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ホーボージュン令和元年のアジア旅! 「ヒマラヤの果て、雲の手前。〜幸せの国ブータンを旅する〜」後編

(2019.09.06)

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All Photo by Keiji Tajima


アウトドアライターのホーボージュンさんが
アジアバックパッキングのレポートをお届けして今年で4年目。
令和最初の旅先は、“世界一幸せな国”として知られる
ヒマラヤのブータン王国!
世界40ヶ国以上を旅してきたジュンさんが
この旅の終わりに見つけた「本当の幸せ」とは……。
(ブータン前編・中編はコチラから)


3,000mの断崖絶壁にある
“タイガーズネスト”を目指して

 ブータン2度目のトレッキングは標高3,000mにあるタクツァン僧院への登山だった。タクツァン僧院はブータンで最も有名な寺院であり、チベット文化圏の聖地である。断崖絶壁に張り付くように建てられた光景は一度目にするとぜったいに忘れられない。僕が今回最も楽しみにしていた場所でもあった。

 この寺院が建てられたのは17世紀の末のことだ。ここに祭られているのはチベット密教のスーパースターであるグル・リンポチェ。彼は8世紀末にインドからチベットに仏教をもたらした人物であり、チベットやブータンでは釈迦に次ぐ「第2の仏」として民衆に崇められている。

「グル・リンポチェは8つの姿を持ち、その八変化を使って時に民衆をなだめ、時に脅しながらこの地に仏教を広めました。彼こそがヒマラヤ一帯における仏教の“開祖”なのです」

「へえ~!で、そのグルリンさんはなんでまたこんな山奥にいるの?」

「虎ですよ、虎」

 伝説によるとグル・リンポチェは虎の背中に跨がり、ヒマラヤを飛び越えてやって来た。そしてこの断崖絶壁の上に降り立つと、そこに庵を構えて修業に打ち込んだそうだ。
「この時に乗ってきた虎を岩の洞窟に入れておいたので、タクツァン僧院は“タイガーズネスト(虎の巣)”と呼ばれているんです」

「タイガーズネスト!」

 その言葉を聞いて僕の好奇心メーターが一気に振り切れた。まるでタイガーマスクに出てくる虎の穴みたいじゃないか! しかもその洞窟は今も現存していて、実際に見物もできるという。それだけで身体中がウズウズした。

 タイガーズネストへのトレッキングはパロ郊外にある森の中から始まった。標高2,500mにある登山口にはたくさんのミニバスやタクシーが駐まり、大勢の観光客で賑わっていた。入り口の参道のような場所には30軒あまりの土産物屋が並び、縁日のような賑わいを見せている。「ここから2,800mの第1展望台までだいたい1時間、そこから3,100mの第2展望台まで40分、そのあと崖の階段を下ったり上ったりして僧院まで40分くらいかかります。断崖は風が吹くとけっこう寒いのでウインドブレーカーを持って下さいね」とソナムさんに注意を受ける。3,100mといえば北アルプスの高峰と変わらない。僕は気を引き締めて準備を始めた。

 登山口を少し上がると林の中に50~60頭の馬が繋がれていた。地元のオジサンが鞍を着けたり、ブラシをかけたりしている。

「あの馬はなんですか?」
「参拝客に貸しているんですよ。第1展望台までのトレイルは馬が通れるので」

 僕はそれをきいて色めき立った。「乗りたい! 乗りたい!」

以前モンゴルの草原を旅した時には遊牧民に馬を借りて乗馬登山をした。また米国オハイオではカウボーイと一緒に大渓谷を駆け巡ったこともある。山岳域での乗馬はかなりのテクニックが必要だが、草原や平地では味わえない面白さがある。ブータンの山の中で馬に乗るなんて千載一遇のチャンスだ。是非とも乗ってみたい。

 ソナムさんに交渉して貰い、さっそく馬の品定めをする。ブータンの馬は小柄で首の短いアジア系の馬だった。老人や子どもをのせるのだろうか、ポニーのような小さな馬もいた。

「なるべく大きくて馬力のあるヤツを頼むよ」

 僕のリクエストに馬方のオジサンは面倒くさそうな顔をする。オマエそんな大きな登山靴履いてるくせに自分で歩かないのかよ、という感じだ。それでもソナムさんの顔を立てて、たてがみの長い牡馬を渡してくれる。美しい手織りの腹帯の上に小さな鞍が乗っていた。モンゴルのように木をくり貫いた固い鞍ではなく、革製の平べったい簡素なものだった。

 鐙の長さを調整し、ひらりと飛び乗る。視線が一気に高くなった。まるで大型トラックの運転席から見下ろしているようだ。久しぶりの騎乗は気分がいい。さあ、一路タイガーズネストへ出発だ!

 ところがどっこいぎっちょんちょん……。

 僕の馬は轡(くつわ)をしていなかった。とうぜん手綱もない。かんたんな鼻輪に1本の引き綱がつけられ、その端を馬方のオジサンが握っていた。

「えええっ? 引き馬なの?」
 てっきり馬を貸してくれると思ったが、どうやら引かれて乗るだけみたいだ。

「こいつは気性が荒いから俺が引いて行く。さあ、行くぞ」

 オジサンが荒々しく馬の尻をどつくと、牡馬はいきなり暴れ始めた。あわわわわ! 手綱を持たない僕は慌てて鞍の前橋にしがみついた。これじゃあ、まぬけな観光客みたいだ。

 予想外の展開にガッカリしたものの、馬上から眺める景色は悪くなかった。トレイルのあちこちにルンタがかけられ高原の風に揺られている。沢の脇には水車で回るマニ車があり永遠の祈りを唱えていた。ノッシノッシと坂道を登っていく馬の上で、僕はしばし瞑想にふけった。
 

四国遍路と般若心経
そして空海の教え

 僕が東洋哲学、わけても仏教思想に興味を抱いたのは2003年に巡った四国遍路がきっかけだった。ご存知のように四国遍路は四国88カ所の寺院を巡る巡礼の旅で、「歩き遍路」とよばれる徒歩巡礼では、約50日間で12,000kmもの距離を歩く。当時はそのストイックな毎日が注目され、ちょっとしたブームになっていた。

 じつはこの当時僕は大きな病気を抱えていて、かなり悲惨な毎日を送っていた。この時僕は39歳だったが、それまで病気ひとつしたことがなく、それどころかアイアンマン・トライアスロンやアドベンチャーレースに出場したり、MTBで南米大陸縦断をしたりと冒険三昧の人生を送っていた。それがある日とつぜん病気になり、人生が180度変わってしまったのだ。

 今は完治したがこの当時はまだ病気の治療方法がなく、僕は1日1日死に向かって進むことになった。とうぜんだが激しく落ち込み、精神的にもがき苦しんだ。「なんで俺が?」と天を恨む毎日だ。そして現代医学に見捨てられた僕は宗教に救いを求めた。人間が本当に絶望したとき、最後のよりどころになるのは哲学、つまり「自分はどう生きるか」なのだ。

 僕は四国遍路の巡礼に没頭し、ひたすら歩き、肉体を痛めつけた。この旅で僕は弘法大師空海と真言密教にのめり込み、帰京後には小学館から『四国お遍路バックパッキング』という歩き遍路のガイドブックまで出版することになった。僕の病気のことはまわりも担当編集者も知らなかったから「ホーボージュンはいったいどうしたんだ?」とずいぶん驚かれた。でもこうして信仰(?)を広めることも、自分に課せられた使命であり修行なのだとこの時には思っていた。
 結果から言うと、空海の神通力をもっても僕の病気は治らなかった。あたりまえだ。世の中そんなに甘くない。不治の病が治るハッピーエンドなんて安っぽい青春映画の中だけなのだ。

 だがしかし、僕の“中味”はガラッと変わった。魂のありようというか、人生の捉え方が変わった。生への執着が(なくなったとは言わないが)ずいぶん軽くなった。それこそが僕にとっての救いだった。

 四国遍路では『般若心経』というお経を何百回も唱える。般若心経(プラユニャーパーラミター・フリダヤ)は大乗仏教の“空”思想を説いた経典で、わずか300文字あまりの短い文言の中に魂の正体が説かれているとされ、時代や宗派を問わず世界中で唱えられている。たとえば次の文言は仏教徒でなくても知っているだろう。

 色即是空 (色はすなわち空である)
 空即是色 (空はすなわち色である)

 色というのは「肉体」とか「物質」などのことだ。空というのは「なにもないこと」や「まぼろし」のことだ。つまり現世の喜怒哀楽などは幻想で、この肉体も気持ちの揺れもすべてただの思い込みに過ぎないということだ。

 般若心経の解説をするのはここではやめよう。あまりに深すぎて僕の手にはとても負えない。でもせっかくなので遍路で僕が得た“真理”をひとつ書いておこう。

 迷故三界城 (迷うが故に三界は城)
 悟故十方空 (悟るが故に十方は空)
 本来東西無 (本来東西なく)
 何処有南北 (何処にか南北あらん)

 僕ら歩き遍路が頭にかぶる笠には空海の言葉が書いてあるのだが、あるとき、道連れになった外国人にこう聞かれた。「君が被っている笠に書いてあるその不思議な呪文は何を表しているんだい?」と。それまであまり深く考えたことがなかったけど、英語でも判るように意訳しながら彼にその内容を伝えた。こんな感じだ。

 欲望や常識にとらわれているといつのまにか
 自分のまわりを分厚い壁が蔽ってしまうけど、
 悟ってしまえば世界はすべて“空”で、
 自分はなにからも自由なことに気づくんだ。

 もともとこの世に東も西もない。
 それは人間が名付けたただの言葉だ。
 それなのにどうして南や北に、
 君はこだわっているんだい?

 自分でそう話しながら、僕は鳥肌が立っていた。すごい、これって真実じゃん。その空海の言葉は僕の身体の中にストンと音を立てて入ってきた。こういうのを“腑に落ちる”というんだろう。この瞬間に僕は大乗仏教の“空”の思想を深く自分の人生に取り込むようになったのである。

 グル・リンポチェがインドからチベットに入り最初の仏教僧院を建設したのが771年。虎に乗ってここブータンに飛んできたのはそのしばらくあとだ。そして空海が唐に渡り、真言密教を日本に持ち帰ったのは806年。このへんの時代は仏教界のスーパースターが乱れ飛んでいてすごい。僕ははためくルンタを眺めながらいにしえに思いを馳せ、この世界の成り立ちについて考え続けた。

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ライター
ホーボージュン

全天候型フリーライター。6,000mの高所登山からシーカヤックの外洋航海まで、フィールドとスタイルを問わない自由な旅を続けている。『山と渓谷』『ビーパル』『PEAKS』『Field Life』などアウトドア各誌で連載中。公式Twitterアカウントは「@hobojun

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