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コロナ禍の今、人類の過去と未来をつなぐ 『ヒトはなぜ海を越えたのか』が刊行! 全文を無料でネット公開中。

2020.05.04 Mon

藍野裕之

藍野裕之 ライター、編集者

ハワイ、ニュージランド、イースター島を結んだ太平洋の三角形の海域内をポリネシアと呼ぶ。このポリネシアの謎に満ちた先史時代を次々に解き明かした考古学者、篠遠喜彦博士の追悼論文集がついに完成した。どれだけ博士の学恩を受けた者が多かったかを物語るように、日本を代表するオセアニア研究者15名が寄稿し、また、シーカヤッカーの内田正洋さん、写真家の飯田裕子さん、そして、わたしの3名もエッセイを寄稿した。3人は研究者でない。篠遠博士を慕ってポリネシアの島々をともに旅したのだ。博士は、研究者でない者にも、学びの扉をおおらかに開いてくれたのである。こうして本書は、寄稿者総勢18名、15本の論文と7本のエッセイで構成され、ポリネシアの先史時代を縦横に論じ、この分野の決定版とも言える内容になった。

現在、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、公共の図書館はどこも閉館中だ。大学図書館すら閉館しているところがほとんどだ。そのため本書は、学生をはじめ、できるだけ多くの人に読んでもらおうと、学術書を多く手がける版元の雄山閣と、著者の合意により、全文が無料公開されている。

日本人にも馴染み深いハワイなら、さまざまな文献が多数出ている。しかし、タヒチなどは日本語の文献が圧倒的に少ない。島々の先史時代を知ろうとしても、仏語あるいは英語が読めなければお手上げという状況だった。それがこの1冊で概ねのことが理解できる。論文集と聞くと難解だという先入観を持つ人も少なくないだろう。ところが本書は、本格的な学術論文集にもかかわらず、平易平明さを保った文章となり、さらにはドラマチックさという、学術論文と縁遠い雰囲気まで醸し出している。

タヒチの伝説的なアーティスト、Bobby Holcombが歌う「Taote Sinoto」には、篠遠博士のタヒチでの仕事ぶりや、島の人たちにどれだけ愛されていたかが、タヒチ語によって歌われている。YouTubeに歌詞の翻訳と解説が紹介されています。

というのも、
「ヒトはなぜ海を越えたのか?」

という人類史の最大の謎に挑んだのが、篠遠喜彦博士であり、1954年にハワイに渡り、バーニス・P・ビショップ博物館に属しながら、生涯をかけて、謎に満ちたポリネシアの先史時代を次々に解き明かした考古学者であった。これまで本サイトでも、さまざまに報じてきた。その一大実験場が、このポリネシアを中心とするオセアニアだったのである。

大陸をあとにし、オセアニアへと人類が移動した「海の道」にこそ、この謎解きの鍵があるとされ、ポリネシア人の起源をテーマにする研究が、さまざまな分野で展開するなか、

「実証的なオセアニア考古学の重要性は増してきた。その歴史は篠遠喜彦という、一人の日本人考古学者の貢献を抜いては語れない」と編者が言うように、

「本書は2017年に他界した篠遠喜彦氏の追悼の意味を込め」

「しかし、篠遠氏の業績を俯瞰するにとどまらない」ように企画編集されている。

本書は、篠遠喜彦博士の追悼にとどまらず、篠遠博士の生涯と並走するように、あるいは博士がもはや研究を続けられなくなってからの、多角的で先進的な研究成果など、現在までの到達点も盛り込まれている。

つまり、篠遠博士を中心にして、それ以前から現在までの「研究史」に重きが置かれ、篠遠研究の位置づけから、篠遠博士とともに、人類の海洋地域への進出という壮大な謎を解きあかそうとしているのが本書なのである。

「研究史」では、同じ未知へと挑んだ者たちの研究成果という格闘と挑戦が、そこかしこに散りばめられている。そこに、篠遠喜彦という主人公が中心にいるがために、論文集には稀有な物語性を持っているのだ。

じつは、ポリネシア考古学を継承する日本の研究者は少ない。長きにわたって研究を継続できたのは、篠遠博士ただひとりと言っていい。一方、ミクロネシア考古学は世界的なレベルだ。編者のひとりである印東道子博士は、その第一人者である。その大専門家が自身の研究とは無縁ではないにしても、専門地域を超えて多くの海外論文を渉猟してポリネシアの主要な島々への移住年代、移住経路の現在における到達点を以下の図に示している。ポリネシアの島々について執筆しようとする人がいたら、今後しばらくは、この図を参考にしてほしい。

ポリネシア内移動と拡散の新モデル図。ソサエティ諸島が拡散の中心。本書P67より転載
ポリネシア人の起源をたどったとき、現状において世界的な支持を受けている仮説が本書にある。「出台湾仮説」というものだ。いまから4000年から5000年ほど前に台湾から出て、世代を継いで生きながら、誰も人が住んでいなかったポリネシアの島々に一気に移住したというのだ。

ポリネシア人はアジア人のDNAを多く持ち、メラネシアの人々とは系譜が異なるのだという。「出台湾仮説」の最大の根拠は言葉である。それを基礎に新進気鋭のミクロネシア考古学者で国立民族学博物館准教授の小野林太郎博士は、出土した土器から、この仮説を発展させられるのではないかと推察している。

ポリネシア人の祖先が、メラネシアに点々と残した特徴的紋様のラピタ土器。その祖型ではないかと思われる土器片が、フィリピンやマリアナ諸島から出土しているという。そして、同じ紋様の土器の出土例は台湾にはないが、紋様をつける前の無紋状態で見るとフィリピンやマリアナ諸島と共通し、それらより古いものが台湾からも出土していることを報告。これで、西太平洋におけるポリネシアへの道が見えてくるが、さらに「土器作りそのものは台湾以北から伝わったと考えられる」と推察しているのも興味深い。

小野博士は、ここまでにとどめているが、「台湾以北」という表現は気にならざるを得ない。なぜなら、そこには沖縄など南西諸島、さらには日本列島があるからだ。

考古学だけでなく、ポリネシアの身体人類学、文化人類学、言語学を専門とする日本人研究者も多くはない。もちろん、その貴重な研究者たちの論文やエッセイも本書に収録されている。考古学と同じように、現代の人々の研究をする人類学もミクロネシアが強いのが日本の特徴で、こちらも世界的レベルだ。

もうひとりの編者である秋道智彌博士は、1970年代に、西洋人との接触が遅かったため奇跡的に伝統航海術が残っていたカロリン諸島のサタワル島へ渡って、調査した先駆的な生態人類学者である。

秋道論文からは、現代科学とはまったく別の独自な知識体系により、サタワル島の伝統航海術がいかに高度に発達したかがわかる。

ポリネシアでは19世紀に伝統航海術は滅んでしまい、たとえばハワイとタヒチは4000km以上の距離だが、これをどう航海したのか実際には調べようがない。ミクロネシアではそこまで島と島とは離れていない。秋道博士は、ミクロネシアの伝統航海術を土台に、古代ポリネシアの航海術を推測している。本来「推測」というのは学術では避けるのが通例だ。それをあえて試みているのである。シーカヤックなどで海の旅を実践する人には、大いに興味ある内容にちがいない。

では、本書のタイトル「ヒトはなぜ海を越えたのか」の答えはどこにあるのか。じつは、このタイトルに対する明快な答えは本書にはない。壮大な問いに対し、その答えを推察するため、現在まで集められた材料が並ぶ。

ある島が人口過多になったからだ、病気や戦いの果てに島を追われ、棄てたのだ、いや、そもそも未知へ挑む好奇心が理由なのだ、陽が昇る先に希望があると思うのが人間なのだ……。

学界でも諸説紛々が現状。答えが出ていないにもかかわらず、どうしてこれが本書のタイトルになったのか。長く疑問であり続けることに対し、秋道博士から直接お聞きした言葉を記しておく。

「答えが出るから学問をするんか。そんなん学問と違います。わからんから学問をするのです。篠遠さんだって、そうだったはずや」

先人の業績の土台に乗り、さらに業績を積みあげるのが学問の宿命である。したがって、学術業績だけあげても学恩を返したことにはならない。恩師ともいえる篠遠博士と同様に、未知へ情熱を傾ける。それが学恩に報いることだ。本書に名を連ねている諸氏が、「ヒトはなぜ海を越えたのか」の謎解明に挑む後輩の登場を待ち望んでいるのは言うまでもない。

ヒトはなぜ海を越えたのか
―オセアニア考古学の挑戦―
(雄山閣刊)

編著者 : 秋道 智彌 印東 道子
価格 : 3,080 円
A5判・21㎝/並製・カバー/264頁

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藍野裕之

藍野裕之 ライター、編集者

(あいの・ひろゆき)1962年、東京都生まれ。文芸や民芸などをはじめ、日本の自然民俗文化などに造詣が深く、フィールド・ワークとして、長年にわたり南太平洋考古学の現場を訪ね、ハワイやポリネシアなどの民族学にも関心が高い。著書に『梅棹忠夫–限りない未知への情熱』(山と溪谷社)『ずっと使いたい和の生活道具』(地球丸刊)がある。

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