line_box_head

アウトドアライター・ホーボージュン「パックの重さは自由の重さだ」

(2015.09.24)

道具のTOP

icon

画像

2008年に訪れた屋久島。宮之浦岳を挟んで海から海までを3日間かけて縦走した(Photo=柏倉陽介)

02

2009年、南米大陸パタゴニアの先端ナバリノ島にある世界最南端のトレイルをソロトレッキングしたときの写真(Photo=ホーボージュン)

03

2007年2月。パタゴニアのパイネ山周回ルートを単独トレッキング。トリコニ60のデビューとなった旅だった(Photo=ホーボージュン)

04

2013年、島根県の隠岐島へ。米子から境港までローカル線鬼太郎列車で移動(Photo=山田真人)

05

今年の夏、現在の相棒バルトロ65を背負い、北アルプスを歩いた(Photo=杉村 航)

アウトドアや登山といった専門誌で
数々のギアに関する記事を執筆する
アウトドアライター・ホーボージュン氏。
自身の旅で20年以上
グレゴリーを使い続けてきたという氏の
パックパックにまつわる
スペシャルエッセイをお届けしたい。

 

パックの重さは、自由の重さだ

 「肩に食い込むパックの重さは、自由の重さなのである」
 1999年8月に出版された雑誌「モノマガジン」に僕はそんな一文を書いた。この一文は2004年に上梓した単行本『実戦主義道具学』にも収録され「自由の重さ」というタイトルを与えられた。エッセイの冒頭はこんな感じだ。

“自分で持てるだけの荷物を背負い、自由気ままに旅をする。
 10代最後の夏のこと。大学受験に失敗し浪人生活をしていた僕はそんなバックパッキングの世界に憧れ、2泊3日のキャンプ旅行にでかけることにした。そして借り物のバックパックにキャンプ道具一式を詰め込むと勇んで八ヶ岳方面へと出かけたのである。しかし夢と現実のギャップはあまりに大きかった。これまでそんな重い荷物を背負ったことのなかった僕は立っているだけで精一杯。登山どころか最寄り駅の階段を上るだけで足がパンパンになった。

 けっきょくその小旅行は最後までショボイもので、自慢できるような冒険談も期待していたような出会いもなく、ただただ小諸や浅間近辺の高原をほっつき歩き、人気のない河原や空き地にテントを張って自炊をするだけで終わった。その頃大流行していたペンション泊の学生グループと比べると、僕の格好は仰々しくてスマートさにかけ、なんとなく観光スポットからも逃げて回った。ただ、帰りの電車で突然わき出した気持ちは、今でもはっきりと覚えている。

 終電間際の西武新宿線はすごく込んでいて、仕事帰りのサラリーマンや酔客が、つまらなそうな顔を緑の蛍光灯に照らされていた。いつもの東京のいつもの光景だ。僕は吊り革につかまってぼんやり窓の外を眺めていたのだが、前に座っていたおっさんが僕に「ずいぶん重そうなザックだねぇ。俺の前に置いていいから、荷物下ろして楽になりなよ」と声をかけてくれたのである。

 この時僕はハッとした。というのは、荷物のことなどぜんぜん忘れていたものだから。僕はすっかりその重みに慣れていた。いつの間にか僕の身体は旅人の身体になっていたのだ。

 僕はおっさんの申し出を断った。大丈夫です、もうすぐですから、と。なにもおっさんの酒臭い息が気に入らなかったわけではない。その時になって急に背中の荷物が愛おしくなったのだ。街に帰り、手ぶらだけどなんだかとても重そうな顔をしている人たちを見て、僕は気づいたのだ。
 
 パックの重さは自由の重さなのだ、と。

 背中に背負っている道具一式があれば、僕はどこでも暮すことができる。今ここで電車を下ろされたっていい。どこにだって僕は行ける。そう思うと、肩に食い込むパックの重さをもう少しだけ味わっていたくなった。そして結局、僕はそういった旅が好きになっていった。”

 いま読み返すとずいぶん気障な文章だけど、あの時胸に沸き起こった感情は30年経ついまもありありと思い出せる。そして僕はあいかわらずバックパックを背負って世界各地を歩き回っている。

1 2 3
 
 
ライター
Akimama編集部
line_box_foot