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【ユーさんの72年①】中川祐二、72年目のアウトドアノート~ユーさんと日本のアウトドア・カルチャー

2020.04.06 Mon

中川祐二

中川祐二 物書き・フォトグラファー

 2020年のいま、御年72を数える中川祐二さんは、“ユーさん”または“O’ Kashira”の愛称で知られるアウトドアズマンだ。この名を聞いてピンとくる人は、昨今のにわかファンではあるまい。長らくアウトドアに慣れ親しみ、古きよき時代を知る人だろう。中川祐二——物書きであり、フォトグラファーであり、フィッシャーマンであり、英国通であり、日本のアウトドア黎明期を牽引してきた、元祖アウトドア好き。そのユーさんがたどってきた72年ものアウトドア・ロードを、「コト」「モノ」「ヒト」と3つの視点から綴るショート・エッセイ。過去と未来をつなぎ、この先の時代に遺すべき言葉とは……。

「中川祐二、72年目のアウトドアノート」新連載で始まります。

 でも、中川祐二と言われても、知らない人がたくさんいるのでは!? 昨今のWEB世代ならなおさらのこと。と、編集部でも不安を抱えつつ本人にも相談してみたところ……いただきました、ユーさんの来歴。ということで、本連載の記念すべき第一稿は「序・初めまして中川祐二です」。
 



【ユーさんの72年①】序・初めまして、中川祐二です。 

 みなさん初めまして、この項を書き進める中川祐二です。

 といっても、この『Akimama』を読んでいる方々は僕のことをほとんどご存じないでしょう。僕は1948年東京渋谷区生まれ。みなさんのおとうさんやおじいちゃんの年齢です。

 小さいころから親父や叔父から釣りやスキーを教わり、いま考えるとこれが僕のアウトドアの始まりとなったと思う。

 地元の小学校を出て、なぜか学区外の中学校(*1)へ行くことになった。そこは新宿御苑の中にあった。えっ、そんな学校があるのと思われるだろうが、いまはもうない。現在の新宿御苑の入口付近から右の奥の方に細長い校舎があった。
(*1)新宿御苑に隣接してあった中学校=新宿区立四谷第二中学校。校庭の奥は御苑と同じレイアウトの森があった。

 土地は新宿御苑から、校舎はとなりの新宿高校から借りたという。よく塀越しにボールを投げ込み、それを探しに御苑に入り警備員につかまった。

 この学校に青山ミチ(*2)が転校してきた。僕たちの教室は校庭に面した1階だった。その日彼女は遅れてきたのだろう、僕たちの授業中に校庭を横切り教室に向かっていた。誰かが言った「青山ミチだ!」。全員が校庭を歩く彼女に眼が釘付けとなった。すごい健康的な体格だ。胸板が厚い。つまり胸のボリュームが……。
(*2)青山ミチ=1960年代にデビューした歌手で、アメリカ人の父親を持つハーフ。パンチのある唄声で人気があった。

 学校の前は道路を挟んで飲屋街だった。ある日の放課後、僕は職員室の2階の図書室へ行った。ここからは道路の向こうの飲み屋の2階が丸見えだった。その一軒の窓が開いていて人がいる気配がした。するとどうしたことだろう、その人はそのまま着替え始めたのだ。その人は女の人だった。僕はとっさにしゃがみ込み、見つからないように観察した。それ以来図書館が好きになった。

 僕はこの学校で園芸部に入っていた。なぜかというと、担当の職業(今は技術・家庭というのかな)の先生が新卒で若く、兄貴のような存在だったこと、それにもましてきれいな女の子がたくさん入っていたからだ。

 花壇を耕し、チューリップを植えたり、菊を植えたりそれも楽しかった。

 そんなことから高校に進学するとき、その先生に園芸高校という学校を勧められた。公立の普通高校に進むには成績がちょっと危ないと先生は感じていたようだ。

 おもしろそうな学校だと思い学校を見に行った。みな作業服を着て花や野菜を作ったり、ニワトリや豚を飼ったり、ジャムやケーキを作る授業もあるという。僕は見事、その東京都立園芸高校に合格した。教室にはみな緊張した顔があった。僕のとなりは細田 充くん(*3)だった。彼のことはゆっくり紹介することとする。彼は最初の級長になった。
(*3)細田 充=『山と溪谷』や『ホットドッグプレス』、『カヌーイングマガジン』で活躍したカメラマン・ライター。故人。

 3年間、植物を育てる勉強をした。盆栽部というクラブに入り、盆栽や山野草を育てた。日本でいちばん爺臭いクラブ活動だと思う。

 この間、釣り、スキー、山へ足繁く出かけた。

 大学へはあまり行く気がなかったが、同じようなことを学べる農学部へ進学した。いや、そこしか行ける選択肢はなかった。日本でいちばん大きな大学(?)日本大学農獣医学部農学科に入学した。

 実践的な作業ばかりで過ごした高校生にとって、大学は退屈な授業ばかりだった。担当の教授に質問をしたがしどろもどろ、なーんだ、大学ってこんなところかと、となりの学科の研究室へ通った。同時に落語研究会にも入った。

 このころから長野県・戸隠へ通い始めた。冬の間はスキー、雪がなくなると釣り、1年を通じて遊びに行った。地元の友人もたくさんできた。
スキーのアルバイトでモデルに。八方尾根で何本も滑った。この写真はFフィルムのパンフレット用だったが、同時に銀座のサロンで数mのウィンドウに透過フィルムで展示された。撮影=本多信男
 山へ行くというアルバイトを頼まれた。荷物を持って山へ行けばいいということらしい。つまり歩荷(ボッカ)みたいなもので、紹介してくれた人は山岳写真家の武藤 昭氏(*4)だった。山で広告写真を撮るので機材を担ぎ上げ、手伝いをするという仕事。武藤氏はトップアシスタント、僕はほとんど奴隷だった。冬山でイグルーを作ったり、スキー場での撮影では僕がモデルになった。
(*4)武藤 昭=『山と溪谷』などで活躍した写真家。晩年は居を八ヶ岳に移し、映像の世界でも活躍。故人。

 僕の大学時代は、各地で大学紛争が起こり僕が通っていた大学もロックアウト。それをいい事にバイトへ山へと励んだ。屋久島宮之浦岳単独遠征はこのときだ。
海抜0mから1,936mまでの登山は正直辛かった。途中の登山道はトロッコの枕木の上を歩く。歩幅がまったく合わない。途中、縄文杉の脇にテントを張って寝た。当時は規制などされていなかった。
 また、朝日新聞出版局で”こども"の夜勤というバイトもしていた。これは夕方4時に出社し、お茶を入れたり鉛筆を削ったり、次々に刷り上がる新聞を各席に配ったり、裏の珈琲屋に行っている編集者を呼びに行ったり、パチンコ屋へ呼びに行ったこともあった。ものを書いたり、編集の入口を見たのはこのときだった。この"こども"という呼び名、書生時代の名残りだと思う。

 卒業の時期になり、撮影の手伝いをしていたデザイン会社から声をかけていただき、写真家・本多信男氏(*5)のアシスタントとしてデザイン会社に入社した。カメラマン助手、スタイリスト、モデルの手配、レイアウトの手伝い、デザイナーのアシスト、活版新聞の割り付け、写植の指定、請求書書き、集金、お昼のお弁当の発注、忘年会の手配など、なんでもやった。やったそばからすべてが血になるようでおもしろかった。
(*5)本多信男=日本工房などで活躍した写真家・デザイナー。山と溪谷社から猫の写真集などを上梓。ワールドワイドな活躍をした。故人。

 その後、その会社の都合で外資系の出版社へ移動した。しかし、ここでも組合活動との摩擦で会社はロックアウト。1年半バイトをしていた。この間にアラスカ・ユーコン川350km(*6)の川下りの旅に出かけた。ユーコンプレス紙、地元ラジオ局の取材を受けた。日本人では2隊目の遠征だった。
(*6)ユーコン川350km=カナダ・ユーコン準州からアメリカ・アラスカ州・ベーリング海にそそぐ3600キロの大河。ホワイトホースからカーマックスまでの350キロをファルトボートで下った。

 会社は再開したものの、すっかり仕事をする意欲がなくなり、戸隠スキー場の山小屋で料理番のアルバイトをはじめた。

 スキーシーズンが終わるころ、武藤 昭氏から連絡があり、『山と溪谷』で大きな仕事をするからすぐ帰れと。残雪に後ろ髪引かれる思いで山を下りた。

 この仕事がきっかけで、雑誌の仕事が始まった。ちょうど創刊を企画していた『アウトドアスポーツ』誌(後に地球丸刊『アウトドア』誌 現在休刊)、講談社『ホットドッグプレス』、小学館『BE-PAL』などにカメラマン、ライターとして参加。

 その後、『ピーターラビットからの手紙』、『ピーターパンと妖精の国』、『くまのプーさんと魔法の森へ』(以上求龍堂)など英国の作品にグラフィックを多用したシリーズを手がけた。

 この英国取材中に見て、感じて、不思議に思ったことを"英国のぞき旅"シリーズ(*7)として『英国式自然の楽しみ方』、『英国式暮らしの楽しみ方』、『英国 釣りの楽しみ』(以上求龍堂)を上梓した。ほかには『はじめてのオートキャンプ』地球丸。『わが家流キャンピング』日本放送出版協会などがある。   
(*7)英国三部作=英国の自然や遊び、生活を見て、聞いて、実際に遊んでみて書したシリーズ。絶版。
本来の仕事の合間に各地を回り、アレ?っと思った事を調べ、体験し記事にした"英国のぞき旅"(求龍堂アースブック)シリーズ。ここで患った英国病はいまだ完治していない。ワクチンもない。
 雑誌や本を出すことによってラジオ、TVの出演も多くなった。

『Do! Sports』 当時東京12チャンネル(現テレビ東京)、キャンプ、カヌー、スキーなど最多出演。
NHK『遊々専科』 クロスカントリースキー編出演。
文化放送 村野武憲の土曜ワイド『BAOBAB』 シーズンゲスト
NHK趣味百科『自然を楽しむ~アウトドアライフ~』 1クール(13回)出演。
NHKラジオ『いきいきホットライン』 月~金・2週出演。
NHKラジオ『くらしの電話相談』 アウトドア編1年間出演。
無印良品サマーキャンプ イベントプロデュース。
無印良品津南キャンプ場 建設プロデュース。
茨城県大洗町実施文部省「父親の家庭教育参加支援事業」講師。
同町実施子どものためのアウトドア教室「アイアンキッズ少年海賊隊」講師。
NPO法人「大洗海の大学」初代代表理事。
大洗サーフ・ライフセービングクラブ2019年料理番。
……
趣味  
クロスカントリースキー、テレマークスキー。
フライフィッシング、タナゴ・ハゼフィッシング。
カナディアンカヌーおよびその製作、カヤック。
楽器演奏 ブラジリアンパーカッション、バンドリン(ブラジリアンマンドリン)。
料理。落語。
通称  
ユーさん、O'Kashira(おかしら)

 さて、話しの口切りはこのくらいにして、ユーさんのアウトドア体験譚にしばらくお付き合いを願います。

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