• 山と雪

ホーボージュン アジア放浪3カ国目「オドロキの登山王国・台湾」

2016.06.30 Thu

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ホーボージュン 全天候型アウトドアライター

All photo by Yuriko Nakao

私たちの住む「アジア」を眺めてみると、
まだ知られていないトレイルが方々にあった……!
世界中を歩きめぐってきたサスライの旅人ホーボージュンが
そんなアジアへバックパッキングの旅へ出た。
3カ国目は日本の西に浮かぶ島・台湾へ!

 
 
台湾の山中にひとり取り残された

「……訪客、訪客!」

 どこか遠くのほうで人の声がする。

「請醒來!」

 肩を揺すられて、ハッと気がついた。慌てて飛び起きるとバスはすでに停車していて、制服姿の運転手さんが心配そうに僕の顔を覗き込んでいた。

「こ、ここはどこですか!!」

 慌てて尋ねるが、英語がまったく通じない。

「せ、せ、清泉橋は? ぼ、僕は清泉橋に行きたいんです!」
「你在哪裡下車?」

 ダメだ。ぜんぜん通じていない。僕はポケットから手帳を出すとそこに漢字で「清泉橋」と書いて差し出す。運転手さんはそれを見て「ああ、やっぱり」というような顔をしている。そしてバスの後方を指さして、大げさに肩をすくめてみせたのだ。

「清泉橋ならもう通り過ぎちゃってるよ」

 中国語がわからなくても、そう言っているのは間違いなかった。

「やっちまった……」

 顔から血の気が引いていくのがはっきりわかった。この大事な場面でポカをやってしまったのだ。ああ、これまでの苦労が水の泡だ。

 僕は自分がどこにいるのかわかないまま、そこでバスを降ろされた。いずれにしても反対方向に戻るバスはなく、ここからは自分の足で歩くしかない。

 運転手さんは指を2本立てると「リャン、リャン」と何度も繰り返し、僕の肩を叩いた。僕にはそれが「2km」なのか「2時間」なのか、それともVサインを出して励ましているのかちっともわからなかったけど、とにかく「やっちまった」ことだけは確かだった。

 やがて宜蘭(イーラン)発・梨山(リーリャン)行きの長距離バス「国光号」は黒い煙をモウモウと吐きながら細い山道を走り去っていった。

 6月10日午前10時15分。
 僕は台湾の山中にひとり残された。
 どれだけあたりを見回しても、そこには深い深い緑の山が横たわるばかりだった……。

じつは台湾は山岳王国なのだ

 みんなは「台湾」と聞いて、いったい何を思い浮かべるだろう? 
 飲茶? 小籠包? それとも烏龍茶? 
 まあ普通の人だったらそうだろう。でもベテランのアウトドアーズマンならきっとこう答えるはずだ。

「台湾といえば登山だろ!」

 そう。じつは台湾は知る人ぞ知る“登山王国”なのである。

 ご存知のように僕たちの住む日本には標高3,000mを超える高山が全部で21座ある。ところが台湾には3,000m峰がなんと144座もあるのだ……! さらにピークの数でいうとその数は200座以上に及ぶ。九州とほぼ同面積の小さな国土に、日本の10倍もの高山がひしめいているのである。
Googleマップで見ても一目瞭然。台湾は国土の55%を山が占める山岳王国だ。与那国島まではわずか110kmしかない。本当にすぐそこの「お隣さん」なのである
 そのため台湾では登山の人気が高く、国民のレジャーとして定着している。台湾各地に登山協会や山岳会があり、民放テレビでも登山番組が放映されているほどだ。

 また最近では若者のあいだで登山ブームが過熱していて、休日ともなるとカラフルなウェアに身を包んだ女の子たちが山に溢れている。この状況はいまの日本とまったく変わらない。

 ちなみに日本の山ガールブームを牽引してきた女子向けアウトドア誌『ランドネ』も台湾版が発行されている。現地では『楽遊時尚』というタイトルで、都市部の女子たちに大人気だそうだ。
専門誌も発行されている。『戸外探索・OUTSIDE』は裾野の広いアウトドア総合誌。『台湾山岳』は専門的な山岳雑誌だ
 もともと台湾の山に興味をもっていた僕に、去年、ちょっとしたきっかけがあった。Akimamaスタッフが台湾旅行のお土産に(やつらは生意気にも年末の社員旅行に台湾に遊びに行ったのである)『台湾百嶽全圖』という現地の山岳ガイドマップを買ってきてくれたのである。

 それまでまったく知らなかったが、台湾にも「百名山」があり、アマチュア登山家たちの大きな指針になっているのだという。

 日本と同じように全山踏破をめざしてせっせと登り続ける人もいるし、週末のレジャーとしてハイキングに行く人もいるという。

 『台湾百嶽全圖』には百名山が20のエリアに分類されていて、それぞれのエリアの詳細な山岳地形図が敢行されていた。
同じ縮尺でGoogleマップの台湾と日本のアルプスの地形を比べてみると、日本と同じくらいかそれ以上に山が深いことが分かる

 これをみて僕の心が動いた。

 いや「百名山」にではない。僕は登頂にもスタンプラリーにもまったく興味がない。それより地図に載った「縦走ルート」に心惹かれたのだ。各地図には台湾各地の山々を繋いで歩くさまざまなルートが載っていた。
 
「そうか。台湾には3,000m峰が200座もあって、しかもそこを繋いで歩けるのか!」

 それは想像するだけでワクワクする話だった。しかも台湾へはわずか3時間半のフライトで行けるし、格安航空券を使えば往復3万円もかからない。下手したら北海道の山より近くて安いぐらいだ。

 僕は『台湾百嶽総図』を机に広げるとさっそく縦走計画(というか妄想)を立て始めた。題して「登頂して凍頂ウーロン茶飲むぞ! 台湾中央山脈大縦走計画」である。

 ところがどっこいぎっちょんちょん(また!?)

 台湾登山はそう簡単には行かないのであった。

山登りに国家の許可が要る!?

 僕が手始めに調べてみたのは台湾最高峰の玉山(3,952m)だ。

 玉山は日本人にとって馴染みの深い山である。日本統治時代(1895~1945年)には「新高山(ニイタカヤマ)」と呼ばれていたが、この名称には富士山よりもさらに高い「新しい日本の最高峰」という意味が込められていた。
画像:Wikipedia「玉山」より

 この山に初登頂に成功したのも日本人で、1900年4月11日に人類学者の鳥居龍蔵が登頂したのが公式な記録に残る最初のものだそうだ。

 ちなみに太平洋戦争開戦の暗号電文に「ニイタカヤマノボレ」という文言が使われたのは有名な話だ。当時の日本人にとって玉山はそれほど大きな存在だったのだ。

 戦後70年経つ今もこの山は日本人に人気で、多くの登山ツアーが組まれている。

 ところが調べてみたらこの「玉山登山ツアー」はけっこう高い。3泊4日で20万円もする。だったら個人で登ればいいや。そう思ったら入山規制が厳しかった。なんと入山申請は登山開始の4カ月前から40日前までに行わなければならないのだ。外国人向けには優先枠が設けられているらしいが、この枠が取れなかった場合は抽選になるという。そんな面倒な山、行きたくない。

 それなら、ということで台湾第2峰の雪山(3,886m)を調べてみた。この山も日本の登山家が開拓、初登頂した山で、その山容は南アルプスの北岳に似ていてアルパインな雰囲気だ。玉山と違って山小屋がなく(避難小屋はある)、シュラフや自炊道具、食糧を自分で担がないとならないところにも興味が沸いた。
画像:Wikipedia「雪山」より

 ところがこの雪山も国家公園(国立公園)に指定されているため、登山には入山許可が必要だということがわかった。「台湾の山は登るまでが大変だよ!」といろんな人から聞いてはいたが、なるほど、そういうわけなのか。

 ここから僕の苦悩と格闘の日々が始まった。なにしろ「許可申請」だとか「必要事項」だとか「内容をよく読んだ上」みたいな書類仕事が死ぬほど苦手で、お役所には近づかないジンセーを送っている。「なんで山登るのに人にハンコもらわなきゃいけないんだ!」という気持ちもあり、ストレスフルな作業だった。

 具体的な手順は後編の巻末にまとめる予定だが、基本をざっと書いておこう。日本には個人登山者向きの申請ノウハウがほとんどなく(僕は情報収集にものすごく苦労した)、参考文献が極めて少ないからだ。
 
①まず基本中の基本であるが、台湾政府は自然環境保護の観点から全国7カ所のエリアを国家公園・生態保護区に指定していて、そのエリアは『国家公園法』によって保護されている。
 
②山岳エリアとしては「玉山国家公園」「雪覇国家公園」「太魯閣(タロコ)国家公園」の3カ所があり、各公園管理所が監督と入山者のコントロールを行っている。
 
③公園内の生態保護区を登山するためには個人であっても入園(入山)申請をして許可を得なければならない。
 
④公園内の登山ルートにはレベルによってA(1~3日のトレッキング)からE(積雪期の閉鎖ルート登攀)まで6段階の等級付けがされていて、ルートによって手続きの内容が変わる。
 
⑤レベルB以上のルートを申請する場合は、レベルAの登山経験があることを証明しなければならず、レベルC+以上のルートは隊員3人以上のチームでなければならない。
 
⑥申請には隊員の個人情報と身分証明書のコピー、外国籍の場合は台湾国内に居住する留守人(身元引受人)のIDと緊急連絡先、毎日の行動とキャンプ地が記された登山計画を提出する。
 
⑦申請はインターネットで行うことができる。各国家公園のウェブサイトには中国語と英語の申請フォームが用意されていて、日本人に人気の高い玉山国家公園と雪覇国家公園には日本語のフォームも用意されている。
画像:台湾国立公園 入園入山申請専門サイトTOPページ(一部日本語表示もある)
⑧単独行の場合はこれとは別に「単独登山申請承諾書」を提出し、遭難リスクを軽減するために衛星携帯、ハンディGPS、ザイル、ヘルメットなどを携行し、定期的に家族・留守人に安全報告を行う。
 
⑨山小屋を利用する場合は申請書と同時に各自でそのエリアの山小屋(宿泊料は無料)の予約をする。もし定員オーバーの場合は日程や山域を変更するか、キャンセル待ちになる。
 
⑩入園許可が下りて入園許可証が送られてきたら、それを現地に携行し、各登山口の近くの警察署に入山許可申請書を提出して「入山許可証」を取得する。
 
 め ん ど く せーーーー!

 こんなめんどくさいコト、できるわけない。
 やれるわけない。するわけない。このオレ様が。
 これこそがまず僕の目の前に立ちはだかった難関だった。
 
身元引受人モンダイ

 数あるメンドクサイモンダイの中でも一番困ったのが身元引受人モンダイだった。これがいないと申請すらできない。でも僕は台湾に行ったことがないし、現地に知り合いなんて誰もいない。

 仕方ないので手当たり次第に電話をかけた。家族、親戚、友だち、友だちの友だち、仕事仲間、出入り業者、地元の先輩、学校の後輩、元カノ、元カレ、ご近所さん。あのさー、台湾に行ったことある? ねえねえ、台湾に友だちいない? それはかなり強引で無謀で無茶な話だったが、ほかにどうしようもない。

「学生時代のサッカー部の後輩が台湾のナントカってとこに出向中らしいけど」
「うちの会社のバイト君のお母さんがたしか台湾出身じゃなかったっけなあ」

 どんな細いツテでも頼った。でもそれはどれも細すぎてなかなか台湾まで辿り着かなかった。もうダメかもしれない。高い山は諦めてそのへんの里山でも歩こうかな、そう思い始めた時だった。

「台北に仕事関係の知り合いがいるよ。頼んでみようか?」

 アウトドアブランド「TetonBros.」を主宰する友人の鈴木ノリが連絡をくれた。5月もすでに半ばを過ぎた頃だった。

「アウトドアには詳しくないけど、英語がしゃべれるからコミュニケーションに問題ないはずだよ」

 その人は台北市内で繊維関係の仕事をしているピーターさんという人物だった。ノリはさっそく英語の紹介メールを書いてくれ、ラッキーなことにピーターさんはその申し出を快諾してくれた。

「やったー!」

 僕は飛び上がって喜んだ。これでやっと第一歩が踏み出せる。

 でも申請には身元引受人のID番号や生年月日、自宅住所、電話番号などが必要だ。一度も会ったこともない外国人に、そんな大事な個人情報を渡してくれるだろうか? 僕はピーターさんにひとつひとつ丁寧にメールやLINEで説明し、慎重にコトを進めた。けっこう気疲れする作業だった。

 同時に登る山を検討し始めたが、日本には玉山と雪山以外の情報がほとんどない。そもそも台湾百名山がそれぞれどんなレベルの山なのか、まるで見当つかないのだ。(なお、後編では台湾百名山の登山レベル一覧表を掲載しておくのでこちらも参考にしてほしい)

 僕はインターネットで台湾の山に関する情報をかき集めた。リアルな生情報が得られるのはほとんどが個人ブログか山岳会の報告書で、当然ながらすべて中国語だ。

「位於油婆蘭山頂北緣凹谷,距最高點約350公尺,是雪劍稜脈上最重要的宿營基地,水源在營地往大劍山方向北走,走劍南尖山與大劍山之間的鞍部, 循指標西北陡降溪澗中取水」

 ハア~?
画像:2010年ニシ・ユタカさんという方がまとめたWEB上の「台湾百岳全路線図」もおおいに参考資料とさせてもらった

 パソコンのモニターから怒濤の如く吹き出してくる漢字の洪水に溺れながら、僕は悩みに悩み考えに考えた。そして最終的に「北二段縦走」に行くことにした。理由は台北から近い(といっても150km以上離れている)こと、ルートに4峰の百名山を含む高所ルートだということ、そしてグルッとまわる周回ルートが取れることだ。登山口と下山口が同じなら、行き帰りもらくだろう。それでも日程は最短で7泊8日(山中4泊5日)必要なことがわかった。けっこうな大縦走だ。

 ところがいざ申請してみたら、またもや問題が発覚した。

 周回ルート上にある鬼門關斷崖(おそろしい名前だ)というリッジラインが4月の大雨で崩落してしまい、現在立ち入り禁止になっているというのだ。とうぜん入山許可は下りない。

 仕方なく今度は北二段の北部を往復するルートに変更して申請しなおした。これは百名山・甘藷峰(3,158m)、甘藷南峰(3,157m)というふたつの3,000m峰に登るルート。スイートポテトマウンテンである。名前も悪くない。ところがこれも申請を却下された。

「なんでやねーーーん」

 いろいろ調べてみるとスイートポテトの1日の入山定数は24人で、すでに定員に達しているらしいのだ。

「なんでやねーーーん」

 こんなマイナールートなのに。雨季なのに。平日なのに……。いったい台湾の登山ブームはどういうことになっているのだろう?

 仕方なく日程をずらしたら、6月10日入山ならばまだ定員に余裕があった。選択の余地はない。なんとかこれで行くしかない。

 この登山日程にあわせて6月8日出発のエアチケットを取り、「Booking.com」にアクセスして台北の安ホテルを探し、現地のアウトドアショップにメールして地形図を予約した。

 忙しくて目が回りそうだった。

 ピーターさんはいい人だったが、山のことはまったくわからなかった。登山口までのアプローチはどうしたらいいのか、この時期の3,000m峰はどのくらい寒いのか、シュラフはモンベルの3番でいいのか、ザイルは必要なのか、飲料水は最大5リットルで足りるのか……。そういった山のことは現地に行ってみるしかなかった。

 そうして迎えた出発前夜。あれこれ悩んでパッキングしながら、入山申請を出していた太魯閣国家公園のサイトにアクセスし、申請状況を見てみると、そこには輝かんばかりの『入園許可証』が確かに表示されていた。毎日毎日サイトをのぞいていたが、もう正直ダメかと思っていた。

 よかった。
 これで山に登れるぞ!
 

初めての台北はビックリタウンだった

「ええっ~!CoCo壱番屋がある!」

 台北市内について驚いたのは日本企業の浸透ぶりだ。香港やベトナムで慣れていたつもりだったが、台湾はレベルが違う。台北駅を降りると巨大な三越デパートがあり、入り口には金のライオンが鎮座していた。街を歩けばファミマ、吉野屋、ドトール、モスバーガー、無印良品、ユニクロ、TSUTAYAなど見慣れた看板がずらりと並んでいる。

 僕は生まれて初めてアメリカに行ったときに「へえ~、こっちにもデニーズがあるんだ!」と驚いたもんだが(笑)、今回もそれと同じぐらいビックリした。

 そしてもうひとつビックリしたのはピーターさんが生粋の台湾人だったことだ。これまでのやりとりはすべて英語だし、Peterという英語名だったから勝手に外資系のビジネスマンだと思っていた。

「はじめまして。ワタシがピーターです」

 じっさいに会ってまたまたビックリ。

「ええ~!日本語しゃべれるの!」

「月に一度は東京に行きますから」

 ピーターさんに限らず台湾のビジネスマンには仕事で英語名を使う人が多かった。そして多くの人が日本語スクールに通い、流暢な日本語を話した。台北に来るまでそんなことまったく知らなかった。

 アウトドアショップの充実ぶりにもビックリした。

 台北駅のすぐそばにマニアックな専門店が何軒もあるし、世界中の一流ブランドが上陸していた。ショップの若いスタッフは『山と渓谷』や『BE-PAL』などの日本の雑誌を読んで最新情報を勉強していたし、なんと『WILDERNESS』のような超マニアックな雑誌まで置いてあった。

「ほら、これ俺だよ」

 たまたま置いてあった雑誌の表紙に僕が載っていたので指さすと若いスタッフは目を丸くしてビックリしていた。

 僕らは隣国同士だが、お互い驚くことばっかりなのだ。

山が混雑していた理由とは……

 これも現地に来て知ったことなのだが、この翌日の9日から12日まで、台湾は端午節(端午の節句。旧暦5月5日にあたる)で4日間連休になるという。もうすでに休みをとっている人も多いらしく、盛り場はどこも人でごった返していた。

「そうか!連休だから入山申請が多かったんだ!」

 僕は山が混んでいる謎がやっとわかった。同時に一抹の不安が頭をよぎる。電車やバスには乗れるんだろうか……?

 ピーターさんに付き合ってもらって台北駅へ行くと、あんのじょう中継地の宜蘭行きの列車はすべて満席だった。慌てて長距離バスのターミナルへ行き、宜蘭行きバスの空席状況を調べてもらう。こちらはギリギリ空席があったのですぐ予約をした。

「泊まるところは決まってますか?」
「いや、まだそこまで考えていないです」
「それはまずいですね」

 ホテルも軒並み満室だった。宜蘭市は観光地でもあり人気があるのだ。ピーターさんは宜蘭のホテルに片っ端から電話をかけ、なんとか部屋を確保してくれた。頼りになる里親だ。

 そして別れ際に「万が一の時のために」と国内用の携帯電話を1台貸してくれたのである。

「国内通話が使えるし、LINEやダイレクトメールのやりとりもWi-Fiルーター経由でするよりこっちのほうが速いから」と。

 僕はありがたい申し出に感謝し、携帯電話をジップロックに入れるとエマジェンシーキットと一緒にバックパックの奥にしまいこんだ。

 でもこの時にはまさかこの電話が本当に「ホットライン」になるとは想像もしていなかったのである……。
台北市内でキャンプ食の買い出し。台湾は美味いもんだらけで迷う。香港のトレイルでひどい目にあった「小黑蚊」対策のために専用の防虫スプレーも購入した


清泉橋のおかあさん

「あーあ、まいったなあ……」

 バスが走り去るのを見届けると、僕はトボトボと歩き始めた。「トボトボ」という言葉がこれほど似合う状況はない。せっかく早い時間のバスに乗れたのに、うっかり寝過ごして予定が大幅に狂ってしまった。

 昨日、9日の夕方に宜蘭市に着いた僕はホテルにチェックインするとすぐにバスターミナルへ行き、路線バスの時刻を調べた。山に向かうバスは1日に2本しかなく、朝7時発と午後1時発だった。登山口にあたる「清泉橋」までは4時間弱かかるらしい。なるべく早く入山したかった僕は、朝7時宜蘭発の「国光号」の切符を買った。

 そして今朝早起きしてバスに乗った僕は、座席に座るとそのまま爆睡してしまったのだ。ここまでの疲れが一気に出た感じだった。到着予定より早めの10時半に時計のアラームをセットしておいたが、バスはそれよりも早く着いてしまった。
寝過ごした僕は運転手さんに現在地を尋ねたが、運転手さんは地図なんか見たことないようで、まったく要領を得なかった。ひたすら「リャン!リャン!」を繰り返すばかりだ
「もし今日中に入山できなかったらどうなるんだろう?」

 歩きながらそんな不安が頭をよぎった。登山計画書の予定通りいかなくてもしかたないが、今回の縦走は日程的にそれほど余裕があるわけではない。かんじんの山の様子がよくわからないだけに、早め早めに進みたい。

 なにより僕には気になることがあった。それが「730林道」だ。清泉橋バス停から登山口までは、廃道になった林道をたどって行くのだが、その林道の状況がどうなっているのかでアプローチ時間が大幅に変わる。はたして舗装されているのか、ガレ道なのか、クルマが通るのか、通らないのか、ヒッチハイクができるのか、ひたすら歩くしかないのか……。かなり距離が長いだけに、僕にはそれが気がかりだった。

「いかん、いかん、いかん!」

 僕は頭を降ると心配事を振り払った。730林道については日本でもさんざん調べたし、ピーターさんにも調べてもらった。でも結局実情はわからなかったのだ。そらそうだ。こんな山の中のすでに廃道になった林道がどうなっているかなんて、地元の人かよほどの事情通でなければわかりっこない。それより今は清泉橋まで辿り着くのが先決だ。

 30分ほど歩くと道路脇に民家が見えてきた。こんな山の中にも人は住んでいるのだ。

「あ、そうか!」

 民家があるなら携帯電話も通じるはずだった。僕は空港で借りておいたWi-Fiルーターを取り出すと電源を入れ、iPhoneのグーグルマップを立ち上げた。ほどなく画面にクネクネの山道と現在位置を示す青いマークが示された。

「せ、い、せ、ん、ば、し」

 検索窓に「清泉橋」と打ち込むとあっという間にルートと距離が示された。こういうとき漢字が使えるのは本当にありがたい。
「困った時のGoogle先生」である。僕のハンディGPSでは詳細な地図は出てこないが、Googleマップなら細かい地名まで表示される。慌てふためく僕をよそに山間部の花はキレイだった

「なんだ!もうすぐじゃん!」

 現在地から清泉橋までは徒歩13分の表示が出ていた。運転手さんが言った「リャン」というのは「2km」だったのだ。助かった。これで時間的ロスは最小限ですむ。

 辿り着いた清泉橋は真っ赤な色のかわいらしい鉄橋だった。色鮮やかなペンキで塗られたトラスフレームが山の緑と鮮やかなコントラストを成している。記念に写真を撮っていたら、橋のたもとにいた子ども連れの若いお母さんが、パタパタとこちらに走ってきた。そして早口の英語でこういったのだ。

「あなた、これから入山するの?」

 お母さんはクライミングブランドの山シャツを着て、ローカットのトレッキングシューズを履いていた。キーホルダーにはカラビナのアクセサリー。どうやら山好きのようだ。

「はい。そうですが」
「北二段を?」
「はい」
「何天(何日)いるの?」
「五天四夜です」
「天気はこれから大荒れよ」
「……みたいですね」

 この人は黄恵芳さんといい、この近くの集落に住んでいる。自分もよく山登りをするのだが、北二段は険しい山域だから慣れない外国人が雨季にひとりで入るなんて心配だといった。

「鬼門關斷崖は何人も遭難者が出てる怖ろしい場所だし、稜線には水場もないのよ!」

 僕は中国語で書かれた登山計画書と地形図をみせ、自分がどこをどう歩くか黄さんに説明した。

「耳無川の合流地点と甘薯南峰でテント泊し、甘藷峰へは空荷でピストンするつもりです。鬼門關斷崖には近づかないから大丈夫」

 黄さんは過去に甘薯峰にも登ったこともあるそうで、山仲間に電話をかけ最近の登山道の状況や水場についていろいろ教えてくれた。

「柵欄(登山口)まではどうやって行くの?」
「歩くつもりなんだけど」
「ええっ!たっぷり半日以上かかるわよ!」

 ある程度予想はしていたが、地元の登山者はクルマを使ってここのアプローチを短縮するそうだ。林道はかなり荒れているがここから9km先までは乗用車でもなんとか行ける。クロカンタイプの四輪駆動車なら11.7km先の登山口まで入れるという。

 登山口は標高2,600mにある。ここ清泉橋は1,500mだから、アプローチだけで1,000m以上登らなければならない。いきなりの急登だった。
 
「今日中に登れるかなあ……」暗澹たる気持ちになった。

 その時だ。730林道にトラックが一台入ってきたのだ。黄さんが大声をあげながらかけより、そのトラックを止めた。

「請停止!請把此人在車上!」

 トラックは地元の林業関係者のもので、運転手のお兄さんはどうやら黄さんの顔見知りらしかった。手短に話をした黄さんは、僕のほうをふり返ると手招きをしてこういった。

「途中まで乗っけてってくれるって!」
「ありがとう!たすかります!」

 慌てて駆け寄り、バックパックを荷台に放り投げる。

「あなた、LINEはできる? 私のIDを教えておくから何かあったらいつでも連絡ちょうだいね!」

 バタバタとLINE交換をする。

「雨が強くなったら無理しないで降りるのよ!」
「ありがとう!」 

 黄さんは僕より20歳ぐらい年下だが、なんだかおかあさんみたいだった。僕には台湾に里親がまたひとり増えた。

「じゃあ、行ってきます!」
「再見!」
「再見!」

 こうして僕の大縦走が始まった。
 気持ちが高揚し、笑みがこぼれる。
 なんだかなにもかもが上手くいきそうな気持ちになっていた。

 そう。この時はまだ、自分の行く手にあんな“大冒険”が待っていようとは、想像だにしていなかったのである……。

 台湾バックパッキング後編へ続く。
 


 

 では、今回旅した台湾マップや立ち寄ったショップなど旅の役立ち情報を公開!


台湾Backpacking map

 台湾で実際に立ち寄ったフィールドやアウトドアショップ、スーパー、飲食店など、さまざまな旅の情報を落とし込んだオリジナルの地図をAkimamaスタッフが用意してくれた。スマホやタブレットにGoogleマップが入っていれば、自分がいまいる現地情報と合わせて台北や宜蘭で地図を使うこともできる。なお、右上の□マークからは拡大地図へ移ることもできる(これはPCの方が見やすい)

台北市内のアウトドアショップ街が楽しいぞ
 東京の神保町という街は多くのアウトドアショップが軒を連ねることで知られているが、台北駅の目と鼻の先にも同じように小売店やメーカーの直営店が建ち並ぶショップ街があった。これまで訪れた香港やベトナムなんかと比べても抜群の品揃え。日本のショップと遜色がなく、必要なものは何でも手に入る(注意:バイトの女の子はみんなかわいかったがお持ち帰りはできない)。アウトドア好きなら台湾観光でぜひ足を運んでみたいエリアだ。
台北駅のM7出口から地上に出て角を曲るとこの看板が目に付く。「拓荒者」なんて字面だけでもオトコだぜ!クライミングや登山など、本格的なギアを揃える「台北山水」は台湾に3店舗を構える。大型バックパックの取り扱いも豊富で、グレゴリーは人気のラインナップだそうだ。台湾オリジナルブランドやスキー用品の扱いもあった
台北山水と並ぶマニアックな品揃えが「登山友」だ。創設1959年という老舗店で、店内にはクライミングウォールがあり専門スタッフも常駐。2階には安くて実用的な台湾製の肌着や手が届きやすい日本の製品も多く、庶民派なラインナップだった

昭文社の「山と高原地図」そっくりな地図があり、百名山すべてを網羅する全20巻豪華セットも売られていた。また100座の山名が刻まれたアクセサリーがボードに刺さって売られていた。きっと全山登頂をめざす人はコツコツ集めているんだろうなぁ台湾と言えば小籠包
台湾到着の夜、ピーターさんが案内してくれたのが小籠包の老舗「高記」だ。上海で修業したというオーナーが台湾に店を開いたそうで、台北だけでも4店舗を構えるらしい。もちもちの皮に包まれた肉餡はかぶりつくとスープの嵐。エビシュウマイもうまかった

旅の相棒 Gregory バルトロ65

 歴代のトリコニとバルトロを愛用してきたが、バルトロの現行モデルは快心のできだ。これまでの2カ国の記事内で解説してきた背負いやすさやフレームの完成度のほか、ハーネスの動きも絶妙だ。左右のショルダーハーネスとヒップベルトが独立して動くようになっていて、歩行や登攀の動きに追従してハーネスが動くから、荷重が常にセンターに保たれる。このフレキシブルさとそれによって生まれるバランス感は他ブランドには真似のできないものだと思っている。

サイズ: S、M、L
容量: 61L(Sサイズ)、65L(Mサイズ)、69L(Lサイズ)
重量: 2,200g(Sサイズ)、2,300g(Mサイズ)、2,369g(Lサイズ)
カラー: ネイビーブルー、スパークレッド、シャドーブラック
価格:42,120円(税込み)

 

(文=ホーボージュン、写真=中尾由里子)


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