line_box_head

すぐそこにある外国! ホーボージュン「オホーツクの風と謎だらけの巨大島サハリン」後編

(2017.08.21)

登山のTOP

icon

三角標と地上の星

 最後の急登をヒーヒーいいながら登り詰め、午後2時35分、僕はジュダンカ山の山頂に立った。4人でハイタッチを交わし記念写真を撮る。
 畳1枚ほどの狭い山頂にはロシア正教の十字架である八端十字架(ロシア十字)が建っていた。僕ら日本人には見慣れない十字架だが、上の短い横棒は頭部を固定するのに使い、下部の横棒は足台を表し、それが斜めなのはキリストと共に磔刑に処された2人の盗賊の死後を表現している。ソ連時代にはロシア正教は苛酷な弾圧を受けていたからこの八端十字架もソ連崩壊後に建てられたものだろう。北海道のすぐ隣の島にいるというのに、なんだかひどくエキゾチックな気持ちがした。

 ふと十字架の根元を見ると、そこには日本の山で見慣れた石柱がのぞいていた。

「あっ!三角点だ」 石灰岩を切り出した石柱の頂部には登山者が残した賽銭が積まれていたが、それをかき分けてみると見慣れた十字の切り込みが入っていた。そして側面には「一等三角點」と漢字で掘ってある。おそらく日本統治時代に参謀本部陸地測量部によって設置されたものだろう。

 この三角点を見た瞬間、僕の脳裏はまた『銀河鉄道の夜』のことでいっぱいになってしまった。なぜなら山頂の十字架が僕には「三角標」に思えたからだ。

 じつは『銀河鉄道の夜』には「三角標」という言葉が何度も繰り返し出てくる。三角標というのは測量の時に三角点の上に組む木の“やぐら”のことなのだが、宮沢賢治はなぜかこれを“星”の暗喩として使っているのだ。たとえば「天の川」や「さそり座」の風景を賢治はこんな風に描いている。

 百も千もの大小さまざまの三角標、その大きなものの上には赤い点点をうった測量旗も見え、野原のはてはそれらがいちめん、たくさんたくさん集ってぼおっと青白い霧のよう(中略)でした。

「そうだ。見たまえ。そこらの三角標はちょうどさそりの形にならんでいるよ。」

 ジョバンニはその大きな火の向うに三つの三角標がちょうどさそりの腕のように、こっちに五つの三角標がさそりの尾のようにならんでいるのを見ました。
(宮沢賢治『銀河鉄道の夜』より)

 いったいどうして賢治が星を三角標と呼んだのかは今も大きな謎なのだが、僕は広い空の中でこの三角点を見つけたとき、不思議とこの暗喩がスッと心に馴染んだ。

 そしてもし山頂のこの三角点がひとつの星だとして、そしてさっき登ったヴアディミロフカ山頂がまた別の星だったとしたら、宇宙を走る銀河鉄道の窓からはどんな風に見えるのだろうかとひとり想像を巡らせたのである。

 やっぱり「ドラゴン座」なのだろうか?
 それとももっともっと巨大な星座のほんの端っこの部分なのだろうか?

 もし昨日テントを張った浜が星だったら、
 もしゴマフアザラシの岩礁が星だったら、
 もし海岸に残された神社が星だったら、
 もし僕がこうして訪ねる旅先のひとつひとつが星だとしたら、
 それを繋ぐといったいどんな星座になるのだろうか。

「あっ、そうか……!」

 この瞬間になにかがストンと腑に落ちた気がした。

 旅というのは地上に星座を描くことなんだ。

 自分が旅して感動した場所、楽しかった場所、きつかった場所、なにかを受け取った場所、なにかを失った場所、いつかまた来ると誓った場所、もう二度と来ることは叶わない場所に、思い出を埋めるように三角標を建てる。そうやって地上を歩き続け、地表に星を刻み続ける。そして自分にしか描けない大きな星座をこの地上に描くのだ。

 いったいこれまでどんな星座を描いてきたのか、この先どこへ行き、いくつの三角標を建てるのか自分でもよくわからない。

 でもこんなすごい光景を目の当たりにできるなら、きっと僕はこの先も旅を続けて行くに違いない。「さあ、そろそろ出発しようか。帰路も大変だぞ」

 セルゲイさんの声に押され、僕は出発の準備に取りかかった。トレッキングブーツの紐を結び直し、バックパックのハーネスを絞り上げる。尻についた泥を払い、トレッキングポールを握ったらあとは一歩を踏み出すだけだ。

 銀河鉄道に乗れなかった僕は、自分の足で歩くしかない。
 そして自分の足でこの星に、自分の星座を描いていくのだ。
 
 好奇心と衝動から始まったサハリン冒険旅行は、想像だにしなかった展開を見せた。ロシア語に四苦八苦しながらもこの島の地政学を学んだ。過去の戦争が引き起こした悲劇と引き裂かれた民族史を知った。国家とは何か、国境とは何かを考えた。海獣と野生動物の息づかいを感じ、ディープな自然に胸を打たれた。ツンデレに翻弄され、直登に悩み、見たことのない絶景に抱かれた。

 ほんの短い旅だったけれど、この地に来てよかったと僕は思う。たくさんの三角標を僕はサハリンに建ててきた。

 最後に一度、山頂の十字架をふり返る。
 午後の低い陽光を反射して、それは星のように瞬いていた。<文=ホーボージュン、写真=田島継二(Heart Films)>

次ページでは、今回ガイドを頼んだセルゲイさんの「ADRENALINE TOUR」情報や、その他旅のお役立ち情報を公開しています!

サハリン前・中編、その他「Real Backpacking」の記事はこちらから

1 2 3 4 5
 
 
ライター
ホーボージュン

全天候型フリーライター。6,000mの高所登山からシーカヤックの外洋航海まで、フィールドとスタイルを問わない自由な旅を続けている。『山と渓谷』『ビーパル』『PEAKS』『Field Life』などアウトドア各誌で連載中。公式Twitterアカウントは「@hobojun

line_box_foot