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チョー・オユー、シシャパンマ、マナスル 3座連続アタック。「楽しいと思える山に多く登りたい」岩田京子さん

(2017.06.15)

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 「チョー・オユー」(8,201m/世界第6位)、「シシャパンマ」(8,027m/世界第14位)、「マナスル」(8,163m/世界第8位)。世界でも14座しかない8,000メートル級の3つの座に、2016年に連続登頂チャレンジをしたのが岩田京子さんだ。
 日本人としても初、ましてや女性ともなると世界でも初というこのチャレンジ。「私は登山家ではないですし、登山ガイドと名乗るのもまだまだおこがましい」という岩田さんに、この過酷なチャレンジを続ける理由を聞いた。

2016年9月9日に日本を出発し、約2ヶ月の遠征でチョー・オユー、シシャパンマ、マナスルを目指す。ラサで3日間滞在したのち、シガツェ、ティンリを経て9月17日にチョー・オユーのTBC(テンポラリーベースキャンプ)へ。数日、順応したのちデポキャンプ、ABC(アドバンスドベースキャンプ)、C1、C2、C3、山頂という行程を予定。雪がないため、軽トレッキングシューズで登り始める。写真のような装備で歩くのはC1より上となる。

 登山ガイドとして国内外の山々を巡る岩田さんが本格的に登山を始めたのは、今からわずか7年前、2010年のこと。当時はアウトドアメーカーに勤務し、キャンプイベントの企画運営を担当していたという。
「日本中のキャンプ場でイベントをしていましたね。年中、キャンプのことを考えていたので、休みの日は違うことをしたかったんですよ。仕事が終わったら、そのまま出張先のキャンプ場近くの登山口に移動して山に登るようになったんです」
 当時の愛車は、ビックスクーター、ホンダの「フォルツァ」。シート下のスペースに登山道具を詰め込んで、ツーリングマップを片手に、岩手県の早池峰山、山梨県の甲斐駒ケ岳など登った山が80を超えるようになった頃。

「海外の山も気になりだしたんですよね。日本って富士山が最高峰でしょう。富士山は何回か登ったことがあったから、もっと高い山ってどんな感じなんだろう、って思うようになって」
 出張あとの休日を利用しての登山が、韓国のハルラ山、マレーシアのキナバル山……と海外の山へと広がり、いつしか会社を退職し、登山ガイドの資格を取り職業になってしまった。
 山にどっぷりとはまり経験値をあげていくうち、どこまで登れるんだろう、と自分を試したい気持ちが高まる。そうすると、ある山の存在が気になり始めたという。
そう、エベレストだ。
「とはいっても、エベレストなんて自分にはまだまだ無理、と思っていました」

 しかし、エベレストに近づくチャンスは意外にもすぐにやってきた。
「とあるバックカントリーのツアーに参加させていただいたときに、たまたまガイドさんとリフトに乗り合わせたので、自分が計画していたネパール行きの話をしてみたんです。そうしたらそのガイドさんが、来月、行くけど一緒に行く? って言ったんですよ。え、エベレストってそんな軽い感じでいけるの? って感じですよね(笑)」

 このガイドというのが、日本山岳ガイド協会認定国際山岳ガイドであり、エベレスト冬季北壁最高地点到達などの記録を持つ近藤謙司さんだ。
「近藤さんたちが登山隊同行ツアーとして参加者を募っていたんです。いつかは、とぼんやりしていた夢が、急に行けるかもって現実的なこととして目の前にやってきた。金銭面や長期の時間を要する為悩みましたが、こんなチャンスはあまりないはず、と翌日、参加申し込みをしました」

 この2015年のエベレストベースキャンプでの滞在経験が、2016年のチョー・オユー、シシャパンマ、マナスル3座チャレンジへとつながったという。

写真はC1。切り立った稜線上の狭いスペースに多くの登山隊のテントがひしめき合う。風が強く吹く時もあり、この日はテントが1つ飛ばされて、下の方に転がっていた。

「登山を続けて気づいたのは、私が山に登るのは決して名前をあげたいとか、すごいことを達成したい、からではないんです。ただ、好きな山に長くいたい、その一心。多額のお金が必要とされる海外登山ですから、エベレストひとつだけに登るのではなく、たくさん登れるほうがいいなあ、というのが3座を選んだ理由です」

 2016年9月9日。岩田さんは仲間とともにネパール、チベットに向けて2ヶ月の遠征に出発した。最初のチャレンジは、チョー・オユー。北西稜のルートは14座のうちいちばん登頂率が高く登りやすい、とされているが、岩田さんにとっては初の8000メートル級。とにかく酸素の薄さに泣かされた、と話す。

「チョー・オユーの山頂へ行くためは、ベースキャンプ(5800メートル)、C1(6400メートル)、C2(7200メートル)、C3(約7700メートル)、そしてサミットというポイントを通過する必要があります。普通の登山と違って、いきなり頂上を目指すことはできないんですね。空気が薄いので体を慣らす必要がある。まずは、ベースキャンプで数日滞在して、そのあと、ベースキャンプとC1を何度か往復する練習をして。そして、頂上へアタックする日はC1に泊まって、そこからC2、C3を経てサミットを目指すのですが、もうC2を目指しているときからつらくて」

ベースキャンプには、長期間滞在し、ここで体調を整えたり、アタックの最中に凍傷にならないよう酸素マスク、帽子など顔に隙間なくつける練習などもおこなう。

これが酸素ボンベ。空気が思いっきり吸えるようになったと同時に、悩まされていた不調はどこへやら。「思わず、酸素さいこーー!」と叫ぶほど。

C1へ向かう道中、ナキウサギに合う。登山隊の食料を目当てにどこからともなくやってくるとか。

 チョー・オユーはほかの山と比べて、ベースキャンプの標高が高い。C2での睡眠時までは節約のため酸素ボンベを吸わないため、平地の1/3のしかない酸素量の状態で山道を歩かなければならない。思うように空気が吸えず、体は鉛のように重い。雪が積もったルートにはフィックスロープが張ってあり、そこに命綱をつけたユマール(登高器具)をひっかけ、時々付け替えながら進むそうだが、頭はもうろうとして手もおぼつかないという。

このルートを示すフィックスロープにユマール(登高器具)をつなぎ、ところどころで付け替えてすすむ。「頭がもうろうとしているから簡単なはずなのにできない。もう酔っぱらいみたいな感じですよ」 

ところどころにクレバスがパックリと口を開けている。

「ルートは難しいところってあまりないんですが、酸素の薄さで頭はまっしろ。つらくてつらくて、一歩進むのもやっと。遠くにC2のテント群が見えるんですが、あそこまでいかないといけないの、って嫌になる(笑)」

 実は岩田さんは、幼少時からぜんそくを患っていて、通学ですらままならず体育は常に見学、遠足ではバスで目的地に先回り。何度も大きな発作をおこし、20歳までは生きられないかもと、覚悟を決め「何をするにもおそるおそる」という小中時代を送っていた。

 高校に入る前に回復したものの、酸素を吸えない恐怖はパニックを引き起こす。高所登山は体力との勝負というよりも、かつてのトラウマとの戦いだったのだ。

苦しいからよく立ち止まる。鳥が羽ばたいた跡を見つけた。こんなところにまでいるのか、それとも飛べないからこんな風に跡がついたのか、そんなことをぼうっと考えながら、また次の一歩を踏み出す。

 C2で酸素ボンベを吸えるようになってからは、劇的に体力が回復し心はサミットへ。天候が悪く何日もアタックできない日が続いていたので、やっと上部の景色が見られる!と嬉しかった。
「遅れると、モンスーンの影響で風が強くなって、どんどん状況が悪くなっていくんです。チョー・オユー以外に2座登ることを考えると、やはり焦りは出てきていましたね」

ほぼ垂直のような道が続く。ほかの登山隊もいるため、とにかくゆっくりゆっくりと進む。「時間があるから写真をやたら撮るくらいしかない(笑)」。酸素や紫外線の影響により空の青さが通常より濃く見える。この濃紺の空の色を見るといつも心が躍る。

 いよいよサミットを目指す日。天候の合間を縫って穏やかな日中に行動し、C2までたどり着くことができた。
C3で宿泊をする予定だったが、天候が悪くなりそうだったため、急遽C2からサミットを狙うことになる。出発は深夜の12時。「夜中なのは、日中だと雪が解けて危険だから寒い時間帯に行動するんです。下山するにも日が長いほうがいいですし」
 待ちに待ったサミットだか、真っ暗で足下をヘッドランプが照らすのみ。どこを歩いているかも、どんな景色なのかもよくわからない闇をひたすら歩く。

 チョー・オユーの頂上は、わかりやすい山頂ではなく、広い雪原のほんの少し高い場所にある。目印は、カラフルなタルチョ。ガスっているので遠目にはわからず、すぐ近くにまで行ってやっとここが頂上なのかと知るのだ。

サミットへのアタックは深夜12時に出発。ヘッドランプだけを頼りに歩く。

夜が明けはじめ、ようやくどんな場所を歩いているかを理解する。頂上付近は広い雪原となっていて、ようやく安心して歩けるように。

雪原のようだが、ここがチョー・オユーの頂上。ほんの少しここが高くなっている。目印は、地面に固定してあるタルチョだ。

 ザックをおろし、仲間と喜び合い、一息つく。
登頂の達成感や喜びはこのときはまだない。下山するのも大仕事であるし、なんといってもガスに包まれ、自分がどこにいるのかもわからないのだから。
「さあ、おりよう、というときにほんの一瞬、ガスが晴れて雲のなかからエベレストとローツェが見えたんです」

 わずか1分にも満たない瞬間。少し時間がずれていたら、見られなかったこの景色。圧倒的な自然が見せる美しさに、逃れられない山の魅力を岩田さんはまた感じたという。

登頂を記念して遠征隊の仲間を記念撮影。下山の準備をしていたそのとき、ほんの数秒、姿を見せたエベレストにあまりの運のよさと圧倒的な美しさに言葉を失う。

 チョー・オユーは無事に登頂したが、シシャパンマは気管支の不調、マナスルはC1上部のルートの崩壊により、登頂はかなわなかった。克服したと思っていた気管支の持病によるリタイヤに、悔しくて顔のかたちがかわるほど泣いたというが、元来負けずぎらい。体調や金銭を理由にやりたいことをあきらめるのは絶対にいや、とクリアするために努力は欠かさない。

「3座連続登頂のチャレンジは叶いませんでしたが、やめる気はさらさらありません。今回は1座となりますが、今年の9月下旬に出発してマナスルへのチャレンジをする予定です」と、表情も晴れやかに語る岩田さん。半年後、笑顔の報告をお伝えできるようにakimamaも続報を掲載したい。

岩田さんがとらえた3座の風景をポストカードにして、販売もしている。興味がある方、岩田さんの支援をしたい!という方は

(取材・文 高橋紡)

(いわたきょうこ)
1976年神奈川県横浜市出身。
スポーツジム、キャンプ場でのインターンを経て、卒業後は広告代理店やスポーツ用品店での販売員、アウトドアメーカーでのキャンプイベント企画運営を担当する。キャンプやカヌー、スノーボード、スノーシューなど野外での遊びを提案してきたが、2010年に山に目覚める。百名山を巡るうちに海外の山にも興味を持ち始め、旅行の添乗員や日本山岳ガイド協会認定登山ガイド資格をとる。ネパール、韓国、台湾、トルコ、ロシア、アフリカ、オーストラリア、モンゴル、NZの登山やトレッキングを経験する。2016年よりガイドとして独立。日本スノーボード協会 スノーボードC級インストラクター・旅程管理主任者(総合)・一般社団法人Wilderness Advanced First Aid (WAFAアドバンスレベル)の資格も持つ。2016年より「GREGORY CREW」としてグレゴリーからバックパックのサポートを受けている。
雑誌『GARVY』の連載が好評中。ブログはこちら「アウトドアを楽しもう♪」


GREGORY/DEVA60(ディバ60)

価格39000円+税
重量:XS 2.12kg、S 2.14kg、M 2.24Kg
容量:XS 56L、S 60L、M 64L
カラー:チャコールグレー、エジプシャンブルー、ルビーレッド

海外遠征や登山ガイドなど、岩田さんが長期に及ぶ山行で頼りにしているザックが「DEVA60」。適応力に優れたレスポンスA3ウィメンズ・サスペンションを搭載したモデルで、厳しくテクニカルな地形でも動き続けられる。DEVAは背面3サイズに加えて、ショルダーサイズが3サイズ、ウエストベルト5サイズそろい、背面の長さだけでなくからだの各部のサイズに合わせて細やかなカスタマイズができる。完璧なフィット感で、長く背負い続けても疲れにくい、山の相棒だ。

 
 
ライター
高橋 紡

フリーランス編集者・ライター。食・住・自然・手仕事を主なテーマに、雑誌、書籍を手がける。アウトドアのいろはは、akimamaの運営母体である「キャンプよろず相談所」に所属したことで鍛えてもらいました。出版ユニットnoyamaの編集担当としても活動。本名の柳澤智子名義の著書『住まいと暮らしのサイズダウン』(マイナビ出版)が発売中。

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