• 山と雪

谷口けい 回想山行。事故から1年、遺志を継いだ冒険基金が創設。 

2016.12.22 Thu

 世界の山々を飛び回り、日本のアルパインクライミングを牽引してきた谷口けいさんが亡くなってちょうど一年が経つ。未登攀ルートなど数々の挑戦をし、登山界のアカデミー賞と称されるピオレドール賞を受賞するなど、世界的な女性登山家としてさらなる活躍が期待されていた矢先のことだった。クライマーとしての実力はもちろんだが、なによりもその人柄に誰もが魅了されていたと思う。

2015年12月、北海道での登山中にけいさんは帰らぬ人となってしまった。いまでも現実のこととは思えず、ともに過ごした楽しかった日々を思い出す。

 もう6年前のことになるが、一緒に行った縦走4日間を思い出してみたい。わたしにとっては(きっと、けいさんにとっても)、とても思い出深い山行だ。ただ、決してオススメしないルートである。

プロローグ
 2010年10月。この年の夏はとても暑かった。「観測史上」の言葉がおどり、秋になっても夏のような日々が続いていた。けいさんから連絡があったのは、そんなときだったと思う。白毛門から巻機山へ抜ける縦走の誘いだった。予定は10月中旬、行程は前泊を入れて4日ほど。巻機山・白毛門のルートは残雪期というイメージだったが、雪の無い秋に行くという。わたしはたいして地図も見ずに、二つ返事で行くことを決めた。いま思えばこのルートの大変さを知らないままに、行って良かったとつくづく思う。なぜなら、道は無く、エスケープルートはなく、クマとシャクナゲのパラダイスだったから…。

前夜(10月19日)
 終電間際の電車に乗って上越線土合駅をめざす。電車に揺られながら、“なにか”忘れている気がしていた。その「なんか忘れたかも感」は、いつものことなのだが、しばらくしてわたしは山行計画書と熊鈴を忘れたことに気がつく。慌ててみなかみに住んでいる友人に、熊鈴を貸して欲しいとメールで伝え、なんとかクリア。「山行計画書はどうするか…」車内で落ち合ったけいさんにそのことを言うと、「みなかみに着いたらコピーしよう」と、手前の水上駅で下車して近くのコンビニでに行くことになった。駅でタクシーを拾いコンビニへ。いい加減にするするつもりはないものの「けいさん、真面目だなぁ」などと、自分のしくじりを棚に上げて内心思っていた。ついでに友人宅にも寄り熊鈴をピックアップ、準備万端ようやく土合駅に着。この日は平日、土合駅に泊まる人なんて、いまどきはいないだろうと話していたら、先客がいた。静かに寝床を作り、この日は就寝。

1日目(10月20日)
 外が白々するのを待っていよいよ出発。ザックはずっしりと重い。わたしはカメラ機材を持っていたため、食糧はすべてけいさんが持ってくれていたが、水がどこで取れるか分からないので、ひとり当たり6リットルぐらいを持った。白毛門は急登で知られる。ゆっくりゆっくり高度を上げていく。

 1時間ほど歩いたところで一本とる。一緒に山に行くのもそうだが、会うことも久しぶりだったので、お互いの近況やら他愛もないおしゃべりが続く。「わ、でかい!」けいさんはゲンコツ大のおにぎりを頬ばっていた。ちょうど見ごろだった紅葉がつらさをしばし忘れさせてくれたが、まわりは霧で真っ白だ。白毛門山頂を過ぎると、小雨のようになり、風も出てきてだんだん寒くなってきた。笠ヶ岳の山頂で本格的にレインウェアを着込み、避難小屋でしばし休憩。そこから1時間弱で、朝日岳に着いた。

 朝日岳付近には地塘があると、地図には記されていたが、視界が悪くなかなか見つけられない。「ないですねぇ…」辺りを見回しながら歩いていると、少し霧が晴れ、地塘が姿を現した。「あったよ!」空のボトルに上澄みをすくうように補給する。色はなんとなくのキャラメルカラー。この先も期待できる水場は、地塘だけだ。

 ジャンクションピーク着。快適な登山道ともここでお別れ。道標には、「難路・道ナシ」とある。熊鈴を付け直し、行動食をたっぷり摂取し、未知なるゾーンへ踏み込んだ。すると、間もなく笹ヤブが出現。ツメで引っ掻いたような頼りない道がうっすら、ときどき顔を出す。相変わらず周囲に霧は立ちこめていたが、波のように重なる稜線の眺めが美しく、気分はいい。

時刻はすでに午後3時半を回っていた。寝床の場所を考えつつ、さらに進んでいく。「ここらへんにしようか」と、けいさん。大烏帽子山手前のコルは、テン場には持ってこいの場所だった。笹がフカフカしていたので、寝心地も良さそう。テントを建て、さっそく夕飯の準備に取りかかる。夕飯は、野菜たっぷりのきのこうどん。

 けいさんが愛用するコッフェルは、いつも四角い(印象があった)。その理由を尋ねると、「角があったほうがスープとか注ぎやすいから」と。あ〜なるほど〜と、妙に納得。テントに入り、地図を眺める。明日はさらなる悪路が期待?できそうだった。寝袋に包まり20時には就寝した。

2日目(10月21日)
 昨夕の天気が回復傾向に思えたが、この日も朝から天気はいまいちだった。まずは水を汲んでから出発。大烏帽子岳の登り辺りから、だんだんヤブが濃くなっていく。膝丈くらいだったヤブは、すぐに胸丈となり、まもなくわたしたちの身長くらいに。けいさんの身長が152センチ、わたしが160センチほど。ほとんどヤブに埋もれている。こうなると、せっかく借りた熊鈴もチリリとも鳴らない。さらに奥深く入り、これから(たぶん)クマに近づくというのに。クマに遭わないためには、自分の存在を知らせることが肝要だ。「ホーッ!ホーッ!通りますよー。出てこないでー」声を出す。「ハロー!ベアー!」「出てきたら、食べちゃうよー!」などなど、とにかくいろいろ叫ぶ。時折、獣臭く感じることがあり、声はさらに大きくなる。もう必死だ。こんなところでクマに遭ったら勝ち目がない。

 雨は降っていなかったが、濡れた笹が体にまとわりつき、全身びしょ濡れ。グローブもぐっしょりで、ときどき絞らないとならないほど。笹もだんだんとたくましくなっていき、一歩進むのも容易ではなくなってきた。「わー、びりびりだよー。もー!」なんと、けいさんのレインウエアが、笹にやられてところどころ裂けている。ふたりともあまりにぼろぼろすぎて、笑うしかない。まったく道はなく、視界も利ず、頼りはコンパスのみ。ふたりの距離が少しでも離れると、お互いの姿すら見えない。コンパスをふりふり進む。

 低木帯はもっと厄介だった。シャクナゲやマツの上を歩くのだが、なんと言ったら分かりやすいだろう…。不安定なジャングルジムを渡っているような感じだ。体はつねに宙に浮いている状態。ときどき踏んだ枝が折れ、枝に挟まる。バキバキッ!バキバキッ!わたしたちが前身するごとに、そんな音が鳴る。尾根は痩せているところもあり、踏み抜きに注意しながらも、大胆に慎重に前進した。

 ああ、体中が痛い。この日は柄沢山まで行きたかったが、ぜんぜん見えてこない。日が傾きはじめたので、沢のガレの上にテントを張る。この日はトータル8から9時間くらいは行動したが、距離にして5キロも進んでいないだろう。当初は翌日下山の予定だったが、もう1日かかることが確実となった。その週末に仕事を入れていたわたしは、行けなくなったことを電話をした(奇跡的に電波が立った)。読みの甘さを猛省しつつ、けいさんに慰められつつ、眠りについた。



3日目(10月22日)
 この日の目覚めは爽やかだった。空が青い!明るい!ずうっと白い空を見続けてきただけに、とにかく嬉しくて叫んだ。久しぶりに顔を出した太陽に、「もし子どもができたら、太陽って名前をつけよう…」そんな風に思うくらい、嬉しかった。けいさんに太陽の話しをしたら、「えー、わたしも同じこと思ったー!」と。ふたりともこのうえなくテンションは高い。テン場にしていた沢筋から稜線へ登り返すと、ヤブも腰丈くらいで歩きやすい。このままヤブが消えていくのではと思いたかったが、格闘は続いた。それでも、振り返ると歩いてきた稜線がくっきりと見えて感じ入る。昨日まではソフトフィルターのようだったから、景色の彩度が上がり格段に眺めがいい。

 米子頭山へ差し掛かると、またヤブが濃くなった。ヤブにしがみついているものの、時折足元はスッパリ切れているところもあり肝を冷やす。米子頭山の山頂に着くと、遠くに奥利根湖が見えた。いくつも稜線を超えた先に見える。そして、進行方向に目を向けると、ようやく巻機山が見えてきた。

ナナカマドの向こうにくっきりとある。手が届きそうな気もするが、もう少しかかりそうな気もした。予感は的中。米子頭山の下りのヤブが、また強敵だった。午後になり、なんとなくのテン場を見定める。「あのあたりならいいかも」とにかくめざして突き進んだ。あたりが薄暗くなりはじめた午後4時ごろようやく、開けた草地に出た。「なかなかいいテン場じゃないッ!」空はまだ青々としていたが、辺りは薄暗く、気温が一気に下がり始めたような感じがした。季節の変わり目のような空気。遠くに沈む太陽をボーッと見届けながら、ヤブから解放された安らぎを味わっていた。

 「明日は天気いいよ、ぜったい」非常用にとってあった棒ラーメンをすすり、明日の晴天とヤブがないことを願った。


4日目(10月23日)
 午前5時。テントから這い出ると、雲海が広がっていた。「やったー!晴れだー」東の空は、赤く染まりつつありる。雲の上には山々がぽこぽこと浮かんでいて、絵画のようだった。

巻機山は徐々に近づいていたが、またしてもわたしたちの前にヤブが立ちはだかる。ヤブに罪はないけど、もう敵感覚。しかし、終わりが見えているとなんだか力がみなぎるもので、ガシガシとブルトーザーのように進んだ。すると、突然パッと草地に出た。「ヤブが終わったー。ウォー!」歓喜。1時間ほどで登山道に出たのだった。祝福してくれているようないい天気。「あ、富士山が見えるよ」新潟の山から富士山が見えるなんて思いもしなかった。目をこらしてみると、小さいながらもひときわ整った三角形のシルエットがあった。東西南北、どこを見ても美しい。

 ここからは快適な登山道。歩きやすい。スキップしたいぐらいだ。下り始めてすぐのピークには、<ニセ巻機山>と書いてあった。「かわいそうにこのピークだって立派なピークなのに…」けいさんらしい。おそらく登ってきて山頂だ!と思ったら、手前のピークで多くの人がガッカリしたのではないかと思う。

歩いてきた稜線を横目に、下っていく。樹林帯に入るとまた紅葉が出迎えてくれた。足どりも軽やかに、どんどん下っていく。「温泉♪温泉♪」楽しみは温泉だった。正午ごろ登山口に到着。「ホントにおつかれさまー」かたい握手を交わし、お互いを労い、健闘を称え合った。

エピローグ
 下山後に立ち寄ったのは、六日町にある中央温泉(現在は廃業し、別な場所に新たな公衆浴場<湯らりあ>がある)。いわゆる公衆浴場で、5、6人も入ればいっぱいになるような小さな浴場だ。「気持ちいいねー」と、お互い何回も同じことを言ったように思う。週末だったが、人も少なく心ゆくまで温泉を楽しんだ。湯に浸かりながら、同じ条件でもう一度このルートを行きたいかと、けいさんに聞くと「うーん…しばらくは…いいかなぁ。ナオミちゃんは?」「うーん、わたしもかな。しばらくは…」こんな難ルートながらも決して嫌いではない、わたしたちだった。

☆☆☆

 最後に、けいさんの遺志を引き継ぎ、立ち上がった基金がある。「谷口けい 冒険基金」だ。40歳を過ぎて、自らの経験をもとにチャレンジすること、冒険することの素晴らしさを、講演などで伝えることを始めていたという。2014年には女子大生を連れてネパール遠征も行っていた。チャレンジする人たちの力になりたいと思うのは、とてもけいさんらしい。冒険基金は、年明け2017年1月1日から募集がはじまる。

(文・写真=須藤ナオミ)

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