- 旅
漬物石の上にも3年、かわいい糠床と旅する漬旅のススメ!
2025.05.11 Sun
滝沢守生(タキザー) よろず編集制作請負
地方の現場やアウトドアの取材など、道の駅や朝市などに寄って、夜の酒のアテを買うのがささやかな旅の楽しみだった。それは、どこにでも売っているようなものではなく、生産者の名前が書かれた簡易なビニル包装に包まれた温もりのある手作りの惣菜や漬物など。しかし、最近めっきりと美味しそうなものが店頭から姿を消した。
2018年に行なわれた食品衛生法の改正により、それまで各地の条例に基づく届け出制により許可されていた個人や地方の小規模事業者による惣菜や漬物の製造販売が、保健所の「営業許可」が必要となったからだ。21年6月の施行から3年間の経過措置が取られていたが、昨年5月末からは厳しい衛生基準を満たした製造場所と管理が必要となった。製造所を所管する保健所に申請し「営業許可」を取得しなければ、たとえ村いちばんの料理自慢のおばあさんの漬物でも販売できなくなったのだ。
営業許可を得るには、国際的な衛生管理の手法「HACCP(ハサップ)」に基づいた施設管理が義務づけられており、製造場所や加工施設と住宅の分離、窓や網戸の設置、レバー式の蛇口や自動水栓の設置など、厳しい基準を満たさなければならない。手づくり漬物の多くは、農家や個人が自宅などで生産している。今回の改正に基づいた改修をするとなると、少なくとも100万円以上もの費用がかかるという。たかが漬物、されど漬物・・・。そんな、生きがいを失ったおばあちゃんたちの落胆ぶりは想像に難くない。
さて、そんなお婆さんしかり、かくいう私も老け込むよりも、最近、漬け込むことが多くなってきた。どうやら歳をとると自らも発酵を始め、深味のある人間へと向かうらしい(途中で腐らなければいいのだが)。
若いころから長年、登山をしてきたなかで、いつも疑問に思う光景にしばしば出くわしてきた。それは山頂や山小屋などの休憩場所でタッパーやジッパー付きビニル袋に入れた漬物をおもむろに出して、周囲の仲間に食べさせる「漬物交換の儀式」であった。「今回はホント美味しくできたから、ちょっと食べてみて!」と、芳しい漬物の香りとともに否応もなく、相手の口中にそれは差し出される。出された相手も慣れたもので「あら、美味しいじゃない! ちょっと私のも食べてみて!」と返す刀ならぬ自家製の漬物で応酬する。昼食時にお茶を飲みながら、おにぎりなどを食べているのならまだしもパンやゼリーなどの行動食にも関わらず、コーヒーやジュースを飲んでいようと漬物攻撃は止まることを知らない。
ところが漬物は、登山ではかなり理にかなった食べ物でもあったのだ。運動による発汗で失われた塩分を補給し、野菜に含まれる水分は食欲がなくても喉の乾きを癒してくれる。また、野菜に含まれる食物繊維は便通にも良い。発酵している漬物は常温での長期保存がきくので、野菜のフレッシュさは長期の山行でも失われることはない。インスタント食品ではなく、山で
生の食材を食べることの幸せはなにものにも変え難い。そんなアウトドアで食べる漬物のすばらしさに気づいたのは、じつは登山だけでない。発酵食品のすばらしさは、あらためてここで解説するまでもないが、寿司や酒、味噌や醤油にチーズやヨーグルトなど、生きている食べ物がそばにある幸せは、銀行にささやかな貯金があるよりも生きる力を満たしてくれる。人はひとりでは生きていけない。あらゆる生命や微生物、菌やウイルスとの共生によって生かされているのだ。
最近、個人的に激奨しているのが、まさに手塩にかけた自分の糠床やピクルス液と共に旅する漬旅だ。漬物などの加工食品には法的規制がかかってしまったが、地方の産直には朝に採れたばかりの新鮮な野菜が並ぶ。そんな野菜を購入して、一緒に旅をしてきた糠床やピクルス液の保存容器に放り込むだけで、今晩のアテに困ることはない。翌朝、炊きたてのご飯やパンがあれば、かなり幸せな朝食となるだろう。糠床やピクルス液、水キムチなどと一緒に旅することは、かわいいペットと旅するようなもので、今ではそれらを家に放置して出かけることに罪悪感を感じるほどだ。
日本には地方それぞれの気候風土にあった賢い食材の保存方法や、長年にわたって編み出されてきた美味しい食べ方や利用方法があった。それが一部、継承されなくなったことで、食中毒という不本意な事態が発生し、法規制によって、その継承が断たれようとしている。伝統的で安全で合理的な「保存食」だったはずの漬物が、なぜ「食の安全」という市場経済的な言葉と結び付けられ、こんなにも美味しくない漬物が売られているのか?
長年不思議に思っていた山で漬物を配るおばさんたちは、じつは食の革命家でもあったのだ! おじさんも負けてはいられない! 漬オジとなって世界を救わなければならない! 漬物バンザイ!