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【連載】日本のロングトレイルを歩く vol.01〜ロングトレイルってなに?
2018.05.14 Mon
宮川 哲 編集者
日本のロングトレイルといって、まず思い浮かぶのは、やはり信越トレイルだろう。新潟と長野の県境にまたがる関田山脈に敷かれた一本のトレイルである。このトレイルの構想が生まれたのが、2000年のこと。2018年のいまから考えても、まだ20年も経っていないことに驚く。
ロングトレイルといえば、いまや登山にも匹敵するほどにメジャーな言葉ともなっており、日本全国、北から南まであらゆるところにトレイルが敷かれている。たとえば、根室のランチウェイ、三陸のみちのく潮風トレイル、中央分水嶺トレイルや八ヶ岳山麓スーパートレイル。西に目を向ければ、高島トレイルを筆頭に、山陰海岸ジオパークトレイルや広島湾岸トレイル、国東半島峯道トレイルなどなど、枚挙に暇がない。この20年のあいだに、ロングトレイルという歩き方が日本人にも認知されたということなのか。
関田山脈に敷かれた信越トレイルは、深いブナの森に覆われている。5月のトレイルは、水溜りまで新緑に染められていた。
古い話で恐縮だが、2000年の当時に関わっていた『Outdoor』(山と溪谷社)という雑誌に、ロングトレイルを特集した号がある。日本のロングトレイルの生みの親といっても過言ではないだろう、作家の故・加藤則芳さんが「ロングトレイルとはなにか」をテーマに、その魅力や可能性を語ってくれている。
実はこの一冊が、信越トレイルが誕生するきっかけをつくっていた。加藤さんが担当をしていたこの号に、特集とは別にモノクロのベタ記事がある。「巨樹やブナの森を守るためのふたつの活動が発足」という記事には、鍋倉山のブナの森を守るために生まれた「いいやまブナの森倶楽部」が立ち上げられたことが書かれていた。これを見た加藤さんが、同じ年の春先に自らの足で飯山を訪れ、活動の拠点となっていた「なべくら高原・森の家」の戸を叩いたのだ。森の家は、後にNPO法人の信越トレイルクラブの中心地となる場所だった。信越トレイルの誕生秘話については、また後日、詳しく紹介したいと思う。
日本において、ロングトレイルという言葉がまだ初々しくあった時代に、加藤さんはロングトレイルの未来を予見していたのだろうか。ともあれ、扉を開けてくれたのはたしかなこと。加藤さん自身は、まだアパラチアン・トレイルを踏破する前の話である。
ロングトレイルとはなにか。考えてみれば、日本にはその当時にもさまざまなトレイルがあったはずだ。その当時どころか、もっともっと遡れるはず。江戸時代の五街道しかり、お伊勢参りや大峰の奥掛や四国のお遍路も、その範疇にも入れられるだろう。また、日本には数限りない山道がある。峰と峰をつないで歩けば、稜線の縦走路だって立派なロングトレイルとなる。
日本には寺社仏閣につながるいにしえの小路がたくさんある。「◯◯詣」と名のつく行事を実施していた人たちは、かつてのロングハイカーだったのかも!?
実際、前出の『Outdoor』で加藤さんが歩いていたのは、八ヶ岳の自宅(当時)から編集部のあった港区までをつなぐオリジナルのロングトレイルである。八ヶ岳を越え、奥武蔵から奥多摩を経て多摩川沿いを下る200kmにもおよぶトレイルとなっている。整備されたトレイルの生まれる前のロングトレイルは、ともすると、もっともっと自由だったのかもしれない。地図を見て自分で道をつないでいく楽しみも、山歩きの醍醐味のひとつであるように。
見上げれば、くじらぐも。歩くスピードでしか出会えない風景がある。そんな一瞬のときを大切に歩く。これも、ロングトレイルの魅力なのかもしれない。足元には季節の彩。夏には夏の、秋には秋の、自然が奏でるとっておきの空間がある。これも歩くスピードでなければ、見つけられない瞬間だろう。
加藤さんは、ロングトレイルを「壮大な長編小説」であると形容していた。デイハイクはショートショート、1泊2日の山旅は短編小説で、それに比しての長編小説である。読み終えたときの興奮や達成感、満足感は、長大なロングトレイルを歩き終えたときのそれに似ている、と。
さて、ロングトレイルとは……。
不定期というかたちではあるものの、Akimamaではこれ以降、ロングトレイルをテーマとした連載企画を展開します。日本に根付いたロングトレイルの世界へ、いざ。乞うご期待!!