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【ユーさんの74年_16】中川祐二、74年目のアウトドアノート~里山で自分だけのキャンプ場をつくる

2022.11.11 Fri

中川祐二 物書き・フォトグラファー

 むかし、~毎回むかし話ばかりのようだが~、地域おこしの雑誌に携わっていたことがあった。すごく真面目な本だった。その編集長が、

「ユーさん、地方で山を持っている人がいて、使ってくれる人を探しているんだけど見に行ってみない?」
「何をしてもいいのかな?」
「まあ、会って聞いてみれば? 変な使い方じゃなければいいと思うよ」

それは栃木県の茂木町(*1)にある雑木林の山だという。当時まだカーナビもない時代、だいたいの住所を聞き道路地図を見ながら向かった。30年以上も前のことだった。
(*1)茂木町=栃木県の南東部、茨城県の城里町と接する町。芳賀郡のひとつ。町の北部を那珂川が流れ、周辺は丘陵地となっており、町の随所に広大な田んぼが広がっている。町内にはモビリティリゾートもてぎ(旧ツインリンクもてぎ)がある。
 芳賀郡茂木町、茨城県との県境にあり、町の北部を関東の大河、那珂川が、また町の中央部には逆川(さかがわ)が流れ那珂川と合流している。米、こんにゃく、蕎麦が特産の町だ。

 僕が行った数年前の1986年、町の中心部はその逆川の氾濫で市街地の大半が水没するという大水害(*2)に見舞われた。そこで町を元気にする復興事業を活発に展開していた。その事業の旗振り役のひとり、役場職員田村幸夫さんが山の持ち主だという。きっと、被災して意気消沈していた街の雰囲気を、都会の“馬鹿者”を呼び、自分の山を提供することにより新風を吹き込もうとしていたのだろうと思う。
(*2)市街地の大半が水没するという大水害=1986年の8月5日-6日に房総沖を通過した台風10号の影響により、那珂川水系の逆川が氾濫。24時間雨量が330mmを記録した茂木町の中心部は広範囲で浸水。死者も出るほどの甚大な被害で、のちに災害救助法が適用された。
関東の清流、那珂川は那須岳山麓を源流とし、ひたちなか市と大洗町の境界で太平洋に注ぐ延長150kmの一級河川。ダムのない川としてカヌーイストに、アユが遡上する川として釣り人に人気の川。早くからサケの人工孵化が行われ、秋にはたくさんのサケの遡上が見られる。この那珂川の水が周辺の農業を育て、僕はカヌーやアユ釣りでたっぷり楽しませてもらった。
 町の北部の集落に田村さんの家があった。長屋門(*3)を持った大きな家だった。ここは集落の高台にあり、そのせいで屋号(*4)は「台」で”デェ”と呼んでいた。そこからちょっと離れた鳩無内というところにその山はあった。地元の人はここをハトムネェと呼んだ。
(*3)長屋門=日本家屋で使用される門形のひとつ。門の左右に長屋を備え、物置や小部屋として利用する。門番の居場所であるのだが、若衆の遊び場だったり、逢引きの場だったり……格式の高い武士や大地主などの屋敷によく見られる。(*4)屋号=家号とも。古くから各地方に伝わる呼び名で、苗字の代わりに用いられる。代々の家業や屋敷の立つ地形などをもとにしたものが多い。
 県道から段々畑を登ったいちばん上、ここより上は農家も田んぼもない。クヌギとコナラの混交林、たまにヤマザクラのある森だ。入り口に踏み跡はあるものの、森の中は落ち葉がいっぱいで歩くたびにカサカサと乾いた音がした。

 田村さんの案内で森を見て回った。中腹にあった倒木に腰掛けタバコに火をつけた。

「この山、どこからどこまで貸してもらえるのですか?」
「ここから見えるとこ全部だ」

 全部と言われても目の前の森の広さがよく理解できなかった。

「で、いくらで貸してもらえるのですか?」

 田村さんは黙って指を2本出した。
 ん、2本? どういう意味だこの“2”は。2万か、いや20万、それじゃ僕には無理だ、まさか2千円じゃないだろう。困った、僕は山林の賃貸料の相場なんて知らない。しばらく沈黙が続き、タバコの煙を大きく吸い込んで思い切って声を出した。

「その2本はどういう意味ですか?」
「純米酒2本!」

 交渉は成立した。僕はここにプライベートのキャンプ場をつくることにした。

 翌週から、当時、僕の仕事を手伝ってくれていたエノキンと茂木通いが始まった。材木屋へ行き、つくりたいものの説明をするのだがなかなか理解してもらえない。

 4メーター角のデッキをつくる、つまり家の土台だけというようなものをつくるのだが、何せこっちは素人でなんにもわからない。さらに材木屋の言う材料ではこっちの予算と合わない。なるべく安く、ギリギリの材料でつくりたいのだ。

 ようやく材料が揃い、土木工事が始まった。このデッキをつくるには水平を出さなくてはならない。水準器(*5)でこれを測るのだが、木は垂直に立っているものと思っていた。すると水準器の気泡が示す傾斜と随分違っているように思うのだ。山の斜面、垂直のはずの木、当てにならないと思った水準器、頭の中はどれが本当なのかわからなくなってきた。
(*5)水準器=水平器とも。平面の水平や角度、傾き具合を調べるための器具。多くは、アルコールやオイルなどを満たしたガラス管に気泡を入れ込み、その動きによってチェックする。
数年間の間にいくつかのデッキをつくった。森の中の湿気はすぐに材木を駄目にした。その度に土台を新しくし、腐食に耐えるようにした。これは仲間が増え、何回目かのデッキをつくっているところ。最終的に4つのデッキをつくった。
 さんざん水準器を罵倒したが、ここではこれを信じるしかない。柱を立て、根太を張り、床板を乗せた。いつもは静かな森に槌音が響き、近所の人は何が始まったのかと恐る恐る見にきた。散歩をしているふうで、立ち止まり覗き込んだ。

 髭を生やしたふたりが何やら変な構築物をやっつけ仕事でつくっている。 あとで聞いた話だが当時、オウム事件(*6)があり、よそ者に目を光らせていたのだ。
(*6)オウム事件=オウム真理教事件。1989年の坂本弁護士一家殺害事件や94年の松本サリン事件、95年の地下鉄サリン事件など、同団体が起こした一連の事件の総称。
 ようやくデッキはできたが、材料をケチったためややトランポリンのような状態が感じられたが、知らん顔をした。近くのクヌギの木の上に滑車を付けランタンを上げ下げできるようにした。この辺りのイメージは僕の好きな辻まこと(*7)の絵そのままだった。
(*7)辻まこと=辻まこと愛の強いユーさんについては、「【ユーさんの72年_13】~僕はむかし“辻まこと”だったのかもしれない。」に詳しい。
 ちょっと離れたところに簡単な囲いをつけ、中にキャンピング用便器を置きトイレとした。しかし何度か使ううちに排泄物を溜めおくというのは間違えだと気づいた。穴を掘り土や落ち葉をかけておく方がどれほど清潔か、徐々に発酵し自然へと帰ってくれる。とくにそれほど頻繁に使うわけでもないので、ふたりの排泄量は大した量にはならなかった。

 さらに小さな小屋をつくった。間口2×奥行き1、高さ1.8メーターくらいの小屋だ。中にブリキのストーブを入れその上に石を山にして置いた。煙突も付け、はめ板は空気が逃げないように目張りをした。できあがった。そう、サウナである。
僕が“純米酒2本”で借りた山の全景。手前の煙突が見えるのがサウナ小屋。中にはちょっと寄りかかって座れるベンチもあるのでリラックスできた。そばには焚き火ができるスペース、奥にも仲間たちのデッキをつくった。むかし炭焼きをした窯跡に落ち葉を集め、水をまき、腐葉土をつくった。春になると、最近はなかなか見られなくなったキンラン、ギンランが咲き、秋にはキノコが出る豊穣な雑木林だ。
 むかしから僕はテントを使ってキャンプをしながらサウナを楽しんでいた。今はサウナ専用のテントまであると聞くが、底なしのテントや、タープの生地を使い焚き火で熱した石を2、3個持ち込み水をかけて汗を流した。水の代わりに酒やジュースもかけてみた。ジュースはうんこ臭くなった。ウィスキーの水割りがいちばんよかった、飲みながらかけ、いい気持ちになった。

 デッキに小型テントを張りっぱなしにした。これで立派なぼくの山小屋になった。山の入り口には郵便受けのポストもつくった。郵便局へ行き、地図を見せ、この辺りに配達してくれるものかと聞いてみた。

 配達はしてくれるらしい。しかし、このポストに郵便が来たのは年賀状が1通だけだった。そりゃそうだ、ここの住所をほとんど人には教えてはいなかったからだ。いくら待っても郵便が来るはずがない。

 デッキの隅に流しをつくった。ナイロンシートを木の間に張り中央に集まった雨水をホースでタンクに貯める装置もつくった。どれもあまり機能しなかった。そのとき父親の口癖を思い出した。“思惑と褌は外れやすいものだ”と。

 プライベートキャンプ場はでき上がった。秋に落成式をした。友人を呼び、ミュージシャンを呼び、焚き火をして大騒ぎをした。近所の人も顔を出してくれた。製作を手伝ってくれたのはいま思えば、現町長だった。
あるときアウトドア・ライフスタイル誌『BE-PAL』の編集担当から、「ユーさんのデッキまだ使ってますか?」と連絡が来た。あまり頻繁には使っていなかったがまだ使えるはずだと答えた。表紙の撮影に使いたいという。できあがったのがこれだ。さすがに漫画誌の小学館の発想だ。ここにコタツとミカンは考えもしなかった。
 それから僕はひとりで通い詰めた。デッキの上に1メーター角の箱をつくり、藁灰を入れ、五徳(*8)を埋め込み囲炉裏とした。山には枯れた木の枝がたくさんあった。しかし湿った木も多かったので火おこしが大変だった。
(*8)五徳=囲炉裏や火鉢などの熱源の上に置いて、鍋や薬缶などを支えるための調理用の器具。
 そんなことを友人に話したら、いい方法を教えてくれた。彼の実家は竹材を販売するうちで朝からよく職人が集まるという。そこで暖を取るために毎朝焚き火をする。そのとき使う火付け材が籾殻に灯油をまぶしたものだという。

 すぐに籾殻をもらいに行き、フタのできる缶につくった。すごく性能いい着火剤ができた。デッキに着いてすぐに火がおき暖が取れた。すぐにお燗ができた。

 肉を焼いたり、魚を焼いたり、スープをつくったり、そして酒を飲んだ。

 火口がふたつあったほうが使いやすいだろうと小さな五徳を脇に置いた。それからこの囲炉裏はツーバーナーと呼んだ。
 
 ここへ着くとすぐにサウナに火を入れた。ほんの30分ほどでいい温度になった。小屋は狭いし、蒸気サウナ(*9)なのでストーブの上の石があたたまり、蒸気が上がるようになれば十分熱いサウナが楽しめた。
(*9)蒸気サウナ=スチームサウナとも。高温で湿度の低いドライサウナと比して、低めの温度で蒸気を充満させ、湿度を高くするのが特徴。ウェットタイプとも呼ばれる。
 僕は北欧やオーストラリア、アメリカなどでサウナに入ったことがある(*10)が、日本のようなドライで高温のサウナに入ったことがない。みな石に水をかけるウエットスタイル。さらにあんな帽子をかぶってる人も見たことがない。
(*10)北欧やオーストラリア、アメリカなどでサウナに入ったことがある=サウナ愛の強いユーさんについては、「【ユーさんの72年_12】~5回も行った北欧の旅のこと」に詳しい。
 自分でストーブに薪をくべ、中で水をまき、温度が下がるとまた表へ出て薪をくべる。体が熱くなると水のプールへ入るというわけにはいかない。そのままデッキの上に大の字で寝て自然冷却をする。もちろんフルチンでだ。

 月明かりに照らされた中年男がデッキに裸で寝る姿。ドローンがあったらさぞかしおもしろい写真が撮れただろうな。

中川祐二 物書き・フォトグラファー

“ユーさん”または“O’ Kashira”の 愛称で知られるアウトドアズマン。長らくアウトドアに慣れ親しみ、古きよき時代を知る。物書きであり、フォトグラファーであり、フィッシャーマンであり、英国通であり、日本のアウトドア黎明期を牽引してきた、元祖アウトドア好き。『英国式自然の楽しみ方』、『英国式暮らしの楽しみ方』、『英国 釣りの楽 しみ』(以上求龍堂)ほか著作多数。 茨城県大洗町実施文部省「父親の家庭教育参加支援事業」講師。 NPO法人「大洗海の大学」初代代表理事。 大洗サーフ・ライフセービングクラブ 2019年から料理番ほか。似顔絵は僕の伯父、田村達馬が描いたもの。

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