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とにかく、エベレスト街道に通うことが大切——コロンビア/ネパール大地震支援活動報告会 report.2

(2015.06.11)

登山のTOP

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帰国早々のタイミングで、コロンビアの原宿店にて「ネパール大地震支援活動報告会」を実施した国際山岳ガイドの近藤謙司さん。高所から帰って間もないこともあり、クンブー咳の影響で、嗄れ声になっていた

コロンビア/ネパール大地震支援活動報告会 report.1よりつづく

 ゴラクシェプにてエベレスト登頂断念を決めた近藤隊は、5月2日以降にカトマンズへ向けての下山行動を開始している。一足飛びで早く帰ることもできたものの、隊員たちは予定していたネパールでの滞在(予定通りなら、5月いっぱいは遠征にあてていた)を使って、ゆっくりと歩きつつ、ひとつひとつの集落の様子を確認しながら下山することにしている。

「いままでネパールに本当に世話になって来たから。どんなことができるか分からなかったけれど、エベレスト街道沿いの様子をしっかりと記録していこうと思いました」

 エベレスト街道には、アドベンチャーガイズの隊が定宿としているロッジもたくさんある。そのロッジのみんながどうなっているのかも、気がかりだった。彼らはまず、ロブチェのいつものロッジへと下っていった。

「この時期のエベレスト街道は、世界中からのあらゆる登山家たちが集まってくるので、いつもなら大賑わい。でも、地震後にここを歩いている人は、ほとんどいませんでした。ただ、そうなってしまうと、現金収入で生きている現地の人たちの生活の糧がなくなってしまうんです。だから、たとえ建物が壊れていたとしても、敢えてそこに泊まって行くことに意味があったんです」
            

いつもの賑わいを見せるエベレスト街道の様子を説明する近藤さん。これは、地震前の様子で、たくさんの登山家たちが行き交う様子が映し出されていた
          
 ロブチェのロッジは多少の被害はあったものの、人的被害はなく、ロッジのスタッフたちはみな無事だった。近藤隊はここに一泊している。街道沿いの道や家々は、倒壊しているところも多かったものの、山のひとたちは逞しく復旧活動を始めていた。

 とはいえ、ネパールの建物の多くは日乾しレンガを使って組み上げられているため、一度崩れてしまうと、修復はむずかしくなる。ネパールではいま、木造建築の家を建てることが禁止されており(環境保護の観点から、薪などの切り出しにも制限あり)、ほとんどの家々がこのレンガ造りの構造となっていた。

「だから、揺れの大きかったエリアや、土砂崩れや雪崩の爆風を受けたところなどには、大きく壊れているところもありましたね。あと、地元の人たちは、地震にはまったく慣れてないんです。以前、ここで地震が起こったのはもう80年以上も前のこと。なかには、“earthquake”という言葉を初めて知ったという子どもたちもいたほどです」
 

地震の影響で石積みが大きく崩れてしまったロッジの様子。たしかに、これだけ崩れていると、屋内に留まるのは勇気がいることだとは思うが……
     
 地震への恐怖ゆえ、彼らは遭難後の数日間は、家の中で生活することを避けて来たらしい。壁が家屋内に崩れて来たり、大きな石が天井を突き抜けてくることなどを恐れて、屋外の畑や庭にテントを張って暮らしていたという。

「でも、その場所も危ないんですよ。目の前の石垣や崖がいまにも崩れて来そうなところにテントを張っているのだから。だから、ここで眠るならロッジの中のほうが安全だよ、と言って、僕らがその家に泊まらせてもらうこともありました。すると、彼らもだんだんと家の中に移って来たりしてね」
 
 地震の直後だっただけに、近藤さんたちが、ベースキャンプからの道々の様子を地元の人たちに伝えるだけでも、彼は安心できるようだった。正確な情報が伝わりにくくなっており、人々はみな不安な日々を過ごしている。

「じつは、エベレスト街道の人たちの多くは、日本の3.11の被災のときに大きな支援活動をしてくれていたんです。義援金を集めて募金箱に入れてくれた人たちもたくさんいてね。あのときにドネーションしてくれたみんなが、今度はこの震災にあってしまっているわけで」

 近藤さんたちは、ゆっくりゆっくりと下山を続け、地震の被害状況をつぶさに目で確認している。パンボチェ、ナムチェバザール、ルクラ。これらの街で出会った人たちは、家族やとなり同士で協力し合いながら、道の補修などを自分たちの力でやっていた。さすがに重機を使わなければならない場所は後回しになっていたものの、できることから始めている。山の人たちのガンバリには、隊のメンバーも力をもらっていたようだった。

        
パグディン付近で、ひとり黙々と道の補修を続ける地元のおじさん。誰に頼まれたわけでもなく、ただひとりスコップを動かし続けていた。本当に必要なドネーションは、彼にこそ届けられるべきなのだが
      
「彼らの姿を見ていると、やはり、何かを返さなくちゃと思えるんです。何年も何年もエベレストに通いながら、たくさん世話になってきた。だから、今度はこちらがドネーションをする番だったりもするのです。とはいえ、いまネパールでは義援金の管理を政府がするようになっている。ボランティアも登録制になっているし、いろいろな問題もある」

 ともすると、善意で集めて来た義援金が、とんでもないところに渡ってしまうこともあるという。まだ身分制度が根強く残っている地域では、本当に必要としている人たちのところには、渡りようがない。その手前で、私服を肥やすような輩も少なからずいる。

「だから、現実はけっこう複雑なんです。まだ、カトマンズはなんとかなるかもしれない。都会だから。でも、僕ら登山隊がお世話になって来たエベレスト街道の人たちにまで、しっかりとした支援の手が伸びるかどうかは疑問も残りますよね」

 結局、近藤さんたちは、5月の下旬までネパールに滞在する。ひと月をともに過ごしたシェルパたちの自宅を訪れたり、カトマンズではボランティアに出掛け、JICAや現地NGO団体の話を聞き、近郊で被害を受けた街の支援活動の手伝いをしたりと、下山後も忙しく過ごして来た。

 その経過報告は、近藤さんが現地から発信し続けた「けんけんブログ」に詳しく載っているので、ぜひともチェックしてもらいたい。

 今回のネパールの報告会の最後を、近藤さんはこう締めくくっている。

「やっぱり、僕らは山に関って来た人間なので、エベレスト街道の人たちへの支援を続けて行きたい。だから、足繁く現地へ通うことだと思うんです。地震後間もないこともあり、まだまだ人が現地に訪れるまでにはなっていないけれど、現地に行くことが彼らを直接支えることになるんです。そして現地の状況をしっかりと伝え、また、たくさんの人がエベレスト街道を行き交うようになるまで活動を続けて行きたいと思っています。まぁ、そうそう元通りにはなるとは思えないので、ネパール支援はもう僕のライフワークになるでしょう」

 近藤さん率いるアドベンチャーガイズでは、エベレスト街道を歩くツアーを秋口くらいを目処に組む予定もあるという。また、震災後に開始した「しゃくなげの花プロジェクト」での募金活動も継続中である。
          
コロンビア原宿店の報告会の会場に設置された募金箱。近藤さんたちが、3.11のときに現地で募金活動を続けて来たときの箱そのものである。今回は近藤さんの著作の販売もあり、その売上げの一部はしゃくなげの花プロジェクトへ寄付されることになっている

     

 
 
ライター
A kimama編集部
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