ホーボージュン アジア放浪2カ国目ベトナム「幸福の黄色い星」

2016.06.06 Mon

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ホーボージュン 全天候型アウトドアライター


私たちの住む「アジア」を眺めてみると、
じつはまだまだ知られていない魅力的なトレイルが方々に……!
世界中を歩きめぐってきたサスライの旅人ホーボージュンが
そんなアジアへバックパッキングの旅へ出た。
前編に続き、後編のベトナム旅では何が待っていたのだろうか?

 
世界一のロープウェイと空飛ぶバケツたち

 真っ白な霧の向こうには黒い大きな影が浮かび上がっていた。階段を降りて近づくと、それは超近代的なガラス張りのビルだった。

「ウソだろ……」

 にわかには信じられない。僕は白昼夢でも見ているのかと思って、大きく息を吸い込んでみた。

「ハア、ハア、ハア」

 夢じゃない。空気が薄い。ここはやっぱり3,000m峰の山頂なのだ。

 恐る恐る足を踏み入れると大理石のロビーにはレッドカーペットが敷かれ、壁には高そうな絵画がかかっている。高級ホテルのようなフロントでは、モスグリーンのスーツに身を包んだコンシェルジュが、満面の笑みで僕を迎えてくれた。

「ようこそファンシーパン・レジェンドへ。下り線のキップでよろしいですか」

 驚くことにこれがロープウェイの駅だった。駅にはカフェやレストランが併設され、すぐ隣にはホテルや路面電車、仏教寺院までが建設中だった。ファンシーパン山頂をテーマパークにする大規模リゾート開発が進んでいたのである。

「はあ……」

 なんちゅーか、僕は完全に脱力してしまった。ここにはもはや“秘境感”はまるでない。すくなくともテントを背負って自分の足で登ってくるような山ではなくなっていた。
ロープウェイを軸とした山頂と山麓一帯のリゾートは『ファンシーパンレジェンド』と名付けられていた。とても3,000m峰の山頂とは思えない豪華な施設。ロープウェイの改札も磁気カードを使った自動改札なのだ。うへー
 でもまあ考えてみればヨーロッパアルプスの観光地も根っこは同じだ。マッターホルンを望むグレイシャーパラダイス展望台や、ユングフラウの有名なシルトホルンだって、最初はこうやってできたのだ。あとはグリーンツーリズムが根付くかどうか、大自然を愛で、リスペクトする土壌が生まれるかどうかだけだ。

 複雑な気持ちを抱えたまま、僕は世界最長のロープウェイに乗り込んだ。ガラス張りの巨大なゴンドラが、真っ白な空へ滑りはじめた。あたりはいぜんとして深い霧に覆われていて、窓からは何も見えない。

「あーあ……」

 僕は泣きたくなってしまった。せっかく日本からやって来たのに。せっかく山頂まで登ったのに……。
濃霧で1mm先も見えない。登頂ツアーで一緒だったカナダ人の二人も「オー・マイ・ガー!」
 その時だった。ゴンドラを覆っていた雲がスウッと切れ、とつぜん眼下の展望がひらけたのである。

「うわああああ!」

 それは息を呑むような光景だった。

 なんというか「ロープウェイ」のレベルを完全に超えている。地上までの距離が長すぎて現実感がまったくないのだ。まるで飛行船に乗っているようだ。足元の谷を見ていると吸い込まれてしまいそうで、高いところが大好きな僕でさえ、金玉がザワザワした。

 ゴンドラは飛ぶように降りていった。そのスピード感がまたすごい。全長6.3kmを15分で結ぶのだから平均時速は25km/h程度だが、音がしないのと高度差があるせいでやたら迫力がある。緑の山並みも眼下に光る棚田もビュンビュン飛ぶように後方へ消えていった。

 でもこの空中遊覧で一番面白かったのはバケツが空を飛んでいたことだ。

 じつはファンシーパンロープウェイの隣には、ひとまわり小さな作業用ロープウェイが架かっていた。工事用機材や材料を荷揚げするためのものだ。今回のロープウェイ建設に先だって架けられたもので、本来は工事が完成すれば撤去されるものだが、山頂ではいまだに大規模工事が続いているため、この作業用ケーブルもビュンビュンとフル稼働していた。

 ケーブルには十数メートルおきにバケツや木箱がぶら下げられていた。バケツの中には木材や鉄パイプ、セメントや工具らしきモノ、さらには野菜や米袋までが乗せられている。それがフラフラと空を飛んでいる光景はシュールで、ギャグ漫画みたいだった。

 ベトナム人てほんとうにテキトーだ。でも別にそれでもいいのかと、僕は思った。そもそも日本人が真面目すぎるのだ。もっと大らかでいいじゃないか。バケツだって空を飛ぶ。だったら僕らももっと気軽に生きようじゃないか。

 世界最長のロープウェイが教えてくれたものは、そんなシンプルな教えだった。

モン族の物売りとシアワセの値段

 下山した僕はサパの町に散策に出かけた。

 サパは山岳少数民族が集まる町だ。近郊に黒モン族、赤モン族、花モン族、ザオ族、赤ザイ族などの集落がいくつもあり、そこで作られた織物やアクセサリーなどがここに持ち込まれる。交易を担当するのは村の女性たちで、みなカラフルな民族衣装を身にまとい、カタコトの英語で観光客を捕まえる。
黒い被り黒い脚半を着けているのが黒モン族。赤い大きな帽子が赤モン族だ。外国人観光客を捕まえては猛烈な勢いで営業をかける
「お兄さんお土産買う。ワタシから買う。そしたらお兄さんもワタシもシアワセになる。みんなハッピー、ハッピー」

 商魂たくましいやりとりは、どこの国でも変わらない。

 僕は路地から路地へと散策してまわったが、数十メートル歩くたびにモン族の物売りに捕まった。

「コレ安い。アナタ買う」
「いやいや、俺買わないから」
「お兄さんいい人。ワタシもいい人」
「いやいや、俺ワルい人だから」

 適当にあしらいながら露店を冷やかす。サパは小さな町である。そのうちに物売りたちとも顔見知りになり、お互い軽口を叩くようになる。

「お兄さん、ニャッパン(日本人)のくせにケチだね」 
「うるせーよ。そもそも300(300,000ドン=約1,450円)なんて高すぎるだろ」
「なら、いくらなら買うよ」
「そうだなあ、50(50,000ドン=約200円)ならいいかな」
「50だって!? 信じられない!50で売るぐらいならこのまま村に持って帰って、友だちにタダであげるよ」
「じゃあ村に持って帰れよ」
「お兄さんも日本に帰れよ」
「おお、わかったよ。バイバイ」

 そんなやり取りをした数分後には、また別の路地で出会うのだ。

「アッ!けちニャッパン!」
「オッ!ぼったくりババア!」
「これならいくらで買うよ?」
「うーん……。50かな」
「だったら村に持って帰るよ!」

 まるでコントだ。

 モン族の女たちはおしゃべりだ。僕の噂はあっという間に路地に広がり、半日も経たないうちに「フィフティ」というあだ名を付けられてしまった。みんな僕の顔を見るたびにクスクス笑う。

「ねえねえお兄さん、これいくら?」

 子どもまでが面白がって声をかけてくる。そして僕が「フィフティ」というとキャーキャー言って逃げていくのだ。単純というか、純粋というか、田舎町はこれだから楽しい。

 観光客の中にはこういったやり取りをうっとうしがる人も多い。食事はホテルで済ませ、買い物は外国人向けの路面店でし、それ以外は観光バスから降りてこない。じっさいその気持ちもよくわかる。観光地の物売りは本当にしつこいから、疲れているとほんとにシンドイ。

 でも旅ってこういうことなんじゃないかな、と僕は思うのだ。
赤ザオ族が働く郷土料理レストラン「Red Dao House」でランチを食べた。少数山岳民族の雇用と就労教育のために建てられた店だ。サパ周辺ではマスの養殖が盛んでこの店でもサパサーモンという名で提供されていた。とても美味しかった。写真下は手作りのアクセサリー。工芸品であるサパシルバーも有名なのだ
 ベトナムには「馬に乗って花を見る"Cưỡi ngựa xem hoa."」ということわざがある。馬上から路傍の花をみて美しいと言う人のことを揶揄することわざだ。

 花の美しさは、路傍に立たなければわからない。かがみ込んで花と同じ目線にならなければ、その香りも、花びらの柔らかさも、露に濡れた雌しべの儚さもわからない。ましてや駆ける馬に跨がって高い場所からチラッと眺めるだけでいったい何がわかるというのだ。

 きっと旅ってこういうことだ。
 立ち止まって、かがみ込むことだ。
 だから僕はバックパッキングが好きなのだ。

 けっきょく僕は仲よくなったザオ族のおばあちゃんから、すばらしい刺繍のほどこされた藍染めの美しいシャツを買った。

 値段は200。
 この日は僕もおばあちゃんもシアワセだった。


夜行列車でハノイに帰りストリートで靴を直す

 夜行列車でハノイへと戻った。

 久しぶりに見るハノイはなんだかすごい大都会に思えた。アオザイ姿の女子高生が颯爽と歩き、エスプレッソバーではビジネスマンが熱心にパソコンを叩いている。それはサパにはない現代的で未来志向の光景だった。
ベトナム庶民の足は「ホンダ」と呼ばれるスクーター。ヤマハもスズキもホンダである。2人乗り、3人乗りは当たり前。中には5人家族全員が乗る姿も
 そんなハノイのストリートを歩いている時のことだ。とつぜん後ろからトントンと肩を叩かれた。振り向くと赤いカゴをもった青年がベトナム語でしきりに何かを言っている。

「なに? どうしたの?」

 英語で問いかけるがまったく通じない。困惑していると青年は突然かがみ込み、僕の足首をグイッとつかんだのである。

「オイ! なにすんだよ!」

 思わず大声を出し、掴んだ手を蹴り払う。すると青年はひらりと飛びのき、今度は赤いカゴを広げて何かを訴えはじめた。カゴの中には靴磨きのセットが入っていた。なんだコイツ? 流しの靴磨きなのか?

「俺はサンダルだぞ! 靴磨きなんかしねーよ!」

 追い払おうとするが、青年はしつこくまとわりつく。どうやら「アナタの靴を直してあげる」と言っているようだった。

 このとき僕はキーンのサンダルシューズを履いていた。それは随分と履き込んだオンボロで、サパから戻る途中でアウトソールがパカッと剥がれてしまった。しかたなく僕はキネシオテープをグルグル巻きにして応急措置をしていたのだが、どうやらそれを直してくれるというのだ。

「いいよいいよ、どうせもう捨てるから」

 そういう僕を押しとどめ、青年は僕のキーンをスルリと脱がすと手慣れた手付きで接着剤を塗り始めたのである。きっとこうして道行く人たちの靴修理をしてるのだろう。接着剤は業務用らしく、剥がれたソールはあっという間にくっついてしまった。

「ありがとう。いくら払えばいい?」

 僕はポケットから財布を取り出した。まあ、せいぜい50(50,000ドン=約200円)ぐらいだろう。ところが青年はまた僕を押しとどめると、赤いカゴから針と縫い糸を取り出しソールをゴリゴリと縫いはじめたのである。

「えええええ!?」
とつぜんアウトソールを縫いはじめた靴磨き青年。「すくい縫い」という頑丈だが手間のかかる方法で一針一針縫い上げていく
 驚く僕を横目に、青年はグイグイと針を進めた。ゴム製のアウトソールを強引にフットベッドに縫い込んでいるのだ。歩道に座り込んで待つこと30分。僕のサンダルは見事なステッチで縫い上げられた。さらに青年はまだ剥離していないもう片方も「念のためだ」と言わんばかりに、がっつりと縫い上げてくれたのである。

「あ、ありがとう。い、いくら払えばいい?」

 そう尋ねるが青年は答えない。またもや手で僕を制すと、今度はすり減ったカカトを補修し始めたのである。赤いカゴから強化繊維の入ったラバーシートやナイフや紙やすりが取り出され、路上はとつぜん靴工場のようになった。

 カカトだけではない。最後はほつれて切れたアッパーのステッチをすべて縫い直してくれた。かくして僕のキーン・ニューポートには、少なくともあと数年は履けるスーパーリフォームが施されたのだった。

 満足そうな笑顔で僕にサンダルを差し出す青年に、僕も笑顔で尋ねたのである。

「本当にありがとう。で、いくら払えばいい?」

 多少高くても払おうと思った。僕はすっかり感動していたのだ。もう捨てようと思っていたオンボロサンダルを、こんなにキレイに直してくれるなんて……。そんな僕の涙目を見つめ、青年はこう言ったのである。

「ワンミリオン!」
「フ・ザ・ケ・ル・ナ!」

 1,000,000ドン(約4,500円)も払えば、ベトナムじゃスニーカーが10足買える。人のよさそうな顔をして、平然とふっかけてきやがった。
百万ドンも払うわけない。電卓を叩きながらの値段交渉に突入だ。そのへんのお人好し観光客とはわけが違う。お互い超真剣である

「そんなに払うわけねえだろ!」
「じゃあ、いくらなら払うよ!」
「あっ!オマエ英語しゃべれんのか?」
「しゃべれないよ」
「しゃべってんじゃんか!」
「だから、いくらなら払うよ!」
「フィフティ!」
「ドロボー!」

 かくしてお決まりの値段交渉が始まり、その泥仕合は延々20分以上も続いた。最終的には僕が根負けして700(700,000ドン=約3,000円)で手打ちとなったが、金を払う時にはもうクタクタだった。アジアの旅はほんとにタフだ。

 うんざりしたが、爽快でもあった。最後ににっこりと笑った青年の白い歯がとても印象的だった。きっと数日分の稼ぎなんだろう。僕が次の路地を曲がるまで、彼はずっと手を振り続けていた。

 やれやれ。やっぱりベトナムは面白い。キーンのカカトを踏み鳴らしながら、僕はズンズンとストリートを歩き続けた。

これからの若者たちとこれからのベトナム

 その晩はハノイの若者やバックパッカーが集う「ターヒエン通り」に繰り出した。にぎやかだとは聞いていたが、じっさいにいってみるとそこは想像を超えた賑わいぶりだった。

 そこらじゅうにイスとテーブルが出され、何百人という若者が座り込んで盛大に飲み食いをしている。ドアの開け放たれたクラブからは懐かしいディスコサウンドが漏れ出し、路肩には若い女たちの嬌声が溢れていた。

 華やかな少女たちととそれを遠巻きに見つめる少年たち。あふれる欲望と好奇心。むせかえる汗とパクチーの香り。それらがグルグルと渦巻きながら、ハノイの熱帯夜を回していた。
ターヒエン通りの賑わいはすハンパじゃない。ベトナムの活気とエネルギーがこの小さな通りに爆発している
 ベトナム人のエネルギーはすごい。国ぜんたいに前向きでポジティブな活気が溢れている。その秘密はベトナムの「若さ」にある。それもそのはず、ベトナムの国民平均年齢はなんと28歳なのだ……!

 理由はベトナム戦争だ。痛ましい話だが、15年にも及ぶ激しい戦火と人間による人間の大量殺戮によりこの国の若者層は壊滅した。ベトナム戦争では民間人を含む800万人以上のベトナム人と5.7万人のアメリカ兵が死んだと推計されている。

 この国の今を考えるときに、戦争の過去は避けて通れない。

 去年僕はホーチミン市にある戦争証跡博物館(Bảo tàng Chứng tích chiến tranh)を訪ね、ベトナム戦争の記録を子細に見学した。ロバート・キャパや沢田教一の写真を前に僕は言葉を失った。クラスター爆弾を受けたこどもの傷痍写真や、枯れ葉剤で生まれた奇形児のホルマリン漬けを見た時にはおもわず吐きそうになった。なにもかもがあまりに凄惨で、あまりにむごい。「戦争は人間を人間でなくす」というのは本当だ。そして戦争に「正義」などない。

 日本にいると「世界」は少し違って見える。ふだん僕らが「世界」だと思っている世界は、マスメディアやネットニュースという窓を通じて見ている映像とテキストにすぎない。それにフィルターがかかっているとは言わないけど、ほんのいくつかの窓から見える景色が、世界そのものだと思わないほうがいい。CNNが世界ではない。Googleが世界ではない。ほんとうの世界を知るには窓の外に出ることだ。外に立って360度を見渡してみることだ。

 僕は一介のバックパッカーで、国際政治や世界経済とは縁遠い人生を送っている。でも旅をしているからこそ知る世界もある。インドネシアの屋根で進むリゾート開発も、少数山岳民族のリアルな暮らしも、ハノイの靴磨き青年の今も、東京にいては決してわからなかったことだ。
ストリートミュージシャンやパフォーマーの姿もよく見かけた。街角には社会主義国家とは思えない自由で大らかな雰囲気が満ちている
 同じようにインドシナの小国にとって大国・中国の圧力がいかに巨大なものか、社会主義国に生きる若者にとって資本主義の蜜がいかに甘いものか、この国を旅するまではまったく想像もできなかった。

 旅をするとは、知ることだ。世界を肌で知ることだ。

 これまでずっとベトナムは僕には遠い国だった。でも今は違う。この国の今の若者たちが、かつての若者たちの分までシアワセになればいいと思う。自由と希望と笑いの中で、その青春を謳歌できればと願っている。

 ベトナム国旗の真ん中にある黄色い五芒星は「革命」を表し、統一ベトナムの象徴として使われてきた。しかし僕はこの星が、次の世代の夢を叶えるシアワセの星であればいいと思う。
 
 グッドバイ・ベトナム。
 近いうちに、また来るよ。
 


 

 それでは、今回旅したベトナムマップや立ち寄ったショップなど旅の役立ち情報を公開!


ベトナムBackpacking map

 ベトナムで実際に歩いた場所や、立ち寄ったアウトドアショップ、スーパーなど、さまざまな旅の情報を落とし込んだオリジナルの地図を今回もAkimamaスタッフが用意してくれた。スマホやタブレットにGoogleマップが入っていれば、自分がいまいる現地情報と合わせてハノイやサパで地図を使うこともできる。なお、右上の□マークからは拡大地図へ移ることもできる(これはPCの方が見やすいかも)


ハノイ&サパ、その他旅のお役立ち情報
ファンシーパンの麓にある町サパは登山基地だけあり関連のショップが点在している。店内にはウェアのほかシューズやアクセサリーもたくさん取りそろえられていた。ベトナムでダウンウェアが売られているのにちょっとビックリ

ラオカイグルメ情報
サパから下山し、夜行列車の出発を待つあいだ夕飯を食べにラオカイ駅真正面にあった店に入った。店頭に並んだ総菜を選んで食べるいわゆる“指さし食堂”だったが、ビビったのはここの店長。あまりのイカつさにチビりそうになったが、ルックスとは裏腹にじつはとても親切だった。選んだ晩飯はどれもうまかったが、肉団子を葉っぱで包んで揚げたヤツが気に入った。店名の「Trung Hoà」とはこの店長の名前で、たくさんの常連たちがあっちこっちで宴会をしていた。もしラオカイを訪れる際はぜひ足を運んでみてほしい

ハノイグルメ情報
フランスパンで作ったサンドウィッチ「バインミー」は、フランス統治時代から残るフランス食文化の名残りだ。切れ込みをいれたパンにバターとポークパテを塗り、野菜、ハーブ類、肉などをはさみヌクマム(魚醤)を振り掛ける。ハノイに7店舗の店を構える「Bami Bread」はメチャうまだ。そしてもう一食「ソイ」はモチモチの餅米にじっくり煮込んだ肉や卵をトッピングし、最後に煮込んだだし汁を掛けて食べるローカルフード。日本人の口に合いすぎる味わいで、ハノイの専門店「XOI YEN」ではマッシュポテト状にした緑豆のトッピングがおいしかった!

ベトナム必須アイテム
真夏には40度近い気温となるベトナム。旅の必需品がこのGATSBYのスースーするボディシート。超強力な「ICETYPE」タイプがオススメ。都市部ではバイクの排気ガスがすごいのでマスクも持っていきたい

旅の相棒 Gregory バルトロ65

 歴代のトリコニとバルトロを愛用してきたが、バルトロの現行モデルは快心のできだ。なにより気に入ったのが、柔らかいのに芯がしっかりした背負い心地だ。とくに15kgから18kg程度の荷物(テント泊縦走登山用のフル装備だ)を入れた時の荷重分散とバランスは最高レベル。背中に感じるフィーリングはかつてのトリコニによく似ているが、ランバーサポートが加わったことや背面パッドを中抜きしたことで、これまで以上にフィット感が向上した。グレゴリーの大型モデルは伝統的にカチッとした背負い心地が特長だったが、新型バルトロはフレームのフレックスが柔らかいこともあり、身体に優しくしなやかになった。個人的には歴代のグレゴリーの中でも最高の背負い心地だと思っている。

サイズ: S、M、L
容量: 61L(Sサイズ)、65L(Mサイズ)、69L(Lサイズ)
重量: 2,200g(Sサイズ)、2,300g(Mサイズ)、2,369g(Lサイズ)
カラー: ネイビーブルー、スパークレッド、シャドーブラック
価格:42,120円(税込み)

 

(文=ホーボージュン、写真=山田マコト)


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