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岩田京子、8848mエベレストへ——本当の自分に会いにゆく

(2019.05.03)

登山のTOP

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 帰国後は、海外登山に強い旅行会社で添乗員として勤務、キリマンジャロ(5895m)やネパールトレッキングなど、各国の山々へ。その後は、高所登山とガイドの仕事を学ぼうと、近藤謙司さん率いる「アドベンチャーガイズ」に在籍。こうして経験を積み重ね、2016年、チョ・オユー、シシャパンマ(8027m)、マナスルの3座連続登頂にチャレンジした。初めての8000mに際し、3つ連続で登ろうとしたのはなぜだろう。
スリーパスから眺めるチョ・オユー。この姿に惹かれ、頂上を目指すことに。photo by Kyoko Iwata
「エベレストのことは頭の片隅にあったけれど、公募登山では過去に8000m峰を登っていないと挑戦できないんです。それにエベレスト登山の費用はとりわけ高い。それに比べてこっちは3つ一緒でなおかつ安いの? みたいな感じです」
 もうひとつの理由は、3座登る分、長い時間を山で過ごせるということ。できるだけ自然のそばにいたいと願う彼女が、たっぷりひと月以上かかる遠征登山に魅せられたわけは、そんなところにもある。
 そうして挑んだひとつめのチョ・オユーに無事登頂したものの、ふたつ目のシシャパンマでは、心拍数の低下により、登頂断念を余儀なくされてしまう。悔しくて悔しくて、顔の形が変わるほど泣いたという当時の心境を、ブログにこう綴っている。
 

誰のせいでもなく自分のせい

山にも受け入れて
もらえなかった

どんなに頑張っても
誤魔化しはきかなかった

私の身体はやはり
昔のままだったのか…

幼い頃から
やりたいこともやれずに
苦しめられてきた
この身体で行けるとこまで
チャレンジするつもりだった

(中略)

20歳まで
生きられないかもしれないと
腹をくくっていた幼少期

それから
こんなにも長く
人生を楽しませてくれて
やりたい事に
チャレンジさせてくれた

それだけでも
充分幸せだとは思う

自分の身体に
感謝する時がきたのかな…

でも、まだ諦めたくない
 

「子どもの頃から喘息がひどく、病院にある吸引器を自宅に置いてもらっていました。それがないと、途中で苦しくなり、みんなと一緒に通学できないくらいで」
 それが原因なのか同級生ともなじめず、「うっすらいじめられていたかも」と笑う。そして中学3年生のときには大きな発作を起こし、これ以上の手立てはないと医者に宣告されてしまった。
「両親は多忙な仕事をなげうって、いろいろな病院に連れていってくれ、お医者さんも手を尽くしてくれていました。これでもだめなら、もう無理なんだろう……みたいな気持ちはありましたね」
 それでも、負けず嫌いな性分からマラソン大会に出ては倒れ、どうせ生きられないならと煙草に手を伸ばしては停学になったり。
「ありがたいことに、高校を卒業する頃には発作を起こさなくなったんです。それだけに、シシャパンマの登頂断念は悔しかったんです」
 喘息持ちということもあり、元々心拍数は44~45と低かった。シシャパンマでは高度順応がうまくいき、SPO2(動脈血酸素飽和度)数値も良好。ただ、心拍数が20台を記録するなかで、登らせるわけにはいかないという判断が下った。
「決定に異論はないけれど、なぜ数値がそうなるのか、そのまま高所に行くとどうなるかを把握し、説明できないことが悔しかったんです」
 続くマナスルは時期が遅れたため、アイスフォールが崩落し、登れる状況になかった。こちらは自分の目で状況を確認し、把握したため、断念することに納得できた。だからといって、マナスルを諦めたわけではない。
「ガイドにその場で聞いたんです。来年はひとりでも来るけれど、それでもお願いできるか、って」
 このときガイドしてくれたのは、2013年のエベレスト以来の友人であるダ・デンリ・シェルパさん。長い付き合いから、この人とならば登れるという信頼感があったという。そうして1年間、資金集めに奔走し、翌年、ふたたびマナスルへ(2017年はチベット全域で入山禁止となっていたので、シシャパンマは断念)。
「いざ登ってみると、例年よりも冬の訪れが早く、雪がどんどん降ってきた。前年のアイスフォールの崩落を考えると、待っていても状況はよくならなそう。シシャパンマみたいな思いは二度としたくないので、とにかくいけるところまで登ってみよう、ということになったんです」
 幸運だったのは、彼が彼女の力量を正確に把握し、能力の限界を見極めてくれたこと。そして直前にキリマンジャロの添乗仕事が入り高度順応ができていたこと。とはいえ、「三浦ドルフィンズ」で低酸素トレーニングを重ねており、日常的に出かける登山では、つねに負荷がかかるスピードで歩いていた。
「とにかく少しでも山頂に近づきたいので、声を出しながら登っていました。すごく辛いんだけど、そうしないと呼吸ができなかったので」
 登頂時、強風で知られる山頂は、無風に近い快晴だったという。マナスルの周囲に高い山はなく、足元には雲海が広がり、そこから山頂だけが空に向かって突き出している。
「まるで、世界のてっぺんに立っているような気分でした」
2年越しの思いを叶えたマナスル登山。雲海に浮かぶのはマナスル山頂の影。photo by Kyoko Iwata
 冬に追われるよう夢中で登頂し、ひと息ついた下山時、雲海に映る山頂の影を見て、はじめて涙がこぼれた。周囲を眺める余裕がないほど必死の登頂。結果として、ひと月かけるはずの登山に擁した日数はわずか6日。それはこの年のマナスルにおける最速記録だという。
「記録のことは知らず、下山後に聞きました。あんまり早く終わったので、予約していたヘリをキャンセルし、周遊コースを歩いて下山したんです」
 山懐でできるだけ長い時間を過ごしたい。そんな思いを抱えて遠征登山に臨んだマナスル。はからずも6日間で成功した登山は、ともすると、彼女にとっては、どこかもの足らないものだったのかもしれない。

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ライター
麻生弘毅

1973年生まれ、フリーランスライター。カヤックやバックパッキングなどによる、長い旅が好き。著書に北極圏の泥酔紀行『マッケンジー彷徨』(枻出版社)がある。

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