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【ユーさんの72年⑦】中川祐二、72年目のアウトドアノート〜ワカサギが食べたい、だからワカサギ釣りへ行く。

2021.02.23 Tue

中川祐二

中川祐二 物書き・フォトグラファー

 子どもの頃、暮れになるとうちにお歳暮がたくさん届いた。地方からの贈り物も多かった。そのなかで毎年いただくものがあった。それはワカサギの筏焼き(*1)だ。6~7cmほどの魚が串に刺され、行儀良く寝かされていた。
(*1)筏焼き=筏は、木を組んで水に浮かべる「いかだ」のこと。つまり、小魚をいかだ状に横に並べて、縦に細串を打ち込んだもの。それを火で炙って食べる。
 これを、網を乗せた火鉢の炭で焼く。あたたまると脂が浮いてきていい香りがしてくる。お腹が破れ、黄色い卵が見えてくる。これに醤油を垂らしいただく。すこぶる旨い、この味が忘れられなかった。
今回この項を書くにあたり、ワカサギを入手してイカダ焼きを作ってみた。残念ながら当時僕が作ったものとは似て非なる味のものとなった。獲った時期が早かったのだろう、まだ卵がなく、冷凍だったせいかみな尾びれがなくなっていた。むかし僕が釣った魚とは色も味も違っていた。
 ワカサギ(*2)、公魚と書く。英名Smelt。大きなグループからいうとサケの仲間。それが証拠に、背鰭の後ろにサケファミリーの特徴であるアブラビレがある。アユやキュウリウオ、シシャモとは兄弟分といったところか。
(*2)ワカサギ=サケ目キュウリウオ科の魚。公魚、鰙、若鷺とも。内湾、汽水域、河川、湖に生息する。英名では、Japanese smeltとも。
釣ったばかりのワカサギは太陽の光の加減か、ブルーともピンクとも見える輝きがある。本当に美しい。釣った魚を氷の上に放置しておくと、ほんの数分で凍ってしまう。するとあの美しい輝きは消え白っぽくなってしまう。僕はいつも釣るための穴を開けた隣に深さ10cmほどの窪みを作り水を張っておく。釣った魚をこれに入れ、泳がせておくと観光客が「わ〜、氷の中で魚が泳いでる!」って喜ぶ。これで観光客への答えの手間が少し省ける。(写真=岡野朋之)
 ある日、このワカサギの味が恋しくなり釣りに行きたいと思った。ちょうどそんなとき、ワカサギ釣りに行こうと誘ってきた男がいた。三橋賢二君だ。彼は当時、神田神保町にあり、今は大きな店になっているSスポーツの番頭だった。同じ山岳会に入り、いっしょに山へ行くこともあったが、お互いに釣りが好きだということが分かり、「三十路釣友会」なる分科会を作り釣りへも通った。

 その後、彼は登山用品などを輸入するL社へ勤めを変えた。

「ユーさん、ワカサギ釣りってやってみようよ」
「いや、俺もやってみたいと思ったんだよ、あの味が忘れられなくてね」

 さっそく、ざっとした情報を集めて河口湖でボート釣りをした。ちょうど中途半端な季節で、僕たちの乗ったボートは流れてきた氷に囲まれそのまま流され、まったく釣りにならなかった。当時は河口湖でも氷が張り穴釣りもできた。さらにむかしは、凍った湖の上を馬車を使って荷物を運んだという話を地元の人から聞いた。

 次に、山中湖の氷が張ったようだから行ってみようということになり、穴釣りの準備をした。僕たちは山屋だった。ランタンも持っているし、ピッケルも持ってる。厳冬期用の登山靴だって持ってる。雪洞でビバークできるようなダウンジャケットもある。寒さなんかは怖くない。ただ、心許ないのは釣り道具とその技術だった。
 
 三橋君はそれ以来、週末、会社の帰りはスーツ姿のままうちへきて、釣りの支度をするようになった。寒いので頭から布団をスッポリと被り仕掛けを作った。

「あのコールマンの赤ランタン、あれがあれば暗いうちから氷の上に行かれるぞ」
「しかし氷にどうやって穴を開けるんだ?」
「ピッケルがあるだろピッケルが、あれで丸く氷に穴を開け、切り取った氷は水の中に沈めちゃえばいいんじゃない?」

 確かに僕は先輩から譲り受けたトップスノーマン(*3)というピッケルを持っていて、使われることもなく壁にかかっていた。あれがあれば氷に簡単に穴は開く。
(*3)トップスノーマン=1970年代に山道具を扱っていた「東京トップ」(後にニュートップと社名変更)の木製柄タイプのピッケルの名称。

 いま考えると、まったく素人的発想なのだ。

 高速を下り、山中湖までの道はカリカリに凍っていた。途中タイヤにチェーンを巻いた。シャリシャリという音をさせながら走った。真っ暗な中、凍りついた山中湖があった。まだ氷上には誰もいなかった。すぐに支度をした。冬山用の完全武装、ランタンとピッケル、道具箱を持って氷の上に立った。

 東の空が明るくなり、方々から人が出てきた。僕たちは何の情報も持たず、当てずっぽうで穴を開けはじめた。
 
 湖に張った氷というものは考えていたより硬いものだった。厚さ20cmほどの氷に穴を開けるのに汗をかくほどだ。1箇所穴が開いた。するとその穴から水が噴水のように噴き出した。僕たちの完全武装は一瞬のうちにびっしょりとなり、次の瞬間バリバリに凍り付いた。

 湖に氷が張ると氷の厚さ分だけ水圧がかかり、小さな穴から噴水のように吹き出したのだった。それにも負けず穴を大きく広げ釣りを始めた。開けた穴に浮かんだ氷のかけらが邪魔で、仕方なく素手で氷をすくった。まわりの人たちは専用の氷すくいを持ってきていた。

 氷の上にいると不気味な音がすることがよくある。このときもそうだった。遠くから“ボーン”という音とともにミシミシミシと氷の割れ目が走ってくる。それが目に見えるのである。割れ目が遠くを走ることもあれば、足元を通ることもある。気持ちが悪い。

 あとでわかったことだが、これは、気温が冷え込んできて湖に氷が張り、さらに冷え込むと氷の体積が増して氷が割れるのである。この音がしている間は氷が発達している状態であり、危険ではない。しかし春になって気温が上がると割れる音はしなくなる。氷に透明感が出てくると危険だ。

 寒い、冷たい、辛いのを我慢して穴の中に何度も仕掛けを入れた。

 一日中やって釣れたのはたった7匹だった。10mほど離れた穴で釣っていたおじさんはコンスタントに竿を動かしていた。座っている椅子の脇にはピラミッド状のワカサギの山が築かれていた。

 夕方、僕はそのおじさんの脇に正座して頭を下げ、

「すいません、どうすれば釣れるようになるのですか、教えてください」

すると、

「どんな鈎(*4)を使ってる? 餌は? 座る椅子は?」
(*4)鈎=釣りで使用する「つりばり」のこと。針、鉤とも表記する。ユーさん曰く、「針」だと細長い裁縫用のハリを思い浮かべてしまうし、「鉤」よりも「鈎」のほうが、より「つりばり」のかたちに近いので、と敢えての表記。

 すべてが駄目だった。

 鈎は袖型ではなく秋田狐(*5)を、餌はどこどこの店で、竿はと、こと細かに教えてくれた。それから毎週末、三橋君はうちに来て準備をし、土曜日は山中湖へと通った。そのシーズンの終わり、僕は400匹ものワカサギを釣ることができた。
(*5)袖型ではなく秋田狐=袖も秋田狐も、釣鈎の形状を指す。見た目がそれぞれ(着物の袖、狐の頭)のかたちに似ていることが名前の由来。このほかに、三腰、アブミ、流線などもあり、釣鈎の世界は奥が深い。

 釣ったワカサギ、僕は天ぷらにも、フライにも、甘露煮にもしない。干して焼くだけの筏焼きを作る。まず魚をよく洗い塩水に2、3時間漬ける。5、6匹ずつ首のところを竹串で刺す。このとき使う竹串は焼き鳥に使う串ではいけない。太すぎてうまく刺せない。半分くらいの太さのものを使う。
ワカサギ を刺して寒晒しにする。串は合羽橋などの専門店へ行けば細い串を売っているが、僕は焼き鳥の串を3分の1くらいに削り直し使っている。
 刺し終わった串を2本垂らした凧糸に吊るす。寒い日に干すのが一番いいが、冬だから一晩干せば十分。これをできれば炭火であぶるように焼く。表面の皮が縮れ、わずかに焼き色がついたらそれが食べどきだ。

 翌シーズンの山中湖、僕はちょっと鼻が高くなり行きつけの釣宿へと通った。現地で知り合った顔見知りもできた。ある日、見知らぬ男が仲間の中にいた。持っている道具が違っていた。その男の名はTさんといった。目がワカサギ色をしていた。Tさんは僕の前に立つと、中川さん、ちょっと見せてと言って僕の仕掛けを持つとハサミで枝鈎(*6)を切りはじめた。
(*6)枝鈎=枝針とも。釣り糸の途中から左右に枝が張り出すようにして仕掛けられた鈎のこと。

 当時僕の仕掛けは、幹糸に6、7本の枝鈎を付けていた。その枝鈎を数本切り4本くらいにしてしまった。そしてオモリも外しTさんが持ってきたものに変えた。餌のサシ(*7)も半分に切った。
(*7)サシ=さし虫。小魚の餌。たいていはハエの幼虫で、いわゆる蛆虫である。生きたまま使用する。

「これでやってみて」

 ちょっとムッとしたが、彼の釣り方、道具仕立て、何やら発するちょっとわからない釣り理論。僕は従った。別にそのときから急に釣れ方が違ったわけではなかったが、アタリは活発になった。
  
 彼のホームグランドは群馬の赤城大沼で、わざわざ仲間をたよって山中湖へ遠征してきた。僕はTさんから釣竿や道具の作り方、氷の穴の開け方まで教わった。

 それ以来僕は赤城大沼に通うようになった。ここは山中湖より寒く、風が強く、氷が厚く(*8)、湖は深く(*9)、釣りの難易度は数段高く感じた。それより何より、ここの魚は性格が悪かった。つまり非常に釣りにくいことがよくある、いわゆる”スレた魚”ばかりだった。
(*8)氷が厚く=30cm〜1m近くになることも。天候により2段氷という途中に水が入って凍る現象も起こる。(*9)湖は深く=最深部で12mほどか。

 山中湖での道具では使いにくかったのですべて作り直した。竿の穂先は防弾ガラスに使われるポリカーボネイト(*10)をペラペラになるまで削り、硬軟長短何種類も作った。ほかにカーボン、竹、塩化ビニールなどでも作った。人によっては伸ばした時計のゼンマイ、重ねたレントゲンフィルムなどを使う人もいた。  
(*10)ポリカーボネイト=ポリカーボネートとも。熱可塑性プラスチックの一種で、航空機や自動車といった硬質で大型のものから、カメラ、家電製品、スーツケースなど身近なものにも多く使われている。

 氷に穴を開けるアイスドリル、氷すくい、手をあたためたり煮炊きするための小型火鉢、燃料の炭、開けた氷の穴にかぶせる風よけ、お昼のおにぎりをあたためるためのアルミホイル、肉を焼くための焼き網、これらをすべてを入れて運び、椅子にもなる合切箱。アイスドリル以外、作れるものはすべて自作した。

 風が強いときのために、スキーの上にテントを固定した釣り小屋も作った。
(左)長野県諏訪湖での釣り風景。1990年ごろはまだまだ氷が張り、たくさんの釣りファンが楽しんでいた。御神渡りも見られた。(右上)山梨県山中湖でのボート釣り。背景はもちろん富士山。この風景を見ながらの釣りは本当に清々しい気分だ。ときどき自衛隊演習の爆弾音が聞こえるのがたまにキズ。釣り人はフライフィッシング界のレジェンド、佐藤盛男さん。(右下)山中湖時代に手作りした道具箱。上3つの引き出しはストッパーをつけ外れない工夫が。中央の大きな引き出しは魚入れ。内側には魚が凍らないようにウレタンを貼った。引き出し全体を出さなくても魚を入れられる扉を付けた。これに座って釣るわけだが、この高さは竿の長さとリンクしてくるので赤城では使えなかった。
 Tさんはこの湖で遊漁券の販売をしたこともあったようだし、釣宿の手伝いもしていたようだった。あるとき、Tさんと数人の仲間と釣りをしていた。あまりに天気がよかったので冗談半分に、

「カツ丼と熱い豚汁がここにあったらいいな~」

 などとバカ話しをしていた。Tさんがいなくなったことは気がつかなかった。しばらくして1台のスノーモービルがこちらに近づいてきた。よく見るとそれは片手にオカモチをぶら下げたTさんだった。もちろんオカモチの中には人数分のカツ丼と豚汁が入っていた。

 昼になるとみんな火鉢を持ち寄り、輪になってめいめいが持ってきた肉や魚を焼いた。僕はよくモツを焼いた。前もって知り合いの新宿ショ●ベン横丁の焼き鳥屋で仕込んでおいてもらったものや、渋谷の隠れた焼肉屋の肉を持っていった。当然いっぱい飲む。冷えた体に酒が入り、その上から新宿と渋谷が入り、かなりいい気分となる。したがってほとんど午後は釣りにならない。だから僕のワカサギ釣りは午前中が勝負なのだ。

 ここで定宿としていたのはAK荘、1階は土産物やレンタルの釣具、食堂、2階が客室になった旅館。今はもうないかもしれない。

 ここの親父がまた大酒飲みでおもしろい。小上がりのコタツに入り、いつも店内を見ている。夜中に着いても、

「おい、こっちへ入れ」

 とこたつに招き入れ、脇に置いてあった巨大な瓶から焼酎を注いでくれる。ここで飲んじゃうと翌日の釣りがダメになっちゃうので、飲んだ格好だけして支度にかかる。
   
 暗い中、完全武装してランタンの明かりを頼りに湖へと向かう。東の空が白んでくる頃、みなゾロゾロと湖の上に張られたロープに沿って歩きはじめる。ロープの内側はきれいに整備されたスケートリンクだ。この時間帯がもっとも寒く、マイナス15~18度くらいになる。

 Tさんの仲間が集まり場所を決め、めいめいのアイスドリルで穴を開け、火鉢に火を起こし釣りが始まる。

 ワカサギ釣りというのは、ご存知ない方もいるのでざっと説明しておこう。これは20年ほど前の最新鋭の釣り方で、現在は随分違ってきているのかもしれない。薄くテーパー状に削った先端の柔らかい穂先を糸巻きの付いたグリップに差し込んだものが竿。穂先にはガイド(*11)はつけない。ガイドをつけるとこれが凍ってしまい糸の調節ができないからだ。糸は糸巻きに収納されていて、リールは使わない。鈎に餌のサシを通しざしに付け、仕掛けを水中へ落とす。オモリが底についたら1~2回糸を巻き、穂先に糸を螺旋状に巻き付け、通しておいたゴムチューブで止める。魚は底にいることが多い。
(*11)ガイド=釣り糸を通すために竿などにつけられた丸い輪っかのこと。

 竿を大きく上下させ、その振幅を段々と小さくしピタリととめる。このとき腕だけで止めるのではなく、風除けなど固定されたものに置きアタリを待つ。腕で持ったままだと心臓の鼓動が穂先に出てしまうからだ。食い気があるときは穂先にすぐにアタリがある。

 軽く手首を返しながら腕を上げ合わせる。すぐに糸をたぐるのだが、竿を置き、両手でたぐると糸が氷のかけらと絡まったり、風で飛ばされ火鉢の火に触ったりトラブルとなる。糸は絶対に氷の上に放置しないのが鉄則だ。糸はグリップを握った右手に巻きつけていく。仕掛けが出てきたらヨリモドシ(*12)を持ち魚を片手で外す。魚はだいたい一番下に掛かっていることが多い。
(*12)ヨリモドシ=糸のねじれを解消して「撚り(より)」を戻すために使われる金属製の道具。サルカンとも呼ばれる。

 餌を確認し、また仕掛けを投入する。この一連の動作をスピーディにスムースにできるようになると釣果が伸びるはずである。

 最近は湖によってドーム船という固定した大きな船に屋根をつけ、中で座って釣りができるようなシステムが流行っているらしい。船内はストーブであたためられ、お湯も用意してあるのでいつでもあたたかいものが食べられる。道具も電動リールが流行しているらしい。僕が実践していた釣り方とは雲泥の差がある。一度だけのドーム船を利用したことがあるが、まるで釣り堀で釣っているのかと勘違いしそうだ。やっぱりワカサギ釣りというのは、氷の上、寒さの中で釣るというのが冬の楽しみだと思う。
   
 また、よくテレビなどで、1匹かかったら次々にかかるからそれを待って、なんて言っているが、この湖ではまずそんなことはない。1匹ずつ釣りあげないとかかった魚も逃げてしまうこともある。

 さらに釣った魚をその場で天ぷらにと言って、タレントが「おいし~!」などと叫んでいるが、そんなことしているより釣ることの方が先き。あんな番組が流れると、ワカサギを釣ってその場で天ぷらをして食べたいなんていう輩が増えちゃう。

 よほどこの環境に慣れた人でないとそんなことはできやしない。だいいちその使った油はどうやって処理するの? 零下15度でどうやって衣を付けるの? まあ、せいぜい火鉢で焼くぐらいならできるけどね。

 ここ赤城大沼では、夕方まで釣って100匹を越えればいい方で、2~30匹なんてこともざらだった。

 ある日の夕方、宿に帰ってくると、おかみさんが、

「中川く~ん、魚おいていってくれない?」
「いいけど、どうしたんですか?」

 食堂で出すワカサギ料理に使うワカサギがなくなったという。そう言われちゃ断れない。100匹ほどの魚をすべて提供した。

 こんなこともあった。僕とTさん、もうひとりNさんと2階で泊まっていた。夜、僕が車に忘れた道具を取りに行くことになった。しかし、下の部屋の小上がりには親父がいる。その部屋の前を通らないとこの時間、表には出られないのだ。あの部屋の前を通れば必ず、

「おい! 中川くんよ~、ちょっと来いよ」

 と呼ばれ、焼酎の相手をさせられる。すると翌日の釣りは多分ダメになる。そこで3人で考えた。いかにあの部屋へ行かずに表へ出るか。そのシナリオはこうだ。ぼくとNさんが喧嘩をする。表へ出ろと怒鳴る。Tさんはまあまあと仲裁に入る。3人でごちゃごちゃしながら表へ出て喧嘩をしたふりをし、用事を済ませ部屋へ戻る。

 途中まではよかった。親父は何が起こったかとしばらく見ていた。僕たちが部屋へ帰ろうとしたとき、

「おいお前ら! 喧嘩をするなよ、ちょっとこい。喧嘩するほど仲がいいと言うじゃねえか、仲直りにこれを飲め」

 計画は失敗に終わったのだった。

 この湖の魚は釣りにくい、まあそれだからこそみんなは道具を工夫し、技術を磨き挑戦する。しかし、地元漁協関係者はたくさんの人にたくさん釣ってもらいたいと思うのは当然のこと。このAK荘の親父は当時漁協の組合長でもあった。

「中川~! お前はさ、顔が広いだろ、ほうぼうへ行ってるようだし、何処かでワカサギの卵が手に入らないか?」
「えっ、それをここで孵化させるの?」

 ん~ん、僕も旅はしてはいるものの、そこまではわからない。でも親父に頼まれたのでは仕方ない。サロマ湖の漁協に電話をしてみた。案外簡単だった。一発で話しは通じ季節が来たら送ることができるという。そのことを親父に話しあとは漁協同士でやってもらうことにした。

 翌年、性格の良いワカサギがたくさん釣れると思った。しかし否である。悪貨は良貨を駆逐するというか、氏より育ちというか、新しい血が入ったはずなのに釣りづらさは変わりなかった。

 また、こんなこともあった。この親父の娘が地元の中学に入った。この中学は赤城大沼の脇に専用スキーゲレンデを持っていた。みんなそこでアルペンスキーをやることになっている。この赤城には当時日本一小さいスキー場があった。なんとそこは近代スキーの草分け、猪谷六合雄(*13)氏を輩出、長男千春氏は日本人初のオリンピックメダリスト。
(*13)猪谷六合雄=いがやくにお。与謝野鉄幹、高村光太郎、志賀直哉なども訪れた赤城山の猪谷旅館の長男として、1890年に生まれる。よく、日本近代スキーの草分け的存在と称される。樺太をスキーで旅したり、スキージャンプを試みるなど、当時としてはめずらしい存在だった。

 しかしその子はあまりスキーが好きじゃないらしい。そこで親父は、

「おい、中川くんよ~、お前はクロカンやるんだろ? 娘に教えてやってくれないか?」
「いいですよ、道具は?」
「ないから買ってきてくれよ」

 フルセットを専門店で揃え、真っ平らな氷の上でクロカンのレッスンをした。氷の上は雪が飛ばされ滑りにくかった。何度か練習をしたが、クロカンもあまり好きにはなってもらえなかった。

 春が近づくと釣り人はだんだん少なくなる。特に観光的な気分で来る初心者グループはほとんど来なくなる。山はかすかに芽吹きの兆しが見え、あの吹き荒れた北風の日が少なくなり、湖の上はし~んと静かになる。

 こうなると氷上ワカサギ釣りのシーズンは終わりだ。なんとなく寂しい気もするが、僕はすぐに始まる渓流釣りのことを考え山を降りる。
方々の湖へ行って釣ってみたが、その湖独特の釣り方があっておもしろい。ヘラ鮒釣りの浮きを使うのにはびっくりした。また外国でもアイスフィッシングは人気があり、淡水スズキのパーチなどをルアーで釣る釣りもある。(写真=岡野朋之)
 河口湖に始まり、山中湖、白樺湖、松原湖、檜原湖、大座法師池、赤城大沼、榛名湖、諏訪湖、西湖(ボート)、精進湖(ボート)、芦ノ湖(ボート)、野尻湖(ドーム船)と、氷に穴を開け、オールで漕ぎ20年間ほど釣りまくった。しかし、さすがに氷点下での釣りは辛くなり、この釣りは卒業した。

中川祐二

中川祐二 物書き・フォトグラファー

“ユーさん”または“O’ Kashira”の 愛称で知られるアウトドアズマン。長らくアウトドアに慣れ親しみ、古きよき時代を知る。物書きであり、フォトグラファーであり、フィッシャーマンであり、英国通であり、日本のアウトドア黎明期を牽引してきた、元祖アウトドア好き。『英国式自然の楽しみ方』、『英国式暮らしの楽しみ方』、『英国 釣りの楽 しみ』(以上求龍堂)ほか著作多数。 茨城県大洗町実施文部省「父親の家庭教育参加支援事業」講師。 NPO法人「大洗海の大学」初代代表理事。 大洗サーフ・ライフセービングクラブ2019年料理番ほか。似顔絵は僕の伯父、田村達馬が描いたもの。

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