#2 アメリカに飛び立つ渡り鳥。クレイジーでハートフル、ぼくだけのパシフィッククレストトレイル歩き旅

2023.02.10 Fri

Daisuke Ito ハイカー、アウトドアライター

Day2〜Day10 / Miles 0〜Miles 179.4

 いきなりのトラブルに出鼻をくじかれ、“4,265㎞を歩き切る” という思いを描いた未来が、ちょっぴりかすんで見えた。

「苦難なんて旅のアクセント」

 そんな余裕をかましていた自分を蹴飛ばしてやりたい。

 思い返すとたいしたことのないトラブルだろうが、このときの浮き足だったぼくに不安の種を植え付けるには十分だった。

 そんな気持ちを片付けられないままではあったが、ぼくにできることは一歩づつ前に進むことだけだった。

「……よし、いこうか」

 気持ちのスイッチを入れ直し、カナダ国境へ向けてふたたび歩きはじめた。

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 ロングトレイルの旅は、おおよそ1週間に1度、食糧補給のために街へおりる。

 そのほかにも、山ではありつけないハイカロリーフードを胃袋に詰め込んだり、獣のような臭いをシャワーで洗い流したり、束の間の人間らしい生活を満喫する。

 トレイルに戻り、ふたたび1週間ほど歩き、次の街へおりる。

 山と街を繋ぐ、そんな日常を半年間繰り返すと、いつのまにか4,000㎞以上歩くことになる。

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仲間との出会いと進むべき道

 2日目の今日も例によって灼熱地獄。まだまだ乾き切った空気と肌に照りつける強烈な日光がおりなす暑さに慣れる気配もない。

 ふと足元に目線を落とすと、まるでスモールライトを当てられた恐竜のようなトカゲが日かげを求めてウロウロとしている。

 時折、靴下越しに突き刺さってくる植物のハリが、ぼくを足止めする。

「はぁはぁ。そろそろ水場も見えてくるはず……!」

 このエリアの水場といえば申し訳程度に流れる小さな沢が相場だが、目の前に飛び込んできたのは、飛び込めるほどの大きな沢と、服を脱ぎ捨て水を浴びるハイカーたちだ。

 いてもたってもいられず、ぼくも岩場の斜面を急ぎ足で駆け下りると、服を脱ぐことすら忘れ、勢いよく楽園へ飛び込んだ。

「あぁ〜気持ちいぃ〜〜」

 こんなとき、英語でなんて表現していいかわからず、ありったけの感情を込めて「オーマイガー」と、遠慮気味につぶやいた。

 先にあがり出発の支度をしていたブギーとロビンがこちらに目をやり、小さく微笑み頷いた。

「この瞬間に言葉なんていらないよな?」

 そう言わんばかりのあたたかい表情をして、バックパックのベルトを締め上げた彼女たちは名残惜しそうにトレイルへ姿を消した。
 
 ── それにしても若い女の子たちが下着姿で水浴びしてる光景はとても刺激的だったな。

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 足取りが重くなる昼間をなんとか歩き切ったそのころ、ぼくはハイカーたちの背中を追いかけせっせと足早に歩いていた。

 トレイル上で出会った4人と成り行きでいっしょに行動することになったのだ。

 先の水場で出会ったブギーとロビン、もともとの友人でいっしょにPCTを旅しているチェイスとドリュー、そしてぼく。

 なぜこんなに急いで歩いているかというと、アメリカのハイカーは本当に歩くのが早い。ブギーとロビンなんてすごく小柄なのだがついていくのも精一杯。

 その分、彼らは休憩が長く、1日に歩く距離はぼくもそう変わらないのだが、小柄な女の子に次々と追い抜かされる瞬間はなんとも言えない。

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 よさげな日かげで遅めのランチをとることになり、話題はお気に入りのトレイルフードに及んだ。

 ロングトレイルの定番ランチはやっぱりトルティーヤ。ピーナッツバター、ジャム、ツナ、ソーセージ……可能性は無限大だ。

 そんな話をしているとブギーが、「ツナにピーナッツバターを塗るとおいしいわよ!」と、日本人のぼくには想像もつかぬレシピが提案された。

 それはアメリカ人の彼らも同じだったようで、ためらいの空気が流れるなか、果敢にもチャレンジを申し出たのは21歳のドリュー。トルティーヤにツナをのせ、たっぷりのピーナッツバターを塗り込み、恐る恐る口へと運んだ。

 彼に視線が集まり、そして彼の口が開いた。

「うん……議論の余地があるかな」

 なんにでもピーナッツバターを合わせるアメリカ人をも苦笑いさせる、そんなレシピだったようだ。

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 居心地のよいスポットと時間に腰も重くなり、気づけば時刻は17時をまわっていた。今日の目的地まで残り10㎞ほど。時間にすると3時間といったところ。

「そろそろ行かないとヤバいなぁ」

 そう思いながらみなに目をやるが、マットを敷いて昼寝をする人もおり、いっこうに動き出す気配はない。

 計画が崩れることを嫌うぼくの頭には、彼らと別れ先を行く選択肢がぼんやりと浮かんできた。

 担いでいる食料にも限りがあるので、あまりうかうかしていられない。ぼくのなかで急ぐ気持ちがじわじわと強くなり、それはやがて焦りへと変わっていった。

“自分の計画” と “仲間との時間”

 どちらを信じればいいか分からなくなったとき、ある言葉を思い出した。

「迷ったときは、楽しそうな道を選ぶ」

 これは渡米する前に宿泊したゲストハウスのオーナーの言葉である。

 いつしか “楽しい” よりも “損をしない” 、そんな選択をしていないだろうか。ぼくはもともと営業の仕事をしており、“損をしない” 、“効率的” 、そんな選択肢がいつの間にか頭にびっしりとこびりついていた。

 もちろんそれが悪いわけではないが、せっかくの自由な旅なのだから、ひたすら “楽しい” を追いかけてみようと。

 ぼくの進む道は決まった。

 あたりに散らばった道具を片づける手を止め、地べたに寝そべり真っ青に澄んだ空を見上げた。

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帰るべき場所へ

 ハイカーは街へ下りたとき、ゼロデイ=まったく歩かない休息日を月に何度か取り、心も体もリフレッシュさせる。

 1週間の山行でジャンクフードに飢えたぼくは、街のダイナーでアイスクリームの乗った豪快なワッフルを頬張っていた。

「あなた昨日も来ていたわね。気に入ってくれたのかしら」

 そう、なにを隠そう、ぼくは2日連続のゼロデイを取っていた。

 ついこの間まで、先を急ごうとしていたぼくが、なぜこんなにゆっくりとしているのか。

 それは明日、この街の市長犬であるメイヤーマックスの誕生日会が開かれると耳にはさんだからである。

 数日前に別れ、うしろを歩いているブギーたちもきっと追いついてくるはずだ。“楽しい” を追いかけると心に誓ったぼくには、2日間待つなんてたやすい選択だった。

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 会場へ向かうため地図アプリとにらめっこしていると、行く先から慣れた声が聞こえてきた。

「ひさしぶり〜! 会いたかったよ!」

 目をやるとそこにはブギー・ロビン・チェイスの3人に加え、ついこの間、トレイルで出会ったカル、ほかにも見知った顔が勢揃いしていた。

 パーティー会場はハイカーのほかにも街の人で溢れかえり、豪華でアメリカンな食事が盛大に振る舞われていた。幸せそうにそのひとときを味わう彼らを見たとき、彼らの旅の流れに合流したことが正しかったと自然に笑みがこぼれた。

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 翌朝4時、テント内に鳴り響くうっとうしいアラーム音で目が覚めた。

 この日はブギーを含む5人でデイハイクをするため、いつもよりも早めにアラームをセットしていた。デイハイクといっても1日で50㎞以上を歩くタフなプランが控えている。

 サンジャシント山脈(San Jacinto Mountains)の最高標高は3,000mをこえ、山岳地帯ならではのゴツゴツとした岩稜帯が広がっていた。

 圧巻の景色ではあるのだが、幾度となるアップダウンがぼくたちの体力を容赦無く奪っていく。

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 ある岩場の下り坂に差しかかったとき、ぼくはスリップしないよう、リズミカルにトレイルを駆けおりた。

「なんでこんな危険な場所で走ってるのよ! まるでGOAT(山羊)ね!」

 ブギーが笑いながらぼくを指さし、そう言った。

「あ! あなた今日からGOATね!」

 なんの話だよと思う人もいるだろうが、アメリカのロングトレイルには「トレイルネーム」というあだ名をつけ合うカルチャーがある。

「それにGOATにはこんな意味もあるのよ。Greatest Of All Time。史上最高って意味のスラングよ」

 パンデミックにより2年間の旅の延期を余儀なくされ、ぼくは憧れのこの場所を旅していることにおおきな幸せを感じていた。

 そんなぼくは、出会うハイカーからの「調子はどうだい?」というあいさつに「I’m happy!」や「I’m so great!」と、言わずにはいられなかった。

「あなた、いつも幸せそうだしね。ピッタリじゃない!」

 ここまでの旅であたたかくぼくを受け入れてくれていた大切な仲間から、新しい名前をプレゼントしてもらった。

「気に入らなかったらパスしてもいいのよ」

 なんて言われたが、そんな大切な贈り物を受け取らないなんて頭に浮かびさえしなかった。

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 19時ごろにはなんとか50㎞を歩ききり、荒野をつらぬく一本道で映画のワンシーンのように、夕日に照らされながら親指を立てていた。

 公共交通機関のないPCT沿いの道路では、街へ向かうにはヒッチハイクに頼るしかない。

「私、いいモノ持ってるわよ!」

 そう言うとブギーはバックパックの中からとんがり帽子を取り出した。見覚えのあるその帽子は、昨日のバースデーパーティーで、みなでかぶっていたものだ。

「これで目立つでしょ。すぐに捕まえてみせるわ!」

 女性陣へ前に出てもらい、むさ苦しい男たちは木かげに隠れてそのときを待っていた。

 まるでなにかの詐欺のようだが、すぐにスバルの車に乗ったおばさまが声をかけてくれた。

 狭い車内のトランクでぎゅうぎゅう詰めになり、車酔いで気分が悪くなったそんな時間も思い返せば大切な思い出だ。

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 あたりもすっかり暗くなり、キャンプ場に戻るとワイワイと賑やかな笑い声がぼくたちを出迎えた。

「ただいま〜! って人数めちゃくちゃ増えてない? 笑」

 そこには10人をゆうにこえるハイカーたちが、ぱちぱちと火の粉がはぜる焚き火を見つめていた。

「おかえりDai! ハイカーネームもらったんだってな」

 なんで知っているんだ? と、不思議に思ったが、話を聞くとブギーがほかの仲間へメッセージを送っていたようだ。

「おめでとう!!」

 祝福の歓声と拍手につつまれちょっぴり照れくさかったが、ひとりひとりとがっちりハグをした。

 そのとき、なんだか胸の奥にあたたかい気持ちが湧きあがり、目頭が熱くなっていくのを感じた。旅をはじめてたった1週間足らずだが、知らぬうちに不安を積み上げていたのだろう。

 ひとりで異国の地にやってきたぼくを、やさしい空気でつつんで迎えて入れてくれる彼らはまるで “家族” のようだった。

 ひとつ別の道を進んでいたら、彼らのいないまったくちがう未来がぼくを待っていたのかもしれない。子どものころは無意識につかみとっていた、“楽しい” という素直でまっすぐな気持ちが、ぼくと彼らとを出会わせ、そして物語をつくりあげた。

 彼らとの時間をいつまでもかみしめていたいと思うぼくのこころとは裏腹に、賑やかであたたかな夜はまたたく間にふけていった。


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