ホーボージュン香港のトレイルへ!「トンガリ山と光る海」

2016.04.21 Thu

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ホーボージュン 全天候型アウトドアライター

Photo by Yuriko Nakao

日本もその一部である「アジア」をあらためて眺めてみると、
じつはまだまだ知られていない魅力的なトレイルが方々に……!
世界中を歩きめぐってきたサスライの旅人ホーボージュンが
そのアジアへバックパッキングの旅へ出た。
一カ国目は、ネオン煌めく大都市・香港へ!

 

香港にロングトレイルがある?
 香港にトレイルがあるらしい。そんな話を聞いても最初は半信半疑だった。香港と言えば超高層ビルが林立する世界有数の過密都市だ。トレイルといってもどうせ裏山をハイキングするぐらいの「散歩道」なんだろ? と上から目線でバカにしていた。

 ところが調べてみてビックリした。じつは香港は背後に雄大な山稜地帯を背負っていて、海から山へ、山から海へ、そして山から山へと縦横無尽に歩けるハイキング天国みたいなのだ。

 その独自の地形に目を付けたのが英国統治時代のイギリス人だった。彼らは旧来からあった山道を装備したり、新たに山道を切り開いたりして本格的なトレイルを整備した。なかでも70年代に大規模な整備をしたトレイルは「香港4大トレイル」と呼ばれてて、その総延長は300kmにも及ぶという。

「へええええええ~!」

 驚きは好奇心を生み、好奇心は僕を探査モードに切り替えた。hong kong、trail、trekking、camp、backpaking と思いつくまま単語を打ち込んでウェブ検索すると、出てくる出てくるスペクタクルな映像が……! 彼方に多島海を望むリッジライン、雄大な山の連なりをどこまでも繋ぐ細いトレイル、エメラルドグリーンの海に白砂のビーチ、そして雲海の上にそびえ立つ尖った独立峰……。それは僕が知っている香港のイメージとはまったくかけ離れたものだった。

「本当ににこれが香港なのか……!」

 心に冒険の火が点り、バックパッカーの血が騒ぐ。これはもう行くしかないだろう。そこからの行動は早かった。僕は6日間の休みとLCCのチケットを捻出すると、道具部屋のギアラックからグレゴリー・バルトロを降ろし、旅支度を始めたのである。
今回はLCCのバニラエアーで飛んだ。ものすごい狭いけどものすごい安い。片道15,000円ポッキリ。バックパッカーの強い味方だ

バックパックを背負い、一路香港へ
 香港といえばブルース・リーだ。黄色い総タイツにオニツカ・タイガーのトラックシューズ。引き締まった肉体に目も止まらぬヌンチャクさばきは昭和の少年には憧れの的だった。

「アチョオオオ~!」

 香港に着いたら絶対そう叫ぼうと思っていたのに、実際に口から出た言葉は「あぢいいい……!」だった。熱風が身体にまとわりつき、額からダクダクと汗が噴き出す。なんじゃこの暑さは……。気温は20℃ぐらいだが、湿気が高くてねっとりしている。僕の想像をはるかに超えて香港はたっぷりと暑かった。

 さ、て、と。ここから街の中心地までどうやっていくのかさっぱりわからない。恥ずかしながら僕は今回が初香港。香港にディスニーランドがあることも、アジアで「百万ドルの夜景」と言えば、函館ではなく香港だということも今回初めて知ったのだ。
英国統治時代を思わせる2階建てバス。香港では長距離バスも市内のバスもぜーんぶ2階建て
 空港のバスターミナルに出ると巨大な2階建てバスが何十台も並んでいて、ガウガウとアイドリングを続けていた。英国統治時代を思わせる2階建てバスに乗り込み、運転手さんに料金を聞くとひとり17.8香港ドル(約250円)だという。そこで20ドル札を渡そうとすると「メイヨー!(ダメよー!)」と怒鳴られた。おつりがないそうだ。そもそも香港のバスではおつりが出ないらしい。

「えええッ?そ、そうなの???」

 乗り込んでくる人たちを見てみると、みんな入り口でカードをかざし「ピッ!」とやっている。日本のスイカやパスモと同じプリペイド式なのだ。いまどき小銭で払う人なんかいないようで、料金箱らしき金属ケースにはガムテープが貼られていた。んなこといわれてもさー。

 おつりはあきらめて20ドル札を渡し、2階席に上がる。いやあいい眺めだ。いかにも熱帯らしい森の向こうにギラギラと太陽が輝いている。背中のパックを座席に投げ出し深く腰を下ろすと、バスはガウガウと唸りを上げて光るアスファルトの上を走り始めた。
 

自然保護を願って整備された香港4大トレイル
 あらためて「香港4大トレイル」について書いておこう。

 香港に最初のトレイルが整備されたのは1979年のこと。25代総督マレー・マクリホース卿(Load Murray MacLehouse) の着任が大きなきっかけだった。熱心なウォーカーであったマクリホース総督は71年に着任すると「山や海岸は万人のものである」という方針のもと、開発と人工物の設置を一切禁じたカントリーパーク(郊野公園)の整備を指示。76年に郊野公園条例を成立させると、79年までに21カ所もの広大なエリアを郊野公園に指定し、自然保護に乗り出した。

 さらにマクリホース総督は香港の若者たちが気軽にトレッキングを楽しんでくれるようにと、郊野公園をつなぐトレイルを作ることにしたのだ。そして79年に自身の名前を冠したマクリホース・トレイル(麥理浩徑)を開通。香港の背後にそびえる広大な山岳域を東西100kmにわたって貫く香港最長のトレイルが完成した。
青いラインが今回一部を歩いたマクリホース・トレイル(総距離100km)。右端の半島エリアを歩いた。緑色はウィルソン・トレイル(78km)、黄色がホンコン・トレイル(50km)、紫色がランタオ・トレイル(70km)だ/画像は本企画で専用に用意した「香港バックパッキング」Googleマップより(5ページ目に掲載
 このトレイルは大変な人気を博したため、84年にランタオ島(香港国際空港やディズニーランドのある島だ)を往復するランタオ・トレイル(鳳凰徑)、85年には香港中心部の香港島を貫くホンコン・トレイル(港島徑)、そして96年には27代総督デビッド・ウィルソン卿の名を冠した78kmに及ぶウィルソン・トレイル(衞奕信徑)が整備された。

 これらのトレイルは約5~15kmごとの区間(ステージ)で区切られ、接続地点にはバスやタクシーの通る車道が通っている。だから1区間か2区間を歩いて楽しんだあとには楽々街に戻ることができるのだ。街と自然の距離が近いこと、そして誰でも簡単にトレイルヘッドにアプローチできることが、香港4大トレイルの最大の魅力なのである。

 ……って偉そうに書いたけど、これは全部ガイドブックで勉強したこと。香港4大トレイルについては『香港アルプス』(金子晴彦・森Q三代子共著)という丁寧でパーフェクトなガイドブックが刊行されているので、ぜひ山行の参考にしてほしい。(いまのシャレよ)

といっても、じつはぜんぜんピンとこない
 さて。香港4大トレイルの概要はわかったが、じつはどこをどう歩くかはまだ決めていなかった。なにしろ「ぜんぜんピンとこない」のだ。

 香港の山々は地理的にはどれも標高数百メートルしかない低山だが、写真を見るとリッジラインがガリガリに尖ったずいぶんアルパインな雰囲気だ。だからひと口にトレイルといってもそれが北アルプスの3,000m峰を巡るようなルートなのか、それとも高尾山レベルなのかイマイチよくわからないのである。それに途中に沢や水場があるのか、テントが張れる場所があるのかどうかもよくわからない。だから「とにかく現地にいって話を聞いてから決めよう」という超アバウトな作戦でやって来たのである。

 やがて2階建てバスの窓にニョキニョキと高層アパートの姿が見えてきた。うああ、どれも50階ぐらいあるぞ。しかも超オンボロ。窓から物干し竿が突き出し、カラフルな洗濯物がじっとりした無風の空気の中で、ひらりともせずに固まっていた。

 すげー。香港映画で見たまんまだ。
香港名物の超高層アパート。こんなアパートが雨後の竹の子のようにニョキニョキ生えている。アイヤー
 工事中の古いビルには竹で組んだ足場がかけられ、いまにもジャッキー・チェンが飛び出してきそうだった。僕はジャッキーが香港マフィアに追いかけられて裏通りを駆け回り、担々麺をひっくり返されたおじさんが「アイヤー!何するあるよ!」と怒る姿を想像しておかしくなった。アイヤー!ついに来たのだ、香港へ。

トレッキングの第一歩は「燃料調達」だ
肉屋、魚屋、八百屋、果物屋、乾物屋……。路地のちいさな商店が元気だ。商いの勢いがある街は歩いていて楽しい
 香港中心部の九龍(クーロン)エリアに着くとまずは日本で調べておいたアウトドアショップへ行くことにした。海外トレッキングの最初の一歩は「燃料の調達」だ。ガス缶やホワイトガソリンは航空機に積めないから現地調達することになる。そのためにはアウトドアショップがどこにあるかだけは前もって調べておいた方がいい。

 ちなみにアフリカや中央アジアなどの海外へき地を旅するときや、自転車やバイクなどで何か月も旅をするときには、僕は米国MSR社のWhisper Lite Internationalというガソリンストーブを愛用している。コイツはホワイトガソリンだけでなく、自動車用のレギュラーガソリンやディーゼル(軽油)、ケロシン(灯油)なんかも使えるのでどんな場所に行ってもツブシが効く。じっさいにそのマルチフューエルぶりには何度も助けられ、サハラ砂漠を横断した時には軍用機のアブガス(航空機燃料)を使って食事を作ったこともあった。

 またアルコールストーブも海外トレッキングでは実践的だ。アルコールランプはへき地や山村ではいまも現役で、電気が来ていないような場所でも入手ができる。また燃料用アルコールがない場合は消毒用アルコールでも代用できる(場合が多い)ので、薬局を探せばなんとかなる。ちなみに北欧のハイカーには圧倒的にアルコール派が多く、クングスレーデンなどのロングトレイルではどこの山小屋でも売っている。僕は一昨年北極圏のラップランドを歩いた時にはスウェーデンtrangia社のStormCookerを使用した。

 いっぽう日本でメインに使われているドーム型のガスカートリッジ(通称・OD缶)も今では各国で入手できるようになった。かつてはバルブの形状が違ったり、使い切りタイプ(フランスのcamping gazなど)があったりしてかなり混乱したが、現在では通称「リンダルバルブ」という「外径約33mmの凹みの中に約10.5mmの口金が立てられた自動閉鎖バルブ付きのタイプ」に集約されていて、北米やヨーロッパでは日本と同じ規格のものが比較的簡単に手に入る。

 ちなみにバルブ規格が共通なので、ガス缶のブランドによる違い(PRIMUSとかColemanとか)はないように見えるが、実際はガスストーブの設計というのは自社燃料の使用を前提にしているので、別ブランドのガス缶では充分な性能が発揮できない場合がある。また別ブランドのガス缶で燃料漏れや引火・爆発事故を起こした場合はメーカー保証が受けられない。そのへんは自己責任で行くしかないが、ガス缶を買ったらトレイルに入る前に一度着火テストしてみるのがいいだろう。

 以上ホーボージュンの「ストーブ豆知識」でした。

ちゃんとアウトドアショップがあるのだよ
RC OUTFITTERS は市内に3店舗を構えるアウトドア専門店。狭い雑居ビルの5階に登っていく雰囲気は、僕に東京・御徒町駅前のOD.BOX Annex店を思い出させた
 さて。iPhoneのGoogleマップを頼りに向かったのは「RC OUTFITTERS 毅成戸外用品」。市内に3店舗を構える大手ショップだ。行ってみると店は繁華街の雑居ビルの5階と6階に入っていたが、運悪くエレベーターが故障して動かず、エアコンの効いていない狭い階段をヒーヒー上っていくハメになった。

 ショップの看板には旅遊(Travel)遠足(Trek)露營(Camp)攀岩(Climb)滑雪(Ski)獨木舟(Kayak)探險(Expedition)と言った勇ましい漢字が踊っている。そーかトレッキングは中国語だと“遠足”っていうのか。言われてみればその通りだよな。あ、“露営”の“営”は火が2つの“營”のほうがキャンプっぽいよな。そんなことを思いながらひたすら上る。

 汗だくになって5階へ上がり、ステッカーがたくさん貼られたドアを開けると、そこはかなりマニアックなアウトドアショップだった。日本の店に比べれば物量は少ないが、それでも名の通ったブランドの製品が揃っている。
左上:吸熱フィンを備えた高効率コッフェルやUL系のチタンコッフェルなどが人気を博していた。右上:香港4大トレイルの詳細な地形図が売っていた。左下:『GO OUT香港版』を発見。日本の情報誌やファッション誌は若者に大人気で書店やコンビニに大量に並んでいる。右下:トレイル情報を教えてくれたオーガスト・リーさん

「ニーハオ。ガスカートリッジが欲しいんだけど」

 すると店のお兄さんは「OK、OK」と言いながら、緑と黄色のいかにも中華製なガス缶を出してくれた。へんな丸文字で「野楽」とプリントされている。果たして性能がどんなもんか少々不安だったが、いずれにしろほかに選択肢はない。悩んでも仕方ないことは悩まない。それがバックパッカーの基本である。

 対応してくれたオーガスト・リーさんに香港4大トレイルの情報を聞いてみる。するとリーさんは近くの棚から地形図を出してきてくれた。おお、ちゃんと山岳地図があるじゃないか。それは1:20000の詳細な地図で、細かなトレイルやキャンプサイトなどの情報もばっちり載っていた。

「オススメのエリアはどのあたりなの??」
「ハイキングにいくの?」
「いや、2泊か3泊ぐらいでテント泊縦走するつもりなんだ」
「だったらシャープピークがいいよ」
「シャープピークって?」
「香港の山好きならみんな知っている有名な山だよ。登るのはハードだけど山頂から見える景色が最高にスペクタクルなんだ」

 リーさんが写真を見せてくれたが、その名の通りシャープなピークの独立峰で、佇まいがメチャクチャかっこいい。

「海まで近いからどちら側からアプローチしても下山後にはビーチでキャンプができるよ」

 地図を見るとこの山はマクリホース・トレイルのセクション2から少し外れたところにあった。だったら今回はマクリホースを歩いて、途中でアタックをかけるのがいいかもしれない。

 香港中心部からマクリホース・トレイルまでは、電車とバスを使って3~4時間でいけるらしい。毎日の歩行距離はセクション1は10.6km、セクション2は13.5km、セクション3は10.2km。それぞれの接続地点にはキャンプサイトが設けられている。2泊3日で歩くにはちょうどいいかもしれない。

「よし、ここにしよう!」

 僕はマクリホース・トレイルを歩くことに決め、リーに礼を言うと店をあとにした。

買い出しを兼ねて夜の街を散策する。バルトロのハイドレーションポケットは取り外すとなんと超軽量のアタックザックに変身する。ピークへのアタックだけでなくこんな時にすごく便利だ。根っからのバックパッキングモデルなのである香港名物のナイトマーケット。生鮮食料品、衣料品、生活雑貨などなんでも売っている。ヒモで縛られた上海蟹やカゴに入ったニワトリなんかもいた

 その後はスーパーマーケットへ行き、キャンプ用の食糧と行動食を買い込む。今回は予備日を含めオントレイルは最大4日間。なので朝夕8食の食糧と4日分の行動食をごっそり買い込んだ。夕食のメニューは4日とも棒ラーメンにする。おどろくべきことに棚には「マルタイ」や「五木食品」などの日本の棒ラーメンが並んでいた。

 カロリーと水分が一度に補給できるインスタントラーメンは日本が世界に誇るトレイルフードだ。なかでも棒ラーメンはコンパクトにパッキングでき、ゆで時間が短くて燃料節約にもなるから僕はもっぱらこれを愛用している。さすがは麺の国だけあって棚には目移りするぐらいたくさんの種類があったが、今回は中国製棒ラーメンの『四川担々麺』を試してみることにした。まあここは、四川じゃねーけどな。

 スーパーにはほかにも日本製のカップラーメンや食材、調味料、お菓子が溢れていてびっくりした。なかでも日本製のお菓子はものすごい人気がある。街中には日本のお菓子専門店まであった。コンビニに行ってもそうだが、食料品コーナーにいる限り「異国情緒」を感じることはほとんど無い。
オントレイル3泊4日分の全食糧(カメラマン分含む)。朝食は菓子パンとチーズとクラッカー、昼食はナッツやチョコレートバーなどの行動食、夜は棒ラーメンと真空パックのレトルト食品という食糧計画だ。でも「途中の村に食堂や屋台があったらそこで現地の食事を食べる」というのが基本方針



いきなりの船旅を決意する
 翌朝、MTRと呼ばれる地下鉄にのって九龍を離れた。まずは彩虹(チョイホン)駅に向かう。地下鉄の旺角(モンコック)駅でキップを買ったが、まわりのみんなは「ピッ!」と入場。昨日の2階建てバスとおなじ「オクトパスカード」を使っていた。
MTRもミニバスもプリペイド方式の「オクトパスカード」が主流。自動券売機でキップを買う場合もこのような電子カードが出てきて自動改札で「ピッ!」とする。公共交通機関を上手に効率的に利用するのが香港旅行の秘訣である
 これはあとから知ったことだが、香港旅行者はみんな空港でこのオクトパスカードを買ってから市内に入るそうだ。交通機関だけでなくコンビニやスーパー、ドラッグストアやファーストフードレストランでも使えるらしい。なにしろ初香港なので知らないことがたくさんある。

 彩虹駅からボロボロのミニバスに乗って西貢(サイコン)に向かう。このオンボロバスもカード専用で、紙幣で運賃を払おうとしたら「メイヨー!」と言って怒られた。峠道をギャンギャン飛ばすバスにおののいているうちに西貢到着。バスを降りるとそこは活気に満ちた港町だった。頬を撫でる潮風がきもちいい。埠頭には掘っ立て小屋がズラリと並び、客引きが観光客に何かを叫んでいる。ここからあちこちの港に向けてプライベートボートを出しているようだ。
西貢の波止場には五星紅旗がひるがえり、ここは中国人民共和国なんだということを初めて肌で感じた。香港返還から来年で満20年。香港の一国二制度はこの先どうなっていくのだろうか

「いいなあ。せっかくだからフネに乗りたいなあ」

 屋台の軒先に張り出してある看板や航路を眺めているうちに、僕はいいことを思いついた。ステージ2の起点は海沿いにあり、そこまで海路でいけそうなのだ。だったら思い切ってステージ1はパスし、ステージ2から歩き始めるのはどうだろう?

 そもそもステージ1はダム沿いの舗装路や階段を歩く退屈な区間で、最初からあまり乗り気じゃなかった。それに天気はこれからどんどん下り坂になり、明日は大雨、明後日は豪雨の予報である(涙)。だったらどんどん先に進んだほうがいい。

 昨日買った地図を出して検討していると「オニーサン、どこまで行くの?」と、いかつい顔をしたおじさんに声をかけられた。くわえタバコに腕に入れ墨。いかにも港湾関係者らしい。
西貢は活気に満ちた港町だった。新鮮な海鮮料理を目当てに海外から訪れる観光客も多い。埠頭のレストランには巨大な伊勢エビやシャコ、イカやヒラメが舞い踊っていた。「帰りにぜってー来るぜ」と固く固く決意する
「西湾(サイワン)か鹹田湾(ハムティンワン)に行きたいんだけど、いくらぐらいかかるのかな?」

 地図を指さして相談する。するとおじさんは少し考えてこういった。

「今回は特別に安くしておくよ。一艘貸し切りで1900ドルだね」
「えっ?そんなにするの?」
「ナニ言ってんだよ。こんな大きなフネを貸し切るんだぜ」

 そういっておじさんはボートの写真を見せてくれる。なるほど30人は乗れそうな大きなボートだ。でも日本円で2万6000円は高すぎだろう。とりあえずヨソで相場を探ろう。

「じゃあ他を探してみるよ」
 スタスタと歩き始めるとおじさんは慌てて道を塞ぐ。

「じゃ、じゃあ特別に今回は1000ドルにしておくよ。どう?」
 ほら、いきなり半額だ。

「いやいや高いよ。俺そんなに払えないから」
「い、いくらならいい?お兄さんの言い値でいいから。いくら?」

 食い下がるおじさんを振り払りはらって先に進む。するとさっそく隣の屋台から声がかかった。

「オニーサン、どこまで行くの?」
 今度はサングラス姿のヤンキーっぽいおねーさんだ。鹹田湾というと「ちょっと待ってね」と言ってどこかへ電話をかけ始めた。そして電話を切ると

「鹹田湾への定期便は出してないんだけど、今日は近くまで行くボートがあるからそれに乗っけてってあげるよ。ひとり150ドルでどう?」

 日本円で約2,000円。おじさんのフネの10分の1以下だ。時間も無いのでこれでお願いすることにして代金を払っていると、あのおじさんがおねーさんに食ってかかった。

「オマエ、人の客を横取りすんなよ!」
 でもおねーさんも負けてはいない。

「なにいってんのこの強欲ジジイ! 吹っかけんにもほどがあんだろ!」
「吹っかけてなんかねえよ!こっちは貸し切りだぞ」
「あんなボロ船20ドルでも高いわ! ボケェ!」

 そう怒鳴りつけると、拳で頭をひっぱたく真似をしておじさんを追っ払ってしまった。いやはや港の女は強い。

「午後1時にフネを出すから、遅れないでね」笑顔でそういうと、100ドル札をひらひらと振った。

「デジタルバックパッカー」の時代がやってきた?

 とりあえずフネは確保した。あとは情報収集だ。リーに聞いた話だとこの近くに「地質公園火山探知館」という施設があるはずだった。そこへ行けば西貢エリアの山情報がわかるらしい。ところが困ったことにそれがどこにあるかわからない。波止場の裏を適当にうろついてみたのだが、それらしき建物がみつからないのだ。

「困ったなあ。出航まであと30分もないぞ……」

 ふと思い立ってiPhoneを取り出すとWi-Fiの電波を拾っていることがわかった。すげえ。こんな田舎の港でも無料Wi-Fiが飛びまくっている。それなら、ということでGoogleMapを立ち上げ「火・山・探・知・館」と漢字で入力すると、すぐに地図にピンが立ち、そこまでの経路が青い点線で示された。徒歩2分と出ている。街路樹に隠れて見えなかったが、めざす建物は僕のすぐ目の前にあった。

 じつは今回は成田空港でレンタルWi-Fiルーターを借りてきているので、地下鉄やバスで移動しながらでもどんどん情報が拾えた。昨夜到着してからの短時間でアウトドアショップやスーパーマーケットを回れたのも、九龍の路地裏でウマイ飯屋を探し当てたのも、すべてコイツのおかげである。しかも香港(中国)の場合「漢字検索」ができる。これが漢字圏市民の強みだ。今後ルーターとスマホは海外バックパッキングの必携装備になるだろう。いよいよデジタル・バックパッカーの時代がやってきたのだ。

 でも見知らぬ街で道に迷うのは「旅人の特権」のひとつだし、身振り手振りで道を訪ねれば自然と地元の人との交流が生まれる。僕はそれこそがパックツアーにはないバックパッキング旅行の醍醐味だと思っているから、なんでもかんでもスマホで検索しちゃうのはちょっと抵抗があるんだけどね。

巨大なうわばみとトンガリ山
 とりあえずフネは確保した。あとは情報収集だ。リーに聞いてやってきた「地質公園火山探知館」のアーサー・ツァン館長は流暢な英語を話す紳士だった。アーサーさんは地質学者としてこのエリア一帯の地質調査をする一方で、観光客に向けたトレイルガイドもやっているそうだ。
左上:西貢エリアはユネスコにより世界ジオパークに指定されており、その広報のための「地質公園火山探知館」が設けられている。右上:館長のアーサー・ツァン(曾繁康・Arthur Tsang)さん。エコツアーガイドでもあり、トレイル情報をいろいろ教えてくれた。下:波止場の食堂で定食を食べた。ピリ辛の薬味を豪快にかけた蒸し鶏は、プリプリの食感と絶妙な辛さでゴハンがいくらあっても足りない
「フネで鹹田湾に行くんだったら、そのとなりにある大湾でキャンプをするといいよ。白砂の素晴らしいビーチだから」といろいろ詳しく教えてくれる。
「ここでは飲み水は手に入るのかな?」
「水どころか冷えたビールも手に入るし、シャワーを浴びることもできるよ」
「ワオ!」

 鹹田湾は多くの海水浴客が訪れる観光名所で、浜には「海風士多(海風ストア)」という海の家があるそうだ。

「ステージ2の途中にもキャンプ場があるけど、まわりの村はすべて廃村になってしまって水や食べ物は買えない。トレイル沿いに公衆トイレもあるけどたしか水道は止まっているはずだ。だからこの日の分の水は自分で持って行くといいよ」

 具体的に教えてもらってとても助かる。

「シャープピークは難しい?」
「いやいや、君たちのレベルなら楽勝だよ。でも頂上直下のクライミングセクションは雨が降るととてもスリッピーだから気をつけた方がいい」

 やはりガイドブックやWEBサイトではなく、現地のナマの情報が一番役に立つ。アーサーさんにお礼を言って港へ向かった。

 乗り込んだボートは10人乗りぐらいの小さなものだったが最新式の大型船外機を備えていて、穏やかな海面を飛ぶように走った。

 海にはたくさんの島が浮かんでいた。香港は235余の島を持つ多島海で、気温も植生も小島が連なる雰囲気も日本の南西諸島によく似ている。

 しかし西貢の半島東側に回り込んでビックリした。六角形をした石柱がニョキニョキ生えていて奇々怪々な景観を作り出しているのだ。この六角石柱群こそがこの西貢エリアがユネスコによってジオパークに指定された最大の特長。いまから1億6000万年前にこのあたりの火山が猛烈な噴火を起こした痕跡なのだとアーサーさんが言っていた。すごいわー。



 小一時間船に揺られ、ついたビーチは信じられないような美しさだった。エメラルドグリーンの海の向こうに、真っ白な砂浜が広がっている。浜にはゴミひとつなく、遠方には緑の山々。まるでポリネシアかミクロネシアの無人島みたいだ。

「これが、香港なのか!」

 高層ビルが林立し、路地には人間がごった返す世界一過密なあの香港とここが同じはとても信じられない。そのあまりの対比に僕は完全にノックアウトされてしまった。おそるべし香港!つーか、西貢!つーか、鹹田湾!
鹹田湾のビーチと森の間には川が流れ、ハイカーたちは橋を渡る。川の氾濫によって何度も橋が流され、そのたびにみんなで手作りするそうだ。左下:マクリホース・トレイルのトレイルヘッド。休憩場と案内板があった。右下:マクリホース・トレイルの第2ステージは全面が石畳で整備され、老若男女がハイキングを楽しんでいる。97年の香港返還以来、急速に舗装化が進んだそうだ
 噂に聞いていた海の家では大勢の人が楽しそうに食事をとっていた。半分ぐらいは渡し船でやってきた観光客、半分ぐらいはマクリホースを歩くハイカーだ。せっかくなのでここで冷えた缶ビールを一本買い、グレゴリーのサイドポケットに差す。そしてアーサーさんのアドバイス通りひと山越えて北側の大湾に向かった。その途中で突如あいつが現れたのである。視界の中にドーンと。大きな広がりの中にズキューンと。それがうわさのシャープピークだった。

「うわあ!マジでシャープ!」

 雲が低く垂れ込めた白い空に向かって聳え立つ山容は、まさにシャープとしか形容しようがない。典型的な独立峰で標高はわずか468mだが、海までせり出した山塊のボリュームも圧倒的で、全体の雰囲気がとても男らしい。中国名は蚺蛇尖(Nam She Tsim)というが、「蚺蛇」というのはウワバミ(伝説上の大蛇・オロチ)のことだ。なるほど。この巨大な山塊はドラゴンか麒麟でも飲み込んだウワバミを連想させる。さすがに中国人は上手いことを言うなあ。

 シャープピークがあまりにカッコよかったので、僕はピークを眺めながらビールを飲むことにした。岩の上にグレゴリーを降ろし、腰を下ろしてもたれかかる。プシュ。シュワー。ゴク、ゴク、ゴク。プハーッ。空の下で飲むビールは格別だ。ましてそれがトレイルの上なら言うことない。

 海からの風が気持ちいい。山の緑が目に優しい。遠くで雷が鳴っている。風に含まれた雨の匂いがスコールを予感させる。風に揺れるアダンの尖った葉が、自分は南方にいるのだということを教えてくれる。北緯22度18分。ここから見れば沖縄ははるか北だ。

 シャープピークへと続くトレイルは数十メートル先で亜熱帯に飲み込まれ、深い緑となって姿を消した。あの先はどうなっているんだろう。シャープピークの急斜面はいったいどんな感じなんだろう。そしてあの天を刺す頂にたったら、世界はどんなふうに見えるのだろう。

「待ってろよ!そこのトンガリ山!」

 ドラゴンを飲み込んだウワバミに向かって、僕は大きく声をあげた。
誰もいない広大な白砂のビーチにテントを張った。真っ黒な野良犬がずっとそばで昼寝をしていた。香港で買ったガス缶で夕飯の支度。どこにいてもキャンプ料理は楽しい

青い海とネオンの波
 その日の夜のことだ。波の音にふと目が覚めた僕はテントのドアパネルから外を眺めて我が目を疑った。海が青く光っているのだ。

 「…………!」

 慌ててテントを這い出し浜に立つ。そしてあまりのことに動けなくなってしまった。波がピカピカと光っている。真っ青に光っている。月の明かりではない。それはコバルトのように青いのだ。星の光ではない。それは反射光ではなく自らが発する光なのだ。それはまるで青いネオンが海の底から湧き上がり、波頭で砕けて星屑になっている……そんな光り方だった。
青く光る幻想的な海に立ち、押し寄せる光の波頭を眺めていた。この地球には見たことのない景色がまだまだある
 「夜光虫だ……」

 僕は湘南の海っぺりに住んでいる。夏は毎日のように海に入り、カヤックで長い距離を漕ぐ。だから赤潮に遭遇することも、夜光虫を見ることも珍しくない。ナイトパドリングの最中に自分が差し込んだパドルに夜光虫が反応し、航跡が青く光っていたこともある。でもいま僕の目の前に広がる光景はそんなもんじゃない。違う宇宙に来てしまったような、違う次元に落ちてしまったような、ちょっと信じられない光り方だった。
 
 空には分厚い雨雲が垂れ込めていて、あたり一面真っ黒だ。ヘッドランプを消すともう自分の掌さえ見えない。そんな漆黒の闇の中を青く光る波が走っていく。波頭の光は目が眩むほどまばゆく、まるで青い稲妻が束になって走っているようだった。

「いったいこれはなんなんだろう……?」

 僕にはただの夜光虫の光には思えなかった。少なくとも僕が知っている夜光虫じゃない。それはもっと大きく、もっと強く、もっと深い、地球的な、宇宙的な、僕ら人間の智恵などをはるかに越えた光に思えた。

 憑かれたように海に入った。よく見ると光っているのは波頭だけではなかった。海面全体がボウッと発光しているのだ。沖から波がやって来るたび海中に無数の青い星が湧き上がり、揺れ動いて沈んでいった。

 僕はそのまま青い宇宙を歩いてみた。真っ暗なはずなのに水中の指先がくっきりと見えた。一歩足を踏み出すたびに海がキラキラと光り、流れ星のような余韻を引きずって黒く消える。本当に宇宙空間を歩いているみたいだった。

 バックパックを背負って大自然の中を歩き、テントで寝泊まりしながら暮らしていると、時々こんなにすごい経験をする。それは誰にもできない経験だ。いましかできない経験だ。そして一生忘れることのできない経験だ。だから僕はこうして旅をしている。
 
 夜が明けたら、いよいよトレイルを歩き始める。
 明日はどんな光景に出会うことができるのだろう。

 パックパッキング香港・後編へ続く。
 


 

 それでは、今回旅した香港マップや実際の持ち物リストなどを公開!

香港 Backpacking map

香港で実際に歩いた場所や、立ち寄ったアウトドアショップ、スーパーなど、さまざまな旅の情報を落とし込んだオリジナルの香港地図をAkimamaスタッフが用意してくれた。赤いラインがフィールドで移動した前編の軌跡。ぜひみんなの香港旅にも活用してほしい。なお、右上の□マークから拡大地図へ移れば4大トレイルを一時的に消すなど、必要な情報だけを表示させることもできる(これはPCの方が見やすいかも)。後編ではさらに情報を加えていく予定!

今回用意した旅の持ち物リスト
当たり前のことだが、旅には行き先に合わせた道具やウェアが必要だ。毎回、現地の行動をイメージして、なるべく具体的な持ち物リストを作るようにしている(拡大して見てもらえるよ)。時間があるときは各アイテムの重量も量る。それによって自分がどれくらいの装備を背負い、トレイルでどれくらい動けるかなどもより明確にイメージできるわけだ。

旅の相棒 Gregory バルトロ65

歴代のトリコニとバルトロを愛用してきたが、現行モデルは快心のできだ。このバルトロ、背負い心地のよさはグレゴリーの真骨頂だから今さら語るまでもないが、他では例えばフロントパネルの大型U字ファスナーが使いやすい。上部の雨ブタを開いて荷物の出し入れをするトップロード型だが、フロントが大きく開くので、狭いテント内での荷物の整理もラクに行なえる。また、ハイドレーション用のスリーブが超軽量のデイパックになっていて、ピークへのアタックはもちろん、買い出しなどにも使える。長期放浪旅にも便利なのだ。

サイズ: S、M、L
容量: 61L(Sサイズ)、65L(Mサイズ)、69L(Lサイズ)
重量: 2,200g(Sサイズ)、2,300g(Mサイズ)、2,369g(Lサイズ)
カラー: ネイビーブルー、スパークレッド、シャドーブラック
価格:42,120円(税込み)

 

(文=ホーボージュン、写真=中尾由里子)


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