• カルチャー

徹底解剖! ケロポンズのひ・み・つ <前編>

2016.10.27 Thu

フジロックでは4年連続でアヴァロンステージに出演し、子どものみならず大人までも魅了している人気のユニット、ケロポンズ。最近はテレビ番組などにも出演し、ますます人気を集めています。今回は、ケロポンズの2人がケロポンズになるまでのストーリーを前編後編でお届けします。

 未認可保育施設りんごの木子どもクラブ(1982年設立。子どもの心により添う保育。子どもに関わるトータルな仕事をする場としてスタート)と深い縁で結ばれているケロポンズは、増田裕子と平田明子のユニットだ。増田の愛称がケロちゃんで平田がポンちゃん。増田は80年代の半ばの4年間リンゴの木で音楽教室を担当していた。また平田は90年代の六年間リンゴの木の保育担当だった。
 柴田愛子(絵本作家、保育者。りんごの木子どもクラブ代表)のもとには、彼女の自由な保育精神を慕い、子どもたちの世界に響く才能を持った若い男女が時代時代に集い育っていった。そのなかにケロポンズのふたりもいた。

再生回数1000万回以上!こどもたちに人気のエビカニクス。英語、スペイン語、中国語のバージョンもあるのだ。

 結成は1999年6月で、活動は15年を過ぎた。歌と演奏、それに合わせた色とりどりの衣装、踊り、さらにはオリジナル二次元アートで物語を語りつつ歌を織り交ぜるパネル・シアター……。そのパフォーマンスはファニーであり、メルヘンであり、ヒューマニティあふれる。そして、シンプルなメロディに優しい言葉を乗せた歌の数々は、しっとり聴かせる。
 人はケロポンズを子ども向けユニットといいう。楽曲は遊び歌といわれることが多い。しかし、わたしには、そうは思えない。たとえば手塚治虫の少年少女向け漫画が世代を越えて支持されたように、彼女たちのパフォーマンスは、子どもたちを喜ばせながら、大人たちの胸も打つ。文学には児童文学がある。ならばケロポンズは児童音楽か? いや、どうも堅苦しい。Toy Box Musicなんてジャンルはないだろうが、彼女たちのライブはまるで玩具箱をひっくり返したような感じだ。上質であれば玩具であっても、大人の心さえ奪うのも当然である。
左から中川ひろたか、新沢としひこ、増田裕子(ケロ)、平田明子(ポン)。みんな、りんごの木子どもクラブに関わっていた保育者たちである。

もちろん、入り口は子どもたちだ。わたしには大学生の娘と息子がいて、奴らがいなかったらケロポンズとの接点はなかったと思う。子どもたちが小さかった頃、すでにケロポンズは子ども世界では知る人ぞ知る存在で、どこかで覚えた楽曲を聴かされ、踊りを見せられたのだ。「いっしょに」と奴らがいうので、歌と踊りを覚えた。すると、昭和30年代生まれのわたしには、体験したことのない子ども世界があり、感心させられてしまったのである。教育、保育という複雑さではなく、オリジナルな楽曲が醸し出す自由がそこにあったのだ。
 今回、初めてケロポンズのふたりに会った。わたしとしては、自身の子育て時代を振り返る時間でもあった。

「もちろん子どもは大好きですよ、でも、わざと喜ばせようとか、無理に笑わせようとかはしていないつもりなんです。子どもに媚びないっていうのを戒めにしています。子どもにはわからないギャグも言いますし……大人たちが笑ってるなかにいるのが楽しいっていうのも、子どもたちにはあると思うんです」

増田さんが学生時代に見たというケンブリッジ・バスカーズ。巧みなパフォーマンスを見せる。

という増田は1961年生まれである。一方の平田は68年の生まれだ。ユニットが産声を上げようというとき、増田は学生時代に観たケンブリッジ・バスガーズを思い浮かべた。ケンブリッジ大学出身のふたりの男性音楽家が、アコーディオンとフルート、クラリネット、リコーダーといった吹奏楽器を巧みに組み合わせ、クラシックを演奏する大道芸的なパフォーマンスを見せるユニットだ。現在はクラシック・バスガーズに遺伝子が引き継がれている。
 それを思って増田は平田に聞いた。

「ポンちゃん、鼻で笛吹ける?」

 突拍子もない質問に、平田は何をてらうこともなく「吹けるかもしれない」と答え、すぐさまやって見せた。その後は、いつもそんな掛け合い漫才のような感じで、即興を軸にして楽曲や踊りを生んでいった。
「エビカニクス」は、彼女たちの代表的な楽曲だ。増田がオレンジ一色、平田が赤一色の衣装に身を包み、両手には大きなハサミをつけて歌い、踊り、コンサートでは客席を大興奮させる。エビとカニのエアロビクスというコミカルな創作ダンスもさることながら、曲調は上質なロックである。ケロポンズの楽曲は音楽的な底深さと幅広さに支えられているのだ。そこに思いいたると、自然に疑問がわいてくる。いったい、彼女たちはどんな人生を歩んできたのだろうか。
パフォーマンス中のケロポンズ。ケンブリッジ・バスカーズを彷彿とさせる。

 増田は東京で生まれ千葉県で育ちながら、母の勧めで幼少の頃からクラシック・ピアノを習っていた。小学校では器楽クラブ、中学、高校では合唱部と正統派だが、高校時代にガールズ・バンドを組んでキーボードを弾いた。

「クラシックも好きでしたが、ニューミュージックも好きで、矢野顕子とか、八神純子とか、ピアノを弾いて歌うアーティスト。オフコースもよく聴いてました。でも70年代に……4つ上の兄が隣の部屋でプログレッシブ・ロックを聴いていたんです。うるさくてやだったんだけど、気がついた自分のなかにものすごく入っていたんですね。だから戸川純みたいな曲も作りたいと思うし、やっぱり兄の影響は大きかった。自分だけじゃこうはならなかったと思います」

 やがて増田は東京の国立音楽大学に進学する。この学校を選んだ理由は音楽大学で唯一、幼児教育科があったからだった。そして、入学すると後に国立音楽大学の副学長になる幼児教育の改革推進者、繁下和雄と出会い、彼のもとで音楽遊び研究会に属しながら、バンド活動も続けていった。いまのケロポンズに欠かせないパフォーマンスであるパネル・シアターは、増田が大学時代に出会ったのが起源で、卒業論文のテーマにもなり、初めてオリジナルを製作したという。

歌や手遊びを織り交ぜながら展開するパネルシアター。子どもたちは釘付けだ。

 一方の平田は長野県で生まれ広島県で育った。いまの体型からは想像しにくいが(失礼)、小さい頃は体操が得意で変わり者な農学者だった父親は、なかば本気で「行く末はオリンピック選手だ」といっていたという。

「初めて買ったレコードは石野真子の『春ラララ』ですけど、母がさだまさしが好きで、家のなかにいつも流れていたんです。思春期は、ユニコーンと佐野元春、スネークマンショーなど、何でも聴いていて、高校時代はバンドをやってました。ドラムです。ちょっとだけ」

 そういうが平田は多芸だ。ピアノ、キーボード、ウクレレ、リコーダーをこなす。中学ではバレー部で、高校では天文部、写真部、料理研究会を掛け持ちし、エネルギッシュに日々を過ごした。そして安田女子大学に進学。専攻は児童教育学科だ。レクリエーション同好会を根城にし、学外サークルにも加わって子どもたちを集め、キャンプ、歌作りセミナー、コンサートなど、さまざまなイベントを企画していったのだ。

「音楽も好きでしたが、絵本やお話も好きで、岡田淳の『放課後の時間』が大好きでした」

 こうした別々の歩みが絡み合うのは1989年のことである。増田が参加していたバンドと出会ったのだ。ただ、増田は大学卒業後すぐに音楽活動を始めたわけではなかった。

「バンドをやるか幼稚園の先生になるか、すごく悩んだんです。で、やっぱり子どものことをやろうと思って幼稚園の先生になりました。でも、わたしにとっては挫折の四年間でした。子どもたちと騒ぐことは得意だったんですけど、静かに子どもたちにお話をしたり、クラスをまとめたりすることが苦手でした」

トラや帽子店というバンドで増田さんとメンバーになる中川ひろたかさん。子どもたちにはお馴染みの曲を、数多く送り出している。

 そうやって徐々に打ちひしがれていった増田は、あるとき幼稚園教諭や保育士を対象にしたセミナーに参加した。このとき遊びの講師が、中川ひろたかと福尾野歩という男ふたりのユニット、ノボ&ピーマンだった。増田はふたりとはすでに学生時代に出会っていたが、あらためて観たパフォーマンスに打ちのめされた。「これでいいんだ。自由でいいんだ」と強く感じたという。
 セミナー終了後、増田は大学時代から親しかった友人とともにスタッフの宴会への参加を許された。そこで、宴会芸として遊び歌を披露することに。「面白い。いっしょにバンドやろう」と乗ったのは中川だ。こうして1987年に中川、福尾、増田のバンド、トラや帽子店が誕生した。ちなみに、この不思議なバンド名は福尾の生家の屋号だった。

 じつは、このトラや帽子店も、りんごの木と縁が深かった。そもそも中川は、リンゴの木の創設メンバーのひとりだったのである。中川は1954年生まれ。大学を中退して保育園に就職した。まだ男性保育士が認められる前年で、翌年に認可となるや中川は試験に通って男性保育士一期生となった。そんな中川は保育のかたわら、遊び歌と絵本の創作に才を発揮し、ギターの弾き語りの遊び歌というジャンルも切り開いていった。
 そんな中川がりんごの木に在籍したのは創設の82年から88年までだったが、後半の一年あまり9歳若い新沢としひこと過ごした。新沢はシンガー・ソングライターでもあり、とりわけ作詞の才能が光った。こうして作詞の新沢、作曲の中川というコンビが生まれ、トラや帽子店のレパートリーとなった。「世界中のこどもたちが」「ともだちになるために」は小学校の教材にもなった。ケロポンズもレパートリーにしている「にじ」もふたりによる曲だ。

「にじ」は多くのアーティストがカバーしている。こちらは、つるの剣士さんバージョン。つるのさんの娘さんが幼稚園で習った「にじ」を歌っているのを聴いてとても感動したのだそう。

 一方の福尾は保育士の経験はなく、りんごの木との縁が濃いわけではなかった。だが、幼い頃から子ども会のリーダーで、高校を卒業した後は地元である三島市役所に勤務しながら、遊び歌を創作し、子どもを中心に据えた地域活動を支援、指南していった。中川より一歳若い福尾は多芸で、遊び歌の合間にけん玉、曲独楽、果ては南京珠すだれ、玩具楽器をステージに持ち込み巧み操って見せた。大道芸人的な愛すべき道化師である。

「中川さんの歌、野歩さんの遊び歌、わたしのパネル・シアターが三本柱でした」

 と振り返る増田は、トラや帽子店の結成から一年あまりたつと幼稚園教諭を辞めた。

(文=藍野裕之)

後編につづく…


ケロポンズ
1999年6月に結成。ケロこと増田裕子とポンこと平田明子のスーパーデュオ。親子で楽しめる、笑いあり、歌あり、遊びあり、体操あり、ミュージックパネルあり、なんでもあり〜のステージを全国各地でくりひろげ、その面白さは宇宙的!と評判。その他、保育雑誌などにオリジナルの遊びや体操を執筆、保育者対象のセミナーに出演、絵本や紙芝居を創作、など広く活動。主な作品にCD「エビカニクス」「プリティケロポンズ」、本「ケロポンズのあそびネタ」「うたってあそぼうケロポンス」など多数。2003年12月には初のラブソングCD「キミノエガオ」も発売。2007年には、人形アニメ「おやすみ!くまちゃん」の日本語吹き替えに挑戦、2008年4月からはNHK教育テレビ「おかあさんといっしょ」にあそび歌やあそびを提供、2009年3月よりBS日テレ「それいけ!アンパンマンくらぶ」に出演、など活動の幅を広げている。カエルちゃんオフィス http://kaeruchan.net/

※『こどもみらいフェス とらのまき〜はじめてのフェスづくり〜』(こどもみらいフェス実行委員会、2015年3月22日発行)より転載。

Latest Posts

Pickup Writer

ホーボージュン 全天候型アウトドアライター

菊地 崇 a.k.a.フェスおじさん ライター、編集者、DJ

高橋庄太郎 山岳/アウトドアライター

森山伸也 アウトドアライター

Muraishi Taro アウトドアライター

森 勝 低山小道具研究家

A-suke BASE CAMP 店長

中島英摩 アウトドアライター

麻生弘毅 アウトドアライター、編集者

小雀陣二 アウトドアコーディネーター

滝沢守生(タキザー) よろず編集制作請負

宮川 哲 アウトドアライター、編集者

林 拓郎 アウトドアライター、フォトグラファー、編集者

藤原祥弘 アウトドアライター、編集者

ふくたきともこ アウトドアライター、編集者

北村 哲 アウトドアライター、プランナー

渡辺信吾 アウトドア系野良ライター

河津慶祐 アウトドアライター、編集者

Keyword

Ranking

Recommended Posts