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【インタビュー】裏山で肉を獲る。罠猟がもたらす喜びと自由——千松信也さん/前編
2019.12.26 Thu
麻生弘毅 ライター
『ぼくは猟師になった』(新潮文庫)で、罠猟をめぐる狩猟採集生活のいきいきとした喜びを、『けもの道の歩き方』(リトルモア)では、現代社会を生き抜く動物たちを代弁するかのように、狩る者の思考と葛藤を伝えてくれた、罠猟師の千松信也さん。そんな千松さんにお目にかかり、罠猟をめぐる豊かな暮らしを垣間見させていただきました。
「以前は頸動脈を切っていたのですが、いまは心臓の太い動脈を切断しています」
待ち合わせ場所に現れた千松信也さん、その軽トラの荷台には、獲ったばかりの雌ジカを載せていた。挨拶もそこそこにご自宅へ向かうと、手際よく毛皮を剥いでゆく。
「イノシシは眉間を、シカは後頭部を狙って、思い切り振り下ろすんです」
仕掛けた罠に獲物がかかったら、のこぎりで手頃な木立を切り、一撃を加える。そうして獣が失神したら、ナイフを使ってとどめを刺す。頸動脈を切ると心臓が動いた状態で血抜きがしっかりできるが、どうしても時間がかかり、意識が戻ったシカを苦しめてしまうことがある。心臓の大動脈を切ると心臓は早く止まってしまうが、ある程度はしっかり放血はでき、無駄に苦しめることもない。この方法だと胸、腔内にたまった血を茹でるなどして利用することもできるし、首回りの肉もきれいな状態で確保できる———そんな話を聞かせてくれながら、15分ほどで内臓をきれいに抜き取り、心臓とレバーを取り出した。そっと触れたシカの腹はまだ温かく、瞳は深い翠をたたえている。
「いくら殺める技術を高めても、慣れることはないですね」
この冬、19回目の猟期を迎える千松さん。甲種狩猟免許(現わな・網猟免許)を取得したのは京都大学在学中、卒業後も同市内の中心地から車で30分ほどの山と町のあわいに暮らし、シンプルなくくり罠を駆使して動物たちと渡り合っている。
「子どもの頃から動物が好きで、将来は山奥や無人島で彼らと一緒に暮らしたいと思っていました」
愛犬とともに犬小屋で眠るのが幸せだったという少年は、獣医になることを夢見ていた。
「職業としてではなく、一緒に暮らす動物が病気になった場合でも世話できる技術を持ちたかった。それに人も動物なので、いざというときは自分のこともどうにかできるかな、って」
長じて、猟師という動物を狩る側へ。一見、真逆にも見える変節にはどんなきっかがあったのだろう。
「自分としては180度変わったとは思ってなく、360度転換したのだと思っています」
そこには、子どもの頃からの「野生動物たちに近づきたい」という思いがあるという。
「そして、動物が好きだと言っておきながら、その肉を食べるとき、殺すのは人任せ、という状況が気持ち悪かったんです」
獣道に残された痕跡を読み、罠を仕掛けて獲物を狩る。そうして息の根を止めて皮を剥ぎ、解体して精肉することでやっと口に入る。その流れをすべて自ら負うことで、動物に対してようやく顔向けができるような気がするという。ただし前述したよう、それは心地よい作業ではない。
「それでも、憂鬱なことを人にやらせている、という負い目がない分、気持ちはめちゃくちゃ楽なんです」
実家が兼業農家のため、米や野菜の作り方は知っていた。釣りや水中に潜ることで魚を捕まえることもできる。きのこや山菜の知識は、時間をかけて体に刻んできた。
「なので、肉だけがネックでした。山にいる動物がある程度獲れるならば、なにがあっても食い物には困らない。そんな安心感も気持ちを楽にしてくれていると思います」
使用するくくり罠は、スプリングと塩ビ管を用いて自作している。自らの手で生み出すことのできない鉄砲による猟は、当初より考えていなかった。
「よくしなる木など自然物だけを利用して罠を作ることも、物理的には可能です。そのやり方でシカを獲ってみたこともあります」
狩猟1年目に3頭のシカを狩り、3年目には念願のイノシシを仕留めた。家族4人で暮らす現在は、10頭ほどのイノシシとシカがあれば、一年の食卓をまかなえる———そうした言葉に穏やかな自信と余裕が表れていた。
林業の荒廃と生活様式の変化、狩猟者の減少や温暖化など複合的な要因により、シカやイノシシなどの大型ほ乳類は全国的に増加している。彼らによる農産物への被害が「獣害」と呼ばれ、「害獣駆除」が行なわれるようになって久しい(2016年の環境省データによると、国内に生息するニホンジカは約270万頭、イノシシは約90万頭)。とはいえ、令和の世にあり、人口150万の巨大都市で、わずかな道具を頼りに獣を捕まえ、さらにはそれで家族の食卓をまかなうことも可能———それは目の前を鮮やかに塗り替えるような事実だ。
「その昔、京都にシカはいなかったそうですが、いまは爆発的に増えている。そんな状況を少しでも変えられたらと思い、捕まえた肉を販売したこともあるんです」
顔見知りの飲食店に「獲れたときに卸す」方向で話を進めたものの、新鮮な野生肉は人気を呼び、たちまち「週末までにあと10kg欲しい」という状況に。
「そうなると自分のペースでは間に合わないから、普段狙わないシカ道に罠を仕掛け、食べやすいモモとロースだけを出荷する。その間、ぼくらはその他の端肉を処理するように食べるんです。すると、だんだん山に行くのが嫌になり、獲物がかかっていないことを願ったり……これでは本末転倒ですよね」
満腹のライオンは隣で寝そべるシマウマを襲うことがない。捕まえた肉を販売するのは、肉食動物ですらやっていない規模の殺戮を引き受けることであり、猟を通じて動物たちに近づきたいという思いの真逆をいく行為だと痛感した。
「それで、家族と仲間が食べる分の肉を確保できたら、猟期内でもその年の猟はおしまい、という形に落ち着いたんです」
千松信也
1974年、兵庫県生まれ。京都大学在学中から罠猟をはじめ、現在にいたる。この12月、3冊目となる著作『自分の力で肉を獲る 10歳から学ぶ狩猟の世界』(旬報社)を上梓。twitter.com/ssenmatsu
※後編へつづく/取材は2017年12月に行なわれたものです。
〔写真=高桑信一 文=麻生弘毅〕
【インタビュー】裏山で肉を獲る。罠猟がもたらす喜びと自由――千松信也さん/後編