• 山と雪

「その隔絶感、辺境感が最大の魅力」。山岳ガイド澤田 実さんが挑み続ける冬の黒部横断の記録

2017.05.25 Thu

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森山憲一 登山ライター

「隔絶感っていうんですかね。周囲にまったく人がいなくて、今ここで僕が死んじゃっても、だれも気がついてくれないだろうなという感じ。そういう場所であることが、僕にとっては黒部の山の魅力になっているんです」
 山岳ガイドの澤田 実さんはそう語る。これまで、国内はもとより、ヒマラヤやアラスカ、アフリカ、アンデス、カムチャツカなど、海外でも多くの山に登ってきた澤田さん。そのなかでもいちばん好きな山が北アルプスの黒部川周辺に広がる山なのだという。それはなぜ?という問いへの答えが冒頭のセリフだ。

 澤田さんは自身の記録文にこんなことも書いている。

「冬の黒部は常に、気持ち悪くなるほどの緊張感と、生きていることを実感できる充実感を僕に与えてくれる」

「ヒマラヤよりも厳しい」といわれる冬の黒部。圧倒的な自然環境のなかに身をおいて、自らの技術と体力を駆使して全力でサバイブする。その全力を賭けるに値するフィールドが、黒部なのだという。

 現在49歳の澤田さんが登山を始めたのは大学に入ってから。愛知県出身の澤田さんは、「北海道になんとなく憧れがあって」北海道大学に進学。そこで探検部に入部したことで登山と出会った。
大学探検部時代、北海道天塩川をイカダで河口まで下った。戦時中のような写真だが、「原版が手元になくて、部報からスキャンしたんです。もとはカラーですよ!(笑)」
 探検部というのは、山だけでなく、川下りや洞窟探検、海でのダイビングなど、さまざまな活動を行なう。部の活動ではないが、澤田さんは、1年休学して150日ほどかけて日本徒歩縦断(北海道宗谷岬~九州佐多岬)ということも行なっている。

 いろいろやったなかでも「登山がいちばんバリエーション豊かで面白い」と感じた澤田さんは、卒業後も就職はせず、山で生きていくことを決意。上京して山岳会に入り、アルバイトをしながら山に通う日々が始まった。

 90年代は、毎年のように海外の山にも出かけた。アフリカのケニア山(5,199m)やアラスカのデナリ(6,190m)をはじめ、ダウラギリやナンガ・パルバット、エベレストといったヒマラヤ8,000m峰にも登っている。
1997年に登ったナンガ・パルバット(8,126m)
 それが2000年代に入ると一転、国内の山行が中心になっていく。しかも大きな山行の多くは、舞台が黒部の山だ。

 ここに、澤田さんがこれまで行なってきた黒部での山行記録がまとめられている。それを見ると、90年代の5回に対して、2000年から2004年の5年間はじつに24回。冬のアルパインクライミングはもちろん、秋の沢登りやスキー縦走まで、あらゆる季節・あらゆるスタイルで出かけている。2004年以降は登山ショップ(カモシカスポーツ)に就職したこともあって頻度が落ちているが、それでも年に1回は黒部の山に入ってきた。

 そのなかでも、もっとも思い入れ深く取り組んだのが、2003年2月の「厳冬期」「単独」黒部横断。

 黒部横断とは、北アルプスの核心部を越えて長野県から富山県まで抜けるというもの。エキスパートのみに許された課題として知られているが、その多くは年末年始か、天候が安定し始める3月に行なわれている。もっとも天候の厳しい2月の入山例はほとんどなく、2月に剱岳に登った人の数は8,000m峰より少ないともいう。

「休みが取れないことをうまい口実に敢えて避けてはいなかっただろうか。だれもやらなかったのならば、山のためにフリーター生活をしている僕が行かなくてどうするのか」

 澤田さんはこの山行に向かって数年間準備を重ね、そういう強い思いをもって入山した。
地図作成=カシミール3D(http://www.kashmir3d.com/)を利用

 厳冬期の黒部は、ひとたび天候が荒れれば、とても人間が行動できるレベルではなく、一週間くらいテントに閉じ込められることも珍しくない。そこで澤田さんはトータル22日間の計画を立てた。うち10日分の食料と燃料を秋のうちに途中地点にデポ(事前に置いておくこと)。それでも、出発時は80リットルの大型バックパックがパンパンになった。

 2003年当時は、山中で携帯電話が通じるエリアがいまよりずっと狭かったころ。後立山の稜線を越えて黒部の山に足を踏み入れると、すぐに圏外になった。

「なんか胃のあたりがキューッとなるんですよね。もうここからは、だれも頼れない。何があっても自力で脱出するしかない。無事に帰れるかなという、そういう気持ち悪いどんよりした気分に襲われるんです」

 次に携帯が通じるのは、コース最後に控える剱岳。コースのほとんどを、外界との連絡手段を持たないまま、澤田さんは進んでいった。

2003年2月6日、登山初日。後立山の主稜線に向かって登っていく。雪の状態は想像以上によく、ひとりでのラッセルにもさほどの苦労は感じず、順調に高度を上げていった

2日目に黒部川に下り立ち、3日目に丸山に向かって登り返していく。黒部の核心に入り、地形はだんだん険しさを増していく。樹々のすき間から、結氷した黒部湖が見えた

雪の状態に不安があり、食料のデポ地で1日停滞。翌日は天気が回復し、立山に向かって丸山中央山稜を登っていく。横断5日目。ここまで想定以上に速いペースで進んでいる

 6日目、もう剱岳が目の前に見える別山乗越まで来たところで、ついに悪天候につかまった。テントを張ったが、あまりの低温と強風に耐えられず、雪洞を掘って閉じこもる。天気は4日間回復せず、雪洞にこもったまま身動きできない。しびれを切らして出発しかけたが、外に出たら吹雪で視界が閉ざされ、もはや雪洞は見つけられなくなっていた。

 入山10日目、4日間の停滞をやりすごして、ようやく晴れた。目の前にそびえる剱岳に向かってひとり進んでいく。長い停滞で体は重く、雪崩の不安もあったが、晴れさえすればなんとかなる。慎重に進んで、ついに山頂に立つことができた。ここまで来れば、もうここより高いピークはなく、眼下には富山平野の街が見えている。

だれもいない2月の剱岳山頂

 しかし技術的な核心部はここから。下山路となる早月尾根は、地形が複雑で、大小の雪庇が連なり、気を抜くと雪庇を踏み抜いて谷底に転落してしまう。迷いやすくもあり、一度尾根を外してあらぬ方向に下ってしまうと、切り立った谷に誘い込まれて進退極まる。年末年始などにはこの尾根を利用して剱岳に登頂する人も多いが、登りのトレース(足跡)があるからこそ無事に下れるというもので、トレースのない状態でひとりで下っていくのはきわめて困難な尾根なのだ。澤田さんは細心の注意を払って下っていった。

 下山口に下り立ったとき、澤田さんはなんともいえない達成感に包まれていた。長野県の扇沢を出発してから12日目のことだった。

「僕は特別に単独行好きというわけではないんですが、この山行はひとりでやりたいと思ったんです。ひとりで行くと、だれか人と行くより山を強く感じられるし、ひとりで全部やらなくてはいけないから、そのぶん達成感も大きくなる。先に言ったように、黒部の山って、その隔絶感、辺境感が大きな魅力なので、それを最大限に感じるためにも、単独が理想的なスタイルだったんです」

澤田さんは2014年に、10年勤めたショップを辞め、山岳ガイドとして独立。その年の年末には仲間と組んで2003年のときより難しいコース取りで剱岳の山頂をめざした 「黒部の山のなかでも、じつはいちばん好きなのは黒部別山という山なんですよ。登山道もない地味な山なんですけど、岩壁もあって沢もあって、なにより辺境感が黒部のなかでもいちばん高い。原始的でワイルドな山登りが楽しめるんです。そういう登山の面白さを、ガイドの仕事でも伝えていきたいですね」

 今年2017年3月には、かつて自身がスキーを使って11時間で行った黒部横断コースを、お客さんに請われて2泊でガイドした。剱岳を通らないやさしいコースとはいえ、スキー技術と山の経験、それに現地を知り尽くした裏打ちがないと、なかなかガイドできるコースではない。ヒマラヤ8,000m峰からアルパインクライミング、山岳スキー、沢登りと、まさにマルチにこなしてきた澤田さんならではのガイドプランなのである。
(取材・文・プロフィール写真=森山憲一)

(さわだ・みのる)
1968年愛知県生まれ。北海道大学入学と同時に登山をスタート。大学卒業後、八ヶ岳の山小屋や白馬のスキー場、室堂のホテル立山勤務などを経た後、上京して山岳同人チーム84に入会。ビルの窓拭きのアルバイトをしながら12年間山登りに没頭。2004年よりカモシカスポーツに10年間勤務。2014年よりガイドとして独立。今年から「GREGORY CREW」としてグレゴリーからバックパックのサポートを受けている。ガイドの相談などは「山岳ガイド澤田 実」まで

GREGORY/ZULU40(ズール40)
価格39,000円+税
重量:S1.48kg、M1.52kg、L1.64kg
容量:S38L、M40L、L42L
カラー:ネイビーブルー、バニッシュドオレンジ、フェルドスパーグレー


澤田さんが国内の夏のガイド時にパートナーとして連れていくのは「ZULU40」。張力をかけた背面のスチール製フレームによって身体と背面との間に空間を作り、空気を循環させる「クロスフロー・サスペンション」を搭載したモデル。通気性に優れ、湿度の高い日本の夏に活躍する。



 

ほかの【Real Backpacking With Gregory】はこちら

澤田 実さんは、2019年5月、ロシア極東カムチャッカ半島のカメニ火山を登山中に亡くなられました。
心よりご冥福をお祈りいたします。

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