- 山と雪
登山ガイド・岩田京子の7座目は、標高世界第7位。ダウラギリ8,167m──その3
2026.10.05 Mon
岩田京子 登山ガイド
4月15日。予定通り早めに起床。チャパティという素朴な味わいの薄焼きパンの朝食を食べながらヘリコプターを待つ。しばらくすると谷間から音が聞こえてきた。やっと移動できる! 気持ちが浮き立つ。ヘリコプターの姿を確認するため外に飛び出た。7時ごろヘリコプターが イタリアンBCに着陸。なかから3人のクライマーが降りてきた。ここからダウラギリBCまでは標高や酸素の関係上パイロット+2名しか搭乗できないことになっている。そのため、不要な荷物を下ろしたあと、パイロットと2名は先にダウラギリBCに向かい、もうひとりとわたしは戻ってきたヘリコプターで移動することになる。先に飛ぶヘリコプターを見送り、キッチンに戻り待機する。少しするとまたヘリコプターの音が聞こえる。「なんだ!? こんなに早く戻ってくるはずはない」と様子を伺うために外へ出る。やはり上部へ向かったヘリコプターが谷間から戻ってきている。着陸したパイロットが慌てて機体から降りてきた。事情を聞くと谷をフライトしている最中に右壁から大きな雪崩が起こり、ぶつかりそうになった。危険なので、少し落ち着くまで待機するとのこと。同乗していたクライマーが雪崩の様子を撮影したとのことで、その動画を見せてもらった。間一髪! といった感じの映像だった。怖かっただろう。先ほど、慌てて降りてきたパイロットの様子にもうなずけた。30分ほど待機をして「そろそろ行ってみよう!」とパイロットが動いた。祈る思いでふたたび見送った。しばらくしてヘリコプターの戻ってくる音がした。今度は無事にダウラギリBCまで到着したのだろう。わたしたちを迎えに戻ってきたヘリコプターに乗り込み、今度は自分がダウラギリBCへと向かう。
イタリアンBCよりヘリコプターに乗り込み、ダウラギリBCへ向かいます!
トレッキングガイドさんとはここでお別れ。いよいよここから自分との戦いとなる。飛び立ったあとすぐに狭い渓谷に入った。両脇には威圧感のある岩壁が聳り立っている。その場所を過ぎ去ると、急に拓けた場所に出る。氷河の氷紋も見えてきた。その白いキャンバスの上には小さな点がポツポツと見える。これはテントなのか? 広大な雪原に対してのテントの少なさに、物体なのか、氷紋なのかの区別がつかず、見落としてしまいそうなほどの小規模なテント村。いままで見たBCでもいちばん小さい。
ヘリコプターより撮影した氷河上に設営されたダウラギリBC
周囲にアイスフォールがあるという点と、そもそも山頂をめざす人が少ない、という点もあり、1箇所にギュッと詰まったBCだった。今年ダウラギリをめざすパーミットを取得している人はおよそ30名(男性18名、女性12名、ガイドは含まず)。チームとしては4チーム。最高人数を今季記録したエベレストの492名、47チームと比べるとなんとも小さな人数。イタリアンBCからわずか10分ほどのフライトで、標高約4,650mのダウラギリBCに到着。
機体から降りるとすぐさま、今回お世話になるPIONEERという会社のスタッフが駆け寄ってきてくれた。荷物はスタッフに任せて、自分はテントに向かう。急に降り立った4,650mの空気感に目と頭と心臓がついていかない。BCの全景写真を撮りながら、身体を落ち着かせる。BCには何隊かのグループがあり、それぞれにエリアが分かれている。荷物を抱えたスタッフが、隊のダイニングまで案内してくれるのだが、いつも通りに歩けない。身体は重く胸を圧迫されているかのような息苦しさ、鉢巻をきつく巻かれているかのように頭も締め付けられ、目の焦点がうまく合わない。これがわたしの高山病の初期症状。たった10分で標高1,000mを上がってきたのだから当然だった。深呼吸をしながらゆっくりと歩く。「大丈夫、焦らない」と呪文のように自分に言い聞かせる。ダイニングにつき、椅子に座るように促され、紅茶をいただく。いろいろと説明してくれてはいるのだが、耳鳴りもしていてうまく聞き取れない。早くこの標高になれなくてはと自発呼吸を多めにしながら、水分をとる。
ほかのクライマーたちとシェアしている、ダウラギリBCのダイニングの内部。テーブルにはいつでも飲み食べできるものが準備されている。高度順応にはとても重要な場所
少し落ち着いてきた、と思ったころ、朝食が運ばれてきた。トレッキング中とはちがい、かなり豪華だ。この食事を前にすると「BCに来たんだ」「ここからが本番」という実感が湧く。この食事量を食べないといられない場所にとうとう来たんだ、と緊張した気持ちが湧いてくる。そんな朝食を食べはじめるとガイドさんがひとりやって来た。名前はDendu Sherpaさん、30歳。わたしのガイドさんとのことで、顔を出してくれた。話をしていると、昨年国際ガイドの資格を取ったばかりという頼もしいガイドさんだった。そして、日本語は一切分かりません、とのこと……。「そうか〜、やっぱり」。まぁここまでは許容範囲。言葉はうまく話せなくてもなんとかなる自信はあった。しかしこのあと、はじめて知らされた衝撃の事実。
「出発は今夜25時です。山頂をめざします」とガイドさん。「ん? いまなんて言った?」とわたし。英語だったので、わたしの理解不足かと思って聞き直したが、やはり間ちがいではなかった。「みんなは? 順応は? 大丈夫なの?」と不安な言葉を投げかける。「あなたは強いと聞いている」の1点ばり。もう決定事項だから変更はできないよと言わんばかりの強気の雰囲気。行くか、行かないはまず置いておいて、とにかく現在の状況や詳細を教えてくださいと伝える。すると、こうだった。
①今シーズンのダウラギリは30名ほど(4月30日の時点では4チーム30名/男性18人、女性12人のクライマーがエントリーしているが、そのうちの大きなグループはすでに順応が済んでいて登頂のクールに入っており、いま現在、Camp1に上がっている。
②18日以降は天気が崩れて、そのあとはしばらく悪い予報が続くので、チャンスはいまなんだ。わたしが来る前にものすごい強風や雪崩があり、BCやC1のテントは壊れたり飛ばされたりしてしまった、とのこと。このときの動画も見せてくれた。ダウラギリは天候にすごく左右されるので雪がたくさん降ると、そのあと落ち着くまで登れなくなることもある。だから、次にいつチャンスがくるかはわからない。
③登頂をめざすならば、グループといっしょのほうがなにかあったときに安心だから、いっしょの行動がいいと思う。
わたしはBCに上がってから2〜3日のんびりして、順応行程に入り、天気を見て登頂をめざす、というイメージで上がってきたのだが、大きく崩れた。聞き間ちがいであってほしいという願いを込めて、もう一度「出発は今晩なの?」と質問してみた。「YES」とひと言返事が返ってくる。いやいやいや……。なにを言ってるんだ? としばらくフリーズしてしまった。いまBCに来たばかりなのに、1泊もしないで山頂へ向かうの? なぜ? 順応は?……聞きたいことはたくさんあるのに聞き出せない。ほかにクライマーの気配がないのはそういうことだったのか、と納得。このとき、わたしには決定権はなかった。「朝食が終わったら、装備チェックするからね。そのあとはラマさんがきてプジャ(安全祈願)をします。そして夕食まで仮眠してね。食事を終えて少し寝て、24時には起きて25時には出発するから! そしてそのまま降りてこないでsummitするよ!」とサラッと、スケジュールを告げられた。
悠長なことを言っていられない状況にどんどん追い込まれていく。とにかくやるべきことをこなしていかないと準備が間に合わず、身体を休める時間も少なくなる。と、朝食もそこそこに終わらせ自分のテントへと向かう。まずは時間のかかるであろうモバイルバッテリーの充電をする。そのあと、いままで電波がなく報告ができなかった各所への連絡、まとめてSNSへアップするほうが時間の節約になると考えてBCの撮影をして記録写真をアップ。続いて、上部キャンプへ持っていく装備などの準備に取り掛かる。焦れば焦るほど呼吸が荒くなり苦しくなる。準備をしながらも冷静さを取り戻す努力をする。心を平穏に保てないとよくないほうに引っ張られる。まだこの標高に慣れていないのに、こんなに慌てて行動してはダメになる、と我に返り、テント内で少しボ〜とする。その際にも頭のなかで上部キャンプへ向かうイメトレをする。今日15日の深夜(日付としては16日)に出発してCamp1、17日Camp2、18日にCamp3、Summitが19日だろうという予測をして準備に入る(しかしこの想定は間ちがいで、1日ずれていることにこのときは気がついていない)。やるべきことがありすぎて、整理がつかないし、頭がついていかない。自分の意思とは別に胸の鼓動は大きくなっていく。順応も間に合っていないし、突然のできごとに焦っていて呼吸もうまくできていない。頭もフラフラしていて、息切れもする。それでも止まっている余裕はなかったので。優先順位を考えて動き続けた。
このプラベートテント内で出発の準備。2〜3人用のテントに分厚いマットレスが敷かれ、大きなダッフルバッグや荷物を広げられるスペースがあるので快適
10時ごろからプジャ開始。プジャをしているあいだも座っていても深呼吸していないとクラクラする。少しでも怠ると指が痺れてきて眩暈が襲ってくる。こんなことで、上部キャンプへ向かうことができるのかと迷いが出てくるのだが、迷っている時間すらない! プジャはとても長い時間行なわれる。
プジャ。ラマ教の僧侶がやってきて「これから山に入らせていただきます」と敬意を払い安全と無事帰還の祈願をします
お祈りしてもらっている間も時間を無駄にしないよう、頭のなかでシミュレーションをしていた。上部Campを経て、登頂。そして無事にベースキャンプに戻ってくるまでのイメージを固める。イメージというほどの大げさな内容ではなく、自分で考える自由な妄想といった感じ。このイメージ通りに行動ができれば自分はがんばれるはず! と自分を鼓舞する。ひとりで遠征に参加すると、ガイドさんがいてくれるとはいえ基本的にはひとり行動に近い。さまざまな判断をするのは自分となる。ヒントも事例もない。自分の感覚だけを信じて行動するしか方法はない。それゆえ、自分の気持ちと体力を自分自身がどこまで信じることができるのかが鍵となる。プジャを終え、テントで最終パッキングをして、仮眠に入る。
頭のなかでさまざまな事柄がめぐっていて、目を瞑っても音楽を聴いていても落ち着かない、眠れない。悶々とした時間が過ぎていく。ときの間が開くと、マイナスな気持ちが襲ってくる。わたしの身体は耐え切れるのか? いままで順応は飛ばしたことはあったが、BC以下での順化やBCでの宿泊があったので、少し落ち着いて高所に対応することができていたが、今回はBC以下の順化が3,660mという富士山以下の標高だけ。「できない」「待って」という言葉を発するのは簡単なこと。だけどこの標高ではその言葉を発することで物事が大きく変わることになることも少なくない。チャンスがあって、少しがんばったらそのチャンスが掴めそうならば、そのチャンスに自分を合わせていくしかない。万全な状況を待つということはできない場所。なにかを信じて、そのなにかにしがみつくしかない。「きっとできる。がんばれるはず!」とテントのなかでひとり、根拠のない自信を奮い立たせていた。
18時ごろ、キッチンから夕食の声がかかる。ダイニングには、私とヘリでいっしょに上がってきたインドの人のみ。広いダイニングなのに寂しい夕食だったが、コックさんは夕食に巻き寿司と天ぷらという日本食をつくってくれ、なんとなくホッとすることができた。
コックさんの夕食。気を使って巻き寿司や天ぷらなどの日本食をつくってくれた
食欲もまずまず。なんとかこの標高には慣れてきたのかもしれない。食事を終えて19時30分ころには就寝。テントに戻る前、キッチンスタッフから「出発前には何が食べたい?」と聞かれる。わたしはいつも食べている「インスタントラーメンの卵のせ!」と注文した。テントに戻り、仮眠をとる。夜中の12時ごろ起床。身支度をしてダイニングで注文していた軽食を食べ、深夜1時30分すぎにCamp1へ向けて出発。
ヘッドライトの灯りを点け、気を引き締め、いざ出発
4月16日、25時30分。出発前のいつものインスタントラーメンを食べて、道中食べるお弁当を受け取り。ダイニングテントを出る。プジャ台に向かって祈りを捧げて手を合わせる。時計回りにまわって出発。暗闇のなかをひたすら歩く。エージェントとガイドの指示通り、はじめの2時間ほどは落石の危険があるためヘルメットを装着して歩き始める。真っ暗なのと呼吸を整えるのに精一杯で、どこをどう歩いているのかは、わたしにはさっぱりはわからなかった。なのでBCからCamp1まで歩いた記憶はほとんどない。明るくなりはじめ、雪原を歩いているという事実だけは覚えているのだが、それ以外のことはあまり思い出せない。むずかしい場所や危険箇所もなかったように思う。
途中で話してくれた1箇所だけ記憶がある。はじめに設置したC1のテントが雪崩により数日前に埋もれてしまった隊があったようだ。人的被害はなかったようだが、テントや装備などは埋もれてしまい取り出すのも危険なので放置されているのだそう。
雪崩によって埋もれてしまったニムスダイのテントにあったスキー板
7時間ほど歩いて、到着した標高約5,700mのCamp1。ざっくり1,000mアップを登った。到着した際に、昨晩、Camp1に宿泊していたクライマーが上部のCamp2に上がっていく。わたしは呑気に「がんばってね〜」と手を振る。「今日はここで終わり、よくがんばった!」と思っていたのはわたしだけだった。休憩しているうちに呼吸も落ち着いてきて、身体に酸素が十分めぐってきているのがわかる。調子よくなってきたように感じる。ここで1泊休めたら、Camp2へも順調に行ける気がする! と確信を持てた……のだが。どうも様子がおかしいことに気がついた。いつもは早く身体を休められるようにテント内で休む体制を整えるのに、今回は一向にテント内に入ろうとしない。ガイドさんに問う。「今日はここに泊まるんだよね?」すると「いや、Camp2に上がるよ! 近いから大丈夫」と涼しい顔で言ってくる。なんということだ! 到着して1時間後、Camp2に向けてふたたびと歩き始めることに。「どのくらいで着くの」とわたし。「3時間くらいかな」とガイドさん。ここでやっと日数の間ちがいに気がついた。深夜出発だからややこしかったのか、日程がなんだかしっくりこなかったのはこのせいか、と悔やんでもあとの祭り。気を取り直して歩き始める。
コックさんが持たせてくれたランチを食べながら、C1にて休憩中
標高6,163mのCamp2へ到着したのは12時40分ごろ、BCから標高1,513mのアップとなる。途中で何度も座って休憩をし、諦めたくなるときもあったがその都度気持ちを立て直した。順応なしで我ながらよくがんばった! 今回ばかりは、さすがにきつかった。到着後、ガイドさんが空きテントを探しているあいだに、わたしはトイレに行くことにした。雪のブロックで周囲を囲んでくれている場所を指さされ「あそこがトイレだよ」「滑りやすいから気をつけてね」と言われ、一歩踏み出した瞬間に滑る。そして転びそうになった身体を立て直そうと手をつこうとした習慣に突き指。一瞬、指が変な方向に曲がった気がした。恥ずかしさで瞬時に立ち上がり「大丈夫!」と言ってその場はやり過ごしたのだが、指がかなり痛く曲げられない。これは折れてしまったのだろうか、こんなことで遠征は終了か? と頭をよぎったが明日にはきっとよくなっているはず、と固定だけして様子を見ることにした。このあとも、だんだんと痛みが増してきたが、下山させられるのを恐れてだれにも相談できず。これは大丈夫なはず! と信じて、コソコソとバレないように雪で指を冷やし続けた。翌日も指は曲がりにくさが残ってはいたが、幸いそのあとはひどくならず、むしろ痛みよりも高所の苦しさが勝り、気にならなくなっていた。登山には影響を受けずになんとかなったものの、下山後も1ヶ月くらいは動きにくい状態が続いた。
テントはというと、遅く到着したわたしたちの入るスペースはやはりなく、無理をいってひとり分のスペースをつくってもらえたテントにわたしだけ入り、ガイドさんは別のテントに入れることになった。同テントのインド女性もよい人で、なんとか眠れそうでひと安心。14時ごろガイドさんが運んできてくれたインスタントラーメンを食べる。「お腹すいた!」と騒いているインド女性に「食べる?」と勧めたのだが「いらない」と言われる。このテントはもともと彼女と彼女のガイドさんともうひとりのスタッフが使っているテント。なのでテント内には食べ物がいくつも転がっている。お腹が空いているならばなんでも食べたらいいのに……と思っていたのだが、彼女のガイドさんとのやりとりをしばらく見ていると、どうやら彼女はベジタリアンだったらしい。ガイドさんとスタッフと彼女がずっと口論していて、ガイドさんが勧めるもののパッケージを見ては、これは肉が入っているとか、これは食べられないとか言って駄々を捏ねている。
わたしは自分のもらった弁当を思い出した。たしかコールスローが挟まれたサンドイッチが入っていたはず! とザックのなかに手を入れて探し出し、彼女に中身を説明して渡した。すると彼女は目を輝かせて「いいの!! あなたは食べないの?」と言ってくる。わたしは水分が食パンに含まれてしまったサンドイッチは食べる気持ちになれず、むしろ捨てるのがもったいないなぁと思っていたところだったので「食べないからどうぞ」と告げるとウキウキしながら受け取った。そのあと、あたためたいからか、フライパンを準備してもらって自分で焼き始めた。よほど嬉しかったのか、焼いている最中もわたしに「本当にありがとう! あなたのおかげで助かったわ」というお礼の言葉をたくさんいただいた。
同テントのインド人クライマーと記念撮影。酸素を吸ってやっと笑顔がつくれるようになった
なんだかんだしているうちに時間も経ち、テントの入り口から正面に見えるアンナプルナ山群が赤く染まっているのが見えた。18時30分すぎだったと思う。8,000m峰を輝かせるアーベントロートは本当に贅沢な景色だった。生きてこの景色を見ていられることに幸せを感じられた瞬間だった。急激に標高を上げたことを心配したガイドさんは、酸素ボンベを持ってきた。寝るときにこれを吸ってね。そしてこの標高から寒くなるから、サミットスーツを着て寝ること。明日は5時に出発する、ということを告げて19時ごろには就寝。
アンナプルナ山群のアーベントロート(夕焼)は涙が出そうなほどうつくしかった
4月17日、5時に出発。本日の行程はCamp2〜Camp3まで。日の出は5時30分ごろなので出発時はまだ薄暗い。この日から酸素を吸っての行動となる。行程的には見える箇所をひたすら登っていくというシンプルな行程なのだが、ものすごく急な斜面なのと標高が上がること、同じ作業をすること約10時間。標高約7,250mのCamp3に到達したのは15時35分。

(上)C2より引き締まった雪面を歩きはじめ。早朝の空気は凛としていて身が引き締まる。(下)傾斜はどんどん増してくる。踵が浮かないようガニ股で進む。振り向くと周囲の景色はすべて眼下に見える
Camp3は斜面の途中にあり、柔らかい雪を削って踏み固めた場所になんとかテントを張っているという感じの場所で、テントをきちんと張れるスペースは確保できない場所。なのでテントのかたちはしているが、端っこのほうはテントが浮いているし、柔らかいので真ん中から動かないでね、テントの外に出るときも「出ます!」と公言して、なかの人に手伝ってもらいバランスをとりながらでないと滑って落ちてしまうような場所。なのでテントはたくさん張れない。したがってひとつのテントのなかに大人数(4〜5人)入らないと登山者を収容することがむずかしくなる。わたしたち顧客を入れ込んだあと、ガイドさんたちは入り口近くにぎゅうぎゅうになって横になる。仮眠程度の就寝なのでサミットスーツのみで、シュラフも使わずに横になる。実際、わたしがテントに入れたのは、19時ごろ。それまではじっと外で待機。そして就寝は20時。過酷なCamp3でした。

(上)はげしい天候のため崩壊しているテントもたくさん。数日前の嵐で壊れてしまったようで使えるテントは1〜2張り程度。(下)テントを張るために雪を掘って場所を確保する。この標高での作業は危険と体力消耗が伴うため、設営にも時間がかかる
〈登山ガイド・岩田京子の7座目は、標高世界第7位。ダウラギリ8,167m──その4〉につづく