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今年のフジロックは八代亜紀に注目! 演歌とロックとアウトドア!? ルーツは同じカウンター

2016.07.15 Fri

藍野裕之 ライター、編集者

 今年のフジロックの出演者リストをあらためて見直し、驚いた。八代亜紀が初出演するのである。ネット検索すると、意見を述べている輩がいた。おもにロッカーで、ほぼ一様に「演歌の大御所がフジロックに」という驚きを表明している。
だが……。

 今年の3月23日、超党派の議員によって「演歌・歌謡曲を応援する国会議員の会」が結成された。新聞報道によれば、日本の伝統を歌う演歌が、最近は人気が落ちてしまっているので、日本の心を大切にする意味でも演歌の復活を応援していかなくてはいけない。というのだが、何とも情けないと思った。そもそも、浮世の常のごとく、流行っては廃れ、廃れては復活していくのがポップ・ミュージックだ。そのいちジャンルを、国会議員が応援するなんてことが起こっていいのだろうか。会の国会議員とともに結成集会に加わった杉良太郎、瀬川瑛子、山本譲二、コロッケといった面々が、過去の栄光を求め、もう一度はなばなしく稼がせてと泣きついているように見えた。とはいえ、報道で取り沙汰された「演歌=日本の伝統」には、あまり違和感を感じなかった。
だが……。

 演歌歌手と国会議員の結びつきが報道されるなかで、朝日新聞が興味深い記事を書いていた。その記事の核になっていたのは、『創られた「日本の心」神話「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史』(光文社新書)だ。さっそく買い込み、読んだ。これがおもしろい。著者は1974年生まれの新進気鋭のポップ・ミュージック研究者、大阪大学准教授の輪島裕介である。同書は彼の処女作。2011年に新書大賞、サントリー学芸賞(芸術・文学部門)を獲った。タイトルを見ての通り、「演歌=日本の伝統」に異議を唱えているのである。そして、演歌(ときに艶歌とも書かれてきた)という歌謡は、「演説の歌」の意味で明治に始まった大衆芸能で、昭和の初めに衰退してしまったが、1960年代になり、別の文脈から再び立ち上がったのだという。この演歌再興の時期を語るのに、輪島は、1966年に出た五木寛之の小説『艶歌』を挙げる。音楽プロデューサーを主人公にしたこの作品で、五木は艶歌を「庶民の口にできない怨念、悲傷を艶なる詩曲に転じて歌う」歌だといい、「貧しさ」「不幸」「怨念」「情念」に「日本人のアイデンティティ」「日本人の魂」と断じていったという。
さて……。

 五木の『艶歌』は、演歌再興のきっかけだった。そして、そこに込められたのは高度経済成長に浮かれていた世に対する痛烈な批判だったのだ。東京オリッピックから2年がたち、大阪万博へ向かっていこうという時代である。大都市は明るく未来を描こうとしていた。しかし、そんな浮かれムードに取り残され、「貧しさ」と「不幸」に打ちのめされた人びとがいた。地方に、さらに都市の片隅に。低層庶民である。そんな名もない人びとの心情を歌い上げるかたちで、演歌は再び表舞台に上がっていった。高度経済成長をむさぼる連中に対する徹底した反逆、それが1960年代の演歌と演歌を支えた思想だと輪島はいい、重要な人物として1969年にデビューしたひとりの歌姫を挙げる。藤圭子である。貧困で高校進学もあきらめなければならなかった彼女の人生そのものもとともに、「圭子の夢は夜ひらく」に代表される恨み節、そして可愛らしい顔に不似合いなドスの聞いた声……。描き出された世界は、「忘れられた日本人」、アウトローだ。「忘れられた日本人」は民俗学者の宮本常一の書名である。そこには、高度経済成長の恩恵などまったく受けず、人知れず生き、そして死んでいく日本人の姿がある。おそらく、そのころ藤圭子に共振したメンタリティーと民俗学へ進んでいったメンタリティーは同じだ。
だが……。

 1970年代に入ると、反逆の思想を宿して始まった演歌再興は、五木寛之がいったように「日本人のアイデンティティ」とされ、やがて「演歌=日本の伝統」という文句での商売が始まり、反逆のメンタリティーは薄れ、演歌は保守の権化と化していく。ここでは、その流れには触れない。述べておきたいのは、前出の輪島が述べる「演歌とロックの同根論」ともいうべき論説だ。これは1960年代に限ったことである。当時、アメリカやイギリスでは、ロバート・ジママンがボブ・ディランと名を変えて歌い始めた後、ビートルズやローリング・ストーンズが出現し、ジミ・ヘンドリクス、ジャニス・ジョプリン、グレイトフルデッドとロックが台頭していく。ロックの根源を「黒人のブルースを、抑圧された魂の叫び」と解し、それを歌い直すことにあり、それは演説する歌から反逆の演歌とへの流れと、時代的にも、メンタリティーとしてもダブるというのだ。藤圭子のデビューがウッドストックと同じ年だっただというのは象徴的である。浮かれた世に対する低層からのカウンター・カルチャーであった演歌は、いつしか保守の権化になっていった。ロックはどうか? それを考えるには、ジョセフ・ヒース+アンドルー・ポター著『反逆の神話〜カウンター・カルチャーはいかにして消費文化になったか』(NTT出版)が手助けとなる。ロックは、演歌とは逆に、反逆のメンタリティーを保ちながら、演歌と同じように消費文化となったのである。
さて……。

 消費文化になるのを悪くいうつもりは、さらさらない。自分の中で問うてみると、怨念を歌う演歌に震える自分とロックの反逆のメロディーに共振する自分とがいることに気が付く。いずれも、趨勢へのカウンター=抵抗を思うときだ。八代亜紀は、今年のフジロックでどんなステージを見せてくれるのか? 八代は、先にふれた「演歌・歌謡曲を応援する国会議員の会」と連動するような行動をしていないようだ。演歌とロックの共演を見ようなどという陳腐な考えはない。フジロックという場でも、自分のなかの反逆のメンタリティーが、演歌にもロックにも共振してほしいと願うのである。

藍野裕之 ライター、編集者

(あいの・ひろゆき)1962年、東京都生まれ。文芸や民芸などをはじめ、日本の自然民俗文化などに造詣が深く、フィールド・ワークとして、長年にわたり南太平洋考古学の現場を訪ね、ハワイやポリネシアなどの民族学にも関心が高い。著書に『梅棹忠夫–限りない未知への情熱』(山と溪谷社)『ずっと使いたい和の生活道具』(地球丸刊)がある。

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