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知床自然大学院大学設立財団が事務局職員を募集! 世界自然遺産の防人となる人材を育成

2025.01.16 Thu

藍野裕之 ライター、編集者

求む男子。至難の旅。僅かな報酬。極寒。暗黒の続く日々。
絶えざる危険。生還の保証なし。
ただし、成功の暁には名誉と称讃を得る。

これは、およそ100年前、探検家のアーネスト・シャクルトンがロンドンタイムスに出した「南極探検乗組員募集」の求人広告だ。今年は知床が世界自然遺産に登録されて20周年。国内最北の登録地に日本の自然保護を担う人材育成に向け、地域の有志らが立ち上げた財団がある。それが知床自然大学院大学設立財団である。この団体が今、シャクルトンが同志を募集したかのように⁈ 専任事務局職員を一般公募している。記念すべき年に未来に向けたガバナンスの強化を図ろうというのだ。年齢不問で募集は1名。財団が求める人材像をふたりの理事に聞いた。我こそは北の大地で日本型自然保護の防人とならん。そんな熱い思いを持つ者はいないだろうか?

求めるのは財団の事務局機能を高められる実務家

 知床自然大学院大学設立財団は、北海道・斜里町を本拠にする公益財団法人である。現在、東京農工大学名誉教授の梶光一さんを代表理事に、4名の業務執行理事と2名の事務局職員が中心になって事業を進めている。ほかに要所要所で運営に参加、または助言を行う評議員、理事などの役員は総勢24名。今回の公募は事務局職員1名が退職したことで、設立以来初めて行われることになった。梶さんは求める人材についてこういう。
ネイチャーキャンパスで参加者に説明を行なう梶光一代表理事(ニュースレターNo.31より)
「まず、私たちの財団の設立主旨に共鳴してくださる方ですね。これまで勤めてくれていた方は、大学院博士課程に在籍しながら博士論文のための研究と財団事務局の仕事を両立していました。その彼がめでたく昨春から大学教員になり退職したため、事務局機能をさらに強化できる専任職員の採用に踏み切ったんです」
斜里町にある知床世界自然遺産センター
 公益財団法人は公益性の高い社会貢献事業を行う民間の非営利法人だ。知床自然大学院大学設立財団は、その名の通り大学院大学の設立を目指して設立された。2013年、一般財団法人として設立し、翌年には公益認定を受けた。代表理事の梶さんはもとより、役員には大学教授を長く経験した人のほか、環境省、民間自然保護団体、公立博物館、大手新聞社などで社会貢献事業に携わってきた人々が名を連ねている。ただ、経験豊富で有能な人材がいるだけで組織が良好に運営できるわけではない。会計処理、関係団体との折衝、事業の運営と広報などを、明確な指針を打ち立て迅速に実装していく優れた実務家がどうしても必要となる。今回、公募する専任職員はそうした仕事を行うことのできる人材である。年齢は不問。4年制大学卒業、あるいはそれと同等の学識を持つ者という採用の条件だ。
 フルタイムの専任事務局職員の公募は設立以来初めてだという。世界自然遺産登録20周年を期した並々ならぬ意気込みを感じる。では、組織強化に向けたキーマンとなる事務局職員が実際に携わる仕事の具体的な領域とはどんなところか。知床という土地、梶さんがまず共鳴してほしいという「財団の設立主旨」を紐解きながらお話を伺った。
ヒグマの目撃例の多い岩尾別川の清流
ワイルドライフ・マネージャーを養成する専門職大学院

 知床が国内3番目の登録地として世界自然遺産に登録されたのは2005年。屋久島と白神山地の登録から12年後、その際に先行登録地にはなかった新しい仕組みが導入された。もっとも大きかったのは科学委員会の創設だろう。環境省が、地域や自然科学に精通する専門科学者を集めて保護と利用を両立させるための助言機関を設置したのである。科学委員は時代に合わせて入れ替わり、補充も行われた。やがてこの科学委員会は屋久島と白神でも組織化され、知床の後の小笠原諸島、沖縄島北部・奄美大島・徳之島・西表島では登録当初から設置されるにおよんだ。まさに「知床モデル」として日本における世界自然遺産の運営、管理の手本になったのだ。前出の梶さんは大型哺乳類、とりわけ北海道のヒグマ、エゾシカを中心に研究を続けてきた。専門は野生動物管理学、ワイルドライフ・マネージメントである。

「私は東京の下町で生まれ、高校卒業までそこで育ちましたが、北海道大学に進学したんです。そして、できたばかりのヒグマ研究グループ、通称クマ研に入りました。以来、北海道の原野が学びと遊びの場になったんです。私が学生だった1970年代というのは、それまでの狩猟圧もあってヒグマが減っていた時期で、なかなか出会えませんでした。大学院に進んでこれでは論文が書けないと、研究対象をエゾシカに替えたんです。その頃、標津町の猟師さんにお世話になりながら、その後長くお付き合いすることになる知床を訪ねるようになりました。すると、野生動物保護の時代を迎え、一度は絶滅した知床岬でもエゾシカの群れが見つかったんです。急増したエゾシカは厳しい気象と植生との関係で大量死が起こりました。このように、狩猟の時代から保護の時代への変化、人口減少など、野生動物の動向は、人の暮らし、自然保護に対す意識の移り変わりに深く影響しているんです。そのうえ現代は地球規模の環境危機に直面し、人の暮らし方の変換が迫られています。そんな時代にあって、野生動物の管理計画を立て実装していくワイルドライフ・マネージャーという専門職の養成が急務になりました。世界自然遺産5地域のような原生自然だけではなく、ニホンイノシシ、ニホンジカ、ニホンザルの棲む里山も同様です。環境省はもとより、国や地方自治体のほか、自然保護関連の民間団体がワイルドライフ・マネージャーを抱えなくてはいけない時代なんです。そんな人材を養成する専門職大学院大学の設立が私たちの目指すところです」
羅臼平のキャンプ指定地にあるフードロッカー
草の根で続けてきた自然保護活動の延長が大学院大学の設立

 梶さんが長く奉職した東京農工大学に2022年、野生動物管理教育研究センターが設置され、そこと連携する大学も少しずつ増え、時代の要となる人材の育成はにわかに始まっている。ただ、世界自然遺産登録地に人材養成機関はまだない、その実現を目指してきたのが知床自然大学院大学設立だが、そもそもどんな経緯で財団設立となり、自然大学院大学というが、どのような機関を目指しているのか。業務執行理事のひとり、鈴木幸夫さんに聞いた。鈴木さんは大手新聞社で環境関連の企画や社会貢献事業の運営業務にも携わった。在職中から知床に関わり、自然大学院大学設立に手弁当で参画。退職後、業務執行理事として活動に本腰を入れるようになった。早稲田大学の伝統ある学生団体、生物同好会のOBである。
岩尾別台地でのエゾシカ管理の実習の様子(ニュースレターNo.32より)
「知床に自然大学を、とういう構想は1986年に第3次斜里町総合計画に盛り込まれたのが発端です。以後、第4次、第5次と引き継がれていきましたが、斜里町は小さな地方自治体ですから、構想のすべてを町が抱え込むのは無理がありました。そこで、民間で協議会を作り、それが発展して財団になったわけですが、民間財団になって国や地方自治体だけでなく民間企業の支援も受けやすい体制になったんです。このように当初は行政主導で大学設立が目指され、それが民間主導で引き継がれて検討、討議を進めていった中で、国の教育制度に改革が起こりました。2004年に専門職大学院制度が創設され、法科大学院を皮切りに各分野で続々と生まれていきました。専門職大学院は、一般の大学院が研究に主眼を置くのに対して実践教育を重視するプロフェッショナル・スクールです。知床の大学構想もこちらへシフトしていきました。 天然のサケマスの遡上が見られるルサ川
 世界自然遺産の登録にあたり、地元地域での自然保護活動の実態も評価対象になりますが、知床では、行政、民間とで草の根的に始めた活動の長い歴史があります。代表的なのものが「しれとこ100平方メートル運動」です。まだ開発か保護かで対立が激しかった1977年に始まったもので、乱開発の危機にあった知床半島の離農地を買い取る呼び掛けを全国に向けてしたんです。100平方メートルあたり8000円が一口の寄付でした。そして33年かけて離農地のすべての買い取りに成功しました。これは日本で最初のナショナル・トラストです。大学構想には、この運動を支えてきた人が加わっていきました。そういう意味では、ワイルドライフ・マネージャーの養成機関は、知床の自然保護運動の延長線上にあり、当財団の年配役員の中には自身の活動の総仕上げと考えている方もいます」
岩尾別川でサクラマスの天然遡上のための手作り魚道を見学(ニュースレターNo.32より)
 他の世界自然遺産登録地では近接する国立大学が研究教育拠点になってゆけるが、なにしろ北海道は広い。たとえば札幌の北海道大学から知床まで約600キロもある。東京・大阪間に匹敵する距離だ。これでは不便きわまりない。そこで知床にという発想になるのは自然な流れではあるが、「地の涯」とも称される地に自前で創設する構想を支えてきたのは、やはり関係者の熱意である。
 鈴木さんによれば、大学構想の中で必修カリキュラムの多さから大規模な校舎の建設も想定せざるを得なくなり、必然的に想定する予算規模も膨大になり、それが行政主導では「不可能」とされる理由になったそうだ。しかし、ワイルドライフ・マネージャー養成のための専門職大学院となれば、知床の原生自然そのものが主たる学び舎となり、座学や実験室の場は斜里町内にある既存の建造物の利用をすれば良い。教員確保については環境省が任命した知床世界自然遺産科学委員を中心に、すでに財団役員を務める専門科学者の顔ぶれを見ると大きな不安材料はないだろう。
日本の最北東端、相泊から望む根室海峡

すでに試験的な教育活動は始まり、専任事務局職員はその運営も担う

 じつは、知床自然大学院大学設立財団では、すでに試験的な教育活動を実施しているのだ。財団設立と同時に、その広報活動も兼ねてフォーラム、講演会、オンライン講座を行い始め、2016年からは「知床ネイチャー・キャンパス」と称し、座学2日間と現地での実習3日間が組み合わされたカリキュラムを進めているのである。2018年にはいちはやくオンライン講義も取り入れた。筆者は2022年に行われた知床ネイチャー・キャンパスに参加した。その年は「リカレント」と銘打ち、すでに自然保護の現場で働いている人の学び直しに主眼が置かれ、環境省のレンジャー、日本自然保護協会のネイチャー・アクテビィストのほか、環境コンサルティング会社の経営者、森林再生事業を行う民間団体の職員など参加者は多士済々だった。
 そんな参加者に向けたカリキュラムは本格的だった。座学では知床を研究地にする全国各地の大学教員が招聘されて講義を行った。しかも、講師陣の専門は森、海、それらをつなぐ川の野生動物だけでなかったのである。自然保護政策、河川工学、人間による自然利用を考える領域など多岐にわたった。実習では世界自然遺産地域の政策実施団体である知床財団や知床ガイド協会からも実践者が駆けつけてくれた。
「管理とは自分たちの都合で他者をコントロールする意味合いが強い。一方のマネージメントは野生動物と人間のように相手の存在が自身の生存と矛盾するような関係の調整です」、「自然保護政策の推進に際して地域住民との合意形成に重視すべきなのは、議論の質だけでなく議論の量です」といった講師の発言が強く印象に残った。そして、参加者の中の2名が受講後の年度末、知床財団に就職していったのだ。この報せには同級生の栄転のような思いが込み上げ、思わずSNSを通じてエールを送った。筆者が参加したリカレントからは社会人教育の可能性を感じ、自然大学院大学の設置となれば、関連学部卒業後、すぐに進学する若者への教育と両輪で運営されることを願った。
 こうした実施され続けている試験的なカリキュラムの企画と運営も、今回募集の専任事務局職員の重要な仕事であると梶さんはいう。
羅臼町にある知床世界遺産ルサフィールドハウス
「ワイルドライフ・マネージメントは、保護活動によって増えすぎた動物に関することだけではもちろんなく、希少種の保護も領域です。知床は沿岸海域も世界自然遺産の構成資産になったのが日本初のことでした。ヒグマを頂点にした陸生動物、彼らの棲む冷温帯性落葉広葉樹林と亜寒帯性常緑針葉樹林にはさらに、オオワシ、オジロワシ、シマフクロウなどの希少な鳥類もいる。また森から流れ出す川にはシロザケ、サクラマス、カラフトマス、オショロコマなどサケ科魚類が回帰し棲息する。彼らが降りていくオホーツク海は流氷の南限でもあり、各種のクジラ、シャチなどの海洋性哺乳類、そして彼らの生存を支えるさまざまな魚類が生息しています。まさに知床は海域、河川、陸域の生態系を有しており、生物多様性の宝庫です。そこに自然大学院大学を創設したいと強く思っています。
 また、科学委員会が初めて設置されたのも知床ですが、世界自然遺産に関連して『知床モデル』といわれるようになった要素は他にもあり、いちばん大きなことは構成資産の海域での漁業を認めたのも重要なことでした。登録前の議論から『保護と利用はじゃまし合わない』という考え方で、地元との方々と議論を重ねる中で合意形成されていきました。日本の自然は、原生自然と里山、里海などで濃淡はありながらも、人間の関わりがない土地はないといっても過言ではありません。ですから、日本型の自然保護を大きな視点で捉えれば『使いながら守る』ということになる。それを世界自然遺産の政策に実装したのも知床が初めてでした」
昨年9月に行われた第2回知床世界自然遺産地域科学委員会の会議
 梶さんがいう「保護と利用の両立」に関し、昨今では地元住民だけではなく遠方に暮らし、その地に愛着を持つ利用者も議論に加わりつつあるという。国立公園となれば日本の全国民に享受と利用の権利はあり、世界自然遺産となればそれらの権利は全世界の人々にあるといってもいい。しかし、権利を有するからには義務もあるわけで、国立公園や世界自然遺産への義務は何かといえば、環境の保全に責任を持つということにほかならない。
 知床では登録当初から科学委員会に「利用」に関するワーキンググループが設置され、エコツアーやアドベンチャーツアーの関係者も議論に加わってきた。そんな折、昨年には環境省が知床半島先端部に携帯基地局の建設を決定したことに対する反対運動が起こった。観光船の沈没事故で多数の人命が失われたことが契機となり、漁業従事者からの要望も踏まえた電波環境の改善を目指すというものだったが、ユネスコへの報告も科学委員会への報告も工事計画決定後であったことから、各方面から計画の見直しを求める意見が上がったのだ。地域外からの利用者の意見を代弁する団体として日本自然保護協会をはじめ、アウトドア関連企業の連合によって組織されるコンサベーション・アライアンス・ジャパン(CAJ)などが意見書を他団体と共同して作成し、環境省へ提出した。こうした活動の結果、環境省も合意形成や自然環境調査が不十分だったことを認め、代替案も含めた計画の見直しの議論から始めることになったのだ。 羅臼岳山頂から遙か国後島を望む
 「保護と利用の両立」という主題にたどり着いただけでなく、現代の日本は「保護と開発の対立」の時代から、「広い参加者で共同して維持を考える」時代にシフトしているのである。知床自然大学院大学設立の計画は、さらにその先の日本の自然保護を担う人材を育成する計画だ。遠隔地勤務も辞さず専任事務局職員への応募者の登場を待ち望むとともに、その存在を多くの人に知らせて財団支援の方策を一緒に考えていきたい。(写真協力:知床自然大学院大学設立財団)

※専任事務局職員の募集要項は知床自然大学院大学設立財団のホームページに掲載されています。詳しい募集要項はコチラから

公益財団法人 知床自然大学院設立財団のホームページはこちら

藍野裕之 ライター、編集者

(あいの・ひろゆき)1962年、東京都生まれ。文芸や民芸などをはじめ、日本の自然民俗文化などに造詣が深く、フィールド・ワークとして、長年にわたり南太平洋考古学の現場を訪ね、ハワイやポリネシアなどの民族学にも関心が高い。著書に『梅棹忠夫–限りない未知への情熱』(山と溪谷社)『ずっと使いたい和の生活道具』(地球丸刊)がある。

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