• 山と雪

登山ガイド・岩田京子の7座目は、標高世界第7位。ダウラギリ8,167m──その1

2026.09.26 Sat

岩田京子 登山ガイド

 地球上にわずか14座しか存在しない高峰の多くが連なるヒマラヤ山脈。

 その神々の領域へ向かい自分の身体が極地でどこまで耐えられるのか、自分の精神力がどこまで頑張ってくれるのか、ということをたしかめに、毎年少しずつ登り続けてきた。慎重にひと山、ひと山に向き合い、気がつくと今年で10年という年月が過ぎていた。はじめて8,000m峰に登頂したのは2016年のチョ・オユー。それからマナスル、エベレスト、ローツェ、アンナプルナ、マカルーと登頂することができている。こんな感じでサラッと話をすると、とても順調に登れているように見えるのだろうが、悔しさだけを残し結果が残せていない山ももちろんある。
はじめての8,000m峰、チョ・オユー。山頂まで導いてくれた頼もしいガイドリーダー
 振り返ってみると、がむしゃらに「前だけを向いて山に向かいたい」という気持ちを維持し続け(自分に言い聞かせているだけ?)ながら、次の山に照準を当て日々を過ごして準備をしていく。そんな10年だった気がする。

 2025年夏に向かったブロードピークとK2のパキスタン遠征は、積雪量が少なく、大量落石の影響などの要因と日程が足りずという理由で不達となった。体調や気力は万全だったのだが、自然には逆らえず何もできない悔しさだけが残る結果となり、帰国後もずっと精神的なダメージが残っていた。次のチャンスを考えよう! と気持ちを切り替えようとしたのだが、翌年に同じ場所へ向かう気持ちにはさすがになれなかった。それでも8,000m峰への歩みを止めたくはなかったので、仕切り直しの意味も含めて、ほかにチャンスがありそうな山を探しはじめた。
2025年に向かったパキスタン・カラコルム山脈。山の状況が悪く不達となった世界第12位、8,051mのブロードピークは言葉を失うほどの荘厳さだった
 自分の仕事の都合上、春にしか大きな休みが取れそうにない。スケジュールが調整できる日程と山の登頂スケジュールを擦り合わせて、双方が一致したのがネパールにある“ダウラギリ”だった。この一致は偶然なのか必然なのかはわからないが「遠征を続けてもいいよ! 待っているよ!」と山の神様が受け入れてくれたのだと思い込むことにして、遠征の決断をした。いつもお世話になっているエージェントとやりとりをしながら、2025年11月末にはダウラギリにいくことを決断した。もちろん一般的なルート(北東稜ルート)。

 自身で入手した情報とエージェントから提示されたざっくりとしたスケジュールをもとに、現地入りの日を自分で決める。この日程の選択がまたむずかしい。ほかの隊の募集状況などを見て、フィックスロープが張られるであろう日程を想定し、ベースキャンプに滞在するであろう日数と順応行程に要する日程を仮定する。遠征費用を少しでも集めるため、ギリギリまで仕事の予定を立て、出発日を決める。1月中旬ごろにはフライトを予約してエージェントに入り日を伝え、遠征に関わる現地手配を開始してもらう。毎回、フライトを予約するこのタイミングでぼんやりしていた気持ちが8,000mへと向かい始める。もうあと戻りはできない……と。

 ダウラギリという山は世界で7番目に高い山で、標高は8,167m。サンスクリット語で「偉大なる白い山」という意味を持つ。隣接するアンナプルナ(8,091m)とダウラギリの間には、世界でもっとも深い峡谷といわれるカリガンダキ峡谷があり、底を流れるカリガンダキ川(標高約2,520m)から山頂までの比高差は5,000m以上に達する。

 むかしから強風や雪崩などの危険性や急峻な斜面などもあり、気象変化への対応なども求められる過酷な山ともいわれている。世界最深級ともいわれるこの独特な地形が、ダウラギリを代表する悪天候「非常に強い風」を引き起こす原因にもなっているようだ。そして登頂率も悪く、下山後に話をしたクライマーたちもみな、今年で3度目とか4度目の挑戦という人たちが多かった。今回の遠征はそんな高峰へのチャレンジとなる。マイナスなことを考えるとキリはないのだが、いままでの自分のやり方を信じてできることをしていくしかない。今回の遠征では、できるだけ気持ちが高揚しないように努め、平静を保つことで気持ちの浮き沈みのストレスを減らしたい。昨年のように気持ちを乱されず、淡々と粛々と自分にできることをひとつひとつ積み上げていこうと決めた。

 日々の生活に追われているうち、あっという間に出発の4月がやってきた。今回はトレーニングらしいトレーニングも行なえず、もうすぐ出発だというのに相変わらず直前まで仕事に明け暮れていた。そんな感じで前日まで準備もせず、いつもながらのドタバタ出発。といっても、飛行機に乗せられる荷物の制限は23kg+手荷物7kgまでなので逆に持ち物を厳選しなければならない。登山の際にどうしても必要な最低限の装備と少しの行動食、2〜3日分の着替えをダッフルバッグに詰め込む。おそらく足りないものもあるだろう。いつも心配でいろいろと持っていき、セレクトや荷物整理で時間が掛かっていたりすることもあったが、遠征の回数を重ねるたびに物事をシンプルに考えるようになってきていた。なので万が一、足りないものがあってもほかのもので代用したり、最悪それらがなくても大丈夫と思える精神力は備わってきた。そうすると旅もシンプルで楽になります!

 さて、いよいよ出発の日となりました。

 4月7日、今回はタイ航空での出発。羽田空港でチェックインを終え、空港内のおにぎり屋さんでびっくりするほどに高級なおにぎり(めちゃくちゃおいしかった!)と味噌汁の朝食をとり、出国。
緊張のチェックインを済ませていよいよ出国。元気に見せてはいるが、じつは不安でいっぱい
 フライトは混雑のため1時間ほど遅れての出発となった。バンコクで乗り継ぎ、深夜にネパールのカトマンズに到着。空港からはエージェントの準備してくれた車にて移動してホテルに直行、チェックイン。この日は1日中の移動となり疲れ果て、なにもせずにベッドへと吸い込まれていった。

 4月8日、昨晩の到着が遅かったのでのんびり起床、シャワーを浴びて朝食へ。直前までバタバタの日々が続いていたので、久しぶりにのんびりとした朝食を味わった。11時ごろホテルのロビーで、エージェントとミーティング。預けていたサミットスーツと事前に購入依頼をしていた高所ブーツを受け取る。そのあとはランチを食べようと、外のレストランに移動。そこでは今後のスケジュールや山の状況、わたしからの質問などのミーティング。内容はこんな感じだ。

①トレッキングの最終地点のイタリアンBC〜ダウラギリBCまでは急峻な山肌が両脇にある深い谷を通過するため雪崩や落石があり、歩くのは危険。ヘリでの移動に変更となる。
②ダウラギリBC〜Camp1までの区間は落石が多発していている地帯なので必ずヘルメットを装着するように!
③今年のダウラギリの入山者数(エントリー数)は30人くらいとのこと。
④最近、ネパール全体的に天気が悪くダウラギリBCでもずっと天気が悪い。数日前にはCamp1あたりで雪崩があったり、BCでも強風でテントが壊れたり、降雪も多いとの話。雪が落ち着くまで、ポカラにおりて体を休めている人もいるとのこと。
⑤わたしといっしょに登ってくれるガイドさんはすでに現地入りしていて、荷上げなどの準備をしてくれている。なのでイタリアンBCまではトレッキングガイドさんといっしょに行くように!

 このミーティングの情報で、やっと状況もなんとなくわかってきた。

 ただこの時点でもまだ、肝心なクライミングガイドさんに関する情報やベースキャンプでお世話になるエージェントの情報はなかった。わたしは英語が不得意なため、いつも日本語ができるガイドさんをリクエストしていて毎回事前にある程度の情報は教えてくれるのだが、今回の遠征では事前に情報をまったくもらえなかった。おそらく近い時期にエベレストやローツェの遠征があり、そちらにガイドさんが集中して、個人で依頼しているわたしについてくれるガイドさんを探すのがむずかしかったのだろう。結局、BCまでこの情報提示はなく蓋を開けてみると、わたしのガイドさんは英語とネパール語のみを話し、日本語はまったく通じず。コミュニケーションは片言の英語とネパール語、表情、身振り手振りということになった。エージェントはおそらく言い出しにくかったのだろう。

 話をもとに戻す。

 ランチミーティングを終え、ホテルに帰り午後は荷物整理などをしながら、のんびりタイム。散歩に出かけようとも考えたが、ここ数日カトマンズは天候が不安定で午後になると雨と雷という日々が続いていた。この日も午後3時ごろには空が真っ暗になり雨と雷に見舞われ、ホテルも停電。室内の電気はもちろんエレベーターもストップ。こりゃダメだ。と、1時間ほどふて寝をする。

 天候も落ち着いた夕方ごろ、街をウロウロしに行こうとロビーにおりると、日本語が耳に飛び込んできた。見るとエベレストに登る日本人チームが到着していた。同行するトレッキングチームもいっしょのようでロビーが人と荷物でごった返している。忙しそうだったので取り急ぎ数人に挨拶だけ済ませて、ひとり街へ散歩に出かけた。1時間ほどフラフラしたあと、ホテルに戻る。夕食はどうしようかなぁと考えていたところ、先ほどロビーで挨拶した日本人チームの夕食に混ぜてもらえることになった。なんでも宿のレストランでダルバートだそう! ネパールの国民食のダルバートはわたしの好物でもある。ひとり寂しくと思っていた夕食だったが、ごいっしょさせていただき楽しい夕食となった。
ホテルでダルバートの夕食。じつはこの食事がいちばん落ち着く大好きな食べもの
 夕食後は、ネパール遠征仲間がカトマンズ入りしているという噂を聞きつけ、タメル地区にあるBARで落ち合う約束をしていた。彼らは自分たちで行く山を選定し、いままで登られたことのない未踏峰へ向かうとのこと。すばらしく勇敢な彼らからもパワーをもらい、いろいろと情報交換もさせてもらった。そして、お互いに無事に下山してまた笑顔で会いましょう! と健闘を称え合いよき時間を過ごした。
遠征仲間との時間。山に行くという同じ目的を持つ仲間との時間を過ごすことで緊張が少し和らいだ
 4月9日、朝から気持ちのいい天気だ。朝の陽の光を浴びるのは久しぶり! というほどの快晴だったので、ホテルのテラス席で朝食をとる。午前中の予定は、シェルパ族のなかでも位の高いラマさんにプジャ(安全祈願)をしてもらう。8,000mの高峰に向かう際には、自分の力ではどうにもならないできごとに対して守ってもらうため、神様の力を借りて守っていただくために、必ず祈願をお願いしている。

 細かい内容はわからないが、言われるままに儀式を受け、ありがたいお守りもいただきプジャを終える。そのあと、世界遺産のボーダナートにて世界最大のストゥーパ(仏塔)を時計回りに回り、自身でも安全祈願。登頂して無事に下山するという目的のため、念には念を入れできる限り、ものごとに縋る。
(上)チベット仏教の災厄を払ってくれるお守り(護符)。(下)世界文化遺産にも登録されている、世界最大級のストゥーパがあるボーダナート。仏塔の周りを時計回りに歩くことがルールとされている
 いったんホテルへ戻り、ホテル近くにあるLotusという日本食レストランへランチに出かけた。そこではキャラバン中のみお世話になるトレッキングガイドさんとの顔合わせ。食事をしながら翌日の出発の時間や歩く行程などの確認をする。ランチを終え、ホテルに戻りロビーで待っていてくれたエージェントの社長から緊急用の衛星電話やそのほか必要となるものを受け取り、最終確認。これでいよいよ出発するのみとなった。

 ワクワクする反面、いままではひとりの日本語のできるガイドさんがずっといっしょで、いろいろとしてくれていたのだが今回はちがう。いままでの遠征ではガイドさんに甘えすぎていたなぁ。と思うと同時に、今回はひとりで乗り越えられるだろうか……と不安が頭をよぎる。弱音を吐きたくないので言葉には出さないが、このときは不安に飲み込まれそうだった。だが、自分で選んだこと「なにがあっても悔いの残らないように行動するしかない」と自分に言い聞かせる。最終確認しながらパッキングを済ませ、静かな部屋のなかでひとり気持ちを落ち着かせた。

 山に向かう前のカトマンズでの最後の夕食は、食事に同席してくれる現地スタッフに「なにが食べたい?」と聞かれ迷ったのだが、はじめてネパールに来たときに、こんな店もあるのか! と感動したイタリアン料理の店をセレクトした。さまざまな気持ちがザワザワと自分の周りを蠢いているなか、落ち着きを取り戻すために初心の気持ちになれる場所に行きたかったのかもしれない。店内に入り、ホールを見渡す。そこは当時とまったく変わっていなかった。もしかしたら変わっていたのかもしてないが、変わっていないと思えた自分がいて、気持ちはあのときと同じく新鮮なままだ! と自分の気持ちにホッとした。席につき、これから数日間は味わうことのできない本格的なピザやパスタ、ドルチェをたっぷりと堪能。そして、ホテルに戻り、これまたしばらくおあずけの“あたたかいお湯が出るシャワー”を浴びて眠りについた。

 4月10日。朝食を食べたのち、トレッキングガイドのアントレさんと合流。ホテルを出発。タクシーにて国内線空港へと向う。ネパールに到着した日からずっと不安定だった天候は落ち着きはじめ、カトマンズは朝から晴れていた。いつもは世界一危険な空港ともいわれるルクラへの山岳フライトで、天候により大幅にフライトが遅延したり、フライト自体ができずにキャンセルとなることもあるので、1日中空港に缶詰ということもふつうにある。それに比べると今回はまったく別のエリアにある山に向かう。ポカラという街へのフライトだ。ポカラへは穏やかな航路で降り立つ空港も大きな平地にあるため、大きな飛行機でのフライトとなる。フライトも遅れる心配があまりないので安心。天候にもあまり左右されず飛ぶことが多いのと万が一飛ばなくても時間をかければ車での移動も可能なので、ストレスは少ない。
カトマンズの国内線空港より、ネパール第2の都市といわれるポカラへのフライト。陸路だと8〜10時間かかるが、飛行機だと30分程度!
 国内線空港に到着すると、やはりルクラ方面にはガスがかかっており、朝からフライトが遅延しているとのこと。待機しているトレッカーたちでごった返していた。いっぽうで私が搭乗する便はほぼ時間通りに飛んでくれた。約25分という短いフライトだったが機内からは雪煙たなびくアンナプルナ山群やマチャプチャレが望めた。無事にポカラ空港に到着し、荷物をピックアップして待機していた車に乗り込んだ。途中の街角で今回お世話になるポーターさんと合流し、運転手さんを含めて4人で移動を開始!
2023年に新しくオープンした新ポカラ空港から見えた山塊。右:フィッシュテール(魚の尻尾)とも呼ばれるうつくしい山容のマチャプチャレ6,993m。左:豊穣の女神の意味を持つアンナプルナ山脈。主峰は8,091m、世界第10位の高峰
 今日は1日、車で移動の予定だ。3時間ほど走り、ベニという村で昼食。ここは観光地ではないので、地元の人が食べに来る薄暗い食堂でネパールの国民食であるダルバートをいただく。食事をしたあと、ふたたび車での移動。1時間ほどでダルバンという大きめの村に着いた。ここからは道が悪くなるので4WDのジープに乗り換えることになる。だが、予定していたジープが見つからない。遠征の大きな荷物を抱えながら1時間ほど探し回る。予約をしても乗れず、怒ることもせず、だけどなぜか、なんとかなるというのが、いかにもネパールらしい。なんとか別のジープを探し出発することができた。
ひとつ15kg以上もある大きな重い荷物を抱えながらジープを探す
 次の目的地バガールまで距離的には短いのだが、道という名前をつけてもいいのか?? というくらいで、まともに座っていられないほどのガタガタ道。ガタガタしているだけならまだマシで、崩れやすい土の斜面をジープ1台がギリギリ通れるくらいの幅を進む。下に見える濁流まではかなりの高度感。そんな道は地元の人が手直ししている真っ最中だったりして「ここを通って大丈夫なの?」という道。はじめは怖くてなにかに必死でつかまり、ドライバーのテクニックと運を信じて転げ落ちないことを祈りながら車窓をのぞいていたが、だんだんと「もう笑うしかないなぁ」と開き直る。途中、水力発電の工事をしている現場を横目に進んでいく。ほどなくして緊張の道が終わり、村の安定した道に入り、ホテルを出発して約9時間以上におよぶ初日の大移動がやっと終わった。
崩れる危険と隣り合わせのスリリングなジープ移動。ベニからはカリ・ガンダギ川をはなれ、ミャクディ川をバガールまで北上していく


〈登山ガイド・岩田京子の7座目は、標高世界第7位。ダウラギリ8,167m──その2〉につづく

岩田京子 登山ガイド

日本山岳ガイド協会認定登山ガイド。アウトドア業界でのイベントの企画運営の仕事の経験を生かし、現在はガイド業をするかたわら、海外添乗員も兼務。プライベートでは、ヒマラヤの山々にチャレンジしている(チョーオユー、マナスル登頂)。2019年5月、エベレストーローツェへの連続登頂に挑戦。見事、成功を収めている。2026年、ダウラギリへの登頂も果たし、8,000m峰は7座目に。
WEBサイト:山plus

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