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【書籍紹介】『汚れた英雄』で日本のアウトドア黎明期を知る

2022.03.22 Tue

渡辺信吾 アウトドア系野良ライター

 先日、モータースポーツ界のレジェンド高橋国光氏が亡くなられた。
 わたし自身はモータースポーツをやらないが、わたしたちの世代の人間はモータースポーツ、特にオートバイ(モーターサイクル)に強い憧れを持った人たちが多いのではないだろうか? かくいうわたしもそのひとりだった。

 多感な十代、オートバイに興味を持ち始めたころには、すでにレジェンドだった高橋国光氏の名前は自然と目に入ってきた。そんな高橋国光の名前が実名で登場する小説がある。
 それが大藪春彦氏の『汚れた英雄』だ。

 角川映画により草刈正雄主演で映画化されたことでも話題となったが、原作とは時代背景もストーリーも異なる。

 原作のあらすじとしては大雑把に書くなら、戦争孤児であった主人公がモーターサイクルに出会い、強靭な肉体と美貌を武器に、世界グランプリまで昇り詰めていく物語で、全四巻に渡る。

 わたしは、映画きっかけではあったが15歳の頃にこの小説に出会い、熱狂的にはまって何度となく読み返した。この本に感化されたわたしは、大学一年生で中型二輪の免許を取り、自分のバイクを買おうとバイトに明け暮れたが、なけなしのバイト代で買えたのは中古のスクータだった。結局バイク乗りにはなれなかったが、その後も繰り返しこの本を読んだ。読む年代により、そして身に付けた知識や経験が増えるにつれ、理解できる内容や実感できる描写が増え、いつ読んでも新鮮だった。

 かねてからわたしはこの本をAkimamaで紹介したいと思っていた。モーターサイクルをモチーフとした物語ではあるが、大藪春彦氏のアウトドアへの造詣の深さが端々に現れていて、アウトドア黎明期とも言える当時の日本において描写される狩猟やスキー、キャンプなど非常に興味深いからなのだ。

 この小説の冒頭は、主人公である北野晶夫18歳の秋から始まる。時代は昭和32年(1953年)。中軽井沢から一台のオートバイをリアカーに積んで自転車で北軽井沢まで曳いていくという描写なのだが、あの登り坂を自転車でオートバイを積んだリアカーを曳いて登っていくということ自体想像を絶する上に、当時の道は未舗装なのだからとんでもない。もし同じことをしようとしたら、おそらく千ヶ滝あたりでギブアップだ。彼の目的地は第2回浅間火山レース(オートバイ耐久レース)のレース場。現在の浅間牧場の一角にあった全長九・三五一キロのレース場だ。実在のレースであり、実在のレース場だ。

 北軽井沢といえば、幾度となくキャンプやイベントで通っているし、中軽井沢には友人もいる。昭和32年当時と比べれば道路は舗装され、周りの別荘地も開発が進み、すっかり様変わりしていることはたやすく想像できるが、それでもその道は今でもあるのだ。

 主人公の北野晶夫は英語を身につけるため、米軍人マクドナルドの別荘(追分)に住み込み、猟犬の世話をしながら働いているという設定だ。物語の流れで、あづま村(現在の嬬恋・鹿沢周辺)あたりで犬を使った狩猟をするシーンが描かれる。欧米のハンティングが日本に入り始めた時代の描写ではあるが、現在のエイアンドエフの前身が東京銃砲火薬店ということからもわかるように、日本におけるアウトドア文化の黎明がここにも見て取れる。

 その他、ライディングトレーニング兼ねてバイクを積んだワーゲン マイクロバスでアメリカ人女性のジャクリーヌと蓼科や北軽井沢を旅をするくだりでは、しばしばテントを張って焚き火をするシーンが描かれている。コーヒーを沸かしたり、ダッチオーブンで調理したりするシーンもあるが、わたしの好きなシーンは以下だ。

“ ジャクリーヌは焚火の下に、下ごしらえをし、アルミ・フォイルに包んだ四キロほどの肉の塊を突っこんだ。火の上にブリキのコーヒー・ポットを木の枝に渡して掛ける。
 焚火が燠になったとき、ジャクリーヌはスコップでアルミ・フォイルの包みを引っくり返した。アルミの隙間からこぼれた肉汁が芳ばしい香をたてる。
(中略)
 出来あがったロースト・ビーフが湯気を吹きあげた。自分の出した肉汁の中で表面が褐色に焦げている。
 ハンチング・ナイフでその肉塊を真ん中から切ってみる。芯に近づくほどバラ色に近くなる美事な焼け具合だ。
「素晴らしい。どこで、こんな料理の作り方を習ったんだい?」
 晶夫は言った。
「ピクニック……わたしの故郷では、秋になると、町中で森のなかにピクニックに出るの」
 ジャクリーヌは笑いながら言った。”

 四巻にも及ぶ長い物語のなかの、数行の描写ではあるが、少年時代のわたしの海馬に強烈な記憶として刻まれた。こぼれた肉汁の芳香、バラ色に近い肉の断面……。当時ローストビーフなんて見たことも食べたこともないのに、文字だけの描写なのに、わたしの想像は果てしなく広がったのだった。わたしが実際にこのローストビーフ作りにチャレンジしたのは約20年後だったが。

 わたし自身のその後の人生において、この小説に登場する土地に行くたび、アクティビティを体験するたびに、小説と自分自身が交差する感覚になる。そしてその度に「あのころ憧れた北野晶夫にオレは近づけているのか?」と自問する。その度に「現実は嫌になるほど残酷だな」と自答する。

 もし興味のあるかたは、ぜひ読んでみてほしい。
 とはいえ、いまでは絶版となっていて、入手するには古本屋で見つけるか、オークションかフリマを使うほかない。実際わたしも誰かに貸したままか、売却したのか定かではないが、手放してしまっていたようだ。今年になってどうしても読みたくなりオークションで買い戻したが、四巻だけが価格が高騰しすぎて、いまだ手に入れられていない。しかし読みたかったのは日本が舞台の二巻までなのでとりあえず良しとしている。二巻の後半から舞台はアメリカに移り、その後ヨーロッパへと移る。

 もしあなたが幸運にもこの本を入手でき読むことができたなら、二輪の聖地浅間記念館(2021年4月から浅間牧場に移設された)にも行ってみてほしい。若かりし頃の高橋国光氏をはじめとするレジェンドたちの、そして物語の主人公北野晶夫が青春をかけた浅間火山レースの、現実の記録が残されいる。

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