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岩田京子、8848mエベレストへ——本当の自分に会いにゆく

2019.05.03 Fri

麻生弘毅

麻生弘毅 アウトドアライター、編集者

登山ガイドとして活躍し、山登りの楽しさを伝える投稿でakimamaを盛り上げてくれる岩田京子さん。そんな彼女が、2016年のチョ・オユー、2017年のマナスルに続く8000m峰であり、世界最高峰のエベレストに挑みます。なにを求めて彼女は大いなる山へと向かうのか、出発前の心境をたずねてみました。
控えめに淡々と自身を語る岩田京子さん。photo by Mutsumi Tabuchi
「8000m峰の話をするのは、本当は少し苦手なんです」
 控えめに彼女は笑った。曰く、どうしても実力以上の「登山家」ととらえられてしまうし、じつのところ、高いところは苦手だし……。
 登山ガイドの岩田京子さんは、2016年にチョ・オユー(8201m)、2017年にマナスル(8163m)へと登頂し、この春、満を持してエベレスト(8848m)へと向かってゆく。
「とはいえわたしの場合、ガイドを頼み荷物を持ってもらっているし、酸素を吸ってもいる。みなさんが想像するような登山はできていないので」
 そう繰り返す姿に誠実さが表れる。偉大な山に登ることで、自分を大きく見せることだってできるだろうに。
 山登りは、みながそれぞれのレベルで楽しむことができる間口の広さをもっている。それでいて心の有り様と深く結びついているので、標高でははかりしれない奥行きがある。とはいえ、8000m峰ともなると、さすがに超人的な行為なのでは。
 そんな素朴な疑問を口にすると、そんなことはないと説明するのに疲れてしまって、と困り顔。
「わたしがどのくらい普通かっていうと……」
 そう言うと、いままで歩いてきた、鎌倉の小さな裏山を振り返った。
「何度か息切れがして、しんどいよって、喉まで出かかったくらいだから」
 びっくりでしょうと頬を緩め、岩田さんはにっこりと笑った。

 彼女が山と出合ったのは30歳を過ぎた頃、きっかけは鬱だった。自ら仕事を詰めこみすぎる一方で、私生活もうまくいかない。そうした状況を説明しようにも、言葉が出てこず、呼吸もままならず、涙がぽろぽろこぼれるばかり。
「人の目が怖いので、部屋にずっと籠もっていました。そのうち、それにも息が詰まり、人のいないところに行こうとバイクに乗って出かけたんです」
 旅先でツーリングマップを開くと、そこに山があることに気づく。そうして地図を持つことも知らぬまま、山裾を歩きはじめた。
「息もできないくらいだったのに、山に行くと体が動く。それが単純に嬉しかったんです」
 外からの情報を遮断するように、山道へと踏み出す。黙々と歩いてゆくと、日常をわずらわす想念が霧散し、呼吸をしていること、筋肉を使っていることに集中できた。山頂に近づき、歩くのが辛くなってゆくと、そんなことを意識する余裕すらなくなり、頭のなかはさらにクリアになってゆく。
「自身を冷静に見つめ、心を整理してゆくことが、当時のわたしにとって大切だったんです」
 ところが、知識を持たぬまま、吸い寄せられるように山へと向かうなかで、あるとき道に迷ってしまう。
「こんなことをしていてはだめだと思いいたるうちに、百名山というものがあることを知りました。人のいる山ならば大丈夫だろうと思い、登りはじめたんです」
 人のいないところに行きたかったのに。そう言って笑いながら、言葉を続ける。
「ひとりで山に登っていると、登山者や地元の方々が声をかけてくれる。誰のことも信じられない時期だったから、見ず知らずの人が温かく接してくださることが、救いになったのだと思います」
 その一方で、自分の身を守るためにきちんと山を学びたいと思った。
「ガイド登山という登り方があることを知り、お願いをしようと思いました。ただ、事前になにを教えてくれるかを把握しておいたほうがいいだろうと、教本を買って勉強をはじめたんです」
 そうして3年ほどの間に80の百名山を登る。しだいに海外の山にも目を向け、マレーシアのキナバル山(4095m)へと足を延ばした。次に目指すのは、ネパールのアンナプルナサーキット(8091mのアンナプルナを周遊する、230kmのトレッキングコース)だ。
「そんな夢を描いていた頃に、参加したバックカントリーツアーで、ガイドさんとリフトが一緒になった。何気なく、ネパールに行ったことはありますか、ってたずねたんです」
 声をかけたのは、国際山岳ガイドにして、ヒマラヤをはじめとした高所登山のスペシャリストである近藤謙司さんだった。すると「アンナプルナもいいけれど、1カ月後にエベレストに行くから、ベースキャンプ(5364m)まで一緒に来ないか」と誘われた。
「これも縁だと思い、近藤さんの素性も知らないまま、当時勤めていた会社を辞めて、エベレスト遠征についていったんです」
 この2013年の旅では、山頂を目指す隊員とともに高度順応のためロブチェ・ピーク(6119m)へと登るのだが、標高4000mほどの地点で過呼吸を起こし、気管支の障害をともなって倒れこんだ。
「呼吸していることが認識できずパニックになり、意識不明に。気がつくとシュラフを3枚重ねてもらい、エベレストで使うはずの大切な酸素を吸わせてもらっていました」
 トイレに行くのにも抱きかかえられるような状況のなかで、譫言のように「大丈夫です、登れます」と繰り返す。
「考えてみると、キナバルでも具合が悪くなり、戻していました。ロブチェ・ピークに立てたのは、本当に近藤さんのおかげです」
 体調が回復すると、ベースキャンプにおいて、上部キャンプとの無線交信、日本との連絡、遠征隊のブログ更新や記録撮影などの仕事におおわらわ。キャンプを切り盛りしながら、登山者を見送っては迎え入れる。登頂できた人、できなかった人、登頂できたものの廃人のように倒れこむ人……数々のドラマとともに、高所登山の現場を目の当たりにした。
「いつかここに戻ってきたい。そのときのためにも、もっと高所に強くなりたいと思ったんです」

 帰国後は、海外登山に強い旅行会社で添乗員として勤務、キリマンジャロ(5895m)やネパールトレッキングなど、各国の山々へ。その後は、高所登山とガイドの仕事を学ぼうと、近藤謙司さん率いる「アドベンチャーガイズ」に在籍。こうして経験を積み重ね、2016年、チョ・オユー、シシャパンマ(8027m)、マナスルの3座連続登頂にチャレンジした。初めての8000mに際し、3つ連続で登ろうとしたのはなぜだろう。
スリーパスから眺めるチョ・オユー。この姿に惹かれ、頂上を目指すことに。photo by Kyoko Iwata
「エベレストのことは頭の片隅にあったけれど、公募登山では過去に8000m峰を登っていないと挑戦できないんです。それにエベレスト登山の費用はとりわけ高い。それに比べてこっちは3つ一緒でなおかつ安いの? みたいな感じです」
 もうひとつの理由は、3座登る分、長い時間を山で過ごせるということ。できるだけ自然のそばにいたいと願う彼女が、たっぷりひと月以上かかる遠征登山に魅せられたわけは、そんなところにもある。
 そうして挑んだひとつめのチョ・オユーに無事登頂したものの、ふたつ目のシシャパンマでは、心拍数の低下により、登頂断念を余儀なくされてしまう。悔しくて悔しくて、顔の形が変わるほど泣いたという当時の心境を、ブログにこう綴っている。
 

誰のせいでもなく自分のせい

山にも受け入れて
もらえなかった

どんなに頑張っても
誤魔化しはきかなかった

私の身体はやはり
昔のままだったのか…

幼い頃から
やりたいこともやれずに
苦しめられてきた
この身体で行けるとこまで
チャレンジするつもりだった

(中略)

20歳まで
生きられないかもしれないと
腹をくくっていた幼少期

それから
こんなにも長く
人生を楽しませてくれて
やりたい事に
チャレンジさせてくれた

それだけでも
充分幸せだとは思う

自分の身体に
感謝する時がきたのかな…

でも、まだ諦めたくない
 

「子どもの頃から喘息がひどく、病院にある吸引器を自宅に置いてもらっていました。それがないと、途中で苦しくなり、みんなと一緒に通学できないくらいで」
 それが原因なのか同級生ともなじめず、「うっすらいじめられていたかも」と笑う。そして中学3年生のときには大きな発作を起こし、これ以上の手立てはないと医者に宣告されてしまった。
「両親は多忙な仕事をなげうって、いろいろな病院に連れていってくれ、お医者さんも手を尽くしてくれていました。これでもだめなら、もう無理なんだろう……みたいな気持ちはありましたね」
 それでも、負けず嫌いな性分からマラソン大会に出ては倒れ、どうせ生きられないならと煙草に手を伸ばしては停学になったり。
「ありがたいことに、高校を卒業する頃には発作を起こさなくなったんです。それだけに、シシャパンマの登頂断念は悔しかったんです」
 喘息持ちということもあり、元々心拍数は44~45と低かった。シシャパンマでは高度順応がうまくいき、SPO2(動脈血酸素飽和度)数値も良好。ただ、心拍数が20台を記録するなかで、登らせるわけにはいかないという判断が下った。
「決定に異論はないけれど、なぜ数値がそうなるのか、そのまま高所に行くとどうなるかを把握し、説明できないことが悔しかったんです」
 続くマナスルは時期が遅れたため、アイスフォールが崩落し、登れる状況になかった。こちらは自分の目で状況を確認し、把握したため、断念することに納得できた。だからといって、マナスルを諦めたわけではない。
「ガイドにその場で聞いたんです。来年はひとりでも来るけれど、それでもお願いできるか、って」
 このときガイドしてくれたのは、2013年のエベレスト以来の友人であるダ・デンリ・シェルパさん。長い付き合いから、この人とならば登れるという信頼感があったという。そうして1年間、資金集めに奔走し、翌年、ふたたびマナスルへ(2017年はチベット全域で入山禁止となっていたので、シシャパンマは断念)。
「いざ登ってみると、例年よりも冬の訪れが早く、雪がどんどん降ってきた。前年のアイスフォールの崩落を考えると、待っていても状況はよくならなそう。シシャパンマみたいな思いは二度としたくないので、とにかくいけるところまで登ってみよう、ということになったんです」
 幸運だったのは、彼が彼女の力量を正確に把握し、能力の限界を見極めてくれたこと。そして直前にキリマンジャロの添乗仕事が入り高度順応ができていたこと。とはいえ、「三浦ドルフィンズ」で低酸素トレーニングを重ねており、日常的に出かける登山では、つねに負荷がかかるスピードで歩いていた。
「とにかく少しでも山頂に近づきたいので、声を出しながら登っていました。すごく辛いんだけど、そうしないと呼吸ができなかったので」
 登頂時、強風で知られる山頂は、無風に近い快晴だったという。マナスルの周囲に高い山はなく、足元には雲海が広がり、そこから山頂だけが空に向かって突き出している。
「まるで、世界のてっぺんに立っているような気分でした」
2年越しの思いを叶えたマナスル登山。雲海に浮かぶのはマナスル山頂の影。photo by Kyoko Iwata
 冬に追われるよう夢中で登頂し、ひと息ついた下山時、雲海に映る山頂の影を見て、はじめて涙がこぼれた。周囲を眺める余裕がないほど必死の登頂。結果として、ひと月かけるはずの登山に擁した日数はわずか6日。それはこの年のマナスルにおける最速記録だという。
「記録のことは知らず、下山後に聞きました。あんまり早く終わったので、予約していたヘリをキャンセルし、周遊コースを歩いて下山したんです」
 山懐でできるだけ長い時間を過ごしたい。そんな思いを抱えて遠征登山に臨んだマナスル。はからずも6日間で成功した登山は、ともすると、彼女にとっては、どこかもの足らないものだったのかもしれない。

 マナスル登頂から1年半後の2019年春、彼女はエベレストを目指している。
 彼女らしいと思うのは、エベレスト登頂後、標高7900mのキャンプ4まで下り、そこから世界第4位の高峰であるローツェ(8516m)に登り返してから下山する、という計画を立てていること。4年で3度の遠征にかかった費用は、考えたくないぐらいの額だと笑う。アルバイトの地中海料理屋で仕事を終え、そのまま山まで車を走らせ、車内で仮眠をとり山頂へ。下山後、間に合えばふたたびアルバイト、そしてまた山へ……。普段から節約し、少しでも体を動かすため、ザックに食料と飲み物を詰め、できる距離ならば歩いて移動する。ここ数年は体力の衰えを感じることもあり、仕事とプライベートを合わせ、山を歩かない日は週に一度あるかないか――。
「おかげで体調はよいのですが、費用がまだ足りないので、今回もガイドしてくれる友人へ支払う一部は、帰国してから送金するんです」
 だからエベレストで死ぬわけにはいきません、とにっこり。そして、今回の山行は、わくわくする気持ちが大きいという。2016年の3座連続のときは、彼女の撮った写真でポストカードを作るなど、友人たちが惜しみなく協力してくれた。そうした援助は喉から手が出るほど欲しいもので、非常にありがたかったが、期待にこたえようと自らに強いプレッシャーをかけてしまった。2017年のマナスルは、シシャパンマの失敗を取り返すべく、過剰に意気ごみすぎた。今回のエベレストの道中は、ツアー仕事で何度も通い、顔なじみのロッジがあり、懇意にするガイドやおばあちゃんや子どもたちが暮らす、慣れ知ったもうひとつの故郷のような土地。ネパールの山々は人々が温かく、どこか東北の山々の雰囲気を思わせる、大きな里山のようだと話してくれる。
「あるとき、高度順応中のハイキングで、雨が降ったんです。すると、そこにいたお母さんが、牛を放牧する人たちのお休み小屋へと招いてくれ、できたてのヨーグルトをお椀いっぱいに食べさせてくれたんです。雨を眺めながらそれを一緒に食べ、のんびりとお話を……」
 彼女の「長く山にいられる遠征登山」には、こんな情景が含まれている。
「本当のことを言うと、3座連続の頃は、山に登ることで有名になりたい部分もあったんです」
 そうした考えとは無縁だと思っていた。真意をはかりかねていると、視線をそらす。
「理由があって、会えなくなった人がいるんです。ブログを書いているのも、大きな山に登るのも、当初は、わたしは元気にしているよと伝えたい部分があったんですね」
 そうして、ようやく相手の消息を掴み、ブログを読んでもらい、こちらの状況を把握してもらっていることを知り得た。
「そういうこともあって、エベレストでは、ようやく自分の山にゆったりと向き合える気がするんです」
 自身の存在を届けたくてヒマラヤに登る。思いが叶ったいま、なぜふたたび山を目指すのだろうか。
「6000mを超えると、いっぱいいっぱいになって、すごく我が出てくるんです。人のことを思いやったり、よく見せようなんて考えられない。シェルパの前でトイレはするし、ラーメンを出されても、これを食べなきゃ死んでしまうとばかり、とにかくひとりでかきこむんです」
 理性が押さえこんだ野獣が解き放たれるとするならば、それを目の当たりにするのは恐くないのだろうか。そうたずねると、食い気味くらいの勢いで、逆ですよ!
「生き物としての欲求がシンプルに表れるというか、わたしが思っている自分ではない人格がある。そんな自分の素の姿を、ある意味、冷静に見ることができるんです。高所に行くほどに、素直な自分になっていくんじゃないかな」
 やっぱり強いと思う。
 師匠の近藤謙司さんは、8000mの世界を「生まれたその日から今日まで、人生のすべてをかけて築いてきた、人間として、生物としての総合力、生命力が試される場」と表現する。誤解を恐れずに言うと、8000m峰を登ることへの体力的な問題は、超人でなくともクリアできるのかもしれない。ただ、それ以上に重要なのは、精神をえぐるような試練に耐えうるか、なのだろう。極限状態に晒され現れた剥き出しの自身を直視し、克服する覚悟があるのか。そうして、それらを乗り越えて立つエベレストの頂には、なにがあるのだろうか。
「そこは、登ってみたいという好奇心だけです」
 8000mの山頂に立てたとしても、体力、筋力、高度順応による心肺的な強さなどは下山後、たちどころに霧散するという。それどころか、脳細胞がやられるのか、言葉が出てこないこともしばしば。
「得られるものは、経験でしかないんです。ここまではがんばれる、冷静でいられるということを知り、人としてちょっとは強くなれたかなという自負、それだけですね」
 そのすばらしさは行った人にしか分からないのだろうねと言うと、登っても分からないよと大笑い――。
 そんな岩田さんの言葉を聞きながら思うのは、「共感」という言葉の難しさだ。
 山頂で味わう血液が沸騰するような達成感、望んだ結果が得られないときの胸の張り裂けるような痛み、そして、他者の登山に心が震える情動も、誰のものでもない個人の感情だ。目の前で転び、血を流して泣き叫ぶ我が子の痛みひとつ肩代わりすることができないように、わたしたちは徹底的な個であることを前提に、だからこそ、心を同じくする誰かに気持ちを寄せたいと願っている。度重なる病や別れを乗り越えてたどり着いた8848mからは、はたしてどんな景色が見えるのだろうか。
小さな山をつないで北鎌倉から鎌倉、そして海沿いを歩いて逗子へ。日常的に歩くので、できるだけ違う山を訪れるという。
 鎌倉の小さな山を抜けて海へ。そのまま海岸線を歩いてゆき、マリーナと漁港、そして秘密の小道を抜けると、逗子海岸が広がっていた。冷たいビールを飲みながら、仕事の山行と個人的な登山の違いについて聞いてみる。
「高所登山は自分のための登山。それを仕事にする力は、とてもじゃないけどありません」
 職業ガイドとしての岩田さんは、ともに山登りを楽しむ同志でありたいという。わたしでも登れるということを知ってもらい、山に行く人が増えることに役立ちたい。そうして、おこがましいことだけれどと前置きし、続けた。
「山に限らず、なにかを諦めてしまうことってありますよね。とくに、小さな子どもや中学生が自らの命を絶つような……」
 そんなに大げさじゃないけれど、わたしもそうなりそうなことがあったから。ぽつりつぶやく。
「たしかに、学校という小さな囲いのなかだけを見ると、居場所がなくて死んでしまいたくなるかもしれない。だけど大丈夫、世界はそこだけじゃないよ――そう言ってあげたいんです」
 わたしは何者でもないけれど、こんな人間もいるんだよと知ってもらえたら。
「そういう意味で、山登りという趣味で、誰かの役に立てたらいいなって思っています」
 2019年5月初旬、いまこの瞬間にも、彼女はエベレストのベースキャンプから空を見上げ、遙かな頂を目指している。
 


(いわた・きょうこ)1976年生まれ、登山ガイド。広告代理店やアウトドアメーカー、海外登山に強い旅行会社、近藤謙司さんが率い、冒険をプロデュースする「アドベンチャーガイズ」勤務を経て、登山ガイドに。2019年5月初旬現在、エベレスト山頂を目指して登攀中。旅の模様はブログにて。

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