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地球を滑る旅 No.5 ロシア編「近くて遠いウォッカの国の、近いところと遠いところ」

2018.10.15 Mon

2012年から中近東、アフリカ、北大西洋、中央アジアと旅してきたプロスキーヤー・児玉 毅(こだまたけし)さんと、カメラマンのサトウケイさん。「地球を滑る旅」と題して、児玉さんの好奇心のままに旅を重ねてきた彼らに、大きな難関が立ちはだかります。絶対におろそかにはできない出来事を真正面から受け止めつつも、スキーヤー&フォトグラファーとしてのプロジェクトも遂行したい。その想いの先にあったのは、まさに地球を股にかけたドッタバタの数週間でした。話は、2017年へと遡ります。

今回滑りに行った国
地名:ロシア連邦
面積:約1707万㎢(世界一 日本の約45倍)
人口:約14680万人(日本の約1.16倍)
通貨:ロシア・ルーブル(1ロシア・ルーブル≒1.71円)
公用語:ロシア語

家庭の都合を乗り越えて

 

 ここ数年、3月から4月にかけては「地球を滑る旅」に出ていた。この時期は、スキー・スノーボードを生業とする我々にとってもっとも忙しい時期が終わり、色々と余裕が出る時期なのだ。2016−2017シーズンも例年のように、1月〜2月のスケジュールはどんどん埋まっていき、おのずと3月末〜4月にかけて、旅に出ることになりそうだった。しかし......。

 超プライベートな都合なのだが、3月末に次男坊の卒園式があり、4月上旬には小学校の入学式を控えていた。

「ケイ、悪い! かくかくしかじか、そういうわけで、今回はまとまった期間がとれないんだよね......」

 しかし、ケイは何のためらいもなく言うのだった。

「卒園式に入学式......。そりゃあ絶対に行かなきゃだめだよ」

「すまんね〜」

「そこを外して行けばいいだけじゃん。で、どれくらい期間がとれそうなの?」

「う〜ん、卒園式と入学式の間で1週間。入学式の後に2週間......」

「なるほど......、そりゃあ厳しいね!! (笑)」

 今まで旅をしてきて、1回の旅に3週間は必要だと感じていたのだ。

サハリンには、日本からもっとも近い海外のスキー場がある。今まで色々な国を滑りに行ったけど、灯台下暗しとはこのことだ

「参ったね〜。今年は難しいかなぁ......」

 ケイが珍しく困った表情を浮かべた。

「2回に分けて行くとか、どうだろう?」

 俺は苦し紛れな冗談を言った。

「がはは。いいね! って言いたいけど、そもそも1週間で行って帰ってこれる海外のスキーエリアなんて......」

「ないよね〜(笑)」

 途方にくれながら、世界地図をぼんやり眺めていた。その時、気づいてしまった。

「ケイ! あるよ!」

「へ?」

 何で今まで気づかなかったんだ? 俺たちが住んでいる北海道から、圧倒的な近さにあるじゃないか。北海道から宗谷岬を隔てた北の果てに、日本から一番近い外国、サハリンがある。

  • ロシア国旗とサハリンの州旗。サハリン州には北方領土も含まれるのか......。様々な重い歴史を持つ場所に来たんだな〜としみじみ思う
  • 戦前、日本が建てた樺太庁博物館が、そのままサハリン州郷土博物館として地元の人々に親しまれている

 サハリンにスキー場がある話は、風の噂程度に聞いていた。新千歳空港から片道1時間半で行けるサハリンならば、たった1週間の旅程でも、
十分にスキーと旅が楽しめそうだ。

「1週間は決まりだね。じゃあ、残りの2週間はどうする?」

 ケイが嬉しそうに言った。サハリンに行くなら、もう1箇所もロシアしかないだろう。しかし、一言でロシアと言っても、何せ世界で最も広い国である。オリンピックで知られるようになったソチ周辺のコーカサス地方は、ヨーロッパから大勢のスキーヤーが訪れるリゾート地だ。手付かずの大自然が残されているカムチャツカ半島も捨てがたいし、古代スキーの発祥地と呼ばれるアルタイ山脈も、一生に一度は行ってみたい場所だ。

 ロシアにあるスキー場を徹底的に調査していると、あるひとつのスキー場が浮上した。

「こんなところに......?」

 そもそも、ここがロシアだったとは知らなかった。そこは、まるで階段の踊り場のように、陽の当たらない場所だったのだ。ロシアの極西の極北に、スカンジナビア半島から突き出たイボのような半島が存在する。そこはコラ半島といい、調べれば調べるほど、謎に包まれた地域だった。

 世界一広い国の南東端と北西端にシュプールを刻む旅......。なんだかめっちゃ面白そうではないか。2回も国際線を往復するので、出費はかさんでしまい、ケイには迷惑をかけてしまうけど、俺のプライベートの都合で選択肢が制限されなければ、絶対に思いつかないプランだった。結果オーライとはこのことである! (ケイごめん! )

 
 

第1ステージ 近いのに、遠い島

 

 飛行機の窓から、外の景色をかぶりつくように眺めていた。流氷が広がる宗谷海峡を超えて、細長い半島が見えてきた。

流氷が広がる宗谷海峡を空から眺める。北海道の直ぐ近くにある島なのに、「遥か北の果てまで来てしまった......」という心境だった

「あれがサハリンか......」

 わずか42kmの宗谷海峡を超えてきただけなのに、地球の果てに来てしまった心境だった。本当に人なんて住んでるんだろうか。日本ならば、海岸線には道路が目立つけれど、まったく道路が通っていないのだ。しばらくして、ようやく港町が見えてきたと思ったら、いたるところに難破船が打ち上げられ、空から見ていても、廃墟だらけだとわかる町だった。

 それにしても、俺たちはちゃんとロシアに滞在できるんだろうか。俺は、さっきからずっと緊張しまくっていた。ロシアでは、基本的に自由旅行はできないことになっており、あらかじめ現地旅行社を通じて宿泊や交通手段の証明書(バウチャー)がなければビザが下りないと言われている。しかし、俺たちは毎度のようにドタバタの手配のため、バウチャーを取るのが間に合わず、出発を目前にして『ビザが取れない!! 』という危機に直面した。

  • 無計画さゆえ、空港で立ち尽くしている姿。ロシアは意外にタクシーの客引きなどが少なく、静かに旅をすることができた
  • 1996年に初めてロシアに行った時は、コンクリートの集合住宅ばかりで、色合いに乏しい印象だったけど、最近は街の雰囲気も明るくなってきた

 諦めかけた時、『バウチャーなくてもビザ出すよ〜』という怪しいサイトを発見した俺たちは、藁にもすがる思いでこのサイトを通じて、ビザをゲットしたのだった。しかし、確かにビザは手元にあるけれど、バウチャーがないことには変わりはない。さっき地球の歩き方を見ていたら、「自由旅行は絶対無理」とか「バウチャーがないと無理」など散々脅しの文章が掲載されていたので、嫌な予感のかたまりになっていたのだ。

 
 

メーテルとの出会い

 

「へ?」

 拍子抜けというか、何と言うか......。最悪、強制送還かと思っていたけど、入国審査は何もなかったようにスルリと抜けてしまったのだ。狐につままれた気分で、ユジノサハリンスク行きの空港バスを持っていると、同じ飛行機に乗っていたブロンド女性に声をかけられた。彼女は、仕事の休みを利用して、頻繁に札幌や小樽に行っている日本好きのお姉さんだった。

「いつも日本人には親切にしてもらっているから、今回は私の番よ」

 と彼女は言うと、バスの乗り方に始まり、美味しい食堂や、スキー場の行き方を教えてくれ、しまいには、宿のチェックインまで手伝ってくれたのだった。インドの時は、最初に出会った人が詐欺師だったけど、それに比べ、今回は何と言う幸運な出会いなんだろうか。

  • 日本からのフェリーも就航しているコルサコフにて。漁師のおっさんに、うまいカレイの干物をご馳走になった。これが臭くて美味い!
  • 暇さえあれば、食堂や市場に繰り出した。一見、無愛想だけど、打ち解けると、とても優しい人ばかり

 実は、俺は今まで3度、ロシアに来たことがある。特に、1996年に初めての海外旅行で訪れたロシアの印象が強烈に残っていた。当時のロシアは、ペレストロイカの直後で、混乱を極めていた。どんな約束をしていても、必ず現地でふっかけられ、喧嘩になった。全ての旅行者にKGBの監視が付いていると言われていた時代だ。殺風景な町並みと、灰色の空、そして無表情な人々......。正直言って、俺はロシアに対して全く良いイメージを持っていなかったのだ。お姉さんとの出会いで、長年塗り固められていたロシア人のイメージが、一気に塗り替えられて行くのを感じていた。

 気を良くした俺たちは、明日からの滑走に備え?ロシアビールとロシアのつまみを求めて町を徘徊するのだった。

 
 

町の中にあるスキー場?

 

 翌日、ブロンドのお姉さんに教えてもらった通りにバスに乗り、スキー場をめざした。過去に訪れた時も苦労したけれど、相変わらず英語が全く通じない国だ。ワン、ツー、スリーさえ通じないレベルと言えば、その伝わらない具合がわかるだろう。スキー場に行くにはどこで降りたら良いのかを聞きたいけれど、「スキー」さえ通じないから困ったものだ。ロシアでスキーといえば、チャイコフスキーやドフトエフスキーなのだ。

 バスの中でキョロキョロしていると、無愛想なおばさんに肩を叩かれた。

「スキーでしょ。次の停留所よ(多分そんなことを言っていたと思う)」

 みんな無愛想だけど、根は優しい人なのだろう。

  • どこまで乗っても40円のバスに乗って、いざスキー場へ。言葉が通じないから、どこで降りていいのか分からない......
  • 思いの外、近代的な設備が整ったスキー場だった。もしかして、日本のスキー場よりも設備が良いかも?

 それにしても、町の中心地でバスに乗ってから、まだ10分しか経っていないのに、本当にスキー場に着いたっていうの? バスを降りると、目の前に趣味の悪いお城のレプリカが建っていて、その奥にカムイスキーリンクスと同等の規模の、スキー場がデンと構えていた。町から近いどころではない。それは、町の中にあるスキー場だった。

 山頂のカフェでボルシチとピロシキを食べてから、再びスキーを履いて、綺麗に整備された斜面にスキーを滑らせた。

ユジノサハリンスクの街に飛び込むようにスキーを滑らせていく。この圧倒的な街の近さは、札幌をも上回る

 まるでパラグライダーか何かで、町に向かって飛び出すような気分だ。第2次世界大戦の後、捕虜となって強制労働に連行された人々、現地で殺された人々、故郷を放棄して海を渡った人々。この島には様々な無念と、重たい歴史が渦巻いている。しかし、今、こうしてたくさんの子供たちが、スキーに夢中になって笑顔で遊んでいる。雪とスキーを楽しむ気持ちに、国も、宗教も、人種も、歴史も関係ないのだ。無力な俺は、ただターンで平和の唄を歌おうじゃないか。

 刻一刻と色合いを変えていく空と雪。そして、夕刻になると町がライトアップされて浮かび上がってきた。明日は、この山の裏に発見した、ノートラックのパウダースノーが広がるエリアに足を伸ばすことにしよう。

山を登って滑る人がほとんどいないので、リフトが営業していないエリアは貸切状態。標高は低い山だけど、ドライな雪質がキープされていた

 サハリンまで来て、スキーに集中できる素晴らしい環境に恵まれた俺たちは、縦横無尽に雪山に遊ぶ! そして、サハリンの文化や歴史にどっぷりと浸かって行くのだった。詳しくは......。写真集を買ってね!
 
 

RUSSIA
“RIDE THE EARTH Photobook 05”

著者:Skier&Text: 児玉 毅/Photo: 佐藤 圭
210×270mm/120頁/定価 2,000円(税抜)
ISBN978-4-903707-78-5
発売日:2017/10/28

第2ステージ 謎に包まれた半島

 

 サハリンから帰ってきた翌日、次男坊の入学式という重大なミッションを終え、すぐさま成田空港に飛んだ。家庭と仕事を両立できているような、できていないような......。

 まぁいい。俺たちが向かうのは、ロシア極北西の果て、謎に包まれたコラ半島だ! コラ半島には、人類が掘った最も深い穴「コラ半島超深度採掘坑(12,262m)」というとんでもないものが存在する。何でそんなに掘ったの?と素朴な疑問が湧いてくるけど、その理由が単純明快で、地球の中がどうなっているか知りたかったから(笑)。それを実際に行動に移してしまうのが、ロシア人ということだろうか。

 この穴掘りが12,000mに差し掛かった時、突然空洞に突き抜けた。何と、そこから何百人もの人間の叫び声が聞こえてきたというのだ。「またまたご冗談を〜(笑)」と思うけど、一流の研究者が寄ってたかって「地獄の壁に穴を開けてしまった!」と怯えて逃げ出してしまい、研究チームは解散。現在、この穴は分厚い鉄の蓋で閉じられているというのだ。その他にも、エジプトのピラミッドより2倍古いピラミッドが発見されたとか? どれも都市伝説に近い話かもしれないけれど、謎めいたものに惹きつけられるのは、人間の性なのだ。

美しいモスクワの街を素通りして、いざ、怪しい最北のコラ半島へ

 モスクワの空港近くで一泊し、翌日の飛行機でコラ半島の入り口となるアパチトゥイまでやって来た。細い針葉樹とタイガの隙間から、遠くにテーブルのような山容を持つ山塊が徐々に近づいてくるのが見えた。30分ほどバスに乗ったところで、俺たちは巨大な荷物と共にバスから吐き出されるようにして、凍てついた町に降り立った。冬の平均気温がマイナス20度という極寒の地だ。分厚い氷で覆われた凸凹の道を、重たい荷物を引きずって、宿に向かって歩いて行った。

でかいスキーバックとキャスターバッグを引きずって、分厚い氷で覆われた凸凹道をいく。レンタカーのない旅は、やっぱり大変だ

 
 

ウォッカが支配する国

 

「ケイ、なんか様子がおかしいと思わない?」

 ユースホステルのキッチンで料理をしながら、俺はつぶやいた。キッチンとダイニングは、ロシアのあちこちから訪れたスキー客でいっぱいだった。ロシア人といえば、寡黙な人をイメージしていた俺たちは、その賑わいに驚いていた。しかし、疑問はすぐに解けた。ボトルのウォッカをドボドボとグラスに注ぐ人々。俺たちを除いて全てのゲストが、かなりいい感じに酔っ払っていたのだ。さすがは世界一の酒飲み国家である! 特に、ロシア人がウォッカを愛する気持ちは半端ではない。「ウォッカはロシアの誇りと恥」と語る彼らは、まさに「分かっちゃいるけどやめられない」スーダラ節を地で行く国民性なのだ。なんでも、ロシア人男性の平均寿命は66歳と若く、死因の30%を酒による疾患や事故が占めているというから笑えない。それでも、彼らは笑顔で言い放つ。

「ウォッカを飲み交わすと、心がウォッカのように透明になるんだ」

 ダメダコリャ!

  • キロフスクに到着した最初の夜。宿にステイしているロシア人と、いきなり大宴会に突入した
  • ボウリングで一回投じるたびに、ショットグラスのウォッカを一気。これがロシア流のボウリングなのか?
  • ウォッカ並みに、直ぐに友達を作る方法は、一緒に滑ること! やっぱりスキーの力は偉大です
  • ウォッカを飲み交わすと、心がウォッカのように透明になるんだとか。この翌日、ひどい二日酔いに襲われることに......

 しかし、『お酒は人生の潤滑油』とは、うまいことを言ったものだ。お酒によってシャイなロシア人の心が必要以上にオープンになってくれたおかげで、一瞬で全員と友達になることができた。結局、俺達はたらふくウォッカをご馳走になり、さらには、ボウリングにまで連れまわされ、一回投げるたびにウォッカをショットで一気するという謎のルールで遊んだため、途中から記憶がなくなるくらい酔いつぶれてしまったのだった......。きっと、こうやってマイナス40度の屋外で眠ってしまい、凍死するんだろうな......。

 
 

体調は最悪。条件は最高!

 

「うおい! お前達! いつまで寝てるんだ! 早く出かけるぞ!」

 一体ここはどこだろうか。両腕に刺青が入っている20代後半のにいちゃんが、スキーウェアを着た格好で、俺たちを叩き起こしていた。しばらく脳みそがフリーズしていたが、次第に昨日の記憶が蘇ってきた。ウォッカを浴びるように飲み始める前、この兄ちゃんと滑る約束をしたんだった。

「よし! 行こう!」と立ち上がってはみたものの、スイカ割りの時にグルグルまわった直後のように、世界がまわっている......。窓の外に目をやると、雲ひとつないブルーブルースカイが広がっていた。なぜだろうか。酔いつぶれるほど飲んだ翌朝は、憎らしいくらい快晴になるのは。

  • うっとりするほど美しいボウルを抱えたビッグウッドスキー場。見渡す限りの大斜面を貸切状態で滑ることができるのだ
  • ビッグウッドスキー場のレストハウス。オリンッピック以降、スキー人気が高まったのか、あちこちのスキー場が新しく生まれ変わっている

 ケイの酔い具合は俺よりもひどく、カメラマンの本能だけで山に行く準備をしていた。ゴンドラに乗り込むと、キロフスクの街と湖を見下ろす見事な展望が広がってきた。いつもなら「うおおお!」と感動の叫びが上がる状況だけど、俺たちの口からは酒臭い溜息しか出てこなかった。

氷結した湖と、街に向かってスピードを上げていく。世界地図の一番上のあたりにシュプールを描いている自分に陶酔中

 海外のスキー客なんて、ほとんど来ることがないビッグウッドスキー場に物好きの日本人がわざわざ滑りに来たことが、よっぽど嬉しかったのか、刺青のにいちゃんは「早く行こうぜ!」とソワソワしてる。一方、俺たちはほぼ99%酔っ払いなので、行動がスローモーションだし、しまいには、移動の途中でケイが行方不明になってしまった。どこかでダウンしているのだろうか......。

「せっかく誘ってもらったけど、天気も雪も良い貴重な時間だから、先に滑っていて! 後で見つけたら追いかけるから!」

 と告げると、刺青の兄ちゃんは残念そうな表情を浮かべて滑り降りていった。ケイを待っているうちに、徐々に酔いが覚めてきて、周りの景色が見えるようになってきた。テーブルのような山頂部から正面の斜面は、美しく磨かれたように滑らかなボウル地形となっており、そのどれもが長大なハーフパイプのような沢に続いていた。極北という自然環境もあり、立木がないこともあるけれど、なんてスッキリとした地形なのだろうか。一方、裏側の斜面を覗き込むと、急峻な崖のような超急斜面となって切れ落ちていた。

 俺は、風で成長したシュカブラ(雪面の風紋。表面は固く締まっている)を踏みしめながら、滑り出しのポイントに向かって歩いていった。先行していた地元のスキーヤー達が、広い山頂の至る所から次々とドロップインしていく。お世辞にも上手いとは言えない滑りだけど、スピードがやばい。ほとんどのスキーヤーが完全に暴走状態で、谷底に向かって突っ込んでいくのだ。さすがはロシアだと思った。世界一広い国の人々はスピード感覚も違うのか?

 無事ケイと合流して、とりあえず滑りの撮影をしてみようかということになった。テンションは低空飛行のまま、ケイが斜面に入ると、さっきまで沈んでいた声が何処へやら、3オクターブ高い声で無線が入った。

「タケちゃん、斜面も良いけど、空の色がやばいわ!」

青と白のコントラストにめまいがしそうだ。灰色の空のイメージが強かったロシアのイメージが変わった

 真っ白な雪と青空以上に、二日酔いを解消するものが、この世に存在するだろうか。

「オッケ〜! いっきま〜す!」

 強風でいじめられた雪は、表面はウェハース状になっていて、かなりの難しい条件だけれど、ロシア流に習って『気にしない、気にしな〜い!』

 世界地図の一番上のあたりにシュプールを描くことに自己陶酔しながら、視界全体を埋め尽くす白い雪の世界に身を委ねていった。ノートラックの雪面と濃青の空のコントラストに目を奪われた俺たちは、予備エンジンが作動して、ギアをどんどん上げていった。

  • 美しい斜面に囲まれたクロスカントリーコース。地元の子供達がせっせと走って汗を流す姿が印象的だった
  • 俺がイメージするロシアで滑ってみました。片手にウォッカのボトルを持ちながら......

 このスキー場の魅力は、まだまだこんなものではなかったわけで......。そして、気になる極北の珍道中も......。
 詳しくはフォトブックを買ってみてね!

 
 

RUSSIA
“RIDE THE EARTH Photobook 05”

著者:Skier&Text: 児玉 毅/Photo: 佐藤 圭
210×270mm/120頁/定価 2,000円(税抜)
ISBN978-4-903707-78-5
発売日:2017/10/28

 広大なロシアの両端にシュプールを刻み、大満足の俺たちは、ちゃっかりモスクワでも華麗な文化を堪能して帰って来た。そして「RIDE THE EARTH Photobook 05 ロシア」の製作真っ只中だった8月のある日、事件は突如として起こった......。

次回、いよいよ最終回となる「地球を滑る旅 Akimama特別編」。 ラストは10月19日に発売される、RIDE THE EARTH PHOTOBOOK 最新刊『GREECE』 をちょい見せしちゃいます。お楽しみに!
 
 

SNAP SHOTS

 

  • スキー場が大好き。ゲレ食が大好き。世界のゲレ食を巡るのも、一つの楽しみになっているのだ
  • ロシアといえばピロシキ。小さな売店などでも売っていて、小腹を満たすのにはちょうど良いオヤツだ
  • ロシアは広い国なので、様々な文化の影響を受けた食事がある。鳥の串焼きは、世界のどこで食べても絶対に間違いない
  • 山の空気スキー場」の素敵なナイタースキー。街のランドマークになっているお城のレプリカに向かい、ゆったりとクルージング
  • ロシアで頻繁に見かけるバン、UAZ3909。基本設計は今から60年前で、以来、ボディは全く変わっていないという「走るシーラカンス」だ
  • 光と陰とで演出された美しい夜のモスクワ。カラフルなネオンが輝く、アジアの町並みとは一線を画する
  • 広大な斜面を貸切りで滑る。これがスキー場だと信じられる?(ビッグウッドスキー場)
  • イカスミを練りこんだパンに、トナカイの肉、クランベリージャム......。北極圏を思わせる絶品ハンバーガーでした
  • 世界一広い国だけあり、日本人の価値観では測れないもの(人)が多すぎる。ゴーグルベルトにぬいぐるみ......。なぜ?
  • 遥か極北の地にスキーを滑りに来た自分にうっとりしている最中、現れたロシア人。ムードがすっかり台無しだ
  • ビーツをふんだんに使ったサラダ。ロシアでは、ボルシチなど、ビーツを使った料理が多い
  • キロフスク郊外のスノービレッジにて。壮大な自然に勝る観光資源はないな......と
  • 旅の終わりに立ち寄ったモスクワの広場にて。サハリンにコラ半島にモスクワ......。本当に同じ国なのか?と思う
  • キロフスクの宿にはキッチンがあったので、毎日調理を楽しんだ。右の茶色い粒々は蕎麦の実を炊いたもので、これが個人的に大ヒット!
  • ロシア料理には、壷焼きが結構ある。たくさんの食材を壼でコトコト煮た料理が、日本人が嫌いなわけがない。なまら美味い!!
  • ムカデスキー用のスキーを発見! これで滑ったら確実に怪我するな......

(地球を滑る旅 No.5 ロシア特別編 完)


地球を滑る旅 Akimama特別編/そのほかの旅


【登場人物プロフィール】

  • 文と滑走=児玉 毅(こだまたけし・左)
    プロスキーヤー/冒険家/フィールドライター
    1974年 北海道札幌市出身。19歳の時、三浦雄一郎&スノードルフィンズの門戸を叩く。1999年(25歳)のアメリカスキー旅行を皮切りに、マッキンリー、グリーンランド、ヒマラヤなど世界の山と辺境の地を訪ね歩いてきた。Facebook:takeshi.kodama.735
  • 写真=佐藤 圭(さとうけい・右)
    フォトグラファー
    1972年 北海道札幌市出身。写真好きが昂じ、勤めを辞して撮影の旅へ。以来、スキーやスノーボードの撮影を中心にアクティブなフィールドワークを重ねている。2009年からは北海道上富良野町に拠点を移し、バックパッカー式の宿「Orange House Hostel」も運営。

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