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【トルデジアン走ってきた #5】ワ~ォ(*/▽\*)衝撃のシャワー事情、無双モードからの睡眠不足、迫る関門…レース中盤もドラマチックだ

2018.03.05 Mon

中島英摩 アウトドアライター

世界屈指の山岳耐久レース“Tor des Geants(トルデジアン)”。今年も世界中の猛者達がエントリー、抽選により2018年の挑戦者が決まったばかりだ。昨年このレースに挑んだライターの中島エマさん(33歳、独身、女性)が、レース完走までをAkimamaで短期連載中。お待たせしました。今回はレース中盤、ステージ4、ステージ5を一挙掲載です。

▼前回のお話はこちら
【トルデジアン走ってきた #4】ゾンビと化した第2ステージ、復活の第3ステージ



 330km、制限時間6日と6時間。難関のトレイルランニングレース、Tor des Geants(トルデジアン―巨人達の旅)。スタート早々に気管支炎になり酸素が足りず高山病でゾンビと化し、復活したと思った矢先に、牛も飲む水(?)を豪快に飲んで食あたりで下痢と嘔吐に苦しむ。レース中に出会う他国の選手に励まされながら、100kmを越えて気分は最高潮に。意気揚々と3つ目のライフベース、151km地点へ到着した。

* * *

9月12日 16:00。レース3日目、DONNAS 151.3km。

 DONNASに着くと、とりあえず汗だくの身体と途中に買い食いしたジェラートでベタベタになった手を洗い流したかった。トルデジアンのライフベースとなっている建物の多くはスポーツセンターのような場所で、食事や睡眠のほか、シャワーを浴びることもできる。1週間に及ぶレースの途中で汗を流して着替えることができるのは有難い。3日目を迎え、さすがに身体から異臭を放っていた。

「シャワーはどこですか?」
「こっちよ」
 通された場所は女子トイレだった。もう一度、別のスタッフに声を掛ける。
「シャワーを浴びたいんですが、どこですか?」
「こっちよ」

 また同じ場所に通される。私と同じように案内された女性と顔を見合わせて首をかしげる。
「シャワーはどこですか?」
「だから、ここ、この中」
 スタッフがガチャガチャとトイレの個室のノブをひねって勢いよく扉を開けた。
「オウ、ノー!」

 和式みたいな便器の上を跨いでいる裸の女性がびしょ濡れでこちらを向いていた。かろうじて手で上下を隠している。あまりの衝撃的な光景にわたしも隣の女性も後ずさりした。

 シャワーが一体型のトイレ? らしく、便器は日本の和式風、壁に無造作に立てかけられている“すのこ”を敷く。その上に立って、便器の上でシャワーを浴びるのだ。トイレットペーパーの横にシャワーヘッドが付いているというレイアウトだった。学生時代にアジア諸国を旅していたこともあり、たいていの環境は受け入れられるタイプだったが、これはなかなか勇気が必要だった。モワッと上がる蒸気を吸わないように鼻をつまんで手早く浴びて、真っ裸のまま個室を出て、手洗い場で着替えた。極限になれば人間だいたいなんでもできるものである。

 髪を濡らしたまま大きなホールに戻ると、応援に来ていた友人に会うことができた。

「エマちゃん、ビール、飲むでしょう?」

 ニコニコしながら生ビールを注いでくれた。日本では信じられないけれど、トルデジアンのライフベースにはビールがある。しかも、生ビールのサーバーがドカッとドリンクコーナーに鎮座している。もちろん、自己責任で飲み放題。日本では高価な美味しいチーズやハムが食べ放題、シャワーもあり、寝床もある。マッサージもしてくれるし、メディカルチームもいる。その上ビール飲み放題! ヨーロッパアルプス1週間、こんな贅沢な環境でエントリー費8万円なら、コスパ最高。

 自信を持って言える。33歳、好きな酒はビール。
 今まで飲んだビールで一番美味しかったことは言うまでもない。

「ちょっとだけ寝てきます!」

 お腹もいっぱいになって、まだ気温も高い日中にほろよいのお昼寝気分で眠れるなんて最高だった。が、起きたら1時間半経っていた。寝坊した。お酒って、こわい。

 魔法のマッサージを受ける時間も無くなってしまった。バタバタと準備してライフベースを飛び出した。

慌てて着替えてコーディネートがはちゃめちゃになってしまった。それぞれのアイテムの良さを打ち消す破壊的色合わせ。ダサい。

 トレイルに入るまで長いロードを走った。後半になると、林道やロードがますます長く、「下山後からエイドまでの区間」だけでなく「エイドから登り始めるまでの区間」のどちらもしっかり走らなければならなかった。

だいたい一駅分ならぬ一町分は走る。

 やっとの思いでトレイルに入ると、前を3人のイギリス人男性が歩いていた。3人とも30代くらいでワイワイと仲良さげだった。イギリス人の英語が聞き取りやすく、ラジオ気分で彼らの会話に聞き耳を立てて楽しんだりもした。

「うちの奥さんはすぐ怒り出すんだよお~」
「うちもこわいよ!トルデジアンに出るまでが大変だったよ~」
「オレも!何て言ってOKもらった?」
「毎日連絡するから、って言ったんだけど」
「でも毎日は大変だよね。レースはすごくハードだし」
「でも電話しないとかかってくるんだよ」
「マジ!?」
「子供達の声聞かせてさ、早く帰ってこいって言うんだよ」
「でもリタイアは許してくれなくない?」
「そうなんだよ!お金がもったいないとか言ってさ」
「もうどっちかわからないよね~」
「でも楽しいよね~」
「ほんと楽しいよね~」
「次でビール飲む?」
「おれはワインかな~!」
「あのパスタ美味くない?」
「スープでしょ!あれは美味い!」
「あ、やべ、奥さんから電話だよ!」
「マジか!出たほうがいいんじゃない?」

 だいたいこういう会話は万国共通らしい。
 330km走りながら英会話の勉強ができるなんて一石二鳥だったけど、だんだんついていけなくなり、ひとりになってからの上りの記憶は曖昧になってしまった。いつの間にか日が暮れていた。

 覚えていること言えば、延々と続くロードの上り坂で、たまに通り過ぎる家の灯りから家族の幸せそうな笑い声が聞こえるのをひとりぼっちで聞いていたことくらいだろうか。楽しいレースの中でも、なんだかとてつもなく寂しい気分だった。長い長い石段を登った気がする。暗くてよく見えなかったが、要塞のようだった。

 次にめざすは、有名な小屋、Rifuge Coda(コーダ小屋)。コーダまでの上りは、今回のレースで辛かった場所の5本の指に入るかもしれない。途中の小屋でベッドで寝ることを望んだが、1時間待ちだった。しかも待ち時間を外で過ごせという。とんでもない、外は氷点下だ。立ち止まると身体がガタガタ震える。レストランの隅っこのテーブルの下に潜り込み、身体を丸めて5分だけ目を閉じて、再びCodaをめざした。軽快に下りてくるハイカーに「あとどのくらい?」と聞くと「40分だね!」と言われて40分経ってもただの登りだった。ピョンピョン下りて行くハイカーの脚の長さはわたしの3倍あったのかもしれない。

 うんざりするほどの急坂と長い登りの途中で、エマージェンシーシートに包まって座り込んでいる男性の周りを他の選手が取り囲んでいた。シートに包まる男性はガタガタと震えている。

「What's wrong?」(どうしたの?)
「All right. I already called staff.」(大丈夫、もうスタッフを呼んだから)

 大会スタッフが駆け下りてきた。後ろを振り返ると、男性は震えながらも首を振り、声を上げて泣きながらゼッケンを隠していた。

 トルデジアンでは、コース上で寝ることが許されていない。見つかると失格となる。座って休んだとしても、寝てはいけない。それは選手の安全を考えた上でのルールだ。きっと選手のだれもが葛藤している。もうやめてしまいたい、だけどやめたくない。ゴールしたい、だけど動けない。つらい、だけどやめたいわけじゃない。睡魔や疲労に耐えきれず座り込む選手達は皆、声を掛けられると慌ててゼッケンの名前と番号を隠した。

 わたしは唇を噛みしめ、無意識にこぼれた涙をぬぐって先をめざした。そこから小屋までは、ものの数十分の距離だった。小屋では、温かい飲み物と優しいスタッフが待っていたが、わたしが小屋を後にするまでに、選手が運ばれてくることはなかった。あともう少し歩けていたら、温かい場所で休むことができていたら、彼のレースはもっと違ったのだろうか。

 自分の限界など、自分にしかわからない。けれど、判断を誤ると危険に身を晒す。判断? そんなことができるのだろか? この状況で? 自分に?

9月13日、深夜、Rif.Coda 2,224m。

 外の温度計は-15℃を指していた。風速は15~20m/hくらいだろうか。山での体感温度は気温と風速の足し合わせなどという。だとすれば、-30℃だろうか。稜線では強い風が吹いていて、風に飛ばされて滑落しそうだった。ボトルの水も、食べ物も、髪も鼻水も凍っていた。“生き残る”には、走るしかない。

 Codaからの下りは走りやすかった。
 わたしには「無双モード」という戦闘モードがある。何かよくわからないスイッチが入ると、ギアチェンジできる機能が備わっている。これは自分ではコントロールできなくて、突然オンになったりオフになったりする。それが、奥秩父によく似た雰囲気の森にさしかかったところで急に発動された。

トルデジアンのコースで、こういう細かいアップダウンが続く樹林帯はめずらしい。

 想定タイムの半分ほどで次の小屋に着いた。夜が明けていたことすら気が付かなかった。天に届くような石が折り重なるトレイルで、機嫌悪そうに歩く金髪の若い女性選手に道を譲ってもらった時に「She is crazy!」と捨てゼリフのように言われた声すらもすぐに谷底に消えていった。後ろにぴったりついている男性がいたことにも気づかなかった。稜線に出て小屋が見えたところで声をかけられて初めて気付いた。

「ねぇ、君、すごいスピードだったね!」

 Rifuge Barmaは湖のほとりの天国のような場所だった。
 レース中に立ち寄ることのできる小屋のなかでも群を抜いて綺麗で、ホテルのような建物だった。

 カレー風味の野菜スープがあまりにも美味しくて、何度もおかわりをした。なんだか興奮状態で、1時間近く滞在した割にはただスープを5杯飲んでだらだら過ごしただけだった。これが大失敗だった。睡眠計画ほど大事なものはない。そういえば、前日の夕方に寝て以来、夜通し走っていた。4日目までの睡眠時間は合計6時間以下だった。

 天国のあとは地獄だった。ジープが似合いそうな単調なダートの登りが続き、眠気を誘う。太陽の光に照らされてまぶしくてまばたきする度にそのまま目を閉じてしまった。右にフラフラ、左にフラフラ。広い林道を大胆に蛇行した。

地獄の林道。道も蛇行しているがわたしも蛇行。

 眠い! 眠い! 眠い!
 自分の頬を平手打ちしてみたり、ふとももをつねってみたり、大声を出したりしてみたけれど、とにかく眠かった。無双モードが台無しだ。予定の2.5倍かかっている。エイドでは、バーベキューが振る舞われていて、分厚いハムステーキに生ハム、大きな塊のチーズ、ビールにワインもあった。昼寝してピクニックでもしたい。なんで走っているのかよくわからなかった。

陽気なお兄さんがハムステーキにワインはどうだとすすめてくれる。正直ピクニックがしたい。

 やっと目が覚めたのは、それから数時間後。びっくりするような角度の岩の登りが眠気を吹き飛ばした。日本には「浮石」なんていう言葉があるが、馬鹿でかい浮石でできたジェンガのようだった。こんなの、日本なら確実に破線ルートじゃないか。躓きでもしたら一瞬で谷間へ真っ逆さまな根性試しの急登と足幅ほどのトラバースの先に、コルはあった。

急すぎやしませんか。
コースマーキングもちょこんと挿してあるだけ。
控えめに言って崖。
写真では伝わりにくいが下りもなかなかの斜度だった。4日目の脚でここを下るのは酷だ。

 このあたりから、脚の疲労を感じるようになってきた。2日目のハンガーノックで筋肉を壊してしまった感覚があった。食あたりから回復して以降、内臓トラブルはなくカロリーは取れていたものの、脚全体が重く、膝から上の大きな筋肉がかなり筋肉痛だった。レース中に筋肉痛になったことなどなかった。もっとラクに楽しもうと思っていたのに、という思いにまた苛まれて、息が詰まった。メンタルもまた、巨人達に弄ばれていた。

 山の谷間にある小さなエイドNielには、DONNNASで会った友人が待ってくれていた。まさかもう一度会えると思っていなくて、抱きしめられて、その温もりと共に弱音があふれた。自分が思っている以上に疲れていた。

「大丈夫、エマちゃんは強いよ。強い。必ず間に合うから」

 次のライフベース手前の町で、道に迷った。近くにいたイタリア人選手が通行人に道を聞いてくれて、案内してくれたが、緩やかな上りでもわたしはついていけない。悪気はないはずだけれど、彼の面倒そうな顔と舌打ちがわたしの心をエグる。
 ライフベースの灯りが見えたところで彼に女性が駆け寄ってきてハグをした。わたしのことなど振り返りもせずにふたりでライフベースに走っていってしまった。

9/13 20:41 GRESSONEY 205.9km サラとの出逢い

 4日目の夜、ライフベースに着いたのは、関門2時間20分前だった。いよいよ、時間が足りなくなってきた。ライフベースでは、入る時間と出る時間のそれぞれに関門が設けられている。入ってから出るまで2時間の猶予がある。IN23:00、OUT1:00。それがこのライフベースの関門とされていた。

 関門2時間20分前に到着したので、4時間はある。その猶予を利用して、とにかくマッサージを受けたかった。もう脚が上がらない。マッサージのスタッフに予約できるのか? と聞くと並んで待てという。でも、日本のように行儀よく並んでいる人などいない。それでも並べという。仕方がないので、ベッドではなくその場で寝袋に入って並びながら寝ることにした。

「ここで寝ているけど、マッサージの順番待ちをしているから、私の番になったら呼んでね」

 知っている単語を繋いでスタッフに説明して、持ってきた寝袋にエマージェンシービビイを被せて、明るい体育館の床で横になった。起こされて時計を見たらもう2時間も過ぎていた。ぽつんとミノムシみたいな私だけが残されていた。どうやら忘れられていたらしい。

 寝過ごしたこと、忘れられていたことに焦りと悲しさが込み上げて、マッサージを受けながら涙を浮かべるわたしに、「痛い? 大丈夫?」とスタッフが聞いてきた。そういうわけじゃないけど、説明する気力もなかった。足裏を故障しているのだと勘違いされて、柔らかいジェル状のシートのようなもので足先をぐるぐる巻きにされた。手早く巻かれたその処置は、日本では見たことのないようなものだった。が、しかしそれがその後のわたしの足を守ってくれることになるとは思いもしなかった。

 ライフベースは閑散としていた。何十台もの机と椅子が並んでいる。だけど空席率は80%くらいだ。すでにエイドINの関門を過ぎていて、入ってくる選手が拍手で迎えられ、当人達はうなだれている。声を上げて泣く選手もいた。

 そんな終了勧告を受けて泣く声を聴きながら、荷物を整理しなければならない。心はどんどんすさんでいく。頭が回らなくて、何をすれば良いかさえもわからない。床に荷物を広げて、途方に暮れていた。床に涙がぽとぽとこぼれた。

「ヘイ、ガール?」
 スタッフが近づいてきた。
「アーユー、オーケー?」
 顔を上げると優しそうな女性だった。

「だいじょうぶ? どうしたの? ひとり? 友達はいないの? ひとりなの?」

 仲間達はもう先に行ってしまって今はひとりだと説明する英語が出てこなかった。頭を撫でられて、黙って荷物の整理を手伝ってくれた。パスタや飲み物も持ってきてくれた。エイドの隅の床でパスタを食べるわたしの話し相手になってくれた。サラという名前の彼女はクールマイヨールに住んでいるらしく、毎年スタッフをしているそうだ。

「ハウオールドアーユー?」
「サーティスリー」
「・・・ワォ」

 よっぽど幼い子だと思っていたんだろうか。背が低く童顔のわたしは子供だと思われることが多かった。エマ、こっちを向いて、と言われて写真を撮ってくれた。後から送られてきた写真には見たことない生き物が写っていた。

スマホでいくらでも可愛くできるこの時代に、無修正で人間こんな潰れた顔になれるなんて奇跡。

 サラが手を振るライフベースを出たのは23:43、関門の1時間20分前だった。最も恐れていたものが迫ってきていた。関門という悪魔だ。絶対に、絶対に、捕まってはならなかった。震える手で、日本の仲間にメッセージを送った。時差があるのに、すぐにメッセージが返ってきた。わたしはひとりじゃない。友達に、会いたかった。

手が震えてフリック入力がうまくできなかった。牛肉関門て・・・。

 次の小屋までは川沿いを走る比較的フラットな道だった。良いのか悪いのか2時間近く寝たおかげで眠気はなくなり、そのまま淡々と走ることができた。次の小屋でもサラがいて、友達のように「エマー! グッジョブ!」とハグで迎えてくれた。寝るといいよ、と薦められて小屋の二階に上がると、二段ベッドのふかふかの布団に真っ白なシーツが敷いてあった。キャンプ用コットが何十何百台も並ぶ野戦病院のようなライフベースとはまるで違う空間だった。

 やっぱり睡眠は大事だった。30分ほど眠り、また楽しい気分が戻ってきた。下りは爆風が吹き荒れていて前の選手が飛ばされて転んだりするほどの強さだったけれど、そんな光景すら笑ってやりすごせた。広大なスキー場を駆け下りた麓のリゾート地の中にCREST小屋という場所があった。

 入口にここはエイドではありません、という但し書きがある。中を覗くと、ペンション風の素敵な宿だった。

「エマー!」
「サラ!」

 ここに並ぶ食事は、まるでホテルのビュッフェだった。生クリームのような濃厚なヨーグルトが大きなガラスボウルにたっぷりと入っている。それに頬が落ちそうなほど美味しい手作りのフルーツジャムを入れて食べた。パンも焼き立て、カフェオレもあった。パスタを頼むと、キッチンでわざわざ調理したお肉と野菜たっぷりのソースがかかったごちそうが大きなお皿にたっぷりと盛られていた。サラと色んな話をしながら、ごちそうを頬ばった。サラに会えたのはこれが最後だったけれど、わたしがゴールするまでfacebookの投稿に何度も応援のコメントを送ってくれた。

 小屋で十分に休み、次のエイドはトイレだけ寄ってすぐに出た。もうほとんど選手はおらず、エイドの食べ物も飲み物もすっかり無くなっていて、遅れを嫌でも痛感することになり、慌てて出て行ったという方が正しいかもしれない。トイレで念入りに化粧をしているミニスカートの選手が仲間に「Hurry up!」と怒られていた。

ここで合っているのか不安になるほど人がいない。

いままでの賑やかさが嘘のようなエイドでは片付けが始まっていた。

旅は道連れ? ヨシダさんとの出会い

 眠気を恐れて、色んな人に話しかけながら進むことにした。日本人男性を見つけて、声をかけた。彼は、ほとんど登山の経験がないという。トルデジアンは一応、「過去に100km以上かつ累積標高5000~6000mの大会に出場していること」が推奨されているが、言ってしまえば誰でも抽選に当たりさえすれば出場することができる。

 高所登山の経験がないというのは珍しい。最高地点で標高3000mを超え、岩もあり天候も不安定、山がはるかに険しいトルデジアン。日本ならばアルプス縦走などで経験を積んでから挑む人が多い。シューズも、数日前に購入したと言っていて、ソールはすでに剥がれかけていた。色んな人がいるものだ。

長く続く登りでの眠気対策は、コミュニケーション。

立ち寄る小屋で仲良くなって一緒に外へ出ようというようなことも何度かあった。

 男性はしばらくわたしを引っ張ってくれたが、猪突猛進な彼はわたしとの間が離れていくことに気付かなかったらしく、あっという間に遠くへ行ってしまった。ふと振り返ってわたしがいないと気付いた時には驚いただろう。せっかく引っ張ってもらって申し訳ない気持ち半分、その様子が目に浮かぶようでちょっと笑えた。

 しばらくするとまた他の日本人と一緒になった。彼の名前はヨシダさん。ヨシダさんとレース中に話したのはその時が初めてだったように思う。ここまでの区間で眠気に散々苦しめられた話をすると、そういう時はしりとりがいいと言う。彼は制限時間60時間を超えるレースに何度も出た経験があった。そのほとんどをわずかな睡眠時間で完走したというから、説得力がある。

 傾斜の緩い下りになると、ヨシダさんが「ちょっと眠くなってきた」と言うので、試しに二人でしりとりをはじめた。

「リ・・・リンゴ」
「ゴ・・・ゴリラ」

 声が聞こえる間隔を保って歩く。足取りが重くなると、2人の距離が離れて声が聞こえなくなり、しりとりが成立しない。

「ラ・・・ラッパ」
「パ・・・パ・・・ンダ」
「ダ・・・ダンス!」
「ス・・・スイカ」
「カ・・・カメ・・・・・・カ・・・メ・・・ラ」

ダメだ! ヤバイ! せっかくのしりとりも、ありきたりすぎてヨシダさんが寝そうだ!

「ラ・・・ラクロス!」
「え~・・・ス? ス・・・スミレ」
「レ、レ、レ、スポンス!」
「またスかよ・・・・」

 わたしはしつこいお題出しに精を出し、かなり頑張った。ライター根性だ! 語彙力勝負だ! 濁音や半濁音のお題も積極的に考えた。

単調な下りが眠気を誘う(写っているのはヨシダさんではない)。

「ピ・・・ピ・・・・zzz」
「おいっ! 寝てるだろ!」

 こんどは難しいお題を考え込みすぎてわたしも眠くなってしまった。よくわからない難解なしりとりをヨーロッパアルプスの麓で小一時間繰り広げた。あたりが薄暗くなり、5日間晴れ続けた空から、ついにぱらぱらと雨粒が落ちてきた。2人とも、しりとりどころではなくなって、5日目のライフベース、VALOURNENCHE(239.0km)に飛び込んだ。

しりとりよりも雨にやべーやべー言いながら駆け込む。

つづく

(写真提供=トルデジアンの仲間たち)

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