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ホーボージュン令和元年のアジア旅! 「ヒマラヤの果て、雲の手前。〜幸せの国ブータンを旅する〜」前編

(2019.07.31) PR

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未明だった私たちを
先代の国王が変えてくれた

 2時間ほど走り、チュゾムという集落で休憩を取った。ここはパロ川とティンプー川が合流する場所で信仰上の聖地だそうだ。河原に大きな仏塔(チョルテン)が3つも建っていた。

「それぞれ違う形をしているでしょう? あれは、ネパール式、チベット式、ブータン式で、ここからは見えないけどインド式のストゥーパもあります。ここで合流した川はヒマラヤを下ってバングラデシュでブラマプトラ川に合流し、最終的にはガンジス川へと流れ込みます。その流域諸国の国際平和を祈念して各国の仏塔を建てたのです」

 橋の横には第5代国王のジグメ・ワンチェク国王と王妃の巨大な写真が掲げてあった。ブータン人はみんな国王夫妻が大好きだ。ここだけでなく道中のあちこちに写真が掲げられていた。 いまのブータンがあるのはワンチェク王朝のおかげだとソナムさんは言う。特に先代である4代目ワンチェク国王の果たした役割は大きい。

 4代目は17歳で即位し「世界一若い王様」と呼ばれた。若くして国の民主化と近代化に努め、外交をたくみにリード。さらに自分たちのような小さく貧しいヒマラヤの山国が生き延びるには拝金主義、発展主義を捨てることが重要だと見抜いた。そして国の指標をGNP(国民総生産量)ではなくGNH(Gloss National Happiness・国民総幸福量)にすることを提唱したのだ。

「長い間ブータンは未明の国でした。地面を耕して食べ物を育て、それを食べるだけの暮らしです。みんな牛のようにバカで、誰ひとり文字も読めない。私が小学校に入った1980年代の識字率は1割もなく、学校の先生も、お医者さんも、役人もみんなインド人でした」ブータン人は殺生を嫌い、動物に対しても非常に優しく接する。そのために国じゅう野良犬だらけだ。野良犬といっても政府により10万頭が避妊去勢手術とワクチン接種を受けていて、みな穏やかで人なつこい。

 そんな国を一変させたのが前国王の水力発電政策だった。ブータンはヒマラヤの斜面にあるので国じゅうに急流が走っている。雪解け水で水量も豊富だ。そこで各地にダムを造り水力発電をした。そしてその電気を広大なインド大陸へと供給したのだ。じつはこの売電収入が観光や米の輸出を上回るブータン最大の国家収入になっている。

「前国王はその豊富なお金をぜんぶ教育と医療に使いました。ブータンでは小、中、高、そして大学まで学費はすべてタダ。病院もタダです。昔は農家の子どもたちはみな畑の手伝いをさせられていましたが、今はみんなが学校へ行っています。そして今は学校の先生もお医者さんもみんなブータン人になりました」

 ソナムさんの娘も大学で経理を学び、今はオーストラリアで働いているそうだ。教育は国の宝だと、胸を張る。

 いい話だったけど、僕は猛烈に眠かった。なんだか意識がもうろうとしてあくびばかり出る。隣を見るとケイジ君も大あくびをしていた。退屈していたわけじゃない。高山病だ。手首のプロトレックの高度計を見るとすでに3,000mを超えていた。

「さあ着きました。ここがドチュラ峠です。標高は3,150mもあるので、ゆっくり歩いて下さいね」
 駐車場には小型バスやジープが連なり、多くの観光客でごった返していた。濃い霧があたり一帯を覆い、展望がきかない。晴れていればこの峠からガンカー・プンスムやゾンゴプーカンなどの7,000m峰が一望できるそうだが、残念だった。

 しかたないので周辺をハイキングすることにした。峠には数え切れないほどのチョルテンが建っていた。最近建てられたものらしく、どれも真新しい。

「全部で108個あります。これは2004年に先代の第一王妃が建てたものです」

 ブータン人は何かにつけチョルテンや寺院を建てる。これは当時インドとの国境で紛争が起こり小競り合いが続いたので、その勝利を祈念して建てたのだそうだ。21世紀だというのにまるで中世みたいなことをするのだ。

 でもそれは国民に支持され、国民は嬉々として労働力を供出する。仏教への帰依とと王朝への愛がこの国を一枚岩にしている。ワンチェク王朝、恐るべし、である。
 

山奥の工事現場で
国際政治の難しさを思う

 いろは坂のような急カーブの峠道をたどりながら、ドラゴン号はプナカを目指した。その途中でちょっとびっくりする光景に出会った。山奥のまったくなにもないところに赤ん坊を背負った女の人がしゃがみこんでいたのだ。粗末なサリーを着て、足元はゴムサンダル。スコールを受けたのか、髪の毛がびっしょり濡れていた。

「えっ?いまのなに?」
「インド人です」

 ソナムさんはとくに驚いた様子もなくそう言った。

「こ、こんなところで何してるの?」
「道を直してるんですよ」

 どういうことかわからずにいると、しばらく先に崩落した岩をどけている集団がいた。浅黒い肌と彫りの深い顔で一目でインド系だということが判る。びっくりしたのはスコップで砂利をすくっているのは痩せた女性で、手を添えてそれを補助しているのは、白髪の老女だったことだ。その横で男たちが巨大な岩にワイヤーをかけて転がそうとしていたが、みなサンダルで、軍手もヘルメットもしていない。もしあの大岩が足に落ちたらどうするんだろう?

「みんなインド人ですか?」
「そうです。ブータンでは道路修理はインド人の仕事です」
「重機は使わないんですか?」
「使うこともあるけど、彼らは大勢いるので人力でやります」
「でもどうやってこんな山奥に来るの?」
「近くに泊まっているんですよ。ほら、あそこに見えるでしょう?」

 ソナムさんが指さしたあたりに竹で組んだ粗末なバラックが見えた。屋根にはトタンがかけられ、その上に石が乗せられている。見るに耐えない粗末さで、とても家族連れが生活するような場所に見えない。

「あんなところで寝るんですか?」
「ええ。そうですよ」

 ソナムさんは当たり前のような口ぶりだった。
 ブータンは政治的にも経済的にも大国インドに依存している。国内のインフラ整備も同じで、舗装道路の敷設や修繕はインドの政府系企業に丸投げらしい。つまり彼らはインドから派遣された出稼ぎ労働者なのだ。

 それにしてもひどい待遇だ。これじゃあまるで奴隷じゃないか……。胸の奥がザラザラするのがはっきりとわかった。

 さっきのドチュラ峠のレストランには100人以上のインド人観光客がいたが、みな例外なく裕福そうだった。上等なサリーをまとい、身体中にジャラジャラとアクセサリーをつけている。子どもたちはギャーギャー騒ぎまくり、恰幅のよい男たちはブータン人の従業員をアゴで使っていた。まるで宗主国のような態度だった。

 彼らのあいだにあるヒエラルキーや一種独特の空気感を、日本人である僕はうまく理解できない。インドに今も根深く残るカースト制度のことを考えるとなおさらだ。14億人がひしめく大国インドと、わずか70万人のブータンとの関係性はとても微妙なものなんだろう。

 かつてブータン王国の隣には「シッキム王国」という国があった。チベット仏教ニンマ派の仏教国だったが、70年代にインドと対立し滅亡した。インドに併合されてしまったのだ。ブータン人はそんな悲劇と大国の恐さを目の当たりにしている。山奥の道路修理を眺めながら、僕は国際政治の難しさを肌で感じていた。
 

ピュアな村人と
巨大なポー
 いろは坂のような急カーブの峠道を使って一気に1,300mまで駆け下ると、プナカの田園地帯が広がった。美しい田園にある民家レストランに入る。待ちに待ったランチタイムだ。

 食事は炊いた赤米に野菜や肉の煮物で西洋スタイルのしゃれたものだった。ブータン料理は世界一辛いと言われていたので恐る恐る口にしたが、どれもマイルドでまったく辛くない。村で取れたナスやジャガイモは素朴で滋養たっぷりの味がした。
 食事を終えたあと、近くの村へ散歩にいくことにした。この村の奥にチミ・ラカンというお寺があるのだ。田んぼのあぜ道を歩いて行くと、小さな子どもたちが走り回って遊んでいた。子どもたちはみんなシャイでとても澄んだ目をしていた。向こうから歩いてきた男の子に手を振ると、はにかみながら「グズサンポーラ(こんにちは)」と返してくれた。あー、なんて素敵な村だ。みんなピュアピュアじゃないか。

 ところがどっこいぎっちょんちょん。

 それは僕の勝手な思い込みだった。村に入って仰天した。立ち並ぶ民家の壁という壁にとあるものが描かれているのだ。それは……。

「ち、ち、ちんこ!」

 いや、ちんこなんてもんじゃない。どちんこである。巨大なのである。巨根なのである。しかもどれもイキり立っているのである。
「な、なんじゃここはー!」

 オーバーリアクション気味の(というか大喜びの)僕にソナムさんが解説してくれる。

「ブータンではポー(男根)は、豊穣多産と戦闘力の象徴なんです。最近では少なくなりましたが、昔は家の外壁に大きなポーを描いたり、木彫りのポーを軒下に吊して魔除けにするのが普通だったんですよ」

 チベット仏教は性的な要素が強く、その正統な流れを受け継ぐブータン仏教でもポーはとてもありがたいものなんだそうだ。そんなポー信仰のなかでも有名なのは16世紀の高僧ドゥクパ・クンレだ。彼は酒と女性が大好きで、ブータン中でどんちゃん騒ぎの宴会をして「風狂僧」と呼ばれていたそうだが、ケンカもめっぽう強く、悪魔を次々退治した。その時には自らの“燃えさかる稲妻”つまり“どちんこ”を悪魔の顔面につきたて、前歯をへし折ったそうだ。風狂僧クンレは多くの国民に愛され、彼を祭ったチミ・ラカンは“子宝の寺”として栄え、今では世界中から女性が訪れるようになった。僕の女ともだちが子宝祈願にチミ・ラカン寺を詣でたことがあるのだが、巨大なポーを抱きかかえて仏塔の回りをグルグル歩き回らせられたらしく「何かの罰ゲームかと思った」と言っていた。でも昨年めでたく第一子を出産。ポーの威力おそるべし。

 それにしてもこの村はポーだらけだ。「Artist Shop」とか「Folk Art」と書かれた民芸品店の軒先はポーでいっぱい。ポーのネックレスやピアス、はてはマグカップまで売っている。そのなかで僕の目を釘付けにしたのがポーの飛行機だ。胴体がポーなのはもちろん、4機のジェットエンジンも、果ては水平尾翼までポーなのだ!

「ほすぃ……」

 1歳半になる息子へのお土産としてこれほどのものがあるだろうか? ほら、とーちゃんヒマラヤの奥地でシアワセ見つけてきたぞ……。わーい。ブーン、ブーン。無邪気に遊ぶ息子の笑顔が目に浮かぶ。その横でかみさんもニコニコしてる……わけないな。こんなモノを買って帰ったら激怒するに決まってる。「ジュンさん! もう行きますよ!」

 坂の上でソナムさんが呼んでいる。僕は慌ててあぜ道を走り出す。道ばたに寝そべっていた野犬につまづいて転びそうになった。それをみて子どもたちが笑う。とびきりの笑顔だ。空は青く、山の連なりはどこまでも続いている。

 ここはシアワセの国。僕の旅はまだ始まったばかりだ。

ちんこ村のこどもたち。ピュアピュアなのだ。

画廊でタンカ(仏画)を見せてもらう。僕は父方の実家が寺なこともあってタンカにとても興味を持っている。ネパールに行くたびに買い求めてきたけど、ブータンのタンカは格段にレベルが高い(と思う)。

ブータン料理は世界一辛いと言われる。みんな青唐辛子(ハラペーニョ)が大好きで、まるごとバリバリ囓ってしまう。ただしツーリスト向けの食事はいたってノーマル。ふつうにおいしい。ブータン産のビールも普通においしい。

あなたのためのアルティメイト・スーパー・マーケット(笑)その名もファミリーマート。

ファミマの中はこんな感じ。どこの店の棚にも潤沢に商品が並んでいる。食糧品から日用雑貨に至るまですべてインドからの輸入品だ。

ブータンでは民族衣装の着用が強く推奨されていて、男性は「ゴ」、女性は「キラ」と呼ぶ衣装を纏う。

 次回はいよいよトレイルへ。
 雷龍の国・ブータン旅 中編へ続く!
(文=ホーボージュン、写真=田島継二)

次ページでは、ブータン王国の基礎知識や旅の情報をお届けします!

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ライター
ホーボージュン

全天候型フリーライター。6,000mの高所登山からシーカヤックの外洋航海まで、フィールドとスタイルを問わない自由な旅を続けている。『山と渓谷』『ビーパル』『PEAKS』『Field Life』などアウトドア各誌で連載中。公式Twitterアカウントは「@hobojun

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