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【ユーさんの74年_19】中川祐二、74年目のアウトドアノート~プライベートキャンプ場、田んぼの次は……ツリーハウスをつくる。

2023.06.02 Fri

中川祐二 物書き・フォトグラファー

 茂木(*1)の山を借り、プライベートなキャンプ場をつくったこと(*2)、山の持ち主の田村さんの田んぼを借り、25年間にわたり米作りをしたこと(*3)は前回、前々回でレポートした。
(*1)茂木=栃木県の南東部、茨城県の城里町と接する町。芳賀郡のひとつ。町の北部を那珂川が流れ、周辺は丘陵地となっており、町の随所に広大な田んぼが広がっている。町内にはモビリティリゾートもてぎ(旧ツインリンクもてぎ)がある。(*2)プライベートなキャンプ場をつくったこと=【ユーさんの74年_16】〜「里山で自分だけのキャンプ場をつくる」に詳しい。茂木町、そして現地のキーマン・田村幸夫さんとの出会いはユーさんのアウトドア人生に新しい1ページを加えることに。(*3)25年間にわたり米作りをしたこと=【ユーさんの74年_18】~「米作りの仲間を募り、『TKOもてぎ』を組織した。あれから25年……。」に詳しい。
 その間にこの山を利用し、ぜひともやってみたいことがあった。それはツリーハウス(*4)をつくることだ。ツリーハウスにそれほど興味があったわけではなく、知識も持ってはいなかった。キャンピングデッキが増え、大勢で使うようになり、もっと山の奥に引っ込もうかな程度に思ってのことだった。
(*4)ツリーハウス=木の上に建築された、高床式の小屋のこと。おもに熱帯雨林地域において、住居用として建てられることが多い。
 シーカヤックの製作者で、バンクーバーに住むジョージ・ダイソン(*5)氏を訪ねたことがある。彼のつくったアリュートのカヤック“バイダルカ”についてはケネス・ブラウワー著の『宇宙船とカヌー(*6)』(ちくま文庫/芹沢高志【訳】)に詳しい。ジョージはバンクーバー島の巨大な針葉樹の30メートルの高さにツリーハウスをつくりそこで暮らしていた。そのツリーハウスを訪ね、案外安直な造りだなと思ったことがあるくらいだった。
(*5)ジョージ・ダイソン=極北に暮らすアリュートの人たちが古来から使ってきた“バイダルカ”と呼ばれるカヤックを現代版に復元して旅をした人物。世界的にも著名な、カヤックビルダーであり、カヤック文化の研究者でもある。1960年代の終わりに大学をドロップアウトして、この世界へのめり込んでいく。ブリティッシュ・コロンビア州の森にあるツリーハウスで暮らしていた。(*6)宇宙船とカヌー=ジョージ・ダイソンの父、フリーマンは世界的な物理学者。巨大宇宙船の建造を夢見た人物でもある。『宇宙船とカヌー』はその父と息子の物語を、自然環境の著作で知られるアメリカの作家、ケネス・ブラウワーの名著。翻訳本の初版はJICC出版局から1984年に刊行されているが、ユーさんの愛読はちくまの文庫版。
 キャンピングデッキをつくったコナラとクヌギの混交林を少し上がると、そこにはヤマザクラの大木があった。胸高直径は30センチほど、幹は根元から大きく数本に分かれていた。これならツリーハウスをつくるにはちょうどいい。ひとりが寝られる程度のツリーハウスをつくることにした。

 単なるツリーハウスではなく、2階建てのものにしようと思った。ツリーハウスを2階建てにするのではなく、すでにいくつかつくった経験からデッキと組み合わせることにしたのだ。

 1階部分はダイニングキッチン兼居間で、そこから寝室であるツリーハウスへ梯子で登るというヤマザクラ・デザイナーツリーハウスをイメージした。

 しかし、これはまたお金がかかる。どこからか捻出しなければならない。

 その頃の僕の仕事のひとつにラジオ放送への出演ということがあった。当時まだ始まって日の浅い放送局、J-WAVE(*7)が週末の朝の番組をやっていた。はっきりは覚えていないのだがホンダ提供で『Dear Field』(*8)という番組だったと思う。この番組のパーソナリティーが菅原正志(*9)さん、渋い声の声優だ。どうしてそういうことになったのか、今となっては思い出せないのだが、茂木での僕の活動を取材したいと現れた。山を借り、プライベートなキャンプ場をつくり、サウナを楽しみ、米作りを始めたことを話し、この地域を案内した。
(*7)J-WAVE=1987年に株式会社エフエムジャパンとして設立された民放のFM局のひとつ。周波数はFM81.3。(*8)Dear Field=当時放送していたJ-WAVEの番組名のひとつ。(*9)菅原正志=すがわら・まさし アニメ、映画の声優で数多くの作品に出演。ラジオのナビゲータも務めている。
稲刈りの取材にきた菅原正志さん。米作りの楽しさ、大変さをより正確に伝えるため、みずからコンバインに乗り収穫作業を体験。それらをテープに記録し、放送した、とは表向き。男なら誰しもこんな機械の操縦はしてみたいものだ。とくに菅原さんは何にでも興味津々のレポーター、やってみなくちゃはじまらない。
 そこで山の奥のヤマザクラにツリーハウスをつくりたいとも話をした。すると、それを録音し、番組で流しましょうということになった。「渡りに船(*10)」である。「求めよさらば与えられん(*11)」である。
(*10)渡りに船=望んでいたものが、タイミングよく与えられることのたとえ。(*11)求めよさらば与えられん=マタイ福音書7章に記されたイエスの言葉。人から与えられるのを待つのではなく、何事も自分から求める積極的な姿勢が必要であることのたとえ。
 さっそく材料を買い込み、つくり始めた。まずはすべてを乗せるプラットホームをつくらなければならない。そしてそれがずり落ちないように固定する必要がある。幹に直接ボルトを打つのだろうか。それはあまりに痛々しい。まだインターネットなんて発達していない頃だったので、どうやってつくるかなんての情報は皆無だった。

 木に傷をつけないようにするにはどうしたらいいか、考えた末に幹にゴムマットを巻き、これを角材で挟み、その角材をボルトで閉めることにした。こうすれば幹にボルトを打たなくても持ちこたえるだろう。

 その角材に床板を張ってプラットホームができあがった。

 ここまでの進み具合は、J-WAVEの番組で田んぼの様子とともに放送された。これも今となってはどうしてそうなったかわからないのだが、J-WAVEではツリーハウスの完成を見ずに中断したままになってしまった。

 菅原正志さんはじつは無類の釣り好きで、あえて「釣りキチ」と申し上げる。小はワカサギから、大はGT(*12)までターゲットにするアングラー。釣りチャンネルで18年続いた『5畳半の狼(*13)』のMC、ポスターなどのイラストレーション、釣り雑誌の執筆、釣り番組のナレーションなど、幅広く活躍している。中川家が主催する秋の江戸前ハゼ釣りイベントにも参加し、録音し、放送した。また僕の友人の結婚式のナレーションも無理を言ってやってもらった。
(*12)GT=Giant trevally、ロウニンアジのこと。アジの仲間の最大種。(*13)5畳半の狼=釣りチャンネルでの人気番組のタイトル。現在では『参るぞ狼』として続いている。
 田んぼからも何度も中継をした記憶がある。だから仲たがいしたわけではない。それが証拠に今でも交流はある。

 ツリーハウスは途中でストップのままになってしまっていた。このままでは木の上には住めない。そのときにちょうど『BE-PAL(*14)』で、茂木での田んぼ企画が始まった。担当編集者にツリーハウスが途中までできているんだけど、完成させてくれないかと持ちかけた。
(*14)BE-PAL=1981年に小学館から創刊されたアウトドア雑誌。
 すぐに話に乗ってくれた。どうやらそんなに遠くなく、木の上で寝られることになりそうだった。
『BE-PAL』が同じ茂木町につくったビーパルランド、ここのメインイベントでつくったツリーハウスのできるまでを記録したムック。ピーター・ネルソンの過去の作品も転用掲載した。その部分は恥ずかしながらユーさんが翻訳した。
 プラットホームの上に幅1メートル、長さ2メートル、高さ1.5メートルほどの空間をつくるべく格闘が始まった。四隅に柱を立て3面に板を張った。そのとき、どこかの解体途中の家から小さなガラスの入った窓を2枚もらってきた。これを東と南の壁にはめ殺しにした。
 屋根はいちばん手間のかからない切妻型(*15)にした。合板を張り、防水シートを貼り、余った材料を切り刻み木端葺き(*16)とした。
(*15)切妻型=切妻屋根、切妻造とも。屋根の構造のひとつで、もっとも多いシンプルな三角屋根のこと。(*16)木端葺き=木端を瓦代わりにして、積み重ねながら屋根全体を覆い外観としたもの。
 さて、問題は出入り口である。ここまでヤマザクラの木はほとんど切っていない。出入り口をドア形式にするとドアを開けるスペースがいる。それほどのスペースはないし、太い枝を切らなければならない。引き戸式は僕の技術ではとてもできない。

 ちょうどそんなとき、アウトドア用品のメーカーであるモンベルの辰野 勇(*17)さんから、アメリカのキャンプの話を聞いた。
(*17)辰野 勇=アウトドアブランド、モンベルの創業者。会長。
「ユーさん、テンテッドハウスって知ってるかい?」

 聞いたことのない言葉だった。そのときの話を要約すると、柱と屋根はハードな素材でつくられていて、壁面だけソフトな素材、テント地のようなものでつくられたテントだという。昼間はそのテント地のウォールを外し使うという。なんのことはない、庭の東屋(*18)にまん幕(*19)を張ったもののようなものだと理解した。
(*18)東屋=あずまや。四方を開け放しにした小さな屋根付きの建物のこと。公園の休憩スペースなどにも設けられることがある。(*19)まん幕=幔幕。布を使った遮蔽具のひとつ。かつての軍隊や宮廷での式場などで使った、長く張りめぐらせた垂れ幕のこと。
 そうか、出入り口はハードなものでつくる必要はないのではないか。ソフトなもの、テント地でつくればいい。さっそくモンベルにご協力を願い、防水のナイロン地、虫除けの蚊帳素材、ついでにベルクロの面ファスナー(*20)も分けてもらった。
(*20)ベルクロの面ファスナー=面ファスナーとは、鉤のかたちをしたフック面と、パイル状のループ面がひと組みとなった留め具のこと。ベルクロはその商標のひとつ。マジックテープも同様のもので、こちらも商標名。
 ノコギリや金槌を糸と針に持ち替え、発電機とミシンを持ち込みソフトドアづくりが始まった。

 案外簡単に出入り口はできあがった。なかなかしゃれた紺色のドアになった。
この山は椎茸栽培や薪として利用するための薪炭林。したがって十数年に一度は伐採するのだが、ヤマザクラの利用価値はなく、伐採を免れこんなに大きくなったのだと思う。でも確実に真っ先に春を知らせてくれる大事な木だ。それを数年間お借りして僕のわがまま遊びに付き合ってもらった。
 1階部分には3.6メーター四方のデッキをつくった。ツリーハウスへ上がる梯子をつくり、デッキへ上がる階段も設置した。デッキの上にはタープを張り、その下に囲炉裏の箱、まあ、大きな火鉢のようなものを置いた。

 ヤマザクラの木の枝に滑車をつけ、ガソリンランタンをぶら下げた。ロープをいっぱいに引くとちょうどタープの上に来て、タープ越しの柔らかい光となった。

 しばらくはここでひとりの生活を楽しんだ。

 何年このツリーハウスを使っただろうか。ある日、プラットホームの下、ゴムを巻いて角材をボルトで閉めたところを点検すると角材が膨らみ、ヒビが入りかけていた。この数年でヤマザクラは成長し、幹が太ったのである。目には見えないが、木にはかなりのストレスだったのかもしれない。

 田んぼ作業では長屋門の若衆部屋(*21)はあるし、このツリーハウスの役目も終わりかけているのかと考えた。このままにしておいては保安上のことも考え、思い切って壊すことにした。
(*21)長屋門の若衆部屋=日本家屋で使用される門形のひとつ。門の左右に長屋を備え、物置や小部屋として利用する。格式の高い武士や大地主などの屋敷によく見られる。【ユーさんの74年_18】~「米作りの仲間を募り、『TKOもてぎ』を組織した。あれから25年……。」に詳しい。

 足掛け2年ほどかけてつくったツリーハウスはわずか1日で灰となった。ヤマザクラの木は、やっとせいせいしたというような表情をしていた。

 その後、雑誌『BE-PAL』が自然のなかで遊ぶ秘密基地“ビーパルランド(*22)”をつくりたい、そこでユーさんの山を貸してくれないかと打診があった。せっかく僕のつくった秘密基地、おいそれと貸すわけにはいかない。丁重にお断りした。
(*22)ビーパルランド=小学館が『BE-PAL』の企画の一環として、茂木町につくったキャンプ・アウトドアの拠点。
 第一この山は僕の持ち物ではないし、水は出ない。それほどの広さもないので工作物を数軒つくったらいっぱいになってしまう。

 すると、やはり茂木町に山林と休耕田、小さな沢のある土地を紹介され、『BE-PAL』はそこに基地をつくることになった。

 さすがに大資本の会社、その基地にいろいろなものをつくった。僕も助っ人として呼ばれ参加した。巨大な木のフレームに綿帆布をかけたミーティングルーム、8畳ほどの広さのあるログキャビン。5、6人は優に入れる樽型の露天風呂。極め付けはツリーハウスだ。

 アメリカのツリーハウスビルダー、ピート・ネルソン(*23)氏を呼んでツリーハウスをつくってもらうというイベントだ。ピーターは奥さんのジュディとアシスタントを連れてやってきた。
(*23)ピート・ネルソン=有名な大工で、ツリーハウスのビルダーとして知られている。アメリカではテレビ番組のパーソナリティも務める。
 僕は近所のツリーハウス所有者として、ピーターの過去の作品に似合うようなツリーハウスの提案をした。僕がいい加減に書いたラフスケッチを忠実にトレースしすばらしい小屋をつくり上げた。
同じ薪炭林につくられたピーターのツリーハウス。僕のツリーハウスの木よりも細い木ばかりで、1本の木につくることはできなかった。何本かの木を抱え込みプラットホームをつくった。その中心にキャビン、周りは歩けるほど余裕があった。手すりの代わりにロープを張り、プラットホームへのアクセスの階段の手すりもロープを付けた。彼らは電動工具をアメリカから持ち込み、2x4工法で施工した。ただし、窓枠やドアはすべて自作したのでそれにやや時間はかかったが、意外に短時間でできあがった。
 いま写真を見ながら考えると、これはツリーハウスではない。いや正しくは僕や、木の上にちょっと暮らしてみたいと思っている日本人が考えるツリーハウスではない。このまま地面に降ろしてもまったく遜色のない洒落たキャビンだ。

 僕のツリーハウスはどうだ。地面に下ろすと愛犬家がつくった犬小屋としか見えない。ビーパルのものは僕が提案したとはいえ、あまりに豪華でいかにもピーター然としている。

 我田引水(*24)ながら申し上げれば、ドキドキするツリーハウスは“犬小屋”に軍配を上げたい。どちらのツリーハウスも今はもうない、ないだろう。僕の犬小屋は自分で壊したし、ピーターのもきっとないと思う。四半世紀もむかしの話なのだから。
(*24)我田引水=「自分の田んぼだけに水を引く」という意味から、都合のいいように説明をすることのたとえ。

中川祐二 物書き・フォトグラファー

“ユーさん”または“O’ Kashira”の 愛称で知られるアウトドアズマン。長らくアウトドアに慣れ親しみ、古きよき時代を知る。物書きであり、フォトグラファーであり、フィッシャーマンであり、英国通であり、日本のアウトドア黎明期を牽引してきた、元祖アウトドア好き。『英国式自然の楽しみ方』、『英国式暮らしの楽しみ方』、『英国 釣りの楽 しみ』(以上求龍堂)ほか著作多数。 茨城県大洗町実施文部省「父親の家庭教育参加支援事業」講師。 NPO法人「大洗海の大学」初代代表理事。 大洗サーフ・ライフセービングクラブ 2019年から料理番ほか。似顔絵は僕の伯父、田村達馬が描いたもの。

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