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「登って、そこに無限の美を感受する」 吉田博の大回顧展が20年振りに開催。

2016.02.29 Mon

A kimama編集部

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 来たる4月9日から5月22日、「生誕140年 吉田博展」が千葉市美術館にて開催される。代表作に加え、初公開の写生帖などあわせて300点超の展示となり、20年振りの大回顧展になるという。岳人にはお馴染みの高山や渓流、日本の自然風景、世界各国の名勝が描かれている。山好き、アウトドア好きには必見の展覧会となりそうだ。

 とりわけ山を愛した吉田博は、山に篭もり自然のなかに自らの身を委ねて描いた画家だった。

 吉田博(1876-1950年)は、明治から昭和にかけて活躍した風景画家。作品のなかでもとくに木版画は、アウトドアブランドのショップやカタログの表紙を飾ることもあり、たびたび目にする機会があった。たとえば《エル・キャピタン》は、見たことがある人が多いのではないだろうか。モダンな印象から、これが90年も前に描かれたものとはとても思えない。


《エル・キャピタン》 木版 大正14(1925)年 千葉市美術館蔵

 吉田博を木版画家と思っている人も多いかもしれないが、木版画は44歳のときからだ。生涯では油彩のほうが作品数は多く、水彩も残している。日本の伝統的な木版画に、新しい西洋画の要素を入れて制作に取り組んだ吉田。その生涯は、反骨心、開拓精神にあふれ冒険的でとても興味深いものがある。

Episode.1 2ヶ月におよぶ山篭もりの写生旅行
 19歳の夏、丸山晩霞とともに2ヶ月にもおよぶ山篭もりの写生旅行へと出かけている。信州上田の大屋から千曲川を渡り、三才山峠を越えて松本へ。さらに梓川から安曇、稲核を経て白骨温泉、平湯温泉、船津を経て神通川から古川、そして飛騨高山まで。帰路は野麦峠を越えて奈川経由で再び松本、最終的には上田へ。このときの経験は、とても感慨深いものがあったようで、後々まで語ることがあったとか。
 夏に長期にわたる山行。汗にまみれた重ね着に日焼けした肌、無精髭に伸び放題の髪。かついだ画架が槍のようにも見え、なんとも近寄りがたい風体だったため、警官から尋問を受けた。このとき、警官が絵になんくせをつけたとかで、吉田は猛然と抗弁したという。
《穂高山》 油彩 大正期(1913-26) 個人蔵

Episode.2 言葉も分からない異国で大成功の奇跡
 1899年(明治32年)23歳のとき、中川八郎と渡米。アメリカ行きのきっかけとなった美術収集家を訪ねるが、あいにく数ヶ月の留守だった。あてもなく、二人はデトロイト美術館へ。模写をしたいと身振り手振りで伝え、日本から持っていった絵を見せると、「これは素晴らしい!」と、館長の目に止まる。あれよあれよという間に、二人展を開くことになった。連日大勢の客が訪れ、絵は飛ぶように売れ大成功を収めたという。その売り上げをもとに、ニューヨーク港からヨーロッパへ。ロンドン、パリ、ドイツ、スイスを巡り、再びアメリカに戻ったあと、1901年に帰国した。


《日本アルプス十二題 劔山の朝》 木版 大正15(1926)年 千葉市美術館蔵

Episode.3 自然のなかに身を置き、描くのがポリシー
 「日本アルプスは全部歩いた」と言うほど、吉田博は何ヶ月も山で過ごし、絵を描き続けた。足繁く山に通っていたのは、おもに30代前半から50代前半までの間。その山行を上條嘉門次や遠山品右衛門、小林喜作といった山案内人たちが支えていたという。吉田は著書『高山の美を語る』(1931年出版)のなかで、「山の先輩」というタイトルをつけ、三人への思いを綴っている。 
 吉田は、待ちに待った決定的瞬間が訪れると、ほとんど重ね塗りをせずに一気に描き上げた。画面左下隅から描きはじめ、画面中央を経て右隅に到達した時点で完成をみるという。
 とあるアメリカ雑誌の取材で、「画家は自分が描いているものを感じなければならない」とこたえている。あるアメリカの風景画家が雪景色を描いた。色づかいも適切で素晴らしいものだったが、感動しなかったのだという。それは画家自身がストーブのある場所で、窓越しに雪景色を眺めて描いていたからだと。自然のなかに身を置き、描くことにこだわった吉田らしい。

Episode.4 40代後半から新たなチャレンジ、木版画
 1920年(大正9年)に、明治神宮奉讃会から依頼された「明治神宮の神苑」を、渡辺木版画店を通じて初めて版画化し出版。これが吉田にとっての木版画第一号となる。そして、関東大震災の救済目的で渡米した折、吉田自身があまり評価していなかったものが売れたり、決して程度が高いといえない浮世絵が高値で取引されていたりしたという。そのような背景もあってか、独自の監修による木版画制作を開始する。
 木版画は絵師、彫師、摺師といった分業からなるが、絵師(画家)は最高のディレクターとなるべきだと新たなチャレンジに乗り出す。彫師や摺師にも指示しなければならないと、自らも彫りや摺りの技術も習得し追求したという。そうして出来上がった作品には「自摺」の二文字がつけられている。

《急降下爆撃》 油彩 昭和16(1941)年 個人蔵

 数々のエピソードを見ていくと、人間・吉田博にとても興味が湧いてくる。時代、そしてを生きざまを踏まえて、作品を見るとまた奥深い。1938年(昭和13年)からは3年続けて従軍画家として中国に派遣されていた。すでに齢60を迎えていたが自ら戦闘機に乗り込み、飛行を体験したという。そのときの経験を、≪急降下爆撃≫として残している。終戦後、自宅が進駐軍に接収されそうになったときは、アトリエが画家にとってどれだけ大切なものかを、得意の英語で雄弁に抗議したこともあったとか。強い意志と行動力はいくつになっても健在だったようだ。


 「生誕140年 吉田博展」会期中は講演会も開かれる予定だ。講師には、博の孫にあたる版画家・吉田司氏やアーティスト・吉田亜世美氏も迎えられる。吉田家は博の義父・吉田嘉三郎から数えて四代にわたる芸術一家。親族だからこそ知り得る貴重な話しが聞けるだろう。講演会の日程詳細は、千葉市美術館のホームページまで。

  1931年(昭和6年)に出版された『高山の美を語る』は、画家の視点から美的方面から山について綴られたものだが、「登山の携帯品」や「山の歩き方」といった指南のページもある。長年の山での経験が綴られ、独自の見解も面白い。こちらはすでに絶版となっているが、国会図書館のデジタルコレクションでインターネット公開されているので、誰でも見ることができる。明治、大正、昭和と激動の時代にありながらも、山に魅了され、世界を旅した吉田博。大回顧展が待ち遠しい。

吉田博(1876-1950年) 福岡県久留米市生まれ。早くから画才を見込まれ、洋画家・吉田嘉三郎の養子となる。京都で三宅克己の水彩画に感銘を受け、以来本格的な洋画修業を開始。明治27年に上京し不同舎に入門。小山正太郎のもとで風景が写生に励み技を磨く。明治32年の初渡米をはじめヨーロッパ各地を訪問、作品を発表。それ以降もたびたび各国を巡り水彩画や油絵を発表した。30代前半からは頻繁に山岳をモチーフにし、山篭もりをする。40代後半から木版画に取り組む。写実的で洋画の要素を取り入れた作風は、外国にもファンが多い。

「生誕140年 吉田博展」
場所:千葉市美術館(千葉県千葉市中央区中央3-10-8)
観覧料:一般1,200円、大学生700円、小・中学生と高校生は無料
(※モンベルクラブメンバーズカードを提示すると、割引きが適用される)
開催期間:2016年4月9日(土)から5月22日(日)
開館時間:日-木曜日 10-18時、金・土曜日 10-20時
(※入場受付は閉館の30分前まで)
休館日:4月25日(月)、5月2日(月)

今回特別に、「生誕140年 吉田博展」の招待券を5組10名様にプレゼント!ご希望の方は、下記からお申込みください。締め切りは、3月15日(火)正午。当選は招待状の発送をもって発表とかえさせていただきます。

終了いたしました。

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