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【トルデジアン走ってきた #3】ついにスタート。330kmの冒険のはじまりに浮足立つ

2018.01.09 Tue

中島英摩 アウトドアライター

NHK BS1の番組「GRATE RACE〜グレートレース〜」でも紹介された“Tor des Geants(トルデジアン)”。この過酷なレースに挑んだライターの中島エマさん(33歳、独身、女性)が、レース完走までをAkimamaで短期連載中。いよいよステージ1です。

▼前回のお話はこちら
【トルデジアン走ってきた #2】330kmに渡る巨人達の旅。出発までの道のりもひと筋縄ではいかない



旅にトラブルはツキモノなんていうが、日本を発つ前から律儀にもトラブルにまみれながらなんとかスタート地点に立った。走りはじめて3084日目。「Tor des Geants」(トルデジアン―巨人達の旅)。またわたしはここから走り出すんだ。

* * *

9月10日午前10時、冒険のはじまり。

 スタート地点でわたしは背の高い選手の中に埋もれていた。
 前がよく見えない。スタート時間の午前10時がとうに過ぎていたが、音楽が流れるなかでしきりに話すMCの声が聞こえるだけで、スタートする様子がない。わたしがきょろきょろしていると、日本人仲間が「こんなもんよ」と言った。これから一週間でエベレスト3回分くらいの標高を走るというのに、そうか、こんなもん、か。

「トレ、ドゥエ、ウーノ……」

 ウーノくらいしかイタリア語の数字を知らない。あ、ウーノって1秒前か、と気付いた時にはゾロゾロと行列が動き始めていた。イタリア人、とくにアオスタなど山岳地帯の田舎の人たちはのんびりしていると噂には聞いていたが、20分も遅れてスタートしたことにはびっくりした。玄関先に出て応援する町の人々に見送られながら、クールマイヨールの風情ある石畳をゆっくりと走り出した。あまり実感はなかった。

「Dai! Dai! Dai!」(行け行け行け!)
「Forza!」(がんばれ!)
「Bravo!」(すごいぞ!)

一斉に走り出す選手たち。観衆が少なくなれば歩き出すが、スタート直後はアドレナリン放出といったところか。

 スタート地点の標高は1,224m、最初のピークが2,571m。いきなり標高1,347mも登る。わかりやすく例えると、だいたい富士山の六合目から山頂まで登る。しょっぱなから富士登山である。オゥオゥ、お嬢ちゃん、巨人達に挑む準備ができているのか? なんだか腕試しをされている気分だ。

高低表は長すぎて横幅がぎゅぎゅっと縮められているので、アップダウンが省略されすぎていて参考程度にしかならない。ざっくり遠目で見るくらいがちょうどいい。

 今年は春先に長距離のランニングを重ねた。2週間ごとに90km、100km、90kmを走って夏山前にベースの足作りをした。そのおかげで夏山のスタートは調子が良かった。数日間の縦走はもちろん、日帰りでもアルプスに通い、さわやかな夏のほとんどを山に捧げた。トレイルランニングというよりも、長距離長時間の山岳縦走が好きなわたしは「里山をちょろっと走ってるだけじゃないんだ」という自信があった。高所にも強く、富士山に数日間籠り何往復もしたって、高山病とは無縁だった。それどころか、標高1500mくらいから身体が軽くなって羽根が生えたような気分になる。東京砂漠で満員電車に揺られている時よりも山の上の方が、よっぽど呼吸がしやすくて身体が軽かった。

30分もしないうちにトレイルに入り、しだいに樹林帯のトレイルになった。シングルトラックで、前後に選手が連なる。ストックを使ってどんどん登った。

ゼェゼェ、ハァハァ。

 手足の長い欧米選手は登りが速い。ゆったり登っているように見えるが、彼らの1歩はわたしの3歩分だ。そのペースについていこうとすると潰れることは経験からわかっていたはずだけれど、今年の自分はもっと成長していると過信していた。あっという間に息が切れて、鼻水滴る状態では呼吸ができず、喉が苦しかった。

「エマちゃん、汗、すごくない?」

 前を登っていた仲間がこちらを振り返って驚いた顔をしていた。シャワーを浴びたような大量の汗がわたしの顔を流れていた。仲間に必死について行こうと食らいついたものの、どんどん心拍が上がるばかりだった。たしかにちょっと異常な量の汗で、具合が良いとは言えなかった。

夢の世界に浮足立つ

 わずかな樹林帯を抜けてからの最初のコル、Col d’arpへ向かう道は美しかった。コースは山頂ではなく峠(コル)を通っていく。日本でイメージするような峠のそれとは全く違う。トルデジアンで通るコルのほぼ全てが標高2,000m~3,000mの高所にあり、麓の町からコルまでは幾度も幾度も上り下りを繰り返して辿り着く。数百メートル手前の最後の登りまで来なければ、コルそのものが姿を現さないなんてことがザラにある。山の奥深くまで踏み入れなければならない。

 四方八方をヨーロッパアルプスらしい岩肌の大きな山に囲まれ、さっきまで街にいたと思えないような景色が広がっていた。あっという間に夢の世界にワープしたような気分だ。足元にはタカネマツムシソウに似た紫の花が咲いていた。コルを越えて下りにさしかかるところでトレイルを見下ろすと、ずっとずっと先までアリの行列のように選手が連なっていた。

どこにコルがあるのか見えない。

たぶんこれ。

コース上には応援が多く、ハイカーさんとの擦れ違いも多い。歩いたらどれだけ時間がかかるんだろう?こっちの人みんな健脚すぎるだろ、と何度も思った。

蟻の行列の図

 下りをガンガン走って、走って、あ〜足が疲れた~と思ったところで最初のエイドに着いた。予定よりもかなり早い。なんだ、調子いいじゃないか。心も弾む。

 このレースには、エイドやライフベースと呼ばれるものがある。多くのトレイルランニングのレースでは、大会が用意するエイドステーションというコース上のポイントで、食べ物や飲み物の補給をすることができる。フルマラソンでは、水やスポーツドリンク、バナナ、塩飴みたいなラインナップをよく見るけれど、エンデュランスレースともなると様々な食べ物が用意されている。トルデジアンの場合、330kmの道中には約15箇所の公式エイド(もはや公式かどうかよくわからないので数が曖昧)、6箇所のライフベースがある。それ以外にも、大会に協力している山小屋、ボランティアのエイドなどもある。

 さて、次に向かうことにするか、と走り出す。しかし、次は登りになるはずが、遥か下まで下り道が見える。しかも転がった方が早いんじゃないかというくらいの斜度の舗装路だった。

笑うしかない下り坂。決してカメラを傾けているわけではない。

「あれ?おかしいな・・・」

高低図を見ていると、中国人男性がわたしの手元を覗きこんできた。ゼッケンには国旗と国名が書いてある。

「いまどこかわかる?」

なんだ、マップを持っていないのか~。うっかりさんだな~。教えてあげよう。

「さっきのエイドがこれだから、いまこの辺だよ」

ドヤッと教えてあげた。

「◎△$×¥●&%#・・・」

彼があまりの早口で、何を言っているのかよく聞き取れなかった。
もう一度お願い、と聞き返すと彼ははっきりこう言った。

「ねぇ、ユー、エイドはもっともっと下だよ」

「……!」

 わたしがひとつめのエイドだと思っていた場所は高低表やMAPに記載されていない臨時エイドみたいなもので、目標としていたエイドではなかった。
 このあとも何度も臨時エイドに距離感覚が狂わされ悩まされることとなる。

 結局そこから飽き飽きするほど舗装路を下った町に、本当の1つめのエイドLa Thuileがあった。予定よりも20分も遅れて到着したエイドは選手たちがごったがえしてした。

(全然順調じゃないしむしろ遅れとるがな!)

 体の大きい他国の選手たちをかき分けて手早く飲みものを補給し、すぐにエイドを後にした。

1日目、まさかのトラブル

 La Thuileの後はしばらく、砂ぼこりの舞うダートや林道が続き、また次の山に挑む。次は標高2,857m、本日二度目の富士登山といったところだ。しかし標高2,500mを越えようというあたりで、明らかに具合が悪くなった。

なんだかやけに埃っぽい場所だった。

本日2つ目の登り。またもコルがどこだかわからない(たぶん見えていない)。

 エイドを出た後の林道の砂ぼこりを吸い込んだせいか、咳が続いていた。ゴボゴボという咳が、次第に気管支を通り、肺まで響く音に変わっていった。

ゴホッ、ゼェェェ
ゴホッ、ゼェェェェェ

 喘息の症状と似ていた。喘息になったことはなかったが、鼻風邪になるとだいたいそのあと喉を傷めて気管支炎を患うことが何度かあった。でも、登山中に気管支炎になるなんて初めての経験だった。気管支と肺がゼェゼェゴウゴウと音を立てるようになって、じんわりと冷や汗が出てきた。まだたった20km、1日目の昼過ぎのことだった。

 咳が出て、肺が苦しくて呼吸ができない。喉がせまい。わずかな空気しか吸えないまま、酸素がどんどん薄くなっていく。視界がぼんやりする。高山病かもしれない。途中で何人もの日本人に抜かれた。その度に「あれ? 他の日本人女性と一緒に走ってなかった?」と聞かれた。宿で知り合った日本人女性と一緒にスタートしたはずだったが、もう早々に置いていかれていた。やばい、急がないと。必死で登りに食らいつくほど呼吸が荒く、苦しかった。途中の山小屋の簡易エイドRifugio Deffeyesの前の岩陰に座り込んで休んでいるとエイドで選手を歓迎するスタッフの声が大きくなった気がした。

Rifugioはイタリア語で小屋。コース上のたくさんの小屋がトルデジアンのエイドポイントとなっている。この協力体制はすごい。

さすがイタリア、エイドには贅沢な量のハムやチーズが並ぶ。無類なチーズ好きのわたし。ヨーロッパのレースはこれだから好き。

完走の鍵は“バナナ”?

 大きなバックパックを背負った笑顔の日本人が元気に入ってくるところだった。トルデジアンに出るにあたり、ベテランの人たちが口を揃えて言うことがあった。

「ばななさんより必ず先にエイドを出ること。ばななさんより遅れなければ完走できる!」

 おもちゃ箱のようなザックを背負った彼は、“ばななさん”と呼ばれていて、トレイルランニング界ではちょっとした有名人だ。苗字が「ヨシモト」らしい。(日本の著名作家、吉本ばななさんがニックネームの由来であることは言うまでもない)トルデジアンを何年も連続で完走していて、その独特なスタイルはすっかり現地の人々にも覚えられているマスコットキャラクター的存在なのだ。70Lくらいだろうか。そんなに大きなザックを背負って走る選手など他には1人もおらず、今年はサイドポケットにビニール傘までもがささっていた。

たぶんわたしが背負うとバックパックから足が生えているみたいになるレベルの巨大な荷物

明るくて楽しいばななさん。対して、後ろで完全に固まっているのはわたし。

「ゴホゴホ、ばなな、さん、こんにちは!」
「どうしたの? 大丈夫? ゆっくり楽しんでね!」

 そう言ってばななさんはいくつか食べ物を口に放り込むと、さらりとエイドを去っていった。えっ、ちょっと待てよ、聞いていた話と違う。ばななさんはいつも最後尾あたりでのんびりとレースを楽しみ、たくさん食べて、たくさん休んで、たっぷり寝て、それでも完走するのが彼の楽しみ方なのだろうと聞いていた。でもそれは彼が、足が速くて強いからできることであって、完走をめざすなら各エイドを彼よりも先に出ないと必ず追いつかれてしまう。だからこそ、彼の前を走っておかなければならなかった。

あ・・・れ?

 そこからは血眼で、どんどん小さくなっていくばななさんの姿を視界の端になんとか捉えながら、必死で肺を膨らませて、追いかけた。ばななさん、ばななさん、ばななばななばなななななななばななさぁ~ん。酸欠でふらふらする頭の中で黄色いバナナの房がグルグル回っていた。

 ばななさんに引っ張られてスピードアップしたおかげで、ずいぶん前に置いていかれたはずの仲間が山の高いところにかすかに見えた。絶対にもう追いつけないと思っていたから、心底嬉しかった。少しずつ距離を詰めながら、今度は仲間の背中を追いかけた。

谷底から渦巻くようなトレイルは登りもキツいが、下るのも怖そうだ。
コルの先も崖。

 今日2つめのコルを越えて、岩だらけのトレイルを進み、走りやすいトレイルをかっ飛ばすと、小さなエイドで仲間に追いついた。

「エマちゃん! よかった!」
「うれしい! もう会えないかと思った!」
「何人かの日本人がね、たぶんあなたの友達と会ったよ、辛そうだけど頑張って進んでいたよ、って教えてくれたんだよ」

 ハグをして、それから一緒に温かいコンソメスープを飲んだ。ここまでの道のりのことをあーだーこーだ言って談笑した。

 日本人選手は約30人。様々な変人レースを完走してきた経験豊富な人が多かった。日本人に会えることは、イタリア語や英語が苦手なわたしにとってすごく心強く、レース中には多くの日本人が心の支えになってくれた。ずいぶん前にエイドに到着していたばななさんが、スープにクラッカーを浸して食べると美味しいのだと教えてくれた。

「ねぇ、これでもう次はライフベースだよね?」
仲間が言う。
「いや、これからピークを越えて、そのあとまだもうひと山ありますね……」
「えっ、あっ、そうか……」
高低図に見えないアップダウンがいくつもあって、どのくらいピークを越えたかなど1日目からすでによくわからなかった。

お次はあちら。あれのどこを登るんだか……。

なるほどそういう感じですね。

おっと、これはどのあたりがトレイルなんでしょうか……。

 下りになる頃には日が暮れ、ライフベースまでは思い切り走りまくった。森を抜けると車通りが見えたが、(町に出るにはまだ時間が早いような気がするけどなぁ……)という嫌な予感はみごと的中した。下山した町の「隣の隣の隣くらいの町」まで道路脇の地味なトレイルを延々と走らされ、やっとのことでライフベースに着いたのは23時30分頃だった。

(コルからライフベースまで半日かかるってどんだけ巨人やねーん!)

それでも、淡々と走ってきたおかげで、この区間で50分ほどの遅れをまるっと巻き返した計算だった。


夜はさすがに応援もおらず、町は静まりかえっている。

50km地点、ライフベースVALGRISENCHE、狂気の隣人

 コース上にある6つのライフベースでは、あらかじめ預けておいたドロップバッグを受け取ることができる。さらに、エイドよりも豪華な食事が用意されていて、睡眠もできるし、シャワーも浴びることができる。ゼッケンのチェックを受けると、スタッフが「寝る? それとも食事にする?」と、新婚夫婦みたいに聞いてきた。

「Ummm...I want sleep!」

 そう伝えると周りのスタッフがなぜか笑っていた。(なんで?)
 7畳ほどの部屋がいくつかあり、ベッドがギュウギュウに詰め込まれていた。案内されるがままに部屋に入り、荷物をガサゴソ整理していると、隣のベッドで毛布にくるまっていた金髪でつり目の女性がむくりと起きて、こちらを向いた。

「外でやってよ!」

 いきなり怒鳴られて驚いた。そりゃまぁ、確かにそうだ。1週間に及ぶトルデジアンでは、睡眠計画も完走の鍵となる。寝るか寝ないかは自分次第、トップ選手はほとんど寝ずに走り抜けていくらしい。けれど、多くの選手はうまく睡眠時間を捻出しなければ絶対に最後まで身体が持たない。徹夜仕事は得意だったが、一週間なんて無理だ。

 睡眠グッズを色々とドロップバッグに用意していた。リカバリーレギンス、上着、温かくなるアイピロー、マッサージクリーム。あれこれ準備をして、1時間ほど睡眠を取ることにした。神経質な人はこういう環境ではなかなか眠れないらしい。わたしはどこでも眠れる超鈍感タイプなので、目を閉じて3秒で眠りについた。

「外出てよ!」
「うるさい!」
「うるさいうるいさいうるさい!」

 隣の女性が、他の選手が出入りする度にヒステリックに叫ぶもんだから、さすがのわたしも15分に1回くらい目が覚めてしまった。彼女に怒鳴られたくない一心で、咳が出ないように押し殺すのが大変だった。

1つめのライフベースは外のテントで寒いと聞いていたが、建物の中に通されて、快適だった。隣の女性の叫び声を除けば。

日本人を悩ませる、カップラーメン問題

 睡眠の後は食事にしよう。50kmも走ってもう腹ペコ状態。好き嫌いもないし、内臓も比較的強い方だ。VALGRISENCHEのライフベースのレストランにはベジタブルスープ、パスタ、チーズ、ハム、サラミ、パン、果物、お菓子、コーヒー、紅茶、ミルク、コーラ。なんでもあった。だけどわたしは持ってきたどん兵衛が食べたい気分で、お湯をもらうことにした。

 トルデジアンの先輩たちから「エイドでもらうお湯がめちゃくちゃぬるいから気をつけて! とても熱いお湯、と伝えるんだよ」と聞いていた。とても熱いお湯、はイタリア語で「Accua Bollente」(アクア ボレンテ)あるいは「Accua molto calda」(アクア モルト カルーダ)だそうだ。こんな時のためにタイム表の裏に、使いそうなイタリア語メモを作ってきた。

「アクア ボレンテ、ペル ファボーレ!」(熱いお湯、ください!)
「Come?」(何て?)
「アックーーーーア!ボレーーーーーンテ!」
恥を捨てて、ちょっとそれっぽく意識して緩急を付けてみた。

「・・・Acc・・・?」(ア・・・?ク・・・?)
だめだ、通じない。なぜだ。

「アックア、ボレーンテ!アックア、モルト、カルーダ!」
もうなんだか呪文みたいだ。

 うーん? という表情でスタッフのおじさんが電気保温ポットを持ってきてくれた。日本のコンビニでカップ麺にお湯を入れる時のあれと同じ形をしていた。よかった、呪文が通じた! そう思ってお湯を入れて15分待ち、20分待ったが、わたしのミニどん兵衛はまるで石のようだった。ひと口スープを飲んでみるとほぼ冷水。結局、このカップ麺問題は最終日まで続いた。イタリア人はネコ舌か。

 やむなく、パスタを1皿とチェスの駒の柄が描かれたバタークッキーを口の中に放り込んだ。なんの変哲もないクッキーだけど、ちょっと塩っ気があって、口に含むとふわりと溶ける。このチェスバタークッキーをたぶん一週間で1kgくらい食べたかもしれない。

チェスの柄だと思っていたのはニワトリだった

 午前1時56分。このライフベースの関門の5時間前だ。
 日付も変わり、2日目が始まる。ライフベースは50kmごとにある。わたしのペースでは、だいたい1日1回の頻度でライフベースに着く。次は106.2km。実はこの第2区間が強烈で、3000m級のばかでかい山を50kmうちに3つも登る。わたしの走力では20~21時間(!)はかかる。多めに行動食を詰め込もうなどと考えていたら荷物の整理に手間取って、せっかく巻き返したタイムを30分ほどオーバーしてしまったことに反省しながら夜の闇に出た。

レースにはいくつもの関門が設定されていて、そのポイントを設定時間までに通過しなければならない。ライフベースに関しては、ライフベースに入る時間(IN)とライフベースを出る時間(OUT)のそれぞれが設定されており、その間は2時間の猶予がある。しかし、どんどん疲れていくこと、身体のトラブルなどを考えると、ギリギリの通過では到底間に合わない。チェック方法は、手首に付けたリストバンドをスマートフォンで読み取っていた。このシステムがないポイントは手書きでゼッケン番号を記していた。差が激しい。

つづく

(写真提供=トルデジアンの仲間たち)

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