• 登山

伊藤 伴。日本最年少にしてエベレスト、ローツェの連続登頂を成し遂げた男—その2

2016.09.21 Wed

久保田亜矢

久保田亜矢 フォトジャーナリスト、編集者

(伊藤 伴、前編はこちらから)

 8,848m。世界最高峰のエベレスト。その頂に立つには体力や精神力だけでなく、資金集めと運が必要となる。伊藤は19歳という若さでその資金を集め、エベレストに向け出発した。しかし、生まれて初めてのエベレストは、そう簡単には登らせてはくれない。2015年4月25日。ネパール地震の影響で、彼は大規模な雪崩に遭遇することになる。

 多くの犠牲者を出したベースキャンプ(以下、BC)を翌年ふたたび訪れた伊藤は、そのときなにを思ったのだろうか……。

 
*****
 

▼エベレストのBCでの滞在中に地震が起き、大規模な雪崩に巻き込まれていますが、そんな状況を経験しながら、すぐまた翌年に登ろうと思えたのはなぜですか?

 たしかにあれは、本当に怖い体験でした。それなのになぜ、また行きたいと思ったのか、正直自分でもわかりません。すごく恐ろしかったのですが、それ以上に、エベレストに登りたいという気持ちのほうが強かったんだと思います。
 
 ただ今年、BCに着いて、雪崩の起きた方角に雲がかかっているのを見たとき、ものすごく恐怖が襲ってきて、その山を直視することはできませんでした。

 

▼「登るのをやめたい」と思ったことはないのでしょうか?

 じつは、一度だけあります。

 ロブチェに登るときでした。ひどい高山病で、お腹の調子も悪く、このときばかりはさすがに「もうやめてやる! エベレストなんてとんでもない。もう下りたい、帰りたい」と本気で思っていました。

 でも、ロブチェの山頂に着いたとき、快晴無風でエベレストがドーンと見えて。

 さっきまでのつらさも忘れ、下山中には「エベレストに行きたいです!!」と近藤さんに話していました。

 あのとき以来は、ただただつらいってことはあるのですが、やめたいとは思わなくなったんです。「なぜ、登っているんだろう?」と思うことは、いまだに多々ありますけどね(笑)。


 

▼憧れのエベレスト、実際に行ってみてどうでしたか? また、そこはどんな世界なのですか?

 まず、身体的にも物理的にもさまざまな準備があって、エベレストに登る前にBCにひと月ほど滞在するのですが、初めて訪れたBCの印象はとてもひどいものでした。

「ここは地獄だ」と思いました。氷河の上で極寒。こんな寒いところにテントを張って1ヶ月も過ごすなんて……と。

 この期間に高所順応を兼ねて、いろいろな時間を過ごします。実際に山に登って下りてというのもあるのですが、それ以外は、本を読んだり、近くの村(とはいえ、片道1時間以上は掛かりますが)まで散歩に行ってみたり、ほかの隊へ挨拶にうかがったり、天候待ちでボーッとしてみたり……と。


 とくに、ぼくは食べて寝ての繰り返しでしたけどね。BCのある標高5,000mにいるだけでもモノすごく体力が消耗するので、毎食6,000〜10,000kcalほどは摂取していました。

 でも、エベレストの山頂からC4(キャンプ4)に降りてくると、BCに戻りたいって思うんです。で、実際に戻ってくると、「なんて暖かいんだ、まるで天国だ!」ってなってしまうんです。

 C3からは上は、終日酸素マスクが必要となります。けっこう、息苦しいものでして。だから、BCでは「酸素マスクなしで生きていける!」なんて言ってね(笑)。
 

▼高度順応はどれくらいのペースで、どんなことをするのですか?

 具体的にはBCを起点にして、1週間ほどの時間をかけて、周辺の山に登ったり、標高を上げては下げてを繰り返します。BCからは遠いですが、先のロブチェも高度順応に適した山で、標高は6,000m級。山頂で1泊してゆっくりと時間を使ってから、下山します。

 一度、BCまで戻ってから、2回目の高度順応に出発。今度は、危険なアイスフォールを抜けてC1、C2、そしてC3の標高約7,000mをタッチして、BCまで戻ってくる。そして、準備が整えば、最後は山頂までとなります。


 BCでは、日々の体調管理はもちろん、装備の相談や酸素マスク、ボンベの取り扱いなどについての講習もあります。けっこう、忙しいものでして。
 

▼山頂には、スムーズに登頂できたのですか?

 エベレストのサミットを狙うときは、夜の11時くらいにキャンプを出発するんです。ローツェの方角に稲光がすごくて、「こっちに来ませんように」って祈っていました。

 じつはぼくの使っていた酸素マスクの調子が悪く、AG(アドベンチャーガイズ)隊から遅れを取ってしまいました。とにかく山頂付近は渋滞で、近藤さんから前にいる隊を抜いて先に出るようにと指示があったのですが、マスクを外して話ができないので、上手く伝えることもできず……。

 でも、グズグズしていると酸素切れで登頂できなくなってしまうので、本当に必死でした。
 

▼登頂では、装備選びも慎重になりますよね。装備のなかでこだわっているものは?

 まずはグローブで、6〜7種類は持っていきます。薄手のグローブからちょっと厚めのシングルグローブ。5本指のダブルグローブ、ミトン、そしてウールのタイプやアウターとして使えるものなどなど。

 これらを、いろいろな組み合わせで使い分けます。手は痛めやすいので、とくに気を使っていましたね。

 足はスポルティーバの高所用ブーツで、厚手の靴下を履いています。行動用、就寝時用、そして、サミット用の3足の靴下を持っていきました。サミットプッシュのときは「勝負靴下」という意味もあって、新品を使うんです。ヘタれていないので保温力もあるし、吸収性も高いので。

 あとは、アタック用のウェアとシェルですね。シェルはC2までで、そこから上はコロンビアのサミッターを着ていました。いろんなものを試したわけではないけれど、触ってみるとけっこう固くてゴワゴワするものが多いんです。

 いま使っているコロンビアのウェアは、とにかく軽くて柔らかい。着心地がいいだけでなく、動きやすいんですよね。セパレートだし、ジッパーもついているのでトイレもしやすい。当然ながら、ポケットもハーネスに干渉しない位置についていて、高所でもとても使いやすかったです。
 

▼最終アタックでサミットを狙うとき、ポケットにはどんなものが入っていましたか?

 胸のポケットには、すぐ出せるようにウィダーなどの食料を入れていました。でも顔のほうは、マスクにゴーグル、そしてヘルメットの順で装備していますよね。現場ではこれらをいちいち外せないので、下からパカっと開けてストローのようなもので飲めるもの、ハイドレーションとかウィダーのようなゼリーじゃないと口に含めないんです。ほかには、キャンディとかチョコとか。

 あと、ジャケットの内ポケットには、山頂で揚げる旗を入れていました。風が強い予報が出ていたので、ザックが下ろせないこともあるだろうと思っていたので。


▼ではザックのなかには、なにを入れていましたか?

 ボンベと予備のヘッドランプ、あとは替えのグローブですね。5本指のグローブを手にはめていたので、ザックには、ミトンと薄手のタイプを代替として入れました。そして、あたたかい飲み物を入れておくテルモス、ウォーターボトルのナルゲン、ハイドレーションの3つですね。

 ウォーターボトルは凍ってしまうけれど、登っていたら大量には飲めないし、下ってきたら溶けるからちょうどいいんです。あと、ハイドレーションはダウンウェアの下に入れているので比較的凍りにくく、テルモスはあたたかいものを入れておくので凍りません。

 飲み物の中身は、アミノバイタルの粉を溶いたスポーツドリンクが多いですね。でも味が濃いと喉が渇いてしまうので、できるだけ薄めにして。
 

▼伊藤さんの原点になる山は、どこになるんですか?

 ぼくの山は、東京近郊の奥多摩や奥秩父から始まっています。高校も青梅だったし、友人が多いこともあって遠いという感覚もない。

 ぼくのストレス解消法は「寝る、走る、山に登る」ですが、この「山に登る」先は、奥多摩とその周辺の山なんです。とくに、登っていたのは秩父の笠取山。ほとんど山梨県になるんですけど、奥秩父山域でいちばん最初に登った山で、作場平が入山ポイントとなります。1日で往復できる標高1,953mの山です。

 最初は川沿いから、そして川から外れて山小屋に着いて、その先が馬の背になります。その馬の背のような木の生えていない場所の先に、けっこう急な斜面がドーンとあるのですが、それがすごくキレイでかっこいいんですよ。その斜面が苦手であれば、ぐるりと迂回する道もありました。

 そして、この山は分水嶺でもあります。雨が降って流れる水の方向によって、荒川と多摩川、富士川に分かれていく。ぼくらの生活用水となる川の原点で、分岐の山なんです。なんだか、すごいですよね。

 ぼくにとってもこの山が原点で、もしかすると分岐点だったのかもしれないですよね。

 
▼エベレストの登頂を終え、ローツェの連続登頂の記録をつくりました。かなり大変だったとうかがったのですが?

 エベレストを登頂し、その日のうちにC4まで下山し、翌日、ローツェのC4に移動しました。

 メンバーは近藤謙司さんとシェルパふたりです。天候はよかったのですが、前々日にローツェクーロアールでルート工作をしていたシェルパが滑落して亡くなるという事故があり、フィックスロープが途切れ、それより上はロープがまったく固定されていませんでした。

 しかし、その途切れたロープの先端にたどり着いたとき、近藤さんが(過去2年ほど事故もなく、震災以降は登っている隊がなかったので、少なくとも)3年以上前のロープを雪壁のなかから発見しました。

 ふつう、この時期の登攀スタイルは1本のピッケルで登るシングルアックスですが、滑落して亡くなってしまったシェルパのピッケルを見つけた近藤さんは、ダブルアックスで登ることに。

 シェルパが遺していってくれたこのピッケルは、近藤さんに安心感と強いパワーを与えたかのようでした。

 サミットまでは残り約300m。

 持っていったロープとぼろぼろのロープをつなぎ合わせて20mほどの長さにし、近藤さんがスノーバーとピッケルを壁に打ち込んでロープを延ばし、それを頼りにぼくとシェルパが登るんです。ただ、古いこのロープにテンションをかけるのは危険なので、「本気でテンションはかけるな! ロープにカラビナを通して自分のピッケルと足で上がるように」と近藤さんからの指示がありました。



 最後に登ってくるメンバーが打ち込んだものを回収して、また4人がそろうと、近藤さんが同じことを繰り返しながら先に登る……という尺取り虫のような行程を15回ほどやり続けました。時間にして8~9時間ほどだったと思います。登頂したときには、さすがのシェルパもへろへろでしたね。
 
 今季、ローツェに登ったのは世界中でぼくらだけ。本当に貴重な経験でした。
 

▼エベレストとローツェの登頂を成し遂げ、次の目標は?

 記録にはこだわらず、いまは好きな山にたくさん登って、早く山岳ガイドになりたいというのが目標です。小学生のころから憧れている近藤謙司さんのような、お客さんが心から楽しんでくれるような、楽しませることができるようなガイドになることです。

 ガイドであれば、自分自信は技術や体力があるのは当たり前。連れて行く人よりも余裕がなければできません。それには、経験も必要です。近藤さんを見ていると、そのときの判断力というのがいちばん大切だと感じました。

 ここで突っ込んでいいのだろうか、それとも止めた方がいいのか。

 ギリギリまで攻めることができる人はきっと記録をつくるんでしょうね。でも、ぼくはそれよりも体力や精神力はもちろん、ガイドとしての判断力を学びたいと思っています。

*****

 これまで、憧れの国際山岳ガイドやすばらしい仲間たちと出会い、貴重な経験を積んできた伊藤 伴。「若い」という意味で、体力があるという点は強みとなるが、精神力や判断力という点では、まだまだ経験が足りていない。今後、経験から学んでいくべきことも多いはずだ。

 そして、伊藤の次なる目標はマナスル。標高8,163mの頂だという。エベレストと同じく、ヒマラヤにそびえる世界8位の高峰だ。なんと出発は、もう来週のこと。どんな山行になるやら、本当に楽しみである。

 伊藤 伴は、止まることなくいろいろな経験を積み重ね、一歩一歩、着実にめざす山岳ガイドへの道を歩み始めている。時間はかかるだろうが、若き山岳ガイドの誕生を楽しみにしたい。

 

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