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登山ガイド・岩田京子の7座目は、標高世界第7位。ダウラギリ8,167m──その4

2026.10.13 Tue

岩田京子 登山ガイド

 4月17日。3時間の仮眠をとり、23時に起床。Camp3〜summitへ向けて出発準備にとりかかる。7,000mを越えるこの場所ではひと動作ごとに息が切れる。準備をするだけで「ハアハアハアハア……」と呼吸が荒くなる。ガイドさんがいろいろと手伝ってはくれるのだが、荒ぶる呼吸はなおらない。ハーネスに片足ずつ足を入れ、ウェストを閉めようと下を向くだけでも呼吸が荒くなる。見かねたガイドさんが近づいてきて「NO ハアハア、NO summit!」とわけのわからない言葉を言ってきた。一瞬励ましてくれているのか、怒られているのか、わからなかったが「なんだよ、それー」とクスッと笑えてきた。このひと言で張り詰めていた気持ちが和らぎ、なるようにしかならない。と気持ちを切り替えることができた。「よ〜し、歩き切ってやる!」と気合が入る。

 25時30分出発。起きて、少し食べて準備しただけなのに2時間以上もかかっていた。ガイドさんはやることがまだあるので、先に出ろ! といわれ「酸素ボンベの出力がいまは0.5になっているから、途中で苦しくなったらだれかに頼んで1ℓに上げてもらうんだよ!」とのこと。親指を立ててグーサインを送ってから、ひとりトボトボ出発する。
ひとりでC3を出発。暗闇で心細いが、山頂へ向かうことだけに集中する
このひとりで歩く時間は頭がクリアになり summitに集中する重要な時間。暗闇のなか、急斜面をヘッドライトの灯りのみで歩き始めるが、はじめは体が言うことを聞いてくれずふらふらして安定しない。1歩足を動かしては呼吸を整え、また1歩足を動かしては呼吸をする。数歩進んだあと、見上げてルートを確認。この作業をひたすら繰り返す。1時間くらいたっただろうか……? いつもならば少し呼吸が落ち着いてくるのだが、今回は整えても苦しい状況が続いた。このままの状態が続くと山頂まで冷静に歩き続けることは無理だ、と判断し、前を歩く人に追いついたタイミングで酸素ボンベの数値を上げてもらう。そのあと、しばらく立ち止まって呼吸を整えるとだんだんといつもの冷静さを取り戻すことができた。胸ポケットに入れておいた水筒の水をひと口のみ、ふたたび歩き始める。さっきよりも順調に進むことができている。とても心がおだやかな状態だった。頭もクリア、景色を見る余裕もある! 「よしいける!」という確信すら出てきた。しかしそのすぐあとには、暗い、苦しい。寒い。不安などさまざまなマイナスな気持ちが襲ってくる。その度に「あーーー」とか「うーーー」とか奇妙な声をあげながら気持ちを発散させる。この標高に来るとこんな感じで、気持ちが上がったり下がったりかなり不安定になる。それを、なんらかのかたちでコントロールをしていかなくてはならない。

 そうこうしているうちに、空が白みはじめてきた。明るくなってきた空を眺めたり周囲の山々を見たりしていると気持ちも高揚して来て、気持ちがプラスになり余裕も出てくるから不思議だ。
日の出の瞬間はだれしもが立ち止まる。太陽のあたたかさを感じ、生きていることを実感する瞬間だ!
朝日を撮影している際に、ガイドさんが追いついて来たのが目に入った。ガイドさんもわたしに気がついたのか「上で休め」と手で合図している。そういえば休んでなかったなぁ〜、と反省。上部の岩稜帯が終わるあたりの大きな岩の上で休むことにした。ここでガイドさんとも合流。
(上)呼吸があがりやすい岩稜帯。一歩、ひと作業ごとに息があがり、呼吸を整えるため、通過に時間がかかる。(下)岩で休憩。テントを出発してから忘れていた水分とエネルギー補給をここでする
この先は長いトラバースとなり、危険箇所でもあるためここからがガイドさんといっしょに行動する。積雪が多いときには雪崩が起こりやすい場所でもあるらしい。トラバースを歩き始めていると途中からフィックスロープがなくなった。ここで足を滑らせたら数千mほど滑落することになる。考えただけでも恐ろしい。12本あるアイゼンのすべての歯を執拗に食い込ませて慎重に進む。それにしても長い。おそらくトラバースを通過し終えるのに5時間ほどかかっている。同じ傾斜の急な斜面を長時間トラバースするので同じ場所に負担がかかりすぎる。そして、外側の足首などが痛くなってくる。足の向きを少しずつ変えながら歩いてみるのだが、あまり変わらない。「トラバースよ、早く終わってくれ」と念じながらひたすら進む。
終わりないのでは? と思うほど延々と続くトラバース。ミスをしないように慎重に進む
 トラバースも終盤となり、クーロワールが見えてくる。前をいく人の姿を見ていると斜面の途中から直上するように最後のクーロワールへと進んでいる。クーロワールからはフィックスロープが復活しているので、ペースも戻り、時間を稼げるようになった。踵のつかない急斜面を順調に登っていく。
もう少し、もう少しと自分に言い聞かせながら最後のクーロワールを上がる  
 そこを上り切ると平らな場所に出る。これで終わりなのか? と周囲を見渡すと右側にも左の遠くにも高い場所があった。右側はピークっぽい感じではあるが左の奥の方が高そうに感じると思い、左の高い場所をめざした。しばらく進むと山頂らしき場所に2〜3人いるのが見えた。それを見て、ホッとした。あと少しで山頂だ! 12時25分、ダウラギリに登頂!

先に登頂したクライマーが写真を撮っているので終わるのを待つ。そのあいだ、食べたり飲んだり、エネルギー補給をする。自分の順番になる前に、酸素マスクを外し、撮影の準備をする。酸素マスクを外して長い時間待っていたので撮影するころには唇が真っ青になっていた。それでも動画を撮ったり、撮影したり、景色を眺めたり、充分堪能して13時30分、下山開始。1時間近くも山頂にいたんだなぁ〜。こんなにのんびり過ごした山頂はいままでなかったかも。この日の山頂は快晴無風で、寒くもなく危険の少ない広い山頂だっただけにのんびりと過ごすことができた。比較的早めに到着できたので人も少なく、思う存分撮影することもできた。
ここまで導いてくれたガイドさんとの山頂写真 
 ふたたびの長いトラバースに気持ちをすり減らされながらも17時35分、Camp3に戻ることができた。ここで今日は終わりかと思ったのだが、Camp3は狭いしゆっくり眠れないので、Camp2に下山しようということになった。昨晩のことを考えるとたしかにそう思う。そして標高を下げたほうがおそらく疲れも取れやすいだろうと、その意見に賛成した。荷物をまとめてパッキングして降り始める。しかしCamp2まで下山することに賛成したことを、すぐに後悔することになった。
踏ん張りも効かなくなりはじめ、ロープに頼って下山。このときすでにエネルギー切れと疲れでフラフラしていた 
 Camp2までの急斜面は天気がよかっただけに溶けて固まった雪が氷となり足場を固めるのが困難なほどになっていた。この状態ならば懸垂しながら降りていくしかない。支点ごとにロープをかけかえ、何度も何度も繰り返しの作業をしていく。そのうちに永遠と続くのではないかという不安が襲ってくる。もちろん、そんなことはないというのはわかっているのだが、疲れた思考回路ではマイナスの考えしか浮かんでこない。日の入りとなりあたりは暗く、ヘッドライトを点ける。さらに思考回路はマイナスの一途をたどり始める。はじめはぶつぶつとした独り言を言って気持ちを誤魔化していたのだが、あまりにも疲れすぎて日本語が通じないのをいいことに、日本語でガイドさんに八つ当たりしたり、自分自身にも八つ当たりしはじめた。声の雰囲気でわかったのか途中でガイドさんが「NO ANGRY」(怒らないで)と言ってきた。そこで我に帰った。

「ごめんなさい……」。ガイドさんのほうが荷物いっぱい持ってくれて、たくさん働いてくれているのに、不服を露わにしている自分が急に恥ずかしくなってきた。40代後半にもなってこんなにわがままな暴言をしている自分、ごめんなさい。気持ちを冷静に保ち続ける努力をする。ほんの少し休憩をする度に目を瞑ってしまう。そして起こされる。この繰り返しが続いた。だんだんと遠く眼下にほんの少し小さな点となった灯りが見える。あれはCamp2だろうか。それとも幻想だろうか。現実なのかすら疑わしくなってきた。あとどのくらい歩けば着くのだろう。時計を見るのすら億劫になっていた。このころになるともう考える力もなくなっていて、意思もなくロボットのようになっていた。朦朧としながら歩き続け、22時ごろやっとCamp2に到着。思っていた通り、わたしが入れそうなテントはない。

 結局どこに行ってもわたしが入れるテントはないんだ! と駄々をこね、外で大の字に横になる。もう疲れすぎて「どうにでもなれ!」と思考回路は崩壊していた。するとCamp3でもいっしょだった人がスペースをあけてくれ、なんとかテント内で寝むれることになった。テントに入ったのだが、なにもする気力が起こらない。凍傷をしないよう汗で濡れてしまっていた靴下のみ履き替える。なにか少しでも飲んだり食べたりしたかったのだが、ガスやクッカーはすべてCamp3に上げてしまっていたため、この日、飲み食いはなし。「とにかく寝ろ!」と言われる。いまのわたしにできるのは眠って休むことだけ。眠っている間に力尽きてしまわないように、水筒のなかに残っている残りの水分を飲み干す。それでもこの極限まで疲れた状態で眠りにつき、翌朝目覚めることができるのか? という不安がある。「生きて朝を迎えられますように!」と祈りながら眠りについた。

4月19日朝。テント内で意識が戻った。自分がどこにいるのかはまだわかっていない。でも、とりあえずは生きているようだ。目が開かないので、いま明るいのかどうかもわからない。陽に焼けてしまったためなのか“目ヤニ“でくっついてしまっている。そして鼻の穴に至ってはこんなにも鼻のなかにものが詰まるのかというくらい固まった鼻水や鼻くそが詰まっていた。そしてもれなく鼻の外にもくっついている。そのためか呼吸がしにくい。そして起きあがろうとしたのだが、身体がバキバキになっておりいうことを聞いてくれない。

 朝目が覚めてふつうにする行動が、なにひとつできないのだ。さて、どうしたものかと寝袋のなかでひとつずつ整理して解決していくことにした。まずは指を一本ずつ動かしてみる。末端から少しずつ関節や筋肉を動かして正常に動くのかをたしかめた。そんなことを寝たまま30分くらいかけて確認したのち、目を開く努力をしてみる。脱水のためか浮腫んでしまった瞼が重く力を入れにくい。目だけの力では開かないので、手指でどうにか開ける助けをしなくてはと思い、まずは目ヤニを除去し始める。しかし思った以上に手強い。諦めずに時間をかけて少しずつ取っていくと瞼が軽くなってきた。そして目を開けることに成功した! 次に鼻の周りもきれいに取り除き、空気の通りをよくする。やっと空気の通りがよくなった。深く呼吸ができるようになり、やっと起き上がる。上半身だけを起こし、朝の光で明るくなったテント生地をボーっと見ているとだんだん意識がはっきりしてきた。そしてふと浮かんできた言葉「生きている……」。心の底から感情が湧き起こってきていた。だが言葉が発せない。喉が渇きすぎていて声が出ないのだ。テントの外で、ガイドさんたちが話をしているネパール語が聞こえる。おそらくCamp3に宿泊し、早朝から下山してきた人たちが到着しているのだろう。言葉もしっかり耳に入るようになり、頭もクリアに考えられるようになってきた。「Camp3から降りてきているということは、ガスがある!」と思ったとき、テントの入り口が開いた。ガイドさんが甘い紅茶を持ってきてくれたのだ。それを受け取り、ゆっくりと乾いた身体に染み込ませる。そして無意識に言葉を発していた「生きてる!!」。昨晩はあんなにも不安だったが、いまはしっかり生きていることを感じることができている。

 昨日の振り返りをしてみると、出発〜summit〜Camp3〜Camp2までの下山まで、トータルで行動時間は21時間ほどだった。天候に恵まれたので行動中の体調は比較的よかったが、高度順応がほとんどできていない状態での長時間行動とエネルギーや水分不足。下山で相当なダメージを受けたにもかかわらず、よくぞここまでがんばった。あと1日。BCまでがんばれそうだ!
パッキングを終え出発します! ガイドさんはこのザック! ものすごい量の荷下げをするのです。なので、わたしも自分の身の周りの荷物は自分で下げます 
 パッキングを済ませて8時過ぎにはCamp2を出発。1時間ほどでCamp1に到着。休憩をしてから、BCへ向けて歩き始める。体力を消耗しているせいか、下りなのにペースがなかなか上がらない。登っていたときは真っ暗ななかだったこのエリアは、はじめてみる景色で新鮮だった。このあたりから遠くにBCのテント村が見える。今日中には到着できそうだと安心するも、なかなか近づかない。

 そんななか、最後の危険箇所のトラバース部分に突入する。往路は深夜の気温が低い時間帯だったので気にならなかったが、昼間の通過となるいまは気温の上昇のせいで雪が緩み、ズルズルと不安定な状態のなかを進むことになる。1度滑りはじめてしまうと止めることができず、かなりの距離を滑落してしまうことになるので慎重さを要求される。
最後の最後にゆるんだ雪の恐怖のトラバース。一歩踏み外しただけでも大変なことになります  
 そんなトラバースを無事に乗り切り降り立った最後の休憩場所には、ビールやコーラ、ジュースなどがシートの上に置かれていた。「お疲れ様、ここでひと休憩でもどうぞ」という感じでクライマー用に置かれた飲み物。ありがたかった。そこでパワーを注入したあとはアイスフォール地帯に入るため、ガイドさんとロープで繋がりながら慎重にBCへ向かった。

 テントが近づきスタッフが手を振っているのが見えた。着いたんだ! 本当に生きて戻ってきた! 「もう歩かなくてもいいんだ!」と安堵の気持ちが込み上げてきた。プジャ台をまわり無事下山したこと、手を合わせてお礼をする。そしてガイドさんと待っていてくれたスタッフとハグ。13時50分、BCに到着し、4日間のダウラギリ登山は無事に終わった。
BC到着。プジャ台をまわり、無事帰還のお礼をしてガッツポーズ
 BCのダイニングでインスタントラーメン以外の久しぶりのちゃんとした食事。ひと口食べた途端に、なぜだか涙が出てきた。もうひと口食べて、椅子の背もたれに寄りかかり天井を見上げて目を閉じる自然と「うめぇ〜!」と叫んでいた。こんなに幸せな食事があったとは! と改めて味わえることのありがたさを実感した。食事のあと、自分のテントに入り着替えをする。荷物がそこらじゅうに散らばっており、なにから手をつければいいのかわからず、気がつくと何度も同じものを移動させている。頭が働かない。やりたいことはたくさん溢れてくるのだが、中途半端に手をつけているため埒があかない。一旦落ち着こう! と我にかえる。身体も思うように動かず、作業には時間がかかった。そんなことをしているあいだに、ジェネレーターの音が聞こえてきた。スターリンクのWi-Fiが繋がる! とりあえず登頂の報告をしなくては! とスマホを手に取る。エージェントの社長にビデオ通話で連絡をする。カメラの向こうで「おめでとう! 早かったね!」とお祝いの言葉をかけてくれた。日本で応援してくださっている人たちにもSNSで報告を済ませた。
(上)コックさん手づくりのsummitおめでとうケーキ。(下)おいしい食事をつくってくれたBCのコックさん
 自分自身は天候にもタイミング的にも恵まれた登山だと思っていたのだが、BCに戻ってから聞いた情報では、Camp2で同じテントだったインド女性は同じ日に登頂したのだがペースが遅く酸素も足りなくなり、わたしが使わなかったエマージェンシー用の酸素ボンベを途中で譲渡したとのこと。それでも登頂がかなり遅い時間(16時ごろ)となり風も強くなっていたため、手と足の指に凍傷をおってしまったとのこと。彼女は結局、街までへりコプターで降りてそのまま病院へと運ばれていった。判断や状況がちがうとまったく別の登山になってしまうのだと改めて感じた。またこのあと、やはりネパール各地では天候が悪くなり、ほかのエリアの登山でも停滞を強いられたりしたという話も聞いた。高所の登山ではほんの少しの判断ミスや不注意、情報不足などで思わぬことになってしまうこともあるということを痛いほど感じる結果となった。

 今回のダウラギリ登山では順応もできず、はじめから終わりまで不安でいっぱいだった。BCに到着した4月15日、16日出発〜19日下山(登山自体は4日間)、20日にカトマンズまで移動という異例の短さとなり、終わったいまとなってはあっという間だったと感じるが、ひとつひとつのできごとが印象的で、さまざまなことが凝縮した遠征だった。“早く終わってよかったね“という人もいたが、わたしとしては”もう少し時間をかけて登りたかった”というのが本音だ。見た目からはあまり想像できないが、天候のためとはいえ、順応もできず、意図せず極端に日程が短い行程となったことで、下山後の身体へのダメージもかなり長引いた。しかしながら無事に登頂でき、無事に下山という結果を残せたことは純粋に嬉しい。

 ダウラギリで7座目となった8,000m峰の登山はやっと半分。ここからが、がんばりどころだと感じています!
いつも冷静に辛抱強く、わたしを山頂まで導いてくれたガイドさん




◆14座チャレンジ・応援グッズのページ

◆岩田京子Instagram



岩田京子 登山ガイド

日本山岳ガイド協会認定登山ガイド。アウトドア業界でのイベントの企画運営の仕事の経験を生かし、現在はガイド業をするかたわら、海外添乗員も兼務。プライベートでは、ヒマラヤの山々にチャレンジしている(チョーオユー、マナスル登頂)。2019年5月、エベレストーローツェへの連続登頂に挑戦。見事、成功を収めている。2026年、ダウラギリへの登頂も果たし、8,000m峰は7座目に。
WEBサイト:山plus

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