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アウトドアで働く人々インタビュー 浅野慧さん 『アウトドア資源で地域を盛り上げる!』

2016.10.06 Thu

 人生の半分くらいは、アウトドアでメシを食ってきた。
 アウトドアで働く人たちは、なんだか一本筋が通っていて、気持ちいい。ときにはクセモノも…? そんな、アウトドアズマンたちの仕事を聞いてみるのが本企画。

いい人材がたくさんアウトドア業界にきますように…ナムー。今回もそんな思いを込めてスタートします。

浅野慧さん。海、川、山、湖…あらゆるアウトドアフィールドに精通している。

 第二回目は、浅野慧(あさの・さとる)さん。浅野さんは、かつて東京にあるアウトドアメーカーに勤めていたが、現在は一般社団法人信州いいやま観光局に勤めている。長野県飯山市在住だ。

 飯山といえば去春、長野から金沢までをむすぶ北陸新幹線が開通したばかり。長野駅からひとつ目の駅が飯山駅。かつての飯山駅は、新幹線も停まる駅として生まれ変わった。じつは、この新生飯山駅の誕生により、飯山は新たに「アウトドアの起点」としての役割も持つようになったのだ。それが浅野さんの仕事でもある。

飯山駅1階にある「信越自然郷アクティビティセンター」。駅に着いたら、まずここへ!旬なアウトドアの楽しみ方を教えてくれる。

 長野県北部に位置する飯山市は、上信越高原国立公園と妙高戸隠連山国立公園の玄関口。飯山駅を中心に、約半径20キロの山岳高原を「信越自然郷」という広域エリアとしてとらえ、訪れた人びとにあらゆる旅のスタイルを提案している。信越自然郷は、飯山市、中野市、妙高市、山ノ内町、信濃町、飯綱町、木島平村、栄村、野沢温泉という9市町村にまたがり、アウトドア好きはとくに注目したいエリアだ。

ー具体的にはどのようなお仕事をしているのですか。

アウトドアを使った地域振興、観光振興というのが大きな仕事です。地域の観光PRともいえますが、この地域の自然やアウトドアアクティビティを楽しんでもらう取り組みです。飯山駅開業と同時にオープンした信越自然郷アクティビティセンターの運営ですね。手ぶらできても、信越自然郷のエリアにすぐ遊びに行けるように、レンタル品を用意して貸し出しを行っています。また、体験ツアーを紹介して、ここで受付をする、いわゆるツアーデスクですね。

右が浅野さん。同僚の平田芙悠子さんと。アクティビティセンターのカウンターで、ツアー予約やレンタルなどの受付業務を行う。

また、弊社でツアーやイベントを企画したりもします。アウトドアアクティビティを盛り込んだツアー。例えば、1日目にウォーターアクティビティをして、その日は温泉宿に宿泊、2日目は登山をするといったパッケージツアーを作って。そうした旅行商品を作って販売もしています。

会社としましては、観光施設の運営なども行っています。温泉施設や千曲川沿いにある道の駅なども。ここの施設は信越自然郷の広域事業ですので、周りの市町村との連携で行っています。

ーお客さまの対応から、ツアーの企画まで、お仕事はとても幅広いですね。こちらのお仕事はどのような経緯で?

もともと飯山にスキーやトレイルランニングをしによく遊びに来ていました。前職でトレイルランのイベントに協賛していたこともあり、出展のために来たり。そこで地元でトレイルランを楽しんでいるローカルランナーの方々と親しくなりました。プライベートでも仕事でも来るようになるうちに、いつかは飯山みたいなところに住みたい、という話しなんかもしていました。

レンタルアイテムはテントからシューズ、レインウエアまで。とても充実している。手ぶらで行ってもアウトドアが楽しめるのが嬉しい。

—以前はアウトドアメーカーのエイアンドエフにお勤めでしたよね。

そのときは横浜に住んでいて、会社のある新宿に通っていました。ふとしたタイミングで連絡がきたんです。飯山エリア広域でアウトドアを使って、地域を盛り上げたい。アウトドアに精通している人材はいないか?と。実際に、アクティビティセンターを運営してもらうような人を探していると。もし興味があれば、一度話しを聞きに来て欲しいということで。それで、話しを聞きにきました。

—なるほど。転職は悩みましたか?

そのときに、信越自然郷の構想なんかを聞いて、アウトドアで活性化できるかどうか、など。ぼくとしては、よく遊びに来ていたフィールドでしたので、四季を通じて遊べる場所でしたしとても気に入っていました。世界に目を向けても、ここはいいフィールドだと思います。冬は雪に恵まれ、夏はどんなアクティビティもできる。里と山が近くて、山と生活が密着している感じが昔から根付いている、いい雰囲気だと思います。気に入っていたので、転職を決めたのは早かったですね。

ーエイアンドエフにはどれくらいいらしたんですか?

8年か9年くらい在職していました。大学を卒業して、1年半くらいは違う仕事をしていて、その後入りました。

ーご出身はどちらですか?

東京のあきる野市です。東京でも山に近くて、自然が豊富な場所で生まれました。子どものころから、秋川という川で魚釣りしたりキャンプしたりして、遊んでいました。あとはスキーも両親によく連れて行ってもらっていました。だからアウトドアは釣りから入ったという感じですかね、渓流釣りしたり、潜って魚を突いたり。そんなことが身近な川でできました。

釣りは子どもの頃から。川での釣りや魚突きが、自然で遊ぶきっかけだった。

—それはいい環境ですね。

車の免許をとったぐらいで、今度はサーフィンにハマりました。なんだか「水モノ」がすごく好きなんですね。

ー水の流れのごとく、川から海へ!流れましたか。

山側だったので、海に憧れがありました。湘南や千葉の海に行っていました。大学生のころはサーフィンばかりしていましたね。車中泊して、ビーチキャンプして。アジアやアメリカにバックパッカーしてサーフトリップにも行っていました。その際に、カリフォルニアのハンティントンビーチに2ヶ月いたのですが、USオープンという大きな大会があったりだとか、街全体にアウトドアスポーツが根付いていることに影響されました。

海に憧れて、とくに大学時代はサーフィンに熱中していたという。

ちょうど帰国したころ大学3年か4年くらいのときに、パタゴニアサーフというショップができたんです。気になって店を見に行ったら、そこでたまたまハセツネのチラシを見つけました。

自分の地元で長谷川恒男カップなんてものがあったのかと。山岳耐久レースっていうのもはじめて知って。それで、仲間と一緒に出場することにしたんです。トレイルランなんて何も知らずに、レースの一週間前にエントリーしました。

ーレースは完走できましたか?

ギリギリ完走できたんです。22時間か23時間だか、かかりました。普通のランニングシューズに、カッパ着て、コンビニ弁当を3段重ねで持っていきました(笑)。

ーすごい!基礎体力があるんですね。はじめて出てどうでしたか?

むちゃくちゃ感動しました。こんなに頑張ったことないなぁと。仲間も一緒に完走しました。でも、その仲間は、スタート前にレース慣れした人から、「そんな弁当なんかいらないぞ!」と言われて、おにぎり3つくらいしか持ってこなかったんですよ。途中で食料が枯渇して、「何で持って来てないんだ!」と、喧嘩しそうになりました(笑)泣く泣く自分の食料を分けてあげたりして。まあ、そういうのも楽しかったですね。

ーそれがきっかけでトレランを?

そうですね。そこからのめり込むようになりました。ことあるトレランレースに出場して。まだいまほどレースが無かったのですが、そのころは、だんだん面白いレースが増えはじめた時期でしたね。

ー12年くらい前ですよね…。まだトレランが人気になる前ですね。でも、そこまで夢中になったら、大学卒業後はアウトドア方面に進みたいと思わなかったのですか?

スポーツとかアウトドアとかの仕事をしたいなとは漠然と思っていて、メーカーなどをいくつか受けたんです。ことごとく、落ちました…。ダメでした(笑)結局、クーラーやシステムキッチンを扱う会社に入社しました。アウトドアからは遠い分野でしたが、とりあえず社会人になろうと就職しました。でも、アウトドアは忘れられずに、いろいろ中途採用を探したりもしていましたね。

ー新卒でのメーカー入社は、なかなか狭き門です。働きつつも将来を模索されていたんですね。そのころも、週末はフィールドに出てアウトドアを楽しんでいたんですか。

そのころは、勤務地が八王子だったんですけど、朝イチで湘南でサーフィンして、それから出社したりしていました。住まいは東京の昭島でしたが、そこから湘南へ行って、波乗りして出社です。週末にトレランレースがあれば出場していました。

ーいまでいうエクストリームな出勤ですね!すごい。

その会社には1年から1年半くらい勤めました。エイアンドエフはウェブで募集を見つけてエントリーしたんです。世代的にアメリカ文化への憧れがあって。ファッションや音楽も。ライトニングとかFree&Easy、ポパイ世代が格好いいなぁと思っていました。エイアンドエフはアメリカのアウトドアブランドをたくさん取り扱っていたので、憧れの会社だったんです。

エイアンドエフに勤務していたころ。後列右から2番目が浅野さん。トレランレースやイベントなどに出展していた。

無理だろうと思って受けてなかったんですが、たまたま受けたら、とってもらえたので、そこからアウトドアの業界に入った感じですね。

ーエイアンドエフではどんなお仕事を?
小売店への営業でした。中途採用でしたが、自分で好きなようにやれ!みたな会社だったので、はじめは右も左もわからなくて(笑)いきなり営業先を引き継いで、そこからひとりでお店をまわるようになりました。本格的な登山店やアウトドア専門店などが担当だったので、ひたすら通って、いろいろお店の人に教えて貰って、販売応援とか必死にやりました。

週末の販売応援とか、在庫確認とか。お店の登山イベントにメーカーとしていって、新商品を紹介してみたり。トレイルランもお店で取り入れはじめた時期でしたね。「トレランやっているなら、一緒に走るようなイベントをメーカーとして企画してやってよ!」なんて言われるようになりました。

ー飛び込んだアウトドア業界は、想像していたものでしたか?

いや…。はじめて出社したとき、右側に座っていた人はロン毛で、デスクの下にドラムがありました。すごいパンクな感じで。そして左側にいた人は、ヒゲに坊主で。そのまた奥にはロン毛…。

ー普通の会社じゃないですね(笑)

ヒゲ坊主かロン毛しかいないような…。こういう世界もあるんだぁって思いました。入社したてのころ、ぼくは「さわやかくん」とか呼ばれていました。ヒゲも生やしていないし、若かったので。社内にトレランみたいなアクティブなスポーツをやるタイプがいなかったみたいなんです。

ートレランを中心にいろいろ仕事をされていったんですか。

営業職のまま、イベントの企画なんかもしていました。週末にはプロモーションのために大会に出展したりとか。入社してしばらくしたころにトレランの人気があがってきて、そういう仕事が増えていきましたね。

お子さん(爆睡中…)を背負って、残雪の山を楽しむ浅野さん(右)。

—それが飯山に来ることにもつながっていったんですね。

そのうち、ブランド開発の部署に異動してフットウエアとトレラン系のギアを担当するようになりました。会社の仕事はやりがいがあったし、不満はなかったです。

ただ、愛情を持って営業していたブランドがいきなり、資本が入ってどこかへいっちゃうとか。そういうのを目の当たりにもしました。ビジネス的な部分というかが。それが悪いわけではないですけど、10年近くやっていくと、そうした面も見えてきたのは事実です。

ー日本のアウトドアメーカーの大半は、輸入卸売業ですから、ブランドを所有する本社が他に売却してしまったら日本国内での販売権を失ってしまいます。アメリカでは、ブランド自体が商品となっている感じはしますね。

でも、飯山に来たいちばんの理由は、ライフスタイルですね。結婚して子どもができて、住んでいた横浜は待機児童が多かったし。もともと通勤電車とか嫌なタイプなので……、まあ、好きな人いないとは思いますが。都会に暮らす窮屈さというかを、アウトドアを好きになればなるほど感じるようになりましたね。

ーどんな環境で子育てをして、家族と暮らしていくかは重要なことですよね。

仕事でも遊びでも外へ行きたいので、生活のバランスが都会だと難しく感じました。アウトドア好きなら暮らすのはフィールドの近くだなと、あらためて思いましたね。

ー飯山に越してきて、いかがですか。

やっぱりいいですね!フィールドが近いので、移動する時間がないし、家から一歩出ればすぐフィールドみたいな。山でも川でも遊べるし。時間の使い方が充実するようになりました。朝にサクッと走るとか。午前中に山に登るとか、いまならできます。信越自然郷アクティビティセンターは年中無休なのですが、週休二日で、自宅も職場から車で20分です。

スタンドアップパドルで静かな湖をゆったり楽しむ。

ー毎日家族で食卓が囲めるっていいですね!さいきんはIターンやUターンに憧れを抱く人も少なくないと思います。でも、そこで心配になるのは、新しいコミュニティに入れるか。実際はいかがでしたか

そうですね、超密接なコミュニティですね。消防団や地域のお祭りに参加したり、アウトドアで遊ぶ仲間もいて。でも結構すんなり入れて、受け入れてくれる地域でした。

ーこちらに来て1年半ということですが、いかがですか。

1年半やってみて、ようやくイメージしているようなカタチに近づいてきたかなという感じです。めざすべきところは、アウトドアで観光客が増えるということです。そこに向けて、結果につながるように、面白い取り組みをしていきたいなと思います。ここのアクティビティセンターの存在を、もっと知ってもらい活用していただけるるようにしたいです。

ー飯山に着いたら、まずはこの信越自然郷アクティビティセンターに寄ってくれる、という流れができるといいです。紅葉も、もうすぐですもんね。

山は10月の頭くらいから、色づいてくると思います。10月中旬、下旬くらいまでは麓もきれいな紅葉が楽しめます。

ー紅葉のオススメアクティビティは。

秋なので、信越トレイルですね。ビギナーの方からエキスパートの方、さまざまなレベルのかたが楽しめると思います。やはり山歩きがオススメですね。でも、サイクリングでも紅葉を堪能できます。

ーさまざまなアウトドアニーズにも応えるアクティビティセンター。心強いですね。

そうなりたいですね。まずは自分たちが、自然のフィールドやアウトドアの遊び方を知っておかないと、と思います。それは職種に限らずアウトドアで働く人たち全般に言えることですが、楽しんで遊んで、メーカーだったらモノを通じて、ここだったらフィールドや体験を通じて。期待されている以上の情報が出せて、思いっきり楽しんでいただけるようにしたいと思います。まずはこのアクティビティセンターで聞いてみようという。アウトドアの面白い町みたいな、町全体がそういう雰囲気になったらいいなと思います。

雑感後記
 浅野さんとは、久しぶりの再会であった。その昔、エイアンドエフがフジロックフェスティバルに協賛していたころ、浅野さんは苗場にやってきた。キャンプサイトで、さまざまなキャンパーのお悩みを解決する、キャンプよろず相談所のスタッフとしてともに数日間を過ごしたのだ。
 あれから数年。気がつけば、浅野さんは飯山の人になっていた。持ち前の身体能力の高さでトレランからSUP、マウンテンバイクまでアウトドア全般を自身も楽しんでいることがうかがえた。ツアーデスクに、そんな地元の自然に精通した案内役がいたらなんと心強いだろうか。飯山に行ったなら、ぜひ自然郷アクティビティセンターへ!

(文=須藤ナオミ)

浅野慧(あさの・さとる)
1982年東京都あきる野市生まれ。幼少期より近所の川を遊び場として育つ。学生時代に出場した、長谷川恒男カップがきっかけでトレイルランニングに目覚める。卒業後に一般企業へ就職するも、1年半後にエイアンドエフに転職。エイアンドエフではトレイルランなどのアクティビティを中心にプロモーションやブランド開発に携わる。2014年同社を退社し、信州いいやま観光局に入社。信越自然郷アクティビティセンター担当。

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