line_box_head

【DISCOVER JAPAN BACKPACKING】日本最北端の頂を目指せ! 利尻岳シートゥサミット・後編

(2018.09.14)

登山のTOP

icon

世界有数の火山大国であり、登山天国でもある日本。その魅力を見つめ直す「DISCOVER JAPAN BACKPACKING」。第三弾の舞台は、北海道・利尻島にある日本最北端の百名山“利尻岳”です。旅人はアウトドアライターのホーボージュンさん。これまでのアジア4ヶ国放浪サハリンの旅に続き、今回も大自然に翻弄されたようです!

(利尻岳シートゥーサミット・前編はコチラから)


 海から上がり、登山口に辿り着いたのは正午過ぎだった。僕は登山届けをポストにドロップすると登山靴の紐を結び直し、トレッキングポールの先端にゴムキャップをつけた。ここ利尻岳の登山道は大部分が玄武岩質の溶岩で崩れやすく、年々痛みが大きくなっている。また登山道脇にはリシリヒナゲシやボタンキンバイなど貴重な固有種が多いので、その保護のためにもキャップ装着が義務づけられているのだ。かつては北の果てのマニアックな山だったが、百名山ブームで登山客が急増したことで、いろいろ問題が増えている。
 
 準備オーケー。鼻の穴を膨らませて登山道へ進むと、入り口にこんな立て看板が立っていた。

《利尻島内にヒグマが上陸しています》「えええっ!マジかよ!」
「そうなんだよ。今年の春に泳いで渡ってきたらしいんだよね」
「ど、どこから?」
「どこからって、対岸からだよ」

 対岸といっても最短距離にある海岸線沿いのサロベツ原野からでも20kmはある。しかも利尻水道は潮の流れが早い。以前僕はおとなりの礼文島をシーカヤックで一周しようとしたことがあるが、この時は潮に流されてロシアに行ってしまったらどうしようか、ずっとヒヤヒヤしていた。いくらヒグマが泳ぎが得意といったって、こんな厳しい海をわざわざ泳いだりするのだろうか……?

「今から106年前には、天塩から泳いで来た熊もいたんだって」
「天塩って、ここから50km以上あるじゃん!」
「パワーがありあまってたんじゃないの? 体重300kgもあるでっかいオス熊だったから」
「その熊はどうしたの?」
「海岸で見つかって漁場の若い衆に手斧でボコボコにされたんだって。その時の写真が郷土資料館に残ってるよ」
「なんてことを……」
利尻島郷土資料館解説シート「利尻の自然II 海を泳ぎ渡ったヒグマ」
(出典=北海道 利尻富士町HPより)

 50kmも泳いできて撲殺されるなんて気の毒な話だ。今年渡ってきたヒグマはまだ人間には見つかっていないそうだが、島内各所で糞や足跡が多数発見され大騒ぎになっている。いまは山中に潜んでいる可能性が大きく、登山者には鈴やラジオの携行が推奨されていた。

「歌でも歌いながら行くか」

 知床でヒグマ慣れしているツカちゃんはさしてビビる様子はない。それは僕もおなじだった。こんなことをいうと島の人に怒られるかもしれないが、僕は正直ちょっと嬉しかった。去年僕はサハリン(南樺太)の原野をテント泊で歩き、山に登った。この時も濃厚なヒグマの気配を感じながら過ごしたが、その緊張感はけっして悪いものじゃなかった。これはアラスカやイエローストーンのグリズリー地帯でひとりで野宿していた時も感じたことだ。本来北の大地は彼らのものだ。僕ら人間はそこにお邪魔させてもらっているに過ぎない。それに自然が豊かな場所では彼らは人間を相手にせず、気配を感じたらすぐに逃げる。それが本来の我々の関係性だ。自然と文明。共存と共生。危険とリスク。ありうべきこの星の姿。アウトドアの旅というのはそもそもそれを考えるためにあると思う。

「しばらくは地味な登りだから、ボチボチ行こう」

 一歩一歩を踏みしめるように僕らは登った。

 山麓は深い霧に覆われてまわりの景色はまったく見えなかった。湿度が高く、汗でTシャツがあっというまにびしょ濡れになる。とても北海道の山(しかも北緯45度だ!)とは思えない。でも全道が暴風雨に巻き込まれている真っ最中に雨具なしで歩けるのだから恵まれていると思うしかない。利尻登山のメインルートである鴛泊ルートは直線距離6km、標高差1500mをひたすら詰めていく。5合目までは視界もなく、細い登山道を淡々と進む。この日は湿度が高く、まるで本州の低山を歩いているようだった

「コンニチハー」
「こんにちはー」

 次々と登山者が降りてくる。登山道では登り優先なのでみなさん道を開けて僕らの通過を待ってくれるのだが、一様に僕らの大きなバックパックを見てびっくりしていた。

 利尻岳登山は95%が日帰りだ。山中には営業小屋も水場もないし、テントを張るスペースもない。緊急時やご来光を拝む登山者のために8合目には避難小屋があるが、それほど大きくないので行政も日帰り登山を推奨している。僕らのような縦走登山者はここでは異端なのだ。

 それにしてもいろんな人がいるものだ。ちょうどお盆休みのど真ん中だったので観光客も多く、ジーンズ姿や上下スウェットみたいな人もいる。高尾山ぐらいのつもりで登ったのだろうが、利尻岳はそんなに甘くない。標高差は1,500m。往復の平均所要時間は11時間だ。案の定その手の観光客は全身泥だらけ、傷だらけで、両膝にテーピングテープを巻いた人や、泣き叫ぶ子どもを背負って汗だくで降りてくるおとうさんもいた。

 ごくろうさまです。どうぞご安全に……。
 午後3時を回ると、さすがに下山する人も途切れた。僕らは淡々と高度を上げていく。立ち込めたガスの中で僕らを迎えてくれるのは、ハイマツの低い林にゆれる紫色の美しい花だけになった。

「リシリブシだよ。スープにするとうまいんだぜ」 ツカちゃんがふざけてみせたのはトリカブトだ。猛毒として知られる花である。このリシリブシは利尻島と礼文島の固有種で、ブシ(附子)というのは毒を持つ塊根のこと。道内の山中で見るエゾトリカブトより花が密集していて兜状の花がもっこりしていた。もちろんこれにも猛毒がある。

 かつてアイヌはトリカブトの毒を塗った毒矢で狩猟を行った。アルカロイド系の毒は獲物の神経を麻痺させるため短時間で安全に捕獲ができるし、矢毒が刺さった部分を少し大きめに取り去れば他の部分は食べられた。また毒を付けた仕掛け弓(アマッポ)を獣道に仕掛けることで安定した収穫が得られたので、トリカブトの存在はアイヌの生活向上に一大革命をもたらしたという。

 でもアイヌがトリカブトの毒をどう調製したのかはよくわかっていない。毒作りは秘事だったために和人にはもちろん、同族にもめったに方法を明かさなかったからだ。しかし毒の効果を増強するために、蜘蛛や昆虫などいろいろな物を混入したことはわかっている。後年の聞き取り調査によると蜘蛛、川のカジカ、沢蟹、天南星の根の有毒部、ヨモギの葉、松脂、フグの油、蜂針、ドクゼリの根、ハナヒリノキの削り屑、エンレイソウの実、野イチゴ、ベニバナヒョウタンボクの枝、アメンボウなどが使われたという。中でも多くのアイヌが毒に蜘蛛を混ぜたのは「もし狩りの途中に誤って毒矢が人に刺さってしまっても死ぬことがないようヤウシュケップカムイ(蜘蛛神)にお願いしていたから」だという。また「クマ猟にはなるべく純粋な毒を用い、キンカムイ(山を司る最高神。熊神)に遠慮して他の混合物は使わなかった」という証言もある。

 これらの証言にはアイヌの生物観がよく現れていると思う。アイヌは地上にある動物や植物は総て「カムイモシリ」と言う天上にある神の国に住んでいる神さまが、それぞれの動物や植物に化身して、アイヌに贈りものを届けに訪れている(つまり獲物になってくれている)と考えていた。

「カント オㇿワ ヤク サㇰ ノ アランケㇷ゚ シネㇷ゚ カ イサㇺ」

 風に揺れるトリカブトを眺めながら、僕はそう呟いてみた。

 僕はここ最近『ゴールデンカムイ』というアイヌの漫画にはまっているのだが、これはこの漫画によく出てくる言葉で【天から役目なしに降ろされたものはひとつもない】という意味だ。街にいるときにはただの呪文にしか聞こえないが、こうして自然の中を旅しているとその言葉がしみじみと心に沁みる。

 天から役目なしに降ろされたものは、ひとつもない。
 では、僕らの役目はなんだろう?

 長い登りでは退屈と肉体的苦痛から逃れるために、脳内で何度も何度も同じイメージがループする。この日はなぜか僕の脳内にこんなイメージが繰り返されていた。でももちろん答えなど出ない。それは目の前の深い霧と同じで、先が見えそうで見えない問いだった。

 長い長い登りが終わり、僕らは稜線の上に出た。8合目の避難小屋まではもう少しだ。
左上)山中には水場がないので、登り口にある「甘露泉」と呼ばれる湧き水を汲んで登る。日本百名水にも選ばれた銘水で、清らかで、甘く、柔らかく、本当に美味しい。僕は道内の名水はいろいろ飲んでいるがここの水が断トツに美味しい。左下)ガス、ガス、ガス。5合目から8合目までは尾根筋を登っていくのだが展望がなく我慢の山登り。右)登山道のあちこちに見晴らしポイントがあったが、どこも深い霧のなかだった。オーマイガー

1 2 3
 
 
ライター
ホーボージュン

全天候型フリーライター。6,000mの高所登山からシーカヤックの外洋航海まで、フィールドとスタイルを問わない自由な旅を続けている。『山と渓谷』『ビーパル』『PEAKS』『Field Life』などアウトドア各誌で連載中。公式Twitterアカウントは「@hobojun

line_box_foot