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徹底解剖! ケロポンズのひ・み・つ <後編>

(2016.10.30)

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4年連続フジロックに出演し、子どものみならず大人までも魅了している人気のユニット、ケロポンズ。最近はテレビ番組などにも出演し、ますます人気が高まっています。ケロポンズの2人がケロポンズになるまでのストーリーをお届けしています。今回は後編。前編はこちらからどうぞ。

2014年フジロックのキッズランドにも出演したときの様子。(C)宇宙大使☆スター

 平田はトラや帽子店を初めて観たときの衝撃をこういう。

「子ども向けの音楽って、子どもが喜んでいるのを見て、ああうちの子も喜んでいると親も喜ぶのが普通ですよね。トラや帽子店は全然ちがって、お母さんもお父さんも笑って椅子から転げ落ち、それを見て子どもが笑ってるわ。何だこれ! と思って大興奮。それからはもう寝ても覚めてもトラや。秋には新潟までひとりで追い掛け、大学卒業の翌年三月には友だちと企画して、トラやを広島に呼んでコンサートをしてもらったんです」

 この厚みを持ったバンド、トラや帽子店に惚れ込んだ平田はどうなったか?大学卒業は決まっていたが、その先は真っ白だったのである。そんな彼女に、いかにも軽い調子で「東京に来ちゃえば」といったのは中川だった。平田たちが企画した広島でのコンサートの後のことだった。
 背中を押された。目的は定まらなかったが、平田は寝袋ひとつもっただけで上京し、同郷の友人と安アパートで共同生活を始めた。バイトで食いつないでの自分探し。ネパールを放浪したりもして一年が過ぎようというとき、トラや帽子店の周辺から、「りんごの木で働いてみないか」との声が聞こえてきた。

「幼稚園や保育園の道は向かないかなと思っていたんです。子どもとうまくつき合える自信もなくて。だから断るつもりで電話をしたんです。そうしたら柴田さんが“あらっ、やだ。別に何もしなくていいのよ。子どもと遊んでくれればいいの”というんです。“それなら行きます”と答えちゃいました」

右がケロこと、増田裕子さん。左がポンこと、平田明子さん。

 こうして柴田のもとに向かった平田は、子どもたちの前で弾けた。雨の日に一緒に公園に繰り出し、ずぶ濡れなって遊び、帰り際には天然のシャワーでシャンプーするようなつき合い方だった。その一方、トラや帽子店に請われれば時間をやり繰りしてコンサートを手伝った。増田のパネル・シアターの際、ピアノの伴奏を受け持ったのだ。

 だが、次第にトラや帽子店は行き詰まっていった。最大の理由は人気だ。人気が行き詰まりの原因とは皮肉だが、口コミのようにして広がった人気は強固で、彼らは多い年だと年間120回もコンサートを行なったのである。増田はいう。

「3日に1回はコンサートをやることになって、サラリーマン化しちゃったというか、同じことの繰り返しがつまらなくなっちゃったんです。機材も多くなり、コンサートはどんどん大きくなっちゃうし」

 やがて結成から11年めの1998年に休業宣言を出す。この後コンサートは開かなかったから、実質的な解散だったが、正式な解散宣言は2000年のことだった。休業となってから三人は思い思いに次なる活動を模索した。そして、増田が白羽の矢を立てたのが平田で、ついにケロポンズの誕生である。
 以来、15年を過ぎてトラや帽子店のキャリアを超えた。

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ライター
Akimama編集部
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