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ザ・ノース・フェイス『MIURA ACONCAGUA 2019トークショー』に行ってきました!

(2019.03.04)

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 三浦雄一郎さん・豪太さんによるアコンカグア遠征報告会、ザ・ノース・フェイス『MIURA ACONCAGUA 2019トークショー』が、2月19日にEBIS303で開催されました。

 当日の会場は、事前に抽選応募で当選された500名の参加者で満員! トークショー開始10分前には、ほぼ着席も完了しており、今回の挑戦が残念な結果になったことをすでにニュースなどで知っていても、なお関心が高いことがうかがえました。

今回の遠征の装備品。(左)三浦雄一郎さん、(右)三浦豪太さん

 午後7時の開演とともに、今回の遠征を振り返えるダイジェスト映像の上映がスタート! 滞在した街やベースキャンプへのアプローチの道のり、高度順応と食事の様子など、いままでメディアで断片的にみてきた情報が、映像になって次々とスクリーンに映し出されていきます。

 そして、なんといちばん辛かったであろうドクターストップの瞬間の映像も公開されました。なんとも緊迫したこの映像は、じつはカメラマンの平出和也さんに豪太さんが「カメラストップで」と指示出ししたあとも、こっそり撮影していたものだそうです。

 上映が終わると同時に、三浦雄一郎さん・豪太さんが登壇されてトークショーが開始。写真や地図をみながら、今回の作戦、食事、医療、現地の環境についての詳細をおふたりの言葉でたどっていきます。

会場入口には、遠征中の様子をコラージュしたパネルが展示されていました。

 現地(アルゼンチン)でも、三浦雄一郎さんのファンが多く、日常的に100mも歩かないうちに握手を求められていたそうです。また、現地滞在中の地元の医師の診断も綿密に行なわれ、現地の人もアコンカグア山への登頂成功を全面的に応援してくれていたそうです。準備がととのったのち、今回は山頂アタックまで体力を温存するという計画で、山へのアプローチは4,200mのベースキャンプ、プラザ・アルヘンティーナから、ヘリコプターで直接5,580m地点まで移動。そこから、プラザ・コレラ(5,970m)まで歩いて向かうという選択をしました。

 遠征の話を聞いていて印象的だったのは、登り方と環境についての話でした。今回の登攀リーダー倉岡裕之さんは、高所登山のプロフェッショナルであり、また下山後のダメージも少なくするというスタイルにも定評があります。雄一郎氏は、「倉岡さんのリードがよかった。300mずつ上がることで、6,000mまでスムーズに上がれた」と、とても高い評価をしていました。

 また、エベレストのあるヒマラヤ山脈と、今回のアコンカグアがあるアンデス山脈との環境のちがいについての感想も、しかりでした。アンデスは風が非常に強く、常にふいていることや、食事では肉が多いことなど。標高の高い山に登る大変さもありますが、山のあるエリアの環境など、いろいろな要素をクリアしていくことが、遠征を成功させるのに必要なんだと感じました。

今回の挑戦の作戦やルート、ベースキャンプについての解説をする三浦雄一郎さん。

 そして話は、冒頭のドクターストップの映像について、豪太さんが当時の状況を語っていきます。豪太さんは、過去のヒマラヤ遠征でガイドと相談して、体調不良や酸素不足もあり下山を提案したところ、雄一郎さんから「下山して、もう一度戻ってくることはできますか?」とガイドに相談されて過去があるという話をしつつ、今回のドクターストップによる下山の判断や、その説得には、同行していた国際山岳医の大城和恵さんの存在が非常に重要だったと話しました。

 映像でみると、15分くらいの出来事だったそうですが、豪太さんは「実際に現場では、とても長い時間に感じられた」と言っていました。また、雄一郎さんも、この豪太さんの話に答えるかたちで、「大城先生とは、高所登山以外の通常の生活でも診断してもらっていて、5年ほど(2013年の雄一郎さんが、80歳でエベレスト挑戦をした時から、チームドクターとして参加)の付き合いがある。なので、ドクターストップを伝えられてから、しばらく考えたが、今回は下山すると決心できた。」と言い、存在の重要さを強調していました。

 大城先生は、医学博士、日本循環器学会認定循環器専門医です。そして、日本人初の国際山岳医であり、TV番組や他の高所登山隊の遠征にも、チームドクターとして参加しています。昨年は、今回の登攀リーダーの倉岡さんのエベレスト隊に参加。自身も、チベット側からのエベレスト登頂を果たしています。豪太さんや他のメンバーとしても、こういった経験豊富な大城先生の存在は、今回の遠征チームに医学的な面での判断だけでなく、チームの一員として、とても重要な存在だったことが十分に伝わってくるエピソードでした。

遠征中の様子。三浦雄一郎さんの両脇を豪太さん、大城和恵さんが固める3ショットは、帰国後の記者会見でも信頼の厚さを感じさせられた。 (左)チームの集合写真 (右)アンデスの食事は、やっぱり「肉」!

 豪太さんの裏話的な、山頂登頂の話もおもしろかったです。当初、雄一郎さんがドクターストップで下山が決まった際、豪太さんもいっしょに下山するつもりだったそうです。ただ雄一郎さんは、今回のチームでは登攀リーダーの倉岡さんと雄一郎さん以外は、アコンカグアに登頂したことがないということで、せっかくここまで来たんだし、みんなで登頂して来なさいと指示して、豪太さんには、自分の帽子、サングラス、ザックを託し、ヘリコプターで下山。見事に全員で登頂成功したわけです。
 
 ですが、この登山隊のメンバーは、高所登山の超エリート集団だったのです! 登攀リーダーの倉岡さんは、高所登山のプロガイド。エベレスト9回(日本人最高登頂数)、アコンカグア5回など、数々の登頂を成功させています。3週間前にも別のガイドで登頂していたそうです。また、カメラマンで同行していた、平出和也、中島健郎の両氏は、昨年ピオレドールも受賞した、高所登山と撮影のプロ。つまり、豪太さん以外の3名は、高度順応も体力も万全の世界トップクラスのメンバーだったわけです。

 そして、今回の登頂は、通常2日かかる工程を1日でこなすというハードなものでした。こんな高所登山エリートメンバーとの登山で、豪太さんには相当ハードだったそうです。アコンカグアは、酸素を使わなくても登頂できる山だと言っていましたが、この時は先に書いた事情もあり、豪太さんは途中で酸欠状態になり、最終的には酸素を使って登頂しました。本人も、登頂時の写真をみながら「山頂でのガッツポーズの腕が肩までしか上がっていなかったのは、体だけでなく精神的にもキツかったから」と、苦笑いしていました。

 豪太さんは、アコンカグアの登頂後、5,500m付近からスキー滑走も行なっています。雪の状態はかなり悪く、南米特有のペニテンテス(雪塔。氷河の上の雪と氷が作り出す尖塔)の上では、ジャンプしながらターンをしないと曲がれない状態だったそうです。ただ、このスキー滑走によって、本人はとても気持ちを救われたそうで「自分はスキーヤーであり、スキーが大好きだと再認識した」とも言っていました。

豪太さんのアコンカグア5,500m付近からスキー滑走の写真。ペニテンテの上を滑っているのが写真からも、よくわかる。

 今回のプロジェクトは、非常に残念でしたが、三浦雄一郎さんからは、帰国早々の記者会見でも宣言されていた「次の目標は、90歳でエベレスト登頂!」ということを、改めてこの報告会でも、ご本人から聞くことができました。

 この計画に向けた具体的な遠征計画は、報告会のあとに行なわれた取材で、三浦豪太さんから発表されました。

・反省点として、この80~86歳の間に大きな遠征を一度も行なえていなかった。これも、今回のドクターストップにつながったのではないかと思う。

・今回は、三浦雄一郎は不完全燃焼で、体のダメージもほとんどない。原点回帰とトレーニングを兼ねて、スキーをたくさんして、ダイエットにもはげむ。

・90歳でエベレスト登頂というミッションに向けて、まずはロシアのエルブルース(5,600m)に遠征に行って体調を整えていきたい。

ということでした。

 三浦雄一郎さんのエベレスト登頂の挑戦は3度あり、いずれも成功しています。
 
 最初が2003年、70歳で世界最高齢登頂記録更新。2008年に75歳で登頂、2013年に80歳で登頂し、いづれも世界最高齢登頂記録を更新し続けています。

 もはや、常に人類最高齢記録の挑戦となっている三浦雄一郎さんに、90歳での挑戦の宣言は、たくさんの人々が勇気をもらったことでしょう。
 
 とはいえ、心臓の持病を抱えながらの挑戦であり、体を大事にされつつ、今後の活躍にも期待させていただきたいです。

 
 
ライター
北村 哲

登山、スノーボード、キャンプ、フェス、旅好きのフリーライター。プランナー/ディレクターとして、アウトドアやスポーツ関連のカタログ、映像、イベント、アーティストコラボ商品などの企画制作も行う。富士山好きで、吉田口の歴史や登山道に詳しい。

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