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【インタビュー】裏山で肉を獲る。罠猟がもたらす喜びと自由——千松信也さん/後編

(2019.12.31)

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『ぼくは猟師になった』(新潮文庫)で、罠猟をめぐる狩猟採集生活のいきいきとした喜びを、『けもの道の歩き方』(リトルモア)では、現代社会を生き抜く動物たちを代弁するかのように、狩る者の思考と葛藤を伝えてくれた、罠猟師の千松信也さん。そんな千松さんにお目にかかり、罠猟をめぐる豊かな暮らしを垣間見させていただきました。



【インタビュー】裏山で肉を獲る。罠猟がもたらす喜びと自由——千松信也さん/前編



 

 午後は、山へと案内していただいた。4年ほど前まで家族で暮らしていた山中の平屋は、いまも猟の起点として利用されている。廃材を使って自作した解体場が併設され、畑と鶏小屋、養蜂のための巣箱が並んでいる。小さな尾根は標高300mほどのピークへと続いており、そこが猟場のひとつになっていた。それは猟師の隠れ家として理想的な環境に見える一方で、小学校の鐘の音が聞こえるその様は、家族一年分の肉を確保する環境として、想像以上に開けているとも思えた。千松さんの著作によれば、この庭先までイノシシやクマがやってくる。

「これがイノシシの痕跡です」

 そう切り出したのは、踏み跡をたどりはじめて10分ほどだった。獣道の際にある木立に、泥を塗りたくった跡が残されている。泥に含まれる水分と地面からの高さにより、獲物が通った時刻と大きさを想定するという。その先のツバキの幹には、刻まれたばかりの鮮やかな傷跡があった。そうして左手の斜面に残された微かな踏み跡を指さす。

「谷筋の斜面から登ってきたイノシシは、尾根にぶつかったところの木に牙で目印を残すんです。縄張りを主張しているのでしょうが、ぼくらにはありがたい目印です」

 話から見えてくるのは、動物たちは無軌道な行動をしない、ということ。山には人為による危険があることを彼らは熟知し、だからこそ、すでに安全を確認してある通り道(獣道)から離れず、忠実にそこを歩く。罠猟はそうした動物の本能を利用した営みだ。だからこそ猟師は、足跡や牙による傷、ヌタ場(シカやイノシシが泥浴びをするための水たまり)の濁り具合はもちろん、わずかな土のえぐれや裏返った落ち葉、ちびた鉛筆ほどの小枝のあり方を見逃さず、意味を見出す。それらの痕跡から、夕べのできごとを読みとってゆくのだ。

「昨晩、2頭の子どもを連れた雌イノシシがこちら側からやってきたけれど、ぼくの罠に気づいて直前で踵を返したようです。母親は60kgくらいですね」

 閑散とした冬枯れの森は、想像以上に饒舌なようだ。

 千松さんはこうした猟の技術を職場の先輩猟師から教わったという。しかし師匠は、たずねることにはなんでもこたえてくれたが、猟場に誘うことはなかった。気になる痕跡を写真に収め、それを見せる。そうして「これがイノシシの跡や」と教わってゆく。

「でも結果として、この手法がよかったと思っています。泥の飛沫や牙かけの傷、それを最初に自分で発見することと、これがそうだと教わることには、大きな差があると思っています」

 答え以上に大切なのは、そこへといたる道筋。ゼロから思考と経験を重ねた蓄積を「知識」と呼ぶならば、自分がいま知った気でいることに、どれほどの知識があるだろう……。そうして、実際にくくり罠を仕掛けるところを見せてくれた。

「くくり罠の要諦は、8割が仕掛ける場所で、2割が施す技術です」

 山菜ナイフでていねいに土を掘り、罠を埋める。そこに土や落ち葉を被せて隠すのだが、掘り起こした土を利用することはない。

「掘り返した土は、深さによって粘土層になるなど、匂いと質、色が違うので、再利用しないことが多いです」

 イヌ以上の嗅覚を誇るイノシシを仕留める鍵が、この匂い。罠に使うワイヤーの金属臭を消すため、タンニンを豊富に含んだ樫の樹皮などと一緒に10時間以上煮こむ。それでも鋭いイノシシになると、隠した落ち葉などをよけ、罠を丸裸に晒した状態で去ってゆくという。その一方で、ひとたび危険がないと認識すれば、農家の納屋などに潜りこみ、種芋などを食い荒らす。

「つまり、匂いそのものよりも、環境の変化に反応しているのだと思います」

 10数年前より石けんやシャンプーの使用を止めていたという千松さんは、そこに気づいてから、一年を通して猟場を歩き回っているという。それは山菜やきのこを採るためでも猟期外の動物たちの様子を探るためでもある以上に、隠すこともごまかすこともできない自らの人間臭を山の香りの一部へと同化させるため、つまり自身の存在を山にあるものとするためだ。

「そのうえで、罠へといたる道筋に枝などを置き、そこにしか足を置けないような状況を作り出します。このときも、動物たちの顔が近く、よく見ているはずの山側の環境を変えないよう、配慮しています」

 時間がなかったり集中できずにいると、雑な罠になることもあるという。得てして、そんな罠に獲物はかからない。一方、基本構造やカモフラージュ、そこへと導く枝の置き方など、仕掛けるそばから「獲れる」という確信をもたらす傑作ができることも。

「そんなとき、罠はひとつの作品であるような気がするんです」

 誰にも見つからないよう秘めた芸術は、それが注目されないほど価値が高く、評価点は唯一、獲物がかかること。そして、その瞬間、作品は消えてなくなる。

 残り香を悟られず、周囲の環境変化に気を配る。そうして狙うイノシシを、広い山中を自在に生きるめざとくしたたかな野性の前足を、いかにワイヤーが描く直径12cmの輪に置かせるか———試行錯誤を繰り返しながら、くくり罠を通して、猟師は動物たちと丹念に対話を重ねている。

 夕方になると、奥様の裕香さんが小学4年の長男・小太郎くんと小学1年の次男・佐路くん、それぞれの同級生の姉妹ふたりとその母親をともなって解体小屋へやってきた。子どもたち4人はそれぞれにナイフを持ち、梁から吊されたシカを解体してゆく。

「これのどこに肉があるの?」

 毛皮に包まれた塊を見上げ、少女が首をかしげる。千松さんが胴体から太股を外して作業台に載せると、1年生の頃から解体を手伝っている小太郎くんが「肉のなかから骨を抜き出すつもりで」と彼女に語りかける。肉を切ろうとすると細切れになってしまうらしい。

 3人は黙々と肉塊から骨を取り出し、小太郎くんはこの日初めてだという首の切断に挑戦した。千松さんも裕香さんも最小限の言葉を挟むだけで、目を配りながら正確に手を動かし続けている。その風景は、いつか見た、イヌイットのクジラ猟のフィルムを思わせた。いや、それは遠い異国だけの話ではないのだろう。シカカツをつまみながら、底冷えする解体小屋での作業は3時間を超えた。

 解体を終えると、薪ストーブに火を点し、そのうえでシカやイノシシを焼いて振る舞ってくれてた。塩胡椒のみで味付けした野生肉はとてつもないなにかを凝縮し、脳の真芯を震わせてくる。よく見ると、快適な山中のアジトはあちこちに増築が施されていた。聞けば解体小屋と同じようにもらった廃材を用い、結婚を機に作った薪風呂も自作したという。

 棚にはさまざまな果実酒や干した薬草などが整然と並んでいた。6羽のニワトリは4人で食べる分の卵を毎日産み落とし、ミツバチたちは150リットルの蜂蜜を集めてくれたという。

「自給自足みたいなものを目指すつもりはありません。腹が減れば定食屋でとんかつも食うし、飲んで帰った日はガスを使ってシャワーも浴びますよ」

 裏山には「問題」になるほど動物たちがいて、使われないまま倒れた木がいくらもある———そうした状況は、太古から昭和中期まで連綿と続いた、食料と薪炭を里山に求めた時代にはとても望めない環境であり、技術や通信の進歩とは異なった現代の恩恵でもある。手足を動かすことで食料と燃料をまかなえる分、必要以上に働くことはない。千松さんは大学時代から縁のある運送屋で準社員として週に4日、猟期は週に3日働き、空いた時間で暮らしを自在に立ててゆく。

 猟師はなおも肉を焼いてゆく。不惑を過ぎてすっかり受け付けなくなったはずの胃が、するすると肉を飲みこんでゆく。グラスを片手にぼんやり思う。働いて稼ぎ、生活を買うことは、無条件にせねばならぬことではないのだ。

「誰も使わないなら利用させてもらうよ、くらいの営み……ですかね。そうすることで、少しだけ自由になり、気持ちが楽になるんです」

 千松さんが垣間見させてくれた自由とその魅力は、すんなり飲みこるようなものではなかった。なんとか自分なりに消化したいと考えながら、思いはあちらこちらへ。そんななか、以前お目にかかった、脱サラして有機農法で米作りをする青年の言葉を思い出した。

「有機で米作りというと、とてつもなく高度なことをしてるように思われるのですが、そうでもないんです。だからこそ、アジアの広い範囲で主食となり得ているのだと思います」

 家族の食を支える米を作ること、血眼で動物の跡を追うこと、満員電車にゆられて踏ん張ることも、たやすいことではない。それぞれがそれぞれの心に従い、よりよく生きるために日々を懸命に歩いている。そうして、必死で稼いで家を建てたり、人生をかけて山に登ったりするのだが、そこに本質的な違いはないのかもしれない。わたしたちは、生きるために生きている。

千松信也 
1974年、兵庫県生まれ。京都大学在学中から罠猟をはじめ、現在にいたる。この12月、3冊目となる著作『自分の力で肉を獲る 10歳から学ぶ狩猟の世界』(旬報社)を上梓。twitter.com/ssenmatsu

※取材は2017年12月に行なわれたものです。

〔写真=高桑信一 文=麻生弘毅〕

 
 
ライター
麻生弘毅

1973年生まれ、フリーランスライター。カヤックやバックパッキングなどによる、長い旅が好き。著書に北極圏の泥酔紀行『マッケンジー彷徨』(枻出版社)がある。

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