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【連載】日本のロングトレイルを歩く vol.4 日本を代表するロングトレイル・信越トレイルは、こうして生まれた!

(2018.07.04)

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 Akimamaの連載企画「日本のロングトレイルを歩く」の第4弾は、日本のロングトレイルの先駆けであり、ニッポンロングトレイルの代名詞ともいえる信越トレイルがどのように開通したのかをレポートしよう。

 信越トレイルとは、長野県と新潟県の県境、関田山脈に延びる総延長80㎞の山道だ。

 最高峰は、トレイルの起点となる斑尾山の標高1,382m。もうひとつの起点である標高1,088mの天水山までは、標高1,000m前後の山々を繋ぐ里山を舞台にしたトレイルだ。トレイル上にはかつて越後と信濃を繋ぐ交易の道として栄えた峠が13ヶ所あり、なかには上杉謙信の軍勢が行き来したという峠も。稜線は原生林に近いブナ林が広がり、その肥沃な土に染み込んだ水は、ゆっくりと麓の田畑を潤し、千曲川に流れ込む。

 このように自然だけでなく、歴史の一端に触れたり、代々続く地元民の生活を垣間見られることも信越トレイルが、ロングトレイルとして人々を惹きつける要因のひとつであろう。
 
 全行程80㎞をスルーハイクするには、指定されたキャンプ場でテントに泊まりながら通常4泊5日かかる。もちろん麓の民宿やコテージに泊まりながら全行程を歩くことも可能だ。

 一気にスルーハイクではなく、6つのセクションに分けて日帰りでも踏破できる。

 宿泊方法、日程、歩く距離にあわせていろいろなプランで歩けることも、年間約3万5千人のハイカーを迎える信越トレイルの懐の深さといえるだろう。
日本一長い川、千曲川と並行して延びる信越トレイル。冬になると日本海からの湿った空気が関田山脈にぶちあたり、大量の雪を降らせる。豪雪地にあるため、トレイル全区間が開通するのは比較的遅く、例年6月下旬となる。今年の信越トレイル開きは6月30日。(地図製作:オゾングラフィックス)

 80㎞もの山道が開通にいたるまで、さまざまな行政上の手続き、地元民への説明などソフト面で多大なる苦労があったことはいうまでもない。ここでは現場で具体的にどのような作業が行われたのか、ハード面に焦点をあてて信越トレイルに切り込んでみたい。

 2003年に信越トレイルを運営、管理する母体、NPO法人信越トレイルクラブが発足した。

 いよいよ現場での本格的な作業にとりかかりはじめたとき、ふたりの青年が信越トレイルの麓の町、長野県飯山市へやってきた。

 2004年から信越トレイルクラブ事務局のスタッフとして現場へ通いつめ、トレイル作りに情熱を注いできた大西宏志さんと高野賢一さんだ。
信越トレイル事務局が置かれる自然体験宿泊施設「なべくら高原 森の家」に勤務しながら、信越トレイルの開通に尽力した大西宏志さん(左)と高野賢一さん(右)。現在、大西さんは「なべくら高原 森の家」の支配人、高野さんは飯山駅観光交流センターに席を置く。

われわれは同期で、平成16年(2004年)に森の家にやってきました。そのとき、信越トレイルはちょうど斑尾山から牧峠の間の50㎞の区間で実地調査を行っていました。

 当時はふたりとも30代前半の働き盛り。すぐに信越トレイル開通のメインメンバーとして迎えられ、毎日のように関田山脈へ登るようになった。

 密生する低木やヤブに覆われた視界がきかない稜線で、信越トレイルはどのように実地調査のうえ、選定されたのだろう。

約50年前、関田山脈の稜線には国有林を管理するため、森林管理署の管理道がありました。その管理道を探し出すことが信越トレイルの道づくりのスタートでした。しかし、50年の歳月で管理道は完全に森に還ってしまい、踏み跡などどこにもありません。だけど、管理道には関東森林管理局と中部森林管理局の境を示す道標が埋まっています。石柱が埋まっているところもあれば、木柱のところもある。それをひたすら探すことが、信越トレイル開通の第一歩だったのです。

中部森林管理局の職員とともに、ヤブへ分け入り稜線の道標を探す実地調査。手がかりは50年前に測量された地形図のみ。可能な限り自然を壊さずに歩き道を作るという理念は、このときから貫かれている。

 半世紀前に先人が切り開いた道を、ふたたび蘇らせることが信越トレイルのはじまりだったのだ。でも、なんか宝探しみたいで楽しそうではある。

そう、楽しかったですよ。完全にジャングルというか、ヤブに還っている森の中から道標を探すんだから。すごいなあと感心したのは、50年前に測量した地図がものすごく正確だったことです。足元の道標から次の道標までは何度何分の角度で、55m先にあると地図に落とし込まれていました。北信森林管理署の職員が後ろで角度を図って、指示する方向へメジャーを持ってひたすらまっすぐ行く。そしたら「とまれー!」って声がかかる。「その辺にあるよー」って、足元をしらみつぶしに探すと朽ちかけた道標が倒木の下にでてくる。トレイルの選定はその繰り返しでした。

 その作業をコツコツと続けて道を繋げるのだから気が遠くなるような作業だ。
 

道標は場所により、地形によりまちまちですが、だいたい間隔は50〜100mくらい。ぜんぜん進みませんよ。1日、100mくらいしか進まないときもありました。峠と峠の中間までいったら、反対側の峠から入って空白部分を潰していく。

かつてあった管理道の踏み跡は、完全に山へと還っていた。人が歩かないとトレイルは姿を消す。歩くことがトレイルを存続させる絶対条件であることを、信越トレイルクラブのスタッフは肌で感じることになった。

トレイルを選定する実地調査をするときは、ナタで刈り払いながら人がひとり通れるくらいにヤブを切り開いて、木にリボンをつけておおよそのルートを決めます。そのあと本格的な整備へと移り、ノコギリとナタを持ってばーっと刈る。さらに3回目でチェーンソーや刈り払い機などの工具できれいに整備するという流れでした。

豪雪地帯にある関田山脈のヤブは、一度踏み込んだら身動きが取れないほどに濃い。このヤブを人の手で80㎞切り拓くというのだから、その苦労は計り知れないものがある。

草刈り、木の伐採が終わったら、いよいよ登山道の整備です。急な斜面は、クワで掘り起こして、階段を作ります。その際に使う資材は下から運びあげることなく、現地で伐採した木材や倒木を調達して整備しました。

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ライター
森山 伸也

越後の山村に暮らすアウトドアライター。一年を通して縦走登山、渓流釣り、山スキーと山遊びがメインだが、夏は犬とともにSUPで日本の川を下る。著書に『北緯66.6° 北欧ラップランド歩き旅』(本の雑誌社) →InstagramTwitterFaceBook

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