- フェス
ミスターNO MUSIC, NO LIFE.に聞く──タワーレコードとフジロック、その蜜月の四半世紀
2025.07.03 Thu
フジロックに第一回から参加し続けているタワーレコード。その担当者が坂本幸隆さん。同社の「NO MUSIC, NO LIFE.」キャンペーン、この音楽ファンなら誰もが知る企画をスタートさせ、それを手掛け続けてきた人物でもある。そんな、いわばミスターNO MUSIC, NO LIFE.でもあり、フジロックの生き証人でもある坂本さんに、その29年に及ぶ歴史を振り返っていただいた。
坂本幸隆(さかもとゆきたか)。広告代理店を経て、1994 年タワーレコードに入社。以来、タワーレコードの広告とブランディングを担当する。その印象的なキャッチコピーとポスタービジュアルで知られる「NO MUSIC, NO LIFE.」キャンペーンを 1997 年からスタート。コーポレイトボイスである NO MUSIC,NO LIFE. の制作全般を手掛け続けている。
「最初は、一週間後にフジロックというフェスが始まるから、お前たち行って来いって、当時の社長に突然言われて参加することになったんですよ。どこで開催されるの? 誰が出演するの? って感じでした」
そう語るのは、タワーレコードのブランドマネージメント部の部長を務める坂本幸隆さん。フジロックには初回から関わり、以来、29年間、タワーレコードの担当者としてフジロックに参加しサポートし続けてきた人物だ。同社の「NO MUSIC, NO LIFE.」のキャンペーンをスタートから現在まで手掛けてきた方でもあり、その音楽愛溢れたジェントルな人柄は音楽業界ではよく知られてもいる。
「97年はタワーレコードもまだ外資で当時の社長もキース・カフーンという外国人でした。フジロックの制作を手伝っていたビートインクの代表のレイ・ハーンと同じ音楽業界の外国人同士ということもあって仲がよかったんですよ。それで、直前になって何かやってくれって頼まれたみたいで」
第一回のフジロックのタワレコブース。一般的なイベント用テントにバナーを取り付けただけの簡易なものであった。
タワーレコードが初回のフジロックに参加したきっかけは、そのコンセプトに共感してというわけでもなく、社長が友人から頼まれたからだった。直前に行くことになったのだから碌に準備もできずに、何か物入れにでも役立つだろうと、LPサイズのレコードバッグだけたくさん持って行ったそうだ。
「それで現場でレコードバッグを配ったわけです 。そしたら、台風が来て雨だったじゃないですか。あのときはお客さんも雨具の準備なんてしてきてなかったから、そのビニールのバッグをみんな頭から被ったり、足を突っ込んで長靴代わりに使ったりしたんですよ」
その初回のフジロックにオーディエンスのひとりとして参加したホフディランの小宮山雄飛が、その光景が印象的だったことから、翌年のフジロックのステージで「これこそがフジロックスタイルだ」と言いながらタワーのレコードバッグを被って演奏した。そのステージは坂本さんにとって思い出深いだけでなく、関係者にとっても印象的だったようで、後にフジロックのコンピレーションCDにもその写真が使われた。
「一回目はそんな感じで何となく参加することになったんですが、翌年からも続けようとなったんです。ちょうど同じ97年に、NO MUSIC, NO LIFE.のキャンペーンも始まっていたこともあって、それが『音楽を応援しよう』というテーマでしたから。それにまだ他に日本ではロックフェスってなかったですからね。ジャズやレゲエのフェスはあったけど。社長が外国人で欧米でのフェスの盛り上がりを知っていたから、という側面もあったかもしれませんね」
一回目が終わった後に関わった人が集まってミーティングが行われたそうだ。
そこで、現スマッシュの社長の佐潟さんと「フジロックを継続するために、何をやったらいいですかね?」という話になり、そこで「ゴミの問題が大変だったからゴミのことをタワーさんでサポートしてくれないか」となったという。
「それでNGOのA SEED JAPANを紹介してもらい、いっしょに活動していくことになるんです。ゴミ袋を初めてつくったのは苗場で開催された99年。それからずっとゴミ袋をつくって配ってます。袋をつくる製作費を負担して、作業自体もずっといっしょにやっていましたね。近年でこそ T シャツを売ったりもしてますけど、以前はずっとNGOといっしょに働いていました。タワーのブースもNGOのブースの端にありましたからね。本当にゴミ袋がメインだったわけです」
NGOのA SEED JAPANといっしょに活動をしていく中で、ずっとゴミ袋をつくり続けてきた。それは、iPledgeになっても同じ。本当にゴミ袋がメインだった。配布さられたゴミ袋は、こちらのギャラリーでその歴史を一覧できる。
現在フジロックのゴミゼロナビゲーション活動を担っているのは、A SEED JAPANから独立したNPOのiPledge。そのゴミ袋の製作はタワーレコードが担っている。
フジロック会場で撮影された写真が「NO MUSIC, NO LIFE.」のポスターに使用されたこともあった。KEMURIとともに写っているのは、収集されたゴミ袋とA SEED JAPANのスタッフ。
ゴミ袋と同様に、フジロックファンにお馴染みのアイテムと言えば、黄色いタオル。これもまたフジロックの風景のひとつとも言えるアイテムになっている。
「タオルは最初アリモノを配っていたんですよ。広島店オープンのときにつくったモノが残ってたから、これを配っちゃおうって、ゴミを持ってきた人に渡してたんです 。それが最初だったんですが、苗場に行って2、3年目の時に、初日ですぐにタオルが足りなくなって、深夜に東京まで取りに帰って朝までに戻ってきたこともありました。それで、その翌年からつくるようになったんです」
黄色のタオルは、赤のグラフィックが年毎に異なるので、思い出の品としてコレクトしているファンも少なくない。
Tシャツをつくるようになったきっかけはフジロックの20周年だった。
(左)日本を代表するミュージシャンの多くが起用されてきた「NO MUSIC, NO LIFE.」のポスター。2025年のフジロックへの出演が話題の山下達郎も複数回登場している。(右)20周年の際につくられた「NO FUJIROCK, NO LIFE!」のポスター。苗場のステージで歌う忌野清志郎の写真が使われた。NO MUSIC, NO LIFE.の歴代ポスターはこちらにアーカイブされている。
「2016年に20周年なので何かやろうって、清志郎さんのポスターをつくって『NO FUJIROCK, NO LIFE!』キャンペーンをやったんですよ。そのときに記念Tシャツもつくったのが最初です。その翌年からフジロックの森キャンペーンをやることになってTシャツもつくるようになったんです。それからは毎年、Tシャツをつくってますね。でも、それを売って儲けようというわけではなく、フジロックで着たら、ちょっと気分が上がるようなTシャツをつくることを心掛けていますね。だから、フジロックで売っているTシャツの中で、今でもタワーのTシャツがいちばん安いはずです」
毎年フジロックのタワレコブースのみで販売されるTシャツ。近年はグラフィックデザイナーのMakoto Yamakiによるイラストが使用されている。
97年からフジロックをサポートし続けてきたタワーレコードだが、その29年間にフジロックをサポートする企業は入れ替わってきた。音楽業界も日本経済の状況もこの四半世紀で大きく変わったのだから、それも当然。むしろタワーレコードがそれを続けて来られたことの方が例外的。ましてや、その間に親会社が幾度も変わったことを考えれば、不思議ですらある。
「フジロックのサポートは宣伝やマーケティング活動がメインではなく、社会貢献やCSRの面が強かったので、逆に続いてきたんだと思います。これがビジネス目的だけだったら、続けられなかったんじゃないですかね」
毎年フジロックに参加し続けてきた坂本さんだが、スタッフとして働いているため、ステージを見られる機会は限られている。それでも印象的なライブは数限りないという。特に思い出深いモノをあげてもらうと……。
「あるとき、携帯の充電がなくなってしまっていったんホテルの部屋に戻ったんですよ。そしたら、ちょうどピラミッドガーデンでハナレグミがやってたんです。ホテルの部屋で充電してたら、山の方から『オリビアを聴きながら』のカバーを弾き語りでやってるのが聴こえてきて……。それがすばらしくよくて、部屋で充電しながら聴くという不思議な状況も含めて感動したんです」
ある意味でこれもまたフジロックらしいエピソードなのかもしれない。最後に、そんな偶然生まれる体験について語ってくれた。
「昔、日高さん(スマッシュの前代表)と話している時に『フジロックとタワレコは似ていると思うんだよね』みたいなことを言ってたんですよね。例えば、お店にふらっと行ったときに流れてる曲とか、試聴機でたまたま聴いたヤツがよかった……みたいなことってあるじゃないですか。フジロックでも、通りがかりに偶然耳にしたアーティストのライブがすごいよかった! ってよくありますよね。そういうところがすごく似てて、お互いによいと思ってる点なんだよねって話したんです 。
今は配信とか何かのアルゴリズムでレコメンドされてくるわけじゃないですか。選んでるつもりが選ばされてるみたいなところがあるかなって。フジロックもタワーレコードも誰かがキュレーションはしてはいるんですけど、経済性とか効率性とはちがう観点でもキュレーションされてはいますし、フジの場合、天候の要素もあったりしますしね。同じアーティストのライブでも雨と晴天のときだと全然ちがう印象になったり。そうした偶然性みたいなことこそ、やっぱりリアルの、フィジカルの強さだし。いつの間にか決められたメニューの中から選ぶような感じには、タワレコもフジロックもならないで欲しいなぁとは思います。便利になるのもいいですけど、そんな偶然の出会いが生まれる部分は、これからも大切にし続けて欲しいですね」

「そういう『自分で考えて、自分で選んで、自分で責任を持つ』というような姿勢や態度って、音楽に関わらずこれからの時代ますます大切になると思うし、音楽の現場でそうしたきっかけを持ち帰れるのがフジロックのいいところのひとつだと思います」
〈Text & Interview by Atsushi Hasebe Photo by Shota Kikuchi〉
Akimama×Fesecho2025特設ページはコチラ!
