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【特別ガイドルポ】稜線に残された、ツンドラの大地へ―北海道・トムラウシ~旭岳縦走記。vol.02

(2018.07.25)

登山のTOP

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旭岳へと続く主稜線にあがると、圧倒的な広がりを見せる山なみが続く。

北海道の中央に位置する、国内最大の国立公園である大雪山国立公園。なかでもトムラウシ山と旭岳を結ぶ山なみは、「表大雪」と呼ばれる北海道を代表とする縦走路。そんな憧れの山を、4泊5日で歩いてみました。


【特別ガイドルポ】稜線に残された、ツンドラの大地へ――― 北海道・トムラウシ~旭岳縦走記。vol.01


 
 山旅の2日目は、朝もやのなか、トムラウシ山(2141.2m)へと続く岩場を登ることからはじまった。初日は、本州の山にはない風景に目を奪われるなか、興奮気味に沢沿いを登っていたため、山の全貌を摑むことができなかった。それが、北は旭岳へ、南は十勝連峰へと続く主稜線たるトムラウシの山頂へ立つことで、はじめて、自分がとんでもなく深い山のただなかにいることに気づかされた。稜線の東西は、うねる海原のように、幾重もの深い渓が刻まれている。その景色を目の当たりにすると、この山旅に備えてひいこら言いながら仕事を詰めこんだこと――― そんな日常が、ひどく遠いことのように思われた。

 山が呼吸をするように、白い霧が浮かんでは消える。手にしたアルミの水筒は、朝汲んだ沢水の冷たさを保っており、大粒の汗をかいていた。

 大きな岩がごろごろと続くなか、雪がたっぷりついた北沼へと下りてゆく。その途中、草笛のような高い音に足を止められた。思わず息を潜めて、あたりを見まわす。

 …………………………………………ふいっ! 

 たちまち同行の女性ふたりの顔が輝く。彼女たちは、国内では大雪山系や日高山系などにしか生息しない、エゾナキウサギとの出会いを楽しみにしていた。

 その場に留まり、わずかな異変をも察知しようと全身を耳にする。小さな鳥だろうか、ときおり同じような声がするのだが、そちらはわずかに喉を震わせている――― そんな微細な変化も手に取るように感知できた。足元の白い花に集まる小さな蜂の羽音が、ずいぶんと大きく聞こえる。そのうえをひと筋の風が流れゆく。

 静寂に包まれたかのような、稜線上の広がり。

 耳を澄ませていると、生き物の息吹はそこかしこにあった。

「いたっ!」

 荻野なずなさんが指さす岩の間の茶色い苔、よく見ると、それはまあるくもこもことした小さな獣だった。

 盛夏にこれほどの雪を残す山稜の冬は、どれほど厳しいものなのか。おむすびほどの小さな体にはそこを裸一貫で生き抜く生命力を秘めている。それに比べ、最新の装備を背負ったぼくがこの山で過ごせるのは、無雪期のせいぜい1週間ほど。荒れ狂う波のなか、震えながらカヤックを漕ぐすぐその横で、アザラシが魚をくわえ、嬉しそうに顔を出したのを思いだす。いつも思うことだけど、動物には、絶対にかなわない。

空はもちろん、稜線も広い。雲が流れゆく下を、どこまでも歩いてゆく。左下)万年雪に包まれる北沼とチングルマ。

 広い階段状の台地を下りてゆく。やがて現れた天沼では、ヘルメットとハーネスをつけたグループが、嬉しそうに握手を交わしていた。聞けば、クワウンナイ川を遡上し、ようやく稜線にたどり着いたところだという。ひときわ顔を輝かせたお母さんが言う。

「ここには日本一長いナメ滝があってね。そんな沢で2泊し、オショロコマを釣ったのよ」

 彼女は60代だろうか、体いっぱいに喜びを表し、ひまわりのように笑っている。

「何歳になっても楽しめるから、山登りはいいよね!」

 ヒサゴ沼への分岐が近づくと、広がりは奥行きを増していった。化雲岳から下りた先は広大な高層湿原。木道の左右にはとりどりの花が咲き乱れている。

 植物の名とその特性、周囲の生き物とのつながりを知ると、雑多な緑にしか見えなかった自然がより立体感を増してゆき、一歩一歩がおろそかにできなくなる。

「名前は分からないけれど、こうして写真に撮っておいて、帰ってから図鑑で調べるんです」

 松浦由香さんは嬉しそうに話しながら小さくしゃがみこみ、ひとつひとつの花にていねいにレンズを向けている。60ℓを越えるザックを背負ったまま……!

化雲岳から五色岳へと続く、広大な高層湿原。遠近感が掴めないような広がりのただなかにあると、日常がどこか遠くへ消え去ってゆく。花咲き乱れるなかを歩く幸せ。

 五色岳にさしかかると、登山道は背の高いハイマツに飲みこまれていった。ふいに風に獣の匂いが混じったような気がすると、にわかに体がこわばる。彼女たちもそれを感じたようで、静かにザックを下ろして、鈴を取り出している。

 アイヌの羆撃ちである姉崎 等さんによると、北海道のヒグマたちが嫌がるのは、空のペットボトルをつぶす音だという。著書である『クマにあったらどうするか』(ちくま文庫)を読み、空ペットボトルを忍ばせておいたものの、こんなときに限っておいそれとは出せないザックの奥底に……。痛切に後悔しながらも見栄を張り先頭を歩いていると、かさっとハイマツが鳴り、全身がこわばり金縛りに! 次の瞬間、「やあ!!」とばかりにシマリスが顔を出した。

 この日は忠別岳のキャンプ指定地で荷を下ろした。ウイスキーを飲んでいい心持ちでテントに入ったものの、深夜の尿意で目を覚ます。ふたたびテントに籠もると、今度はなにものかがテントをのまわりをうろつく濃厚な気配が……。

 酔えない酒を片手に、長い長い2日目の夜。

左)重くともやさしい、旅の友。沢のそばの快適なテントサイト。だけど、ただならぬ気配が濃厚で……。

【写真=岡野朋之 文=麻生弘毅 モデル=松浦由香、荻野なずな/好日山荘】


地図製作:オゾングラフィックス


■アクセス 今回利用したトムラウシ温泉の登山口・国民宿舎東大雪荘の起点となるJR新得駅へは、新千歳空港から列車で2時間ほど。新得駅から国民宿舎東大雪荘へは、夏は拓殖バスが1日2便運行している(所要時間1時間30分、運賃2000円)。タクシーならば1万6000円ほど。初日の登りを1時間30分ほど短くできる「トムラウシ短縮コース登山口」から入山する場合は、タクシーを予約しておこう。
拓殖バス www.takubus.com
新得ハイヤーTEL.0156-64-5155
新交通TEL.0156-69-5555
 大雪山旭岳ロープウェイにて下山した旭岳登山口から旭川までは、バスで1時間30分ほど。1,430円。JR旭川駅から新千歳空港までは列車で2時間ほど。
旭川電気軌道 www.asahikawa-denkikidou.jp
参考コースタイム
1日目 計7時間30分
国民宿舎東大雪荘(2時間)温泉コース分岐(1時間10分)カムイ天上(1時間20分)コマドリ沢出合(1時間)前トム平(2時間)南沼キャンプ指定地
2日目 計5時間25分
南沼キャンプ指定地(30分)トムラウシ山(1時間25分)天沼(1時間5分)化雲岳(1時間30分)五色岳(55分)忠別岳避難小屋
3日目 悪天のため停滞
4日目 計7時間40分
忠別岳避難小屋(1時間40分)忠別岳(2時間40分)高根ヶ原分岐(1時間20分)白雲岳避難小屋(1時間10分)白雲岳(50分)白雲岳避難小屋
5日目 計5時間55分
白雲岳避難小屋(1時間50分)北海岳(50分)間宮岳分岐(1時間40分)旭岳(1時間35分)大雪山旭岳ロープウェイ姿見駅
 


【特別ガイドルポ】稜線に残された、ツンドラの大地へ ――― 北海道・トムラウシ~旭岳縦走記。vol.01

 
 
ライター
麻生弘毅

1973年生まれ、フリーランスライター。カヤックやバックパッキングなどによる、長い旅が好き。著書に北極圏の泥酔紀行『マッケンジー彷徨』(枻出版社)がある。

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