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ホーボージュン アジア放浪最終回! モンゴル後編「ノマドの海、旅人の夢」

(2016.09.05)

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馬でのアプローチ

 登山準備を整えると、オトゴに見送られてキャンプサイトを後にした。ここから先は自分の荷物は自分で背負う。バックパックを背負って馬に乗るのはなんだか不思議な感じだった。

 今度の旅は僕にとっても相棒のホンゴルにとっても初めてのことだらけだ。僕は馬で山にアプローチしたことなどないし、ホンゴルは2,500mもある山を登ったことがない。お互い不安な気持ちを抱えたまま、それでも一緒に歩き始めた。

 草原はやがて腰の丈ほどもあるブッシュとなり、明るい松林は深い森へと姿を変えた。頭上に覆い繁る枝をかき分けながら、僕らは森の中を進んだ。急峻な登り斜面をジグザグにスイッチバックしながら慎重に高度を上げていく。

 足元の悪い斜面でのトラバースはとても難しい。若くて山岳経験のないホンゴルは斜面で立ち往生してしまうことが多くなった。

「チョウ! チョウ!」

 必死になだめながら、そして時には叱りながら、僕はホンゴルを前へと進めた。こういう難所では乗り手も積極的に動いて馬を助けなければならない。登りの時には鐙(あぶみ)の上に立って体重を前にかけ、馬の後脚の動きを妨げないようにする。反対に下りの時には足をハの字に開き、後傾して前脚の自由度を上げてやるのだ。

「いいぞ。その調子だ」積極的に声もかける。

 やがてトレイルは急な崖下りにさしかかった。ブッシュが深くて足元はまったく見えない。崖の途中には何本もの倒木が折り重なっていて、めちゃくちゃテクニカルだった。チンゾリクたちはそこを細かくターンしながらひらり、ひらりと下っていく。しかし僕にはとてもそんな真似はできない。崖の途中まで下ったところで進退窮まってしまった。

(ヤバイな……)
障害物だらけの狭い林間でスイッチバックしながら馬を進める。高度なテクニックが必要な難しいアプローチだった
 いったん下馬して歩こうかと思ったその瞬間だ。ホンゴルの前脚がガクッと躓き、首から大きく地面に倒れ込んだのだ!

(あっ!)

 声を上げる間もなく、身体が宙に浮いた。背中のバックパックの重みで身体がクルッと反転し、そのまま僕は地面に叩きつけられた。その上に巨大な馬体が倒れ込んでくる。一瞬、ホンゴルの怯えた目と僕の目が合った。まるで超スローモーション映像を見ているようだった。

 ドーン!という派手な音を立て、ホンゴルの巨体が横倒しになった。さいわい僕はその下敷きにならずにすんだが、まわりのブッシュがグシャグシャになぎ倒された。

「ヒヒーーーン!」

 大きくいなないて、ホンゴルがもがく。このときにまずいことが起こった。僕の左足が鐙から外れず、僕はそのままホンゴルの腹の下に宙づりになってしまったのだ。

(やばい!)

 逆さまになったまま鐙に手を延ばすが、背中のパックが重くて上半身を起こせない。

「ホンゴル! 動かないで!」

 怯えきったホンゴルはいまにも暴れ出しそうだった。僕の顔のすぐ前に泥だらけのヒヅメが光っている。こんな状態で暴れたら大事故になる。

「ホンゴル動かないで……。大丈夫だから……」

 僕はホンゴルを動揺させないようにゆっくりした口調で声をかけた。そしてバックパックのハーネスをそっと外し、腹筋をつかって鐙にぶら下がる。そして両手でよじれた足首を掴むと、グリグリとこじって左足を鐙から引っこ抜いた。

「ヒヒーーーン!」

 障害物が取り除かれて自由になったホンゴルは猛然と立ち上がり、そのままブッシュをなぎ倒して一目散に走り去ってしまった。

 僕はヤブの中にひっくり返ったまま、呆然とそれを見送っていた。

登山靴とウェスタンブーツ

 ホンゴルはチンゾリクが捕まえてくれた。ブッシュを抜け、崖を下りきった先でポツンと僕のことを待っていたそうだ。

「コイツはまだ山の経験が少ないからね。倒木につまづいて慌てたんだろう」

 そう言っていたが、僕はかなり落ち込んでいた。今回は僕が100%悪い。あそこで下馬しなかったのも、宙吊りになったのもすべて僕のせいだ。

 本来、登山靴やワークブーツで馬に乗るのは御法度とされている。大きなつま先やゴツゴツしたブロックソールが鐙に引っかかり、足が外れないことがあるからだ。アメリカのカウボーイが履くウェスタンブーツのつま先が尖っていてソールが真っ平らなのは、万一の落馬の際にもすぐ足が鐙から抜けるように作られているからである。

 にも関わらず僕は「まあ、大丈夫だろう」とたかをくくり、登山靴で騎乗してしまった。たいして上手くもないくせにテメエのことを過信したのだ。そしてぶざまに宙づりになった。

「ホンゴルごめん。怖かっただろ」
 大きな黒い瞳を見ながら僕は何度も謝った。

アルタン・ウルギーと旅の玉

 森林限界に到着すると僕らはそこで馬たちがどこかへ行ってしまわないように前足をロープで縛って、そこから先は徒歩で登った。ザレた山肌は歩きづらかったが、吹き抜ける風が心地良く、見渡す景色も広大で、気持ちのいい登山となった。

 一時間ほどで山頂に着いた。標高2,656m。アルタン・ウルギーの山頂には小さなケルンと背丈ほどのオボーがあった。オボーには青い絹布がかけられ、天空の精霊を導くかのようにヒラヒラと空に向かってひるがえっていた。

 山頂からは遙か遠くの大地が見渡せた。南側には広大な草の海、そして北側にはたおやかな山の波が続いている。地平線は丸く、そのすべてを眼下に納めるとまるで自分が中世のハーン(騎馬民族の王)にでもなったような気分だ。

 時刻は午後6時を回っていたが、明るい夏の陽射しは勢いを弱めることなく、白い雲を低い角度から照射していた。それはまるで海に光る白波のようだった。草の海を泳ぎ渡った僕は、今度は空の海に浸っていた。

「これだよ、これ……」

 広大な空と丸い地平線を眺めながら僕は独りごちた。その瞬間まで僕は奥モンゴルの山の上にこんな光景が広がっているとは想像だにしていなかったが、実際にその光景を目にしたとたん、これこそが自分がここに来た意味なのだと強く感じた。まるで自分はすべてを予知していて、この邂逅は約束されていたものであるかのように。

 旅をしているとこういう不思議な“既視感”に捕らわれることが時々ある。いったいその正体がなんなのか、それは何を意味しているのか僕にはよくわからないけど、その瞬間僕の中で何かが腑に落ちる。「旅の玉」みたいなものがストンと心に落ちるのだ。

 空を見上げ、いったいそれがどこから降ってきたのか目を凝らしてみる。

 でもモンゴルの空はあまりに高く、いくら目を凝らしてみても僕にはなにも見えなかった。

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ライター
ホーボージュン

全天候型フリーライター。6,000mの高所登山からシーカヤックの外洋航海まで、フィールドとスタイルを問わない自由な旅を続けている。『山と渓谷』『ビーパル』『PEAKS』『Field Life』などアウトドア各誌で連載中。公式Twitterアカウントは「@hobojun

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