- 山と雪
8,000m峰4座登頂の登山ガイド・岩田京子、南米アコンカグアに登る(ひとりで)── 準備編
2023.02.24 Fri
岩田京子 登山ガイド
登山ガイドの岩田京子さんが昨年末、南米の最高峰・アコンカグアへの登頂を果たしました。しかも、たったひとりで。8,000m峰の4座に登頂実績のある彼女も、7,000mに近い高峰への無酸素登頂は初めてのこと。装備、ルート、体力……さまざまな不安を抱えるなか、それでも「登頂する」ことを心に決めた彼女は、前へと進むのでした。日本国内での下準備から、現地エージェントへの連絡、エアチケットの確保から登山ルートの情報収集の方法、そして現地での実際の行動に至るまで、事細かに記された岩田京子版アコンカグアへの道。
やっぱり登ってみたいアコンカグア
セブンサミッツのひとつでもあるアコンカグア。富士山、キリマンジャロと登頂してきた人が標高順に選んで登りに行くことが多いのか、人気の山でもあるようだ。また、エベレストの遠征前に順応やトレーニングのために訪れる登山家も多い。私自身もいつかは登ってみたいと思うひとりであった。しかし、私にとっては苦手な要素が詰まりすぎていて、チャレンジしにくい山のひとつだったので、決断ができずに3~4年が経っていた。南米最高峰のアコンカグア。アルゼンチンにあるアンデス山脈の6960.8mの高峰。
要素としては、いままで登頂した8,000m峰とちがい「酸素吸入を使用しない高所登山」という点。そして7,000mに近い標高、ビエントブランコ(白い嵐)というアンデス地方特有の「風の影響」を受けるという点。それらの壁を気持ちのうえで越えられず、いつまでも登頂のイメージが湧かなかった。くよくよ悩んでいても解決はできない! まずは、行動を起こしてから少しずつ悩みを解決していこうと考え直し、心を決めたのが2022年10月。スタートするタイミングとしてはかなり遅く、出発の12月中旬までに間に合うのかという心配もあったが、「まずは行動!」という決意を思い出し、日々のガイドの仕事や長期の海外添乗の仕事の空いた時間に、リストアップした準備すべき内容をひとつずつ潰していく作業をこなしていった。
まずは、以下の懸念事項を考慮して日程を決定した。
・久しぶりの高所登山ということで高度順応がうまくいかない可能性
・ガイドレスおよびポーターレスで登ることにしたので、荷揚げの行程も考慮
・万が一天候が悪くなることも考慮して、2回の登頂チャンスを得たい
通常よりも長めの設定で、移動日を含めて25日間(21日間滞在+移動往復4日)を予定した。日程を決めたあとは、インターネットの格安チケットサイトで航空券の購入に取りかかる。燃料の高騰やコロナの影響などのためか不明だが、フライトチケットは例年よりも倍くらいの金額になっているようだった。しかも、日程の余裕がない状態での購入だったので、あまり選択の余地はなかった。はじめに見つけたチケットは約24万円。購入手続きに入った瞬間に、売れてしまったのか購入不可になってしまった。気をとりなおして、再度検索。最終的に予約できたチケットは約36万円。もう少し安いチケットもあったのだが、語学があまり堪能ではないため、荷物の紛失や陸路移動などのトラブルをできるだけ避けたかったので、すべての区間を同じ航空会社で通したかったという理由で、このチケットに決めた。安心を手に入れたと思えばこの金額でもよしとしよう。とりあえず現地には行けて、スタート地点には立てると思うと、心のそこから嬉しさが込み上げてきていた。
ここからは、現地に到着してから必要な内容を頭の中でシミュレーションをして準備をしていく。まずは、アルゼンチンに入国する際の注意事項などを調べた。ビザ(観光での90日間までの滞在の場合)やコロナに関してのPCR検査等も不要との事だったので、下準備は何も必要がないようだ。続いて、登山に向けての準備に取りかかる。山に入るまでの行程でストレスをなくしたかったので、先輩ガイドに相談し、安心できる現地のエージェントを紹介してもらった。そして、以下の内容を依頼。
・メンドーサのホテルの手配(入山前、下山後)
・パーミット(入山許可)の手配
・ムーラ(荷物を運搬してくれる動物)の登山口~バースキャンプまでの往復手配
・メンドーサ~登山口までの往復送迎
・ベースキャンプに行くまでのキャンプ地となるプエンテ・デル・インカ、
コンフルエンシア滞在手配(食事込)
・ベースキャンプでの滞在手配(食事込)
・緊急無線(トランシーバー)のレンタル
などなど
宿泊に関しての費用は滞在日数で計算されるため、下山してから現地精算となる。いちばん掛かった費用はパーミット代。シーズン毎で金額は異なるようだが今回は800ドルだった。もう少し早めに申請できていれば割引があるとの話だったが、私はギリギリに決めたので仕方がない。精算時の金額は事前に支払っていた前金も含めて、総額約2,200ドルだった。そのほか、保険、チップ、街での食事代などはもちろん別にかかる。また上部キャンプで必要な物はすべて自身で用意をする(有料で依頼をすれば、現地でも準備は可能)。
アコンカグア登山は、エージェントによる登山パッケージのようなシステムが確立されており、いくつかの会社がそのサービスをそれぞれに提供しているので、今回の私のように事前に依頼しておくほうが安心できる。現地に到着してから申し込むことも可能なようだが、やりとりや準備に時間もかかるので、スムーズさを求めるなら事前のやり取りをオススメする。さまざまなサービスを自身のセレクトによりどのようにでも組み合わせることができ、自分の力量に合わせての登山を楽しめるのもこの山の魅力だと感じた。ほとんどの内容は、自身でも手配して安く抑えることも可能だが、今回、私はガイドレス、ポーターレスでチャレンジしたいという目標があり、登山に集中したかったのででき得る限りの内容はサービスに甘えることにした。
これで現地での滞在及び登山に関しての手続きは完了し、骨組みができあがった。ここからは肉付けをしていく。
出発前までにやっておくべきこと
登山に関しての情報収集
紙の地図を事前に手に入れることができなかったので、YAMAPアプリでダウンロードした地図でルートを簡単に把握。そして実際に現地入りしたことある人に聞き取りをして、上部キャンプの設置数や順応および荷揚げの戦略、飲料水の確保の方法など登山中に注意するべき内容、そのほか生活面での様子なども細かくアドバイスしてもらった。これらの詳細をもとに、自分の体力や技術を鑑みて登頂イメージに当てはめていった。
高所滞在時の確認作業
ミウラベースキャンプにて低酸素トレーニング。私にとって、このトレーニングは順応という意味ではなく、高所に身を置いた際に出る身体の反応を観察するとともに、自身の対処法がどこまで有効かという事を確認する作業と考えている。順応してない状態でいきなり低酸素になるとこの位の数値まで下がります。低酸素状態の中でマシンの上で歩いたりして強度を上げてみたりします。
現地で必要なお金の準備
エージェントへの支払いやチップなどはすべてドル払い。そして現地通貨のペソへの両替もドルからの換金となるため、多めのドルが必要だった。また、現地でクレジットカードを使用する場合、手数料をけっこう取られるので費用を押さえたい場合は現金が好ましい。日本の銀行や換金所で事前に両替をしておくのが手っ取り早く楽なのだが、準備する金額が多く、できるだけ手数料やレートのロスを減らしたかったのでいろいろと調べていると、金券ショップなどでの換金がよさそうな感じだ。実際に行ってみると、場所によっては手数料もなくお得だった。ただし手数料はお得だが、毎日在庫が変動するので一度に必要な金額を手に入れることはできない場所もある。そのため何度も同じ店舗に通ったり、ほかの店舗にも在庫を確認しに行ったりしてドル札をかき集めるという時間と労力が必要だった。必要な金額を揃えるまで、毎日仕事などで訪れる場所の近くの金券ショップを回る日々が続いた。現地通貨のペソは、現地の空港や街中の両替所などで換金するのが通常のようだが、変動が激しく闇両替も存在するくらいだったので、到着時にエージェントに少額両替をしてもらった。
必要装備の準備
・ベースキャンプまでのトレッキング装備(日本での登山と同じ装備)
・サミット時の装備(シェル上下、防寒用のダウン上下、新品の靴下、高所靴、グローブ、アイゼン、ヘルメット、ピッケル、ストック、アタックザック、ヘッドライトなど)
・ベースキャンプおよび上部キャンプで必要なテント泊装備(テント、マット、シュラフ、バーナー、食材、行動食等)
保険の加入
海外遠征高所用の保険加入に関しては、遠征に行く際にいつもお願いしている保険会社にスケジュールを提出して依頼した。金額は約9万円弱。アコンカグアでは、パーミットを取得するときに必ず救助費用込みにしないと許可証を入手できないため、注意が必要。日本で加入した証書を持参し現地で提示した。
こんな感じでイメージ遠征を頭の中でしながら、想定し得る準備をすすめた。余裕があればスペイン語も少しくらいは覚えてから出発したかったのだが、そんな余裕は少しもなく……。パッキングは出発当日まで続いた。
日本を出発、まずはメンドーサまでの長旅に耐える
慌ただしく日々が過ぎていき、あっという間に出発当日を迎えた。悩みに悩んだパッキング作業に見切りをつけ、最終的には15Kgのダッフルバックがふたつ、手荷物用のザック7㎏となった。この荷物を自宅から成田空港まで電車移動で運ぶ。15Kgのダッフルバックがふたつに手荷物用のザック7㎏。今回の旅でいちばん大変だったかもしれない成田までの道。
今回の旅でいちばん大変だったのは、この自宅から最寄り駅までの道のりだったかもしれない。大きな荷物を身に纏い、徒歩移動での移動だったので、1歩1歩ズシリと重さが足裏にかかり、通常の倍の時間はかかった。電車に乗ってしまえば荷を下ろせたので、なんとか成田空港まで到着できた。そして、第2の関門となる航空会社のカウンターにてチェックイン。預け荷物の重量制限が32㎏と機内手荷物制限が7㎏で、かなりギリギリのラインでのパッキング。超過しないかヒヤヒヤだったが、なんとか無事。荷物の運搬、チェックインなど心配ごとがひとつずつクリアになっていく。日本からは2回の乗り換え。成田~ドーハ、ドーハ~サンパウロ、サンパウロ~メンドーサという長い長い旅の始まり。この乗り換えも悩みの種だった。ドーハでは20時間の空港待機があるため、映画を多めにダウンロードしておいたり、いままで読めていなかった本を持参していた。ただそれだけでは、さすがに飽きてしまうことも考えられたので、事前に情報収集をしていたところ、乗り継ぎ者用に3~4時間くらいの市内観光があるらしく、到着してから申し込むことにしていた。
空港到着後のカウンターにて「申込をしたい」と問い合わせをすると、ワールドカップでスタッフがいないので24日までツアーは中止だよとの回答。なんともあっさり断られた。ワールドカップの影響はこんな場所でもあるのか……と落胆したが、仕方がない。長時間フライトで浮腫んだ足を少しでも癒すため空港内をウロウロと散歩することにした。ドーハの空港内の様子。まるで植物園。これが空港内!? と思えるほどナチュラルな雰囲気を漂わせた空間が広がっていた。
空港内の一角には、植物園のような広く気持ちのいいエリアがあり、ベンチでのんびりしている人、芝生に寝そべっている人、はしゃぐ子どもたちなどさまざまに時間を過ごしていた。私もそこで、空港にいるとは思えない異空間を散歩しながら時間を過ごした。ウロウロしていると、クワイエットルームと言われる仮眠ルームのような場所を発見。最終的にはこの室内で落ち着く。読書をしたり、昼寝をしたり、イヤフォンで映画を見たりして時間を過ごす……が、それでもあり余る時間。20時間という時間は手ごわかった。
この仮眠室には本当にお世話になりました。それにしても、20時間は長かった。
そんなこんなで、やっと移動できる搭乗時間がやってきた。といっても、また14時間ほどのフライト。次の乗換地のサンパウロに到着し、3時間程の空港待機を経て乗り継ぎ、メンドーサへと向う。そんなこんなで2日間ほど掛かった長時間のフライトを終え、やっとアルゼンチンに到着した。
メンドーサの空港。アルゼンチンに到着!!
これで終わった~とひと安心していたのも束の間。ここからは、またまたハプニング。
英語がまったく通じない。よく考えればこの国の公用語はスペイン語なので無理もない。英語でなんとかなるだろうと甘く見ていた。入国審査では係りの人にいろいろと聞かれるも、まったくわからない。こちらが出せる情報を英語や日本語で必死で伝えるも係員は「???」という感じ。ホテル名を言ってみるもののそれも通じず。念のため携帯でスクリーンショットをしておいた画面を見せて、ホテル名と住所を提示してみたところ、正解だったようで係員は入力を始めた。そのあとも聞かれるのだが、私は「???」。英単語でクライミング、アコンカグアと言っても係員は「???」。お互いにどうしたらいいのかと苦笑い。なにを伝えるべきなのか、頭をフル回転させる。すると、何日滞在するのか? と言われているような感じがあったので、指で数字を示すと、やれやれといった感じでOKがでて、パスポートが返ってきた。いや~、なんとか切り抜けたぞ!
その後、預けていた荷物を受け取りにターンテーブルに移動。日本で別れた荷物を無事にピックアップできた。出口の方面に歩いて行き、エージェント経由で手配をお願いしていた送迎車の運転手を探す。遠くから名前を書いた紙を持った人が歩いてくるのが見え、無事に合流することできた。簡単に挨拶を交わしたあと、少し話をするも、やはり運転手もあまり英語ができないという。なるほど、この国はそういう場所なのかとここで改めて理解した。たしかに日本に来た人が英語で話をしてきたら「おいっ! 日本語で話して!」って思うよなぁ~と考え直し、自分の行為に反省をした。
アルゼンチンはやっぱり太陽の国です。暑い日差しを遮るように、街中は緑でいっぱい。
ドライバーとはなんとかコミュニケーションをとりながら、空港を出発。メンドーサのホテルまでは30分ほどのドライブだった。車窓からは、スモークシートを張っているにも関わらず、太陽が眩しく感じられ、水色と白のストライプの国旗に描かれた太陽の意味がよく分かった気がした。暑さをしのぐためなのか、樹木などの緑がとても多いというのがこのときのアルゼンチンでの第一印象。
そんな景色を見ていると、日本を出発したときから緊張していた心が緩みはじめ、ワクワク感に変わっていく自分を感じていた。19時だというのに親子連れが公園で楽しそうに遊んでいる光景が目についたが、日没は21時ごろなので時間の間隔が日本と少しちがうようだ。ホテルまでの移動時間の間だけでも登山の拠点地であるメンドーサの雰囲気を楽しんでいると、あっという間にホテルに到着。名前を言うと、ここでは英語が通じて無事にチェックインできた。部屋に入ってまずはベッドにダイブ。久しぶりに重力に逆らって横になれる~。長時間移動のため、身体を横にすることができなかったので、膝から下はパンパンに浮腫んでいた。靴を脱いで足を上げ、ノビを思い切りできることが本当に幸せだった。この日はシャワーを浴び、ベッドでゆっくりと身体を休ませる。
いよいよ、アコンカグアへの登頂が始まる。