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「キャンプよろず相談所」から見る 日本のフェスとアウトドア、その先の未来

2025.06.20 Fri

フジロックの歴史を語るうえで欠かせないのが、長年フジロックのキャンプエリアを見守ってきた「キャンプよろず相談所」の存在。聞けばその歴史は長く、遡ること 年。これまで「キャンプよろず相談所」を支えてきた滝沢守生氏と福瀧智子氏にお話を伺うと、野外フェスの歴史とその未来が見えてきました。

キャンプよろず相談所 代表・滝沢守生 学生時代より長年にわたり裏山からヒマラヤまで国内外の登山活動を展開。山岳専門誌やアウトドア雑誌の編集に携わったのち起業。数多くの野外イベントの運営制作などを手がける

キャンプよろず相談所 スタッフ・福瀧智子 スノーボード専門誌の編集見習いで入社した出版社で滝沢を始めとした現よろずメンバーと出会い、フジロックでアウトドアに開眼。現在はアウトドア関係の編集ライター業を営む



― まず初めに、「キャンプよろず相談所」の成り立ちを教えてください。

当時、僕は出版社・山と溪谷社で『アウトドア』という雑誌の編集者をしていました。そんななかで、2000年に編集部のメンバーがフジロックへ取材に行くことになって、初めて誌面でフジロックについて取り上げたんです。それを見聞きして、「これはおもしろい!」ということになって、翌年僕も初めて現場を訪れました。そこでSMASHと繋がりができたんですが、「お客さんが苗場の自然条件を知らずに来るからトラブルが絶えない」ということを知って。「インフォメーションブースの横にサポートブースを作ってくれないか?」と声をかけられたのが始まりです。

私も2001年に滝沢の後にくっつくようにしてフジロックへ行ったんですが、当時はまだ「キャンプよろず相談所」という名前もなく、長机にパイプ椅子を並べて、雨ざらしみたいな環境で。

一応タープくらいはあったはず(笑)。でも、本当にそれくらいの状態から始まって、ボランティアとして編集部メンバーやアウトドアのカメラマン、キャンプ用品などのメーカーさんを連れて行って、みんなに手伝ってもらったのが最初です。正式に公式HPなどで紹介されたのは2003年のフジロックからですね。

キャンプよろず相談所とは、テント約8千張・2万人が寝泊まりするフジロックのキャンプサイトを初め、国内の野外フェスティバルへ出張して、キャンプに関するさまざまな相談に対応・サポートを行なう専門チーム



― 「トラブルが絶えなかった」ということですが、当時はどんな相談が寄せられていたのでしょうか?

当時、チューブトップとピンヒールでフジロックに来ているような子もいて(笑)。その子が「彼氏と喧嘩して彼氏が先に帰っちゃったけど、テントも寝袋もない。どうしたらいいですか?」と言いにきて、梱包用のプチプチと新聞紙を渡して、緊急用のテントに寝てもらったということもありましたね。

当時はまだインターネットが一般的ではない時代だったので、お客さんが情報をキャッチアップすることも難しいし、そもそも「総合アウトドアショップ」も一般的ではなかったんです。その代わりに「登山用品店」というのがあったんだけど、若い人が気軽に入れる雰囲気でもなくて。だから、「山岳部だったお父さんが使っていた道具を持ってきたけど上手く使いこなせない人」や、「テントだと思って持ってきたらサンシェードだった人」などもいて、とにかく大変な時代でしたよ(笑)。

写真は日本の音楽史において語り草となっている第1回目の惨状

台風9号が直撃し難民のような状況に陥る観客も多数出た。この経験から運営側は「自然との共存」を強く意識し、アウトドア業界にもサポートを求めた

2001年12月号を最後に休刊となった雑誌『Outdoor』(山と溪谷社)。誌面では幅広いアウトドアアクティビティを扱い、技術情報や道具レビューだけでなく、自然との付き合い方や哲学的視点を交えた記事も展開していた



― いまでは想像もつかないような大変な状況だったんですね。

そうですね。実は2000年前半はアウトドアが下火になってしまっていた時代でもありました。キャンプは家族の趣味、登山は体育会系の中高年の趣味みたいになってしまっていて。アウトドアがカッコ良いものじゃなくなっていたんです。でも、そんな時代の中で、フジロックでは若者がテントを張ってアウトドアを楽しんでいた。その姿に「これはアウトドアの新しいアクティビティのひとつになりそうだ」と希望を感じました。

私はそれまではスキーやスノーボードにしか興味がなかったのですが、最初のフジロックで人生が変わるほどの衝撃を受けました。これまで見たことのない世界や価値観がそこに広がっていて、あのときフジロックに行っていなかったら私の人生は全く違うものになっていたと思います。



― アウトドアが下火だった時代に、フジロックは新たな光を射したんですね。フジロック開始前と後で、アウトドア界にはどんな変化がありましたか?

フジロックが残してくれた功績はたくさんあります。ひとつ目は、「アウトドアを趣味にする女性」が増えたこと。開始後から 〝外に飛び出していく女性〟 をよく目にするようになりましたね。ふたつ目は、「アウトドアに興味を持つ若者」が増えたこと。フジロックを機にテントを買った若い人たちが、次は山に行こう、キャンプに行こうという感じで他のアウトドアアクティビティに興味を持ってくれるようになって。ユースカルチャーとしてアウトドアを楽しんでくれるようになりました。そしてみっつ目は、「アウトドアの本質が伝わった」ことだと思います。

― 「アウトドアの本質が伝わった」というと?

それまでの日本のアウトドアは体育会系の世界で、根底にあるはずの文化系的な側面が無視されていたんですね。例えば山登りだったら、「高い山に登ったやつが偉い」「無酸素で登らなきゃいけない」という感じで、 〝おもしろい山登り〟 をやっている人がいなくなっていた。そんななか、「自然保護」や「自然へのリスペクト」を第一に掲げたフジロックがユースカルチャーとして受け入れられたことで、僕らが初めてアメリカから「アウトドア」を学んだときに伝えられた自然保護や反物質主義などの哲学がきちんと広がっていったんです。

― 本来あるべき「アウトドア」の姿が取り戻され始めた?

そうですね。「ウッドストック」が今でも語り継がれるように、やはりロック・ミュージックとカウンターカルチャーであるアウトドアとの相性って良いと思うんです。だからこそ、フジロックを通してアウトドアの哲学がきちんと認知されたんじゃないかと。

― 2011年からは環境への負荷を最小限に抑えることを目的とした「フジロックの森プロジェクト」も始まりましたね。

はい。フジロックには 〝フェスティバルとエコロジー〟 という考え方がずっとあって、1998年からゴミの分別に取り組む「ごみゼロナビゲーション」を行なったり、2012年からリユースカップが導入されたりと、アウトドアの哲学が根底に流れています。だから、僕たちみたいなアウトドア雑誌の編集者も、アウトドアのメーカーさんたちも、共鳴して協力したくなるんじゃないかな。



― いまでは「アウトドア」は、体育会系のものでも文化系のものでもない、誰にでも開かれているイメージなので、そんな歴史があったとは驚きました。

当時はファッション性の高いアウトドアアイテムも全然なかったんですよ。さっき滝沢が言ったような「登山用品店」は入りづらいうえに、入店したところでガチなアウトドア用品しか売ってなくて。けれど、野外フェスブームが到来したことで、メーカー側もファッション目線でアウトドアアイテムを作るようになって、雑誌でも取り上げやすくなった。メーカーも消費者も、動きが変わっていったのだと思います。その流れを作ってくれたのは紛れもなくフジロックだったし、そのお陰で2000年後半には『ゴーアウト』『ランドネ』『ピークス』など、アウトドアや登山系のメディアも増えたのだと考えています。

そんな変化のなかで僕らアウトドア雑誌の編集者が大事にしてきたのが、絶対に「アウトドアを消費しない」ということでした。ブームになると、やはり粗悪品も出回るようになって、それを使った人が「すぐに壊れて嫌な思いをしたから、もうアウトドアはやらない」となってしまう。ブームを広げてくれるのは良いことだけど、それと同時にアウトドアの本質や哲学を伝えていかないと、「消費」の方向に進んでしまうじゃないですか。そんな危機感は常にあったので、2000年後半にアウトドアメディアが増えて、メディアが本質を伝えるという役割を担ってくれたのは大きかったと思う。

キャンプよろず相談所スタッフはフェス現場だけでは飽き足らず、一年中隙あらばフィールドへ向かう“好き者”揃い。夏は南方へ出向き水上や水中など海遊びに勤しんだかと思えば、冬は北へと飛びパウダースノーを求めて雪山を登る。縦走登山からクライミング、川下り、沢登り、狩猟採集まで行き先はさまざま(写真=亀田正人)

夏の縦走登山で北アルプス難所の大キレットへ(写真=岡野朋之)

パウダースノーに目がないメンバー。冬は北海道や東北をめぐっていい雪を狙う

テント泊はフィールドのまっただ中において濃密に自然を楽しむための宿泊の手段なのである


― 2000年後半には「山ガール」という言葉も使われ始めるなどメディアがアウトドアブームを加速させつつも、それと同時にきちんと本質を伝えていったと。野外フェスとアウトドア雑誌には密接な繋がりがあるということですね。

そうですね。けど、僕らアウトドアの編集者は「野外フェス」を広めたかったんじゃなくて、「アウトドア」を広めたかった。だから、こうしてアウトドアを本当に好きになってくれる人が増えたのはうれしいことです。福瀧なんてまさにその良い例で、彼女は僕が作ってしまった 〝アウトドアジャンキー〟 ですから(笑)。でも、僕はアウトドア人口が増えれば世界は平和になるって本気で思っているんです。みんなもアウトドアやれば良いのにって。

本当に!!

相談所の立ち上げから時代は流れ、親に連れられよろず第2世代も現場入り。中にはその体験から「放送音響」に興味を抱き、専門学校で学んできた子どもも


― では、長年アウトドアに携わられてきた滝沢さん、福瀧さんが思うアウトドアの魅力ってなんですか?

僕はよく「アウトドアは運動で、登山は信仰だ」と言うんですが、そのどちらにも「生活」があるんです。例えば山登りをしたら次のピークに行くために自分で飯を作らなきゃいけないし、悪天候の中で寝なきゃいけない。その不便さの中では、普通に生活しているだけでは感じられないことをたくさん感じられると思います。それをどう捉えて、どう楽しむか。寒い中で飲む1杯のコーヒーのおいしさや、ヘトヘトになって飲むビールのおいしさ……。そういう暮らしの中で感じる「良さ」がアウトドアには詰まっているんです。それで言うと、フジロックのキャンプエリアに宿泊しているお客さんたちは、あそこで「生活」しているわけです。長い人だと4泊5日も衣食住をそこで共にしている。そんなふうに「生活」しながらアウトドアを体験できる野外フェスはフジロック以外にあまりないと思います。

あと、アウトドアのフィールドでは、まだまだインターネットでは知るよしもない無数のおどろきに山ほど出会えるんです。私が初めてフジロックに行って衝撃を受けたように、日本国内だけでも人生を変えてしまうような体験ができる場所がたくさんあります。

そうだね。僕がよく言うのが、「『カラスは白い』と言っていい」ということ。もしアウトドアの現場で自分の目で見たんなら、それが事実だからです。もしかしたら、それが世界で初めての発見かもしれないじゃないですか。実際に見てないのに「カラスは白い」と言ったらそれは単なるウソになるけど、自分が見たのならそれは真実です。リアルな体験こそアウトドアの魅力だし、やるべきことなんです。だから僕たちは、あえて雨の日のフジロックの写真なども使いたいんです。苗場の深い森の中、雨でも楽しんでいるオーディエンスがいることがフジロックのリアルだからです。



― これまで野外フェスやアウトドア、そして「キャンプよろず相談所」の歴史を振り返っていただきました。最後に、長年「キャンプよろず相談所」からフジロックと日本のアウトドアの変容を見てきたおふたりのビジョンをお聞かせください。

アウトドア人口を増やしたいという思いで「キャンプよろず相談所」を運営する中で、これまでみなさんに成長してもらうことを意識してきました。例えば「テントが立てられない」と言われたら立ててあげるんじゃなくて、立て方を教えてあげる。そんなふうに知恵として伝えれば、その人の今後の人生に少しでも役立つかもしれないなと。その甲斐あってか、近年はもう日本人のお客さんからの相談はとても少なくなったんです。

そうですね。数年前から日本語以外に英語・中国語・韓国語でも対応をしていますが、日本人のお客さんからの初歩的な相談はほとんどなくなりました。いまは、このままいくと「キャンプよろず相談所」が必要なくなるんじゃないかなと思っています。そうあるべきという思いと、寂しいなという思いが混在していて複雑ですが……。

でも、それを僕たちは目指してきたところもあって。なので、ゆくゆくは僕らではなく、地元の人たちに「キャンプよろず相談所」に立っていただいて、昔ながらの自然暮らしの知恵を若者に授けるような場にできたらなと思っています。湯沢町には、僕らなんかよりも自然に詳しい人たちがいっぱいいるわけです。オアシスでも、結局地元の食材を使った料理を提供する「苗場食堂」が一番人気だったりするわけで、やはりお客さんも、そういうものを求めている。だからこそ、今後「キャンプよろず相談所」を含め、フジロック自体が湯沢町の誇りのような存在になったらいいなと思います。日本の伝統的なお祭りに比べたらまだまだ歴史が浅いですが、これから先100年、200年とフジロックが続いていって、そのときは地元の人たちがホストになってお客さんとコミュニケーションを取るような場所になっていたらいいなと思います。

フジロックの会場となる苗場は標高約900mの山間部に位置する。局所的な気象変化が起きやすく、梅雨明けの開催時期は天候も不安定。また晴天時の日中は気温が高まるなど、雨や暑さ、夜の寒さの対策が必須。フェス会場として苗場は難易度の高いエリアだ

 ― ありがとうございました!

(取材=那須凪瑳、写真=宇宙大使☆スター、sumi☆photo)


 


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