまった。

ファンシーパンツでファンシーパン

  翌朝は5時に起床した。今日はいよいよピークアタックである。僕はテントを這い出すとおもむろにパンツを脱ぎすて、夜明けの山に向かって仁王立ちになった。ついにこの時がやって来た。今こそ“ファンシーパンツ”の出番なのだ。

 去年の冬、最初にファンシーパンの名前を聞いたとき、僕はてっきり「ファンシーパンツ」だと思っていた。そして「だったらファンシーなパンツを履いて行かないとなあ」とわけのわからないことを思ったのである。

 その後正式名称は「ファンシーパン」だと知ったが、ハノイに来てみると街中のあらゆるところでファンシーなパンツが売っているぢゃないか。歩道を歩けばファンシーパンツ、露店を覗くとファンシーパンツ、ナイトマーケットもファンシーパンツ。これはきっと神の思し召しである。僕は俄然やる気を出して街で一番ファンシーなパンツを買い込み、勝負パンツとしたのである。(ちなみに色は紫です。セクシーですみません。店のおばさんが選んでくれました)

 よーし、これで準備万端だ。勝負パンツをはいた僕は鼻の穴を膨らませて出発した。しかし朝から濃霧に捲かれてしまい10メートル先も見えない。ツアー一行は順調に高度を上げていたが、僕にはただただ苦しいだけの登山が続く。酸素はどんどん薄くなり、太腿がまるで生コンクリートでも流し込まれたように重かった。もー無理。もー限界。もー無理。もー限界。ネガティブなつぶやきが頭の中でグルグル渦巻く。
ガイドにも置き去りにされた僕は開き直って休むことにした。するとまわりの景色の美しさに気付いた。僕は幻想的で静謐な森にひとり囲まれていた
 その時だった。

 シュッゴオオオオオオ……。

 突如僕の頭上を巨大な影が横切った。何事かと思って見上げると、それがあの「ファンシーパンロープウェイ」だった。巨大なゴンドラが空へと登っていく。僕はついに頂上直下まで登ってきたのだ……!

 腕にはめたプロトレックの高度計を見ると標高はすでに3,100mを超えている。頂上の三角点まではあとわずかだ。
ガイドもポーターも山岳民族でしかも若い。3,000mの高所で「ふたりをおんぶしてどれだけ登れるか」という遊びを始めた。おじさんはもう疲れてしまったよ

 ほどなく大理石で組み上げた階段に出た。これが噂にきく「600段階段」だ。ロープウェイの山頂駅から三角点のある山頂までは、観光客が歩きやすいように全面を階段にしてしまったのだが、600段もある上に一段一段の段差が大きく、疲れ果てた足には「いじめ」以外の何ものでもない。それでもゼーゼー登り続け、最後は倒れ込むように(まるでマラソンのゴールみたいに)山頂の三角点に辿り着いた。

「よっしゃあーーーーー!」

 やったぜ! 登頂したぜ!ベトナム最高峰だぜ!インドシナの屋根だぜ!俺には地球が丸く見え……ないぜ! なーんも見えないぜ!

 ファンシーパンは雲の中。中国国境どころか隣にいる人の顔すら霞んでしまってよく見えない。なんだよおい、せっかくファンシーパンツ履いてきたのに。

 でもいいのだ。僕の旅は登頂が目的ではないのだ。たしかに素晴らしい景色をこの眼に焼き付けて帰りたかった。でもこのファンシーパン山のことは、その大きさは、その素晴らしさは、眼ではなくこの足が覚えている。乳酸でパンパンになった太腿をさすりながら、僕はけっこうシアワセだった。
ここまで苦楽を共にした(俺はしてねーけど)登頂ツアーのみんなと記念撮影
 最後にツアーのみんなと記念写真を撮った。世界の国々からやってきた旅人が偶然こうして一緒になった。初めての登山に苦しんだ人もいた。ずっとLINEばっかりしている人もいた。みんなにそれぞれの旅があり、それぞれの山があったが、最後はみんな笑顔だった。ありがとうファンシーパン……。とちょっぴりおセンチになったその時だ!

「ドドドドドドドドドッ!」

 地鳴りのような音とともに、すさまじい数の観光客が山頂になだれ込んできた。始発のロープウェイが山頂駅に到着したのだ。

「ホラホラ!こっちこっち!早く早く!」

 こってりパーマのおばちゃんが僕を突き飛ばし三角点に馬乗りになる。サンダル履きのおっちゃんがベトナム国旗を振り回す。若いカップルが自撮り棒でイチャイチャ写真を撮りまくる。3,000m峰の雲の上では思った通りの惨状が繰り広げられた。
ロープウェイの始発のゴンドラが到着すると、あっという間に山頂には人だかりができた。その様子はまさに「阿鼻叫喚」。世界広しといえどこんな高所でこんな光景が繰り広げられるのはここだけだろう
「すみませーん。シャッター押して貰えますか?」

 パンプスを履いたおねいさんにiPhoneを渡された僕は、あまりにファンシーなその出で立ちにすっかり脱力してしまったのであった。

「さらば、ファンシーパン」

 観光客でごった返す三角点を後にした僕は、魔の600階段をトボトボと降りロープウェイの山頂駅に向かった。ドリーム・イズ・オーバー。でもいい。僕にはもうひとつの夢がある。いよいよ世界最長のロープウェイに乗るのだ。

 霧の向こうに寺門が見える。僕はその前で一礼すると、厳かな気持ちで門をくぐった。そして驚愕の世界を目にした。僕が霧の向こうに見たものとは……!!
このとき僕は深山幽谷に遊ぶ仙人のような心持ちでいた。しかし……
 パックパッキングベトナム・後編へ続く。
 


 

 それでは、今回旅したベトナムマップや立ち寄ったショップなど旅の役立ち情報を公開!


ベトナムBackpacking map

 ベトナムで実際に歩いた場所や、立ち寄ったアウトドアショップ、スーパーなど、さまざまな旅の情報を落とし込んだオリジナルの地図を今回もAkimamaスタッフが用意してくれた。スマホやタブレットにGoogleマップが入っていれば、自分がいまいる現地情報と合わせてハノイやサパで地図を使うこともできる。なお、右上の□マークからは拡大地図へ移ることもできる(これはPCの方が見やすいかも)。後編でもさらに情報を加えていく予定!
5泊6日 ベトナムバックパッキングSCHEDULE
 Day1 羽田空港夕方発▷夜ムンバイ国際空港着▷ハノイ旧市街へ移動▷夕食・ホテル泊
 Day2 ハノイで夕方まで買い出し、準備▷22時10分ハノイB駅発夜行列車
 Day3 早朝ラオカイ着▷ミニバンでサパへ▷ガイドと合流後登山開始▷山中泊
 Day4 早朝より行動▷山頂到着▷ロープウェイで下山▷サパ散策▷ミニバンでラオカイへ▷21時00分夜行列車

 Day5 終日ハノイ散策▷ナイトマーケット▷ハノイでホテル泊
 Day6 早朝ムンバイ国際空港へ▷フライト▷午後羽田空港着

 今回僕が利用した「SAPA ETHNIC TRAVEL」には時間があまりないツーリストのために、ハノイからの夜行列車までを含め最短でファンシーパン山頂を踏めるプランも用意されている。今回申し込みしたのは「Sapa Fansipan Tour 2Days」で、山中1泊で登頂する(ブルーで色付けした部分がすべてプランに含まれるが、ロープウェイで下山するかどうかは個人にゆだねられる)。よく見るとわかるが、今回のベトナム旅ではホテルにはたった2泊しかしていない。

ハノイの買い出し事情
 ファンシーパン登山をする場合、日本からはまず首都ハノイに下り立つことになる。成田や羽田、大阪、名古屋、福岡から直行便が出ていてアクセスが簡単だ。初日を買い出しにあてるならスーパーや商店が充実し、アウトドアショップもある「旧市街」というエリアにホテルを取るといいだろう。
ハノイに着いたらまずはドライバー付きの電気自動車で旧市街をザっと見てまわるのがオススメだ。1時間ほどかけて問屋街や市場、観光地などをめぐってくれる。ひとり500円ほどだ
旧市街にあるアウトドアショップ「Umove」。ガス缶はもちろん、トレッキングシューズやバックパック、シェルといった登山に必要な道具が揃う。「Fansipan」というブランドもみかけた。2階ではカヤック関連の道具も扱っている旧市街の南側にある市民の憩いの場「ホアンキエム湖」周辺には大きなスーパーがふたつある。イオン(!)がやっている「FIVMART」の方が品揃えが多い。この「Hao Hao」というインスタントラーメンがエビ出汁がきいていてウマい! しかも20円ほど
ローカルフード情報も重要!
ハノイに来たら絶対に食べたい2大麺料理が「ブン・チャー」と「フォー」(らしい)。右上の「ブン・チャー」はハノイ人のソウルフードで、肉団子や豚肉の入ったスープへ米粉で作った細い麺をつけて食べる、いわるゆ「つけ麺」だ。唐辛子やニンニク、数種のハーブをドッサリのせてワシワシ食べる(食べ方がわからずカンニングするオレ)。写真は「ダッキム」という人気店のもの。また、じつは知らなかったが「フォー」はハノイが本場(らしい)。鶏肉がのったフォー・ガー、牛肉がのったフォー・ボーなどがポピュラー。左下の写真は名店「フォーザートゥエン」のフォー・ガー。地元民とツーリストによる行列ができていた

旅の相棒 Gregory バルトロ65

 歴代のトリコニとバルトロを愛用してきたが、バルトロの現行モデルは快心のできだ。細かな点にも手を抜いていない。例えばトップリッド(雨蓋)のポケットは二気室になっていて小物の整理に便利だ。またジッパーは直線に配置されているから、中に満タンにモノを詰め込んだ場合も開け閉めがスムーズにできる。グレゴリーが長年トレイルで培ってきたノウハウが細部にも宿っている。

サイズ: S、M、L
容量: 61L(Sサイズ)、65L(Mサイズ)、69L(Lサイズ)
重量: 2,200g(Sサイズ)、2,300g(Mサイズ)、2,369g(Lサイズ)
カラー: ネイビーブルー、スパークレッド、シャドーブラック
価格:42,120円(税込み)

 

(文=ホーボージュン、写真=山田マコト)


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