• 山と雪

ホーボージュン アジア放浪3カ国目 台湾後編「どしゃぶり山とやさしい隣人」

2016.07.11 Mon

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ホーボージュン 全天候型アウトドアライター

All photo by Yuriko Nakao

私たちの住む「アジア」をあらためて眺めてみると、
まだ知られていないトレイルが方々にあった……!
世界中を歩きめぐってきたサスライの旅人ホーボージュンが
そんなアジアへバックパッキングの旅へ出た。
前編に続き、3カ国目・台湾の山の中で何を見たのだろうか!?

 

この旅は、まだ始まってもいない

「ほら、着いたよ」

 そういってトラックが止まったのは清泉橋から4kmほど入った山中の作業場だった。

「えっ……? ここで終わりなの?」

 期待していたよりずっと手前だったので内心がっかりしたが、まあ、しかたない。運転手さんにお礼を言って僕はトラックを降りた。
山中の作業場まで乗せていってくれたトラックの兄ちゃん。超イカツくて、ひとりだったら絶対に声をかけないタイプ。日本の演歌が大好きで大音量で音楽をかけまくっていた
 腕時計の高度計に目をやると標高は1,800m。これでも300mも上がって来ていた。ありがたい。あとは自分でがんばるぞ。僕は気を引き締めなおし急坂の続く林道を歩き始めた。ところが1時間も経たないうちに、そんな殊勝な気持ちは何処かへ溶けてなくなってしまったのである。

 おーもーてーえーよー。

 背中の荷物の重さにめげたのである。毎回毎回思うことだが、縦走登山の初日というのは“苦行”以外のなにものでもない。鉛のように重いパック。ちっとも動かない脚。ダラダラと吹き出す汗。早鐘のように打つ心臓……。苦痛に顔を歪めながらいつも僕は思うのだ。

 なんで俺はこんなことしてるんだろう?
 これの何が面白いんだ? と。

 肩に食い込むショルダーベルトを呪い、日頃の不摂生を呪い、昨夜の深酒を呪った。そしてあらん限りの罵詈雑言を頭の中でリフレインさせながら僕は林道をたぐり続けた。

 やがて空を雲が覆いパラパラと雨が降り出した。やれやれ。ため息を吐きながらレインウェアを着込む(この時の僕は知るよしもなかったが、下山するまでこのあと一度もレインウェアを脱ぐことはなかった)。進めば進むほど雨はその激しさを増し、視界はどんどん悪化した。目に映るのは鬱蒼とした森と草むらばかりで、心を躍らせるようなものは何もない。

 9km地点を過ぎると道はいよいよ狭くなり、路面はグシャグシャにぬかるんできた。場所によっては足首のあたりまで泥に埋まるような状況だ。清泉橋のお母さんは登山口まで車が入れると言っていたが、本当だろうか?

 標高2,600mにある登山口に辿り着いたときにはすっかり日が暮れていた。林道の突き当たりにはかろうじて車がすれ違えるほどのスペースがあり、5~6台の四輪駆動車が崖にへばりつくようにして停めてある。ボディには「○○登山隊」「××山岳会」などのステッカーが貼ってあった。やっぱりここまで入ってくるのか。すごい根性だ。

(あー、もう無理だ)

 集中力が途切れてしまったので、けっきょく今日はここでビバークすることにした。降りしきる雨の中でテントを建て、転がり込む。アルファ米とラーメンの簡素な食事を済ますと僕は改めて地形図を見た。1泊目は「耳無溪合流」という河原のビバーク指定地まで行くつもりだったが、登山口に辿り着くだけで終わってしまった。

 東京を出て3度目の夜を迎えようとしていたが、僕の旅はまだ始まってもいないのだ。近いと思っていた隣国が、この日の僕にはとても遠くに感じた。

咬人猫と登山道の天使

 翌朝は5時半に起きたが、グズグズしていたら出発が8時を過ぎてしまった。雨の中の出発は憂鬱だ。テンションが上がらぬまま登山道へと踏み込んだ。

 肩幅ほどの細いトレイルに緑の草が覆い被さっている。高さは1メートルほどだろうか。行く手を遮っていた葉っぱを何気なく手で払おうと思ったその瞬間、指先にビビビッと衝撃が走った。

「イタタタタッ!」

 掌がビリビリ痺れている。濡れた手でコンセントに触ったような電気的な衝撃だった。蜂にでも刺されたのかと思って目を凝らしてみるが、特に刺された跡も腫れる様子もない。痛みをこらえながら前に進もうとした瞬間、もう一度電撃ショックが指先に広がった。

「ギャアアアア!」

 今度はさっきの何倍も痛かった。そしてその瞬間に犯人がわかった。草だ。緑色をしたこのかわいらしい草に棘があるのだ。恐る恐る覗き込むと葉っぱも茎も針のような細い繊毛にびっしりと覆われていた。

「台湾ではコイツのことを咬人猫と呼ぶんだよ」とこのあと登山道ですれ違ったハイカーがこの草の名前を教えてくれた。ホラーな名前が表す通り不用意に手を出すと噛みつかれる。「見かけてもぜったいに触るな」と何度も釘をさされた。

 咬人猫(ヤオ・レン・マオ)はイラクサの仲間で、全身が細かな産毛のような棘で覆われている。この棘はたいへん脆く、手で触ると簡単に折れ皮膚に残る。そして棘の先端が皮膚の中でさらに砕けて中の毒液が染み出す……という世にも怖ろしい草なのだ。

 ここ北二段は「咬人猫の山」として有名で、それがこの山域に厳しいイメージを植え付けていた。咬人猫だけではない。山にはアザミと野バラがやたらに多い。なんだか山じゅうトゲトゲなのである。

 空には暗雲が立ち込め、足元はぬかるみ、そして両サイドには凶悪な咬人猫……。そんな異国の登山道で途方にくれていた僕の前に突如現れたのが李静宜(リー・ナツミ)ちゃんだった。和名みたいな響きだがれっきとした台湾人だ。

 それは狭い登山道でのことだった。正面から男女4人のパーティが下山してきた。僕は登山道の脇により、すれ違うとき何気に「コンニチハ」と日本語で挨拶をしたのである。

 すると最後尾にいた若い女性が「えっ?」という顔をして立ち止まった。

「もしかして、日本の方ですか……?」と日本語で声がかかった。

「は、はい!」びっくりしてそうこたえる。

「わあ!こんなところで日本の方に会えるなんて!」と弾ける笑顔で答えたのが彼女だった。

 ナツミちゃんは日本が大好きで独学で日本語を勉強している。日本にもよく旅行に行き、四国の石鎚山に上ったこともあるそうだ。この日は花柄がプリントされた白いレインウェアを着て、ピンク色のバックパックを背負っていた。フードからのぞく大きな瞳はキラキラと輝き、長いまつげは天空高く伸びている。

「か、かわいい……」

 それはぬかるみにさく白い花。トゲトゲの山中で柔らかく香る百合みたいに思えた。
登山道で出会った台北のハイカーたち。左からリーダーの彭俊達さん、陳暁龍さん、鍾素媚さん、そして李静宜(リー・ナツミ)ちゃん
 彼女たちは台北市内で働く社会人ハイカーグループだった。みんなベテランで台湾各地を縦走している。今回は北二段の南側にある閂山という山をめざしたが大雨に阻まれ、2日間停滞したあげく撤退して下山してきたという。
 
 僕は地図を開いてこの先の登山道の状況や水場の情報をいろいろと教えてもらった。ついでに730林道のアプローチについても相談すると、チームリーダーの彭さんが「この山の麓に登山者の送迎を専門にしている王先生という人がいて、その人の携帯に電話すれば四輪駆動車で登山口まで迎えに来てくれるよ」と教えてくれた。これは僕には願ってもない情報だった。
追加:「レインウェアのフードでナツミちゃんの顔がよく見えないぞ!」というお叱りが多々寄せられておりますので、雨が降り始める前の写真も貼っておきます。かわええ~
 しかし王先生は英語がまったく話せないらしい。困っているとナツミちゃんが僕にこういったのである。

「地図に15Kと書いてある場所まで降りると携帯の電波が繋がるようになります。ジュンさんが15Kまで下山したら私にメールか電話を下さい。私から王先生に電話をかけてどこか適当な場所でピックアップしてくれるようにお願いしますから」

(ああ、なんてやさしい人なんだ……)

 僕はバックパックからピーターさんに借りたスマホを取りだし、ナツミちゃんと電話番号とメアドの交換をした。なんだかどぎまぎしてしまった。人の電話番号なのに。

「本当に気をつけてくださいね」

 別れ際、長いまつ毛に雨粒を貯めながら彼女はそう言った。

「大丈夫。君のためにも必ず無事で戻るからね」

 僕は(心の中で)そういって彼らと別れた。登山の最中にこんなにも後ろ髪をひかれる思いをしたのは、この時が初めてだ。


台湾のハイカーの実力はヤバイ

 12時過ぎに17kmの分岐点に到着した。見ると三人の中年男性が巨大なザックを降ろして休憩していた。ちょうどいい。彼らに道を聞いてみよう。

「甘薯峰方面に行くのはこっちでいいんですか?」
「そう。そこの崖を下っていくんだ」眼鏡をかけた男性がそう答えた。
「ちょうど笹ヤブが切れたところだよ」同じ顔をした男性が言葉を受ける。

 このふたりは陳育冠(ローバー・チェン)さんと陳育亮(ユイリャン・チェン)さん。台中に住む双子の兄弟で、顔も背格好もしゃべり方もそっくりだった。そしてもうひとりは学生時代の友だち。若い時からずっと一緒に遊んでいた男子3人組がオジサンになり、いまも会社の休みを合わせてはこうして野山を歩き回っているのだという。

「みなさんはどこから来たんですか?」地図を広げて尋ねてみた。
「うーん……。なんて言えばいいのかな」ローバーさんが地図を眺めて困っている。
「この地図のずっと外側から来たんだよ」とユイリャンさんが言葉を継ぐ。

 聞くと彼らは「北一段」と呼ばれる北部高山の縦走ルートを踏破し、そのまま北二段に入ってきたそうだ。今日ですでに縦走も8日目。昨晩は甘薯南峰のビバーク指定地で泊まり、朝早く出発してさきほどここに着いたという。この人たちは僕が丸2日かけて歩こうとしているルートをわずか半日で踏破してきたのである……!

 尋常じゃないスピードと8日間も無補給で歩き続ける強靱さに僕は舌を巻いた。台湾のハイカーの実力はヤバイ。彼らはこれから登山口まで一気に下り、そこからは地元のクルマに回送してもらうそうだ。詳しく聞いてみるとそれは例の王先生のことだった。

「あなたも帰りは迎えに来てもらえばいい」
「あ、でもその人英語がぜんぜん通じないみたいなんですよ」
「だったら俺が代わりに電話してあげるよ。下山したら連絡ちょうだい」
「いやいや、さっき別の人にお願いしたから大丈夫です」僕はさきほどの顛末を簡単に話した。
「なあに、万が一の保険だと思えばいいさ」

 そう言ってローバーさんは電話番号を紙に書いて渡してくれた。

「それに……」ユイリャンさんがこう付け加えた。

「夜更けや明け方に若い女性に電話をするのは気が引けるだろ? その点俺たちなら気兼ねいらない。24時間いつでも電話くれ」
「とにかく無事の下山を祈ってるよ!」
鉄人3人組が履いていたのはなんとゴムの長靴!「台湾の山ではこれが一番なんだ」と言っていたが、そういえば途中で出会った大学山岳部の隊員たちもおなじような長靴を履いていた。そ、そ、そうなのか……!?
 そう言い残すと巨大なザックを背負い、疾風のように走り去ってしまった。

 僕は少しぼーっとしながらその後ろ姿を見送った。これで何人目の里親だろう? なんだか会う人みんながあまりに親切すぎて、夢でも見ているんじゃないかと思ってしまった。
 
 寒くて震えているはずの身体が、またほっこりと温まっていた。昨夜は遠くに感じた隣国が、またとても近く感じた。

崖の途中で宙ぶらりん

 17km分岐点から耳無川のビバーク指定地までは川沿いのザレた崖を辿る足場の悪いルートだった。もろくて崩れやすい崖が、降り続く雨でますます崩れやすくなっていた。

 ここで僕はふたつの間違いを犯してしまった。ひとつはルートを見失い、川っぺりの足場の悪い場所に出てしまったこと。そしてもうひとつは正しいルートへの復帰を焦り、引き返さずに強引にルートをショートカットしたことだった。

(この崖を直登すれば、正規ルートに復帰できるに違いない)

 そう思った僕はザレた崖を這いつくばって登り始めた。崖には人の頭ほどの小岩が折り重なっていて、それを足場に登っていけばトップロープがなくてもなんとかなりそうだった。

  しかし僕の予想よりはるかに崖は崩れやすかった。「あっ……」そう思った瞬間、右足をかけていた岩が崩れ落ち、僕はバランスを失った。「やばい!」とっさに目の前の大岩に飛びつく。すると今度は左足の岩が崩れ落ちてしまったのだ。

 岩を抱えたまま僕は宙ぶらりんになった。

 足がかりを探すが、いくら蹴り込んでもつま先はグリップしない。岩を抱えた腕を離すこともできず、僕はそこで進退窮まってしまった。

 最後はぶざまにずり落ちながら、それでもなんとか難所をクリアすることができたが、これは僕にとって大きな戒めとなった。

「絶対に無理をしない」

 山では当たり前のことを(恥ずかしながら)僕はまた学び直した。

丸太橋をわたり、河原でビバーク

 地図に「耳無溪合流營地」(耳無川合流ビバーク地)と記載されている場所は、行ってみるとただの河原だった。2つの川が合流する脇にテントが張れそうな砂浜がいくつかあり、誰かがビバークをした痕跡があった。川には丸太が何本か渡してあり、僕はその上をヨタヨタと渡って營地に渡った。

 この夜は狭い砂地にテントを張り、ゴウゴウと唸る川の音をバックに眠りについた。雨はまだ降り続いている。もういいかげんウンザリだった。

 翌朝は6時に起きてテントをたたんだ。雨は止まない。ずぶ濡れのテントをずぶ濡れのバックパックに詰め込んで、僕は南薯峰をめざして登攀を開始した。

 ここから先にはもう水場がない。2泊3日分の飲料水6リットルを詰め込むとパックはまたずしりと重くなった。少しでも荷物を軽くするため、後半用の食糧やカメラの三脚、濡れた着替えなど不要なものをドライバッグに詰め込み、岩の下にデポした。サルやタヌキに狙われなければいいのだけれど……。

 ここからの登りは急峻だった。いきなり鎖場が続き、四苦八苦する。普段ならなんてことないんだろうが、どしゃ降りでなにもかもがツルツル滑る。

 深い霧の中を無言で進んだ。もう誰ともすれ違わない。この山域にいた登山者はすべて下山してしまったようだ。たったひとりの山の中を、たったひとりで登り続けた。

標高2,800mの森の結界

 午後3時に「2,800營地」と呼ばれる場所に着いた。森の中に20畳ほどの平らな広場があり、そこに覆い被さるように大木が生えていて、外界から身を守る結界を作っていた。テントを張るにはいい場所だった。

(どうしよう)

 正直気持ちが揺れていた。まだ日没まで時間はある。今日のうちにもうすこし進んでおきたかった。このままでは甘薯峰どころか甘薯南峰にすら辿り着かない。明日は雨が止むかもしれない。だったら今のうちに稜線まで出たい。僕はまだ希望を捨てきれなかった。

(ど、どうしよう)

 気付くとレインウェアのフードの中にカタカタと変な音が響いていた。それは僕の奥歯が鳴る音だった。しばらく立ち止まっていただけなのに身体が芯まで冷えてしまっていた。ここは標高2,800m。考えてみれば八ヶ岳や雲ノ平より上にいるのだ。身体が冷えて膝までガクガク震えだした。戦意喪失。セコンドのかわりに僕は自分でタオルを投げ込み、今日はここでビバークすることにした。
なにもかもがずぶ濡れだ。ずぶ濡れのバックパックからずぶ濡れのテントを出し、ずぶ濡れの野原に建てて、ずぶ濡れのまま潜り込む。毎日これの繰り返し
 大急ぎでテントを張った。それでも設営中にインナーテントがずぶ濡れになってしまった。半ばやけくそでバックパックをテントに放り込み、レインウェアのまま転がり込んだ。まるで川から上がったばかりのゴールデンレトリーバーでも放り込んだように、テントフロアにはみるみる水たまりができた。

 狭い前室にかがみ込んで、泥だらけの登山靴を脱ぎ、ドブのような靴下をはぎ取とる。窮屈なソロテントの中で裸になり、速乾タオルで身体を拭った。ドライバッグの中から乾いた肌着を引っ張り出して着替えたが、乾いた靴下はあと1足しかない。夏の太陽が懐かしい。
唯一の楽しみが食事。台湾のフリーズドライ(アルファ米)はメチャクチャ旨い。なかでもお気に入りはこの「蕃茄牛肉風味飯(牛肉風味のトマトご飯)」だ。八角などの香辛料の香りと椎茸や筍の風味、そしてトマトの微妙な酸味が絶品なのだ
 ショートサイズのマットを膨らましてずぶ濡れのテント内に乾いた“島”を作った。そこからはみ出さないように注意しながらダウンシュラフを広げ、そのなか潜り込む。寒い。冷え切った身体の震えが止まるまでしばらくシュラフの中に潜っていた。

 30デニールの極薄のフライシートの上をパチンコ玉のような雨が叩いていた。パラパラパラパラと隙間なく続く打音を効いているうちに、いつのまにか僕は眠り込んでしまった。

烈風がやって来た

 僕を眠りの淵から引きずりあげたのは、すさまじい轟音だった。まるで上空をジェット機が通過しているかのようだ。

「なんだ、なんだ、なんだ?」

 テントの中で身を固くする。それは頭上20メートルぐらいのところで唸っていた。

 クゥウウウ……

 最初は風切り音のような小さく尖った音だった。それが10秒ほど続いたあと音の束はみるみると太くなり、やがてそこに「ブォオオオオオオ」と空気を震わせるような低音が加わる。その後風速がどんどん早まり最後は「グオオオオオオオオ!」というジェットエンジンの唸りになるのだ。その猛烈な爆風は30秒ほど続き、最後にひゅるるるというシッポを残して空に消えていく。これが数分おきに繰り返されていた。

 なんといえばいいのだろう? この風の吹き方はアルプスの山の稜線で喰らう強烈な突風とも、巨大台風の暴風圏で吹き荒れる重く密度の高い風とも違う。

「そうか、パタゴニアだ」

 はたと僕は気がついた。この断続的なジェット風は南米大陸のパタゴニアパンパスに吹き抜ける風にそっくりだった。

 僕は過去に何度もパタゴニアの烈風に痛めつけられた。もしこの風が森のなかに入ってきたら完全にアウト。テントごと何十メートルも吹き飛ばされ、大ケガをする。稜線に出なくて本当によかった。もしあのまま進んでいたらこの烈風の餌食になっていただろう。

 そこからは怖くて眠れなかった。テントの中で小さく丸まり震えながら風が収まるのを待った。

 山に登るとはこういうことだ。
 自分の力ではどうしようもない大きな力の前にひれ伏し、助けを乞うこと。
 己の非力を思い知ることだ。

 夜中になっても風は止まず、森は唸り続けていた。
 僕はテントの中で丸くなり、ただただ風が止むのを祈った。

 唸る風の中で途切れ途切れの睡眠をとった。風は午前3時頃に弱り始め、明け方に何処かへ去った。

 しかし雨は降り続けていた。あたりが明るくなりはじめたが、どしゃぶりは続いていた。小便に行きたくて仕方なかった。でもとてもテントから出る気になれない。それぐらい激しく降り続いていた。


ついに撤退を決意する

 7時になっても雨は止まなかった。この時点で撤退を決意した。この荒天で森林限界を超えるのは危険だ。山の稜線上であの風がやって来たら生命に関わるトラブルになる。そもそもこの雨では視界はまったく効かないだろう。そんな中を歩くことになんの価値も魅力も感じられなかった。

 9時までじりじりと待っていると、一瞬だけ雨足が弱まった。このすきに急いでテントを撤収をした。

 登りと比べれば下山は楽だった。木の葉がツルツル滑ったが、それにさえ注意すれば順調だった。雨は止まず、視界は効かなかった。ここまで雨が続くともう山に対する期待も後悔もない。
この4日間、視界はほとんどなかった。何もかもが雨煙に霞み、輪郭を失っていた。足元に寄り添う小さき者だけが、灰色の山に彩りを添えていた
 耳無川の音が聞こえてきたところで、後生大事に背負い続けた飲料水を捨てた。昨日苦労して登った崖をロープを伝って降り、懐かしいテントサイトに出た。岩の下に隠しておいた三脚や食糧を回収し、バックパックを降ろしてひと息つく。さて、これからどうするかな……。

「あれ……?」

 その時だ。僕はかすかな違和感をおぼえた。なにかがおかしい。一昨日泊まった時とは何かが微妙に変わっているような……。

「うわっあああ!」

 違和感の正体に気がついた瞬間、悲鳴をあげた。川だ。川幅がぜんぜん違う。水位が上がり流れががかわってしまっていたのだ。それだけではない。僕はおそろしいことに気がついた。

「は、橋がない!」
これは2日前に通ったときの写真だ。川には竹を束ねた粗末な橋が架かっていた。僕はそれを辿って川を渡ったのだが、その姿はもうどこにもなかった
 一昨日渡った丸太橋がどこにもない。流されてしまったのか、それとも水中に没しているのか。橋のあったあたりはどす黒い濁流がうねっているだけだった。あちこちで川が泡だっている。完全なホワイトウォーター。逆巻く渦が雨煙を飲み込んゴウゴウと狂暴な雄叫びをあげていた。

(やばい……)

 頭の中が真っ白になった。耳無溪合流のビバーク指定地はその名の通り2つの沢が合流した場所で、2倍の早さで水位が上がる。急がないと、このまま帰れなくなるぞ。

 いやな汗が全身から噴き出した。どこか渡れるとこはないか? 僕は河原を走り回り、岩を伝って反対岸に渡れそうな場所を探した。しかしどこも流れが急すぎてとても渡れそうにない。唯一可能性がありそうなのは、一昨日まで丸太橋がかかっていたあたりだった。

 渡るなら今だ。僕は徒渉を決意してすぐに準備を始めた。

 じつは過去に徒渉の方法を習ったことがある。アラスカのデナリ国立公園をソロトレッキングしたときに、パークレンジャーからレクチャーを受けた。デナリでは自然保護の観点から一切のトレイルがなく、川に橋もかかっていない。そこをどうやって渡るのか、入山前に全員がレクチャーを受けるのだ。

 徒渉の時にいちばん大事なのはバックパックのヒップベルトとチェストベルトを外しておくことだ。普通に考えると「揺れないようににしっかりと締める」と思いがちだが、まったく逆。もし徒渉中に転んでしまうとパックの重みで起き上がれなくなる。しかも流れの中では「頭を下流にして仰向けに転ぶ」ことが多く、そうなると鼻からすごい水圧で水が流れ込む。これがとても危険なのだ。

 だから転んでもすぐに(バックパックを脱ぎ捨てて)立ち上がれるように、ヒップベルトを外しておくのが定石なのである。同時にレインカバーも外しておく。これは徒渉中に水を孕んでアンカーになってしまわないようにだ。そしてトレッキングポールか適当な木の枝を用意する。これで水深を確認しながら進み、水深が腰を越えるようであればすぐに引き返す。またグローブか軍手をもっているなら手にはめる。これはとっさのときに岩を掴めるようにである。ちなみに靴は脱がない。そして中に水が入らないようにタイトに締め上げておく。これが基本だ。

 僕はこれまで沢登りやトレッキングで徒渉したことは何度もあるが、まさか自分の人生の中で、こんな荒れ狂う川を渡ることになるなんて想像したこともなかった。緊張で口から心臓が飛び出しそうだった。

「大丈夫。もし流されたって死にはしない」

 自分にそう言いきかせ、ほっぺたをひとつ張る。ブルッと一発武者震いをすると、僕はそろりと入水した。

 さいわい水温はそれほど低くなかった。これなら途中で身動きできなくなることもないだろう。トレッキングポールを濁流につっこみ、水深を探りながらゆっくりと歩を進める。

「大丈夫大丈夫。慌てるな慌てるな」

 流れの中程まで進むと水深は急に深くなり、股間あたりまで水に浸かった。すさまじいボリュームの水がグイグイと僕を押す。グッと踏ん張っていないと足元をすくわれそうだ。

「もう少し……。大丈夫。このまま行くぞ」

 僕は慎重に歩を進めた。河の真ん中に差しかかるとゴウゴウという轟音に包まれ、河が暴れる音以外なにも聞こえなくなった。まるで水中にいるみたいだ。でも集中していたので怖くはなかった。一歩ずつ前に出ること。水圧と体重のセンターでバランスをとり続けること。それだけを考え、僕は歩いた。

 ほどなく僕は対岸に渡りきった。足元には濁流ではなく、ねずみ色のザレ岩が広がっていた。

「地面だ」

 ほんの数分間の徒渉だったのに、永遠のように長く思えた。一歩一歩がやたらと遠かった。バックパックを地面に降ろすと、へなへなとその場にへたり込んでしまった。

下山した僕を待っていたものは……

 翌朝もまた雨だった。でももう荒天を嘆いたりしない。とにかく登山口をめざして歩き続けた。

「15k」と呼ばれるポイントまで下ると僕はスマホを取り出し、ビーターさんやナツミちゃんたち、そして双子の兄弟に無事であるとメールを打った。

「予定を1日繰り上げ、いま15km地点まで降りてきました。山はずっと雨だったけど、僕は無事です」

 すぐにナツミちゃんからレスが着いた。

「よかった!みんな心配していたんですよ!」

 仕事中にもかかわらず、連絡を待ってくれていたようだ。

「ちょっと待っていて下さいね。このあいだ話した王さんに電話をしてみます」と絵文字付きのメールが届く。

 しばらくするとスマホがシャリリーンと鳴って、再びナツミちゃんからメールが届いた。

「王さんと連絡が取れました! 今日は身体が空いているので迎えにいってくれるそうです。2時間後に林道の9km地点でピックアップしてくれます!」
 
 これを読んだときの喜びったら! 僕は雨の中で踊り出したくなった。

 シャリリーンと音がして、今度は双子の兄弟からメールが入る。
懐かしの柵欄(登山口)まで戻ってきた。登頂も周回もできなかったけど無事に下山しただけでガッツポーズが出る。登山というのは山に登ることだけじゃない。そんな気がする瞬間だった
「無事の知らせ、何よりです。クルマの手配は必要ですか?」
「大丈夫です。いまさっき王先生と連絡が取れました。ありがとう」
「困ったことがあったらなんでも言って下さい」

 シャリリーン。さらにうれしいメールが続く。ふたたびナツミちゃんだ。

「清泉橋から20kmほど南に下ったところに環清宮というお寺があります。今夜はそこに泊めて貰えるように頼んでおきました」

 そのお寺には参拝者用の宿泊施設があり、1泊200台湾ドル(約630円)で泊まれるそうだ。

「環清宮までは王さんがクルマで送ってくれます。熱いシャワーと洗濯機が待っていますよ!」

 ああ、なんて親切なんだろう。
 お礼のメールを入れ、ほっこりした気持ちで歩き出す。もう降り続く雨も苦ではない。

 ピョーン。清泉橋のお母さんからはLINEが入った。

「ほんと無事でよかった!」

 跳ね回るパンダのスタンプが画面に現れた。10日の昼に僕と別れたあと山麓の村でも毎日毎日激しい雨が続いた。あまりの大雨に心配になったお母さんは、地元警察に僕の捜索願いを出しに行ったという。

「でも警察の人が“頼りがないのは無事の証拠”って言ってなぐさめてくれて、なんとか納得して待っていたの。だからこうして無事に降りてきてくれて本当によかった!」

 スタンプのパンダはうれし泣きをしていた。
 うれし泣きをするのは、僕のほうだ。

大丈夫。台湾の人たちは、超絶に親切だ

 9km地点に僕を迎えに来てくれた王先生は良く日焼けしたオジサンだった。クルマは昔の三菱デリカを改造したえぐいヤツで、深い轍も底なしのぬかるみもへいちゃらだった。しかし「登山者相手の白タク稼業」というのはどうやら仮の姿で、本当は地元の有力者らしい。僕らをお寺に送り届けるとそこに置いてあった自家用車のポルシェ・カイエンに乗り換えて何処かへ消えてしまった。僕らの隣国はなかなかミステリアスだ。

 お寺の宿舎でシャワーを浴び、表の水道で泥だらけの登山靴と、雨の臭いが染みついた汚れ物をザブザブ洗った。あてがわれた個室には16人分の二段ベッドが並んでいたが、僕はそこに細引きを張り巡らせてすべての洗濯物を干した。もちろんずぶ濡れのテントと湿った寝袋も。部屋中に雨の臭いと川の臭いが充満して、僕はまだ山の中にいるような気持ちになった。

 ベッドは硬かったが、ここは天国だった。寝返りを打っても水たまりに落ちないし、トイレに行くときにレインウェアを着込む必要も無い。雨はまだ降り続いていたが、雨音はここまで届かなかった。洗った髪を乾かすまもなく、僕は深い眠りに落ちた。深い深い眠りだった。

 翌日、窓から差し込む朝日で目が覚めた。太陽の光って、こんなに眩しいんだ。窓を開けると青空が広がっていた。それは夢にまでみた南国の青空だった。

 洗濯物をバックパックに詰め込み、帰り支度を整えると宜蘭行きのバス停に立った。山を仰ぐとクッキリとした稜線が見渡せた。空はどこまでも高く、雲はキラキラと輝いている。帰途についたとたん晴れるなるなんて運がないが、なぜか僕は満足していた。山行は散々たるものだったが、僕は素晴らしい旅をした。

 僕はこれまでたくさんの国々を旅してきた。地球はもう4周半ぐらいしている。そしていろんな土地でいろんな人に助けられた。

 どこへ行ってもみんな親切で、僕はいつもいつもありがたさで胸をいっぱいにして帰国する。

 でも、正直に言おう。

 こんなに、誰もが、ここまで、親切にしてくれる国は初めてだ。もちろん山の中ということもあるだろう。野宿の旅ということもあるだろう。でも、それにしても驚いている。台湾の人たちのやさしさは尋常じゃない。

 日本人です、と言った瞬間から前のめりで、大きな笑顔で、両手を広げて助けてくれる。忙しくても、疲れていても、急いでいても、必ず立ち止まって話を聞いてくれる。自分たちもずぶ濡れで疲労困憊してるのに(もし僕が7泊8日の大縦走を終えて下山中だったら、しかもどしゃぶりで日没が迫ってたら、絶対に立ち止まったりしないだろう)まるで小さな子供が迷子になってるのを見捨てられないように、まるで親友のためにあれこれ世話を焼いてやるみたいに、心を向けてくれるのだ。

 山の中だけじゃない。台北でも宜蘭でも街中でも食堂でも駅でも路肩でもたくさんの人が僕に声をかけ、支えてくれた。いまこうして思い出すのは、台湾のひとたちの笑顔ばかりだ。

「ジュンさん、なんの心配もいらないよ。台湾の人たちは超絶に親切なんだ。ちょっと信じられないぐらいね」

 入山申請に四苦八苦していたころ、台湾好きの友人にそう言われたことがある。最初は何をいっているかわからなかったが、いまの僕は100%同意する。そしてもし台湾を旅したいと思っている人がいたら、まったく同じ言葉をかけると思う。

 僕らは隣国のことを知らなすぎる。こんな近くにこんな山深い自然があることを。こんな近くにこんなやさしい人たちがいることを。
 
 もし君がどこか海外の山を登ってみたい、バックパックを背負って旅をしてみたいと考えているなら、隣国台湾をおすすめする。山は深く道は険しいけれど、必ずいい旅になるはずだから。

 我答應。約束します。
 


 

 では、具体的な台湾登山の入山手続きや今回旅した台湾の地図、相棒バルトロについてなど旅の役立ち情報を公開!


完全保存版!! 台湾登山への道 かなり長いぜ、心してかかれ!
 今回僕が向かった南薯峰は百名山の中でも難易度の高い山域だったけど、それ以上に大変だったのが渡航までの日々。登山計画の立案と入山許可の申請手続きが超タイヘンだったのだ。でもじつは手順さえ踏めば誰でも乗り越えられる山だった。ここでは僕が実際に行ったアレコレを再現してみよう。

山をどう決め、どう情報を得たか
 最新の情報を収集するならやはりインターネットが一番。地名や山域を漢字検索できるので、僕ら日本人は西欧人よりかなり有利だ。

■「登山補給站」は台湾版のヤマレコのようなサイトで情報収集の第一歩。「登山行程記録」というコーナーには最新の山行記録がどんどんあがっている。

■台湾の山やその他フィールド、植物などの情報が集約されている「台湾生態旅游」もおすすめ。山の写真がたくさん掲載されているので「この景色を見てみたい」というような直観で行き先を検討できるのだ。

■絶対に手に入れるべきなのが上河文化股份有限公司が発行している「台灣百岳導遊圖」だ。サイズも使い勝手も日本の「山と高原地図」にそっくり。全20冊あり、百名山の1/25000地形図が全山網羅されている。コースタイムやキャンプ地の情報が載っていて、地図のほかにエリアガイドがセットになっている。台北へ旅行にでかける友達がいれば買ってきてくれるように頼んでみよう。僕は台北の「台北山水」にメールを出し、取り置きをしてもらった。

■ニシ・ユタカさんがまとめたネット上の「台湾百岳全路線図」はコースタイムの確認や情報の書き込みに使った。このタイムは上河文化股份有限公司のものに準拠しているようだが、かなり健脚向けの設定だったので、1.5〜2倍くらいの時間で考えるとよさそうだ。

台湾百名山の等級リストと
登山の申請に関する規定例

これはネット上でも閲覧できる「雪霸国家公園生態保護区の登山ルートの等級別入園申請に関する規定」の日本語PDFだ。
A、B、C、C+、D、E 級からなる台湾百名山の等級リストのほか、入山のルール(山の等級ごとに必要な経験値や同行メンバーが異なる)、その他「単独登山申請許諾書」も付属している。単独登山の場合は保険への加入や定期的な家族への安全報告なども義務づけられている。
ちなみに、今回僕がめざした南薯峰(じっさいは行けなかったが)は等級C+。C+は3人以上で入山すること、また過去にB級・C級ルートに登っているという登山経験証明書が必要だったとあとで知った。なんで僕の申請が受理されたのかいまだナゾである


台湾登山 申請手続き流れ
 台湾にある8つの国家公園(国立公園)のうち、山岳エリアである「玉山(ギョクザン)国家公園」「雪霸(セイパ)国家公園」、そして今回訪れた「太魯閣(タロコ)国家公園」の3ヶ所は各公園管理所が監督と入山者のコントロールを行なっている。3つの国家公園の大部分は生態保護区、山地管制区。登山ルートの大半はそのなかを通るため、登山者は入園(入山)許可の手続きが必要となる。

 手続きの方法は「台湾の公園管理所窓口での申請」「郵送やファックス」「オンライン申請」の3つがあるが、僕ら外国人はオンライン申請が便利だ。

 2015年11月より上記3つの国家公園の入園申請システムが統合され、一本化したオンライン申請サイトで手続きや情報の閲覧などができるようになった。
台湾国立公園入園オンライン申請サイトのTOP画面。オンライン申請のほか、各国立公園の登山道の最新情報や各公園の登山ルール、書類のダウンロード、山小屋とキャンプ地の空き状況と抽選結果などが確認できる。右上の「日本語」を選択すると日本語で表示される情報もいろいろある。
 今回は僕が訪れた「太魯閣国家公園」を例に申請手順を説明しよう。

 各公園によって少し勝手が違うようだが、基本的なルールや手続き内容は同じだ。なお、玉山と雪霸は日本語表示があったが、今回訪れた太魯閣は英語と中国語のみ。僕は地名を漢字で読めることなどの理由から、中国語表記で手続きを行なった。英語版は地名の発音がわからないとチンプンカンプンなのだ。

 太魯閣国家公園の主な手続きの流れは以下だ。

■オンライン申請サイトで宿泊(山小屋・キャンプ地)の空き状況を調べる。

■オンライン申請サイトから隊のリーダー(隊長)が入園申請する(1ヶ月〜7日前まで。玉山は2ヶ月前から受付)。

■処理されるまで待機。

■申請の際に取得したチーム番号を専用ページへ入力し、申請状況を調べる。

■入園定員の条件が合えば入園許可が出る。

■「入園許可証」を2部プリント。

■さらに今度は台湾の警察へオンラインで「入山申請」を行なう。

■許可が出たら「入山許可証」と「メンバーリスト」をプリントアウトし、入園許可証と一緒に携行する。

 
今回実際に行なった具体的な申請

台湾国立公園入園オンライン申請ホームページ
①右上の「入園申請」から「入園線上申請」へ進み(線上とはオンラインという意味だ)、太魯閣国家公園をクリック。

②インターネットの翻訳ツールを駆使しながら、規則を熟読する。同意したらチェックボックスに✓を入れ「我同意」ボタンをクリック。
申請者はメンバーの情報や登山計画を把握すること、虚偽の内容を記入したり不正な情報を用いないこと、台風や森林火災などの発生時に発令される入園許可の取り消しに従うこと、充実した装備や経験の必要性、環境保護について……などが記載されている。ちゃんと全部読まないとダメだぞ!(オレも読んだ……はず………)

③ここからが実際の記入ページとなる。いっぱい入力あって大変だぞー! でも途中でやめてあとで続きを書く「下書き機能」もあるから、必要な情報をしっかり調えながら進めよう(一番下にある「儲存草稿」というボタンがソレだ)。
①の路線行程規劃は「登山プラン」、②申請人資料は「申請者情報」、③領隊資料は「リーダー情報」、④隊員資料は「メンバー情報」、⑤留守人資料はそのままだな

④路線行程規劃にはどの日にどこまで歩き、どこで宿泊するかといった明確な登山プランを入力する。入力といってもプルダウンメニューに表示される地名や項目からどんどん選んでいけばいい。このページの入力は慣れが必要で、僕も完成させるまで何度もやりなおした。なお、登山道が通行止めになっていたり、入山定員に達している場合はプルダウンメニューに地名などが表示されないので、ルートや日程を変更することになる。
①はどのエリアを歩くか。②は何日をかけるか。「天」は「日」の意味だ。③いつ入山するか。太魯閣は1ヶ月前から申請できる。④各日の行動を明記。⑤利用する宿泊予定地を決める。定員で埋まっている場合は選べず、日程を変更することになる。⑥衛星電話とは日本と同様の衛星電話(サテライトフォン)のこと。無線電頻はトランシーバー。いずれも任意の道具だ

⑤申請人やメンバー情報を入力したら、難関は「留守人資料」だ。緊急時につながる台湾国内の電話番号と、緊急連絡先の人物の台湾IDが必要となる。この人物をどうやって見つけるかが台湾登山の最大のポイントだと思う。なお、衛星電話は所持している場合のみ記入すればいい。
玉山国家公園の申請は、台湾在住の外国人のパスポート番号でも申請が可能のようだ

⑥申請が処理されるまでしばし待機。山小屋・キャンプ地が定員に達した場合でも5日間キャンセル待ちが保持される。なお、メンバーや人数に変更が出ても申請は継続できるが、隊長が参加できなくなった場合は申請は問答無用でキャンセルとなる。

⑦申請が通ったかオンラインで自ずから確認をする。処理には5日ほど要するようだ。
右上の「入園申請」>「申請進度查詢」で自分の申請がどうなっているかを調べる。検索に必要なのは、申請後メールで送られてくる個別の「申請番号」と申請者の「パスポート番号」

⑧初審、複審を経て「核准入園(入園を承認)」ついにキターーーーーーー!!!

⑨「入園許可証」をダウンロードし、2部プリント。これで晴れて台湾の山へ自分たちだけで登れるのだ!

……と思ったらまだ甘かった。な、長いぜ!

⑩さらに、台湾の警察の「入山案件申辦系統」で「入山許可証」の申請をする。以前は郵送か現地申請のみだったので、これでもかなりラクになったらしい。だからツベコベいわず前に進め! こちらも入山5〜30日前の申請が必要だ。
「入山許可證申辦作業」から入り、①個人情報取り扱いの注意点などに「同意」し、②外国人を選択しパスポート番号を記入。③英数字のコードを記入し、④「不使用自然人憑證」をクリック
必要事項を明記し申請すると、しばらくして「入山許可證審核通知」という通知がメールで届くので、添付された入山許可証とメンバーリストを2部ずつプリントアウトして終了!

⑪登山口に設置されたポストに「入園許可証」「入山許可証」「メンバーリスト」をセットで投函。あとは登るだけだぜ! ちなみに……。僕が今回入った山はマイナールートだからか、登山口にはポストが設置されていなかった。こんなにがんばって手続きしたのに……(T_T)

 なお、入山のルールや手続きの方法などは必要に応じて随時更新されているようだ。上記内容は僕が手続きをした2016年5月現在のものとし、台湾登山を検討している人はこれらを参考にしながら各自最新情報を調べてみてほしい。

台湾Backpacking map

 台湾で実際に立ち寄ったフィールドやアウトドアショップ、スーパー、飲食店など、さまざまな旅の情報を落とし込んだオリジナルの地図をAkimamaスタッフが用意してくれた。スマホやタブレットにGoogleマップが入っていれば、自分がいまいる現地情報と合わせて台北や宜蘭で地図を使うこともできる。また右上の□マークからは拡大地図へ移ることもできる(これはPCの方が見やすい)。今回はGPSの軌跡が一部うまく取り出せなくて、山中の行程記録が未完成になっている。

旅の相棒 Gregory バルトロ65

 歴代のトリコニとバルトロを愛用してきたが、バルトロの現行モデルは快心のできだ。これまでの2カ国の記事内で解説してきた背負いやすさやフレームの完成度のほか、細部もよく作り込まれている。たとえば正面に逆U時型のジッパーが備わっていて、ダッフルバッグのように大きく開口できるのもよかった。狭いテントの中で荷物の整理をするのにこれがとても便利なのだ。ほかにも正面ポケットに内蔵された専用レインカバーや左右2気室になった天蓋ポケット、不要なときには取り外せるボトムのストラップ、カメラやスマホを安心して入れておける防水構造のウエストポケットなど気の利いた工夫が満載。今回も山ではひどく雨にやられたが、付属の大型レインカバーのおかげで風雨から荷物を守ることができた。じつはこの「バルトロ65」は台湾でもベストセラーを続けていて、今回もたくさんの“同胞”に山で会った。


サイズ: S、M、L
容量: 61L(Sサイズ)、65L(Mサイズ)、69L(Lサイズ)
重量: 2,200g(Sサイズ)、2,300g(Mサイズ)、2,369g(Lサイズ)
カラー: ネイビーブルー、スパークレッド、シャドーブラック
価格:42,120円(税込み)

 

(文=ホーボージュン、写真=中尾由里子)


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