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【歴史を歩いてみよう】第2回 坂本龍馬とお龍、つかのまのハネムーン

(2016.05.28)

登山のTOP

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山を歩けば、そこはいにしえへの入口…。遠いむかしに思いを馳せながら、さまざまな山をめぐるシリーズ「歴史を歩いてみよう」です。さて、今回は坂本龍馬。龍馬とお龍が訪れた、あの場所です。

 坂本龍馬は、1836年に土佐国(現在の高知県)に生まれました。幕末に活躍した志士です。もはや説明がいらないほど有名ですが、倒幕から明治維新にかけての時代において重要な働きをした人物です。
 
 龍馬といえば、妻のお龍もよく知られています。結婚生活は、わずか3年ほど。その間に鹿児島と宮崎の境にある高千穂峰にふたりは登っています。諸説ありますが、日本で最初のハネムーンだ、ともいわれていますね。


塩浸(しおびたし)温泉の塩浸にある龍馬とお龍の碑。高千穂河原に向かう途中にあります。龍馬も癒したその湯にぜひ。 ©公益社団法人 鹿児島県観光連盟

 そもそのもなぜ鹿児島(薩摩)に向かったのか……。経緯をたどってみましょう。

 1866年1月、のちに薩長同盟と呼ばれる盟約が薩摩藩と長州藩の間で京都で交わされます。数日にわたった会談には、龍馬も同席しました。それからほどなくして、いわゆる寺田屋事件がおこります。

 龍馬を捕らえ、あるいは暗殺すべく、伏見奉行所の捕り手たちが、宿泊先の寺田屋を深夜に取り囲みました。その異変にいち早く気がつき、危機を知らせたのがお龍です。入浴中だったお龍は、裸同然の姿で龍馬のいた2階へかけあがりました。龍馬は命からがらに逃げ出し薩摩藩邸に担ぎ込まれましたが、刀傷を負ってしまいます。

 小松帯刀や西郷吉之助(隆盛)といった薩摩藩士らからすすめられ、療養のため、そして潜伏の目的もあったでしょう、ふたりは鹿児島に向かいました。新暦では5月中頃です。

上空から見た霧島連山。手前が新燃岳。奥に見えるお鉢と山頂が高千穂峰。 ©公益社団法人 鹿児島県観光連盟

 この鹿児島旅行の様子は、姉の乙女に宛てた手紙(手紙の現物は、京都国立博物館にあります)のなかでも書かれています。絵入りで山を説明し、様子を事細かに伝えています。温泉に行ったこと、天の逆鉾を見たこと、登山の道のりは女性には大変だったこと。つかのまの幸せな時間が想像されますね。

馬の背といわれるお鉢の登山道。奥に見えるのが山頂。和装で登ったお龍さんの苦労が想像できる。5〜6月はミヤマキリシマが咲き、斜面がピンクに染まる。(写真は11月頃)

 高千穂峰は標高1574メートル、霧島連山に位置します。新燃岳の噴火はまだ記憶に新しいかも知れません。天孫降臨の山(諸説あり)としても有名ですね。

馬の背を過ぎると、山頂に向けての登り。終盤はそれなりに勾配がある。そして、山頂には天の逆鉾が刺さっている。(写真は11月頃)

古事記の世界です。山頂には、ニニギノミコトが突き立てたといわれる剣が刺さっています。ちなみに、龍馬はこれを引き抜いた、と手紙に書いています……。いまあるのは、レプリカだそうで龍馬時代とは別物のようです。

 高千穂峰は木はなく、生まれたてのような剥き出しの姿をしています。麓から全行程3時間弱ですが、樹林帯を抜けると砂礫の道が続きます。堆積した火山礫に足が沈むこともしばしば。龍馬とお龍が訪れた際は、ミヤマキリシマは咲いていたでしょうか。咲いていれば、山がピンクに染まるほどになります。ちょうどいまが見頃のようで6月上旬まで、楽しめるとのこと。

現在はチェーンで囲われて、容易には近づけない天の逆鉾。(写真は11月頃)

 龍馬とお龍についてはもちろん、古事記や日本書紀も知っておくと、さらに深く楽しめることでしょう。今年2016年はふたりが訪れてからちょうど150年。2016年5月30日(月)には、坂本龍馬 霧島神宮参拝150年記念高千穂登拝が、高千穂河原古宮址斎場で行われるそうです。

もうすぐ6月。梅雨が来てしまいますが、ジューンブライドの皆さん、こんな新婚旅行はいかがでしょうか。

アクセスとヒント
登り口のある高千穂河原は、1234年まで霧島神宮があったところです。大噴火によって社殿は、現在霧島神宮がある霧島田口に再建されました。まずは高千穂河原(駐車場あり)を目指しましょう。周遊バスもあるものの、本数が少なく自動車で行くほうが便利。樹林を抜けて、馬の背といわれる火口縁に出ると風が強くなり、道も狭くなるので慎重に。麓には、高千穂河原ビジターセンターがあるので、立ち寄ってみよう。

(文・写真=須藤ナオミ)

 
 
ライター
Akimama編集部
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