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1999年苗場生まれ、フジロックと同い年。苗場のアルペンスキー・レーサーの世界への扉

(2018.07.06)

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新潟県・苗場でフジロックが再始動した1999年に苗場で生まれ、
苗場でスキーの道を歩み出したアルペンスキー・レーサー若月隼太さん。
フジロックが身近にあったことで、世界の扉が近くにあることを感じ取っていたのかもしれない。

Photo by sumi☆photo

 
 苗場でフジロックが初開催されたのが1999年。その年に苗場で生まれ、世界へ羽ばたいているアルペン・スキーヤーがいる。

 若月隼太さんだ。実家は苗場スキー場から徒歩2分の「苗場ラ・ネージュ」というペンション。冬にはスキー場に行って遊ぶことが日課だったという。

 小学校時代の同級生は若月さんを含んで6人。現在は統合され母校は閉校になっている。苗場という小さな町にとっては、フジロックは一番大きな祭りだった。
「たくさんの人が集まることが楽しくて前夜祭に同級生と行って、苗場音頭を踊って、ちょっとだけレッドマーキーに行って。それが小学生低学年の頃の最初のフジロックの思い出です。うちがオアシスにお店を出していたこともあって、ご飯を食べに行ったりもしていました」

 そして年齢を重ねていくにつれ、音楽への興味が少しずつ増していった。

「小学校の高学年になって、前夜祭だけではなく、フジロックのライブも見に行くようになったんです。最初の記憶として残っているのはSuperfly。テレビに出ているようなアーティストはほとんどいなくて、名前を知っている人っていうのはSuperflyくらいでしたから。中学生になって、ロック好きの友だちとサカナクションを見に行って、その帰り道でノエル・ギャラガーの『ドント・ルック・バック・イン・アンガー』の大合唱を聞いて感動したんですよ。それからオアシスを聞くようになって、フジロックに出演しているアーティストの凄さがわかるようになったんです」
 中学になると、全国トップレベルのスキーヤーとして注目を集めるようになっていった。苗場出身のアルペン・スキーヤーといえば皆川賢太郎さんがいる。皆川さんは1998年の長野から2006年のトリノまで3大会連続でオリンピックに出場。トリノでは回転で4位に入賞。この競技での男子の入賞は50年ぶりの快挙だった。

 若月さんにとっては、苗場にはふたつの世界の扉があったのだろう。ひとつはフジロックという音楽の扉。もうひとつは皆川さんを目標としたアルペン・スキーの扉。

「フジロックは別世界なんですね。雰囲気を感じるだけでワクワクして楽しくなってしまう空間。サマソニも行ったことあるんですけど、都会のコンクリートのなかと森のなかとでは音の響きが全然違っていて、僕はやっぱりフジロックの方が好き。山では天気も崩れたりもするけど、それも含めて楽しいんです。僕にとってフジロックは羽目を外せる場所なんですね。普段は全日本代表としてスキーのことだけを考えて、トレーニングを続けています。唯一解放されて自由に遊べる日がフジロックなんです。小学校のときは当たり前に毎年ある祭りだったけど、だんだんとこれは普通じゃないぞ、とわかってきて。自分の生まれ育った町に海外アーティストが向こうからやって来てくれる。レジェンド的な人たちもたくさん来てくれる。本当に胸を張って自慢できる祭りなんですよ」
 高校時代から国体の少年の部で優勝するなど、輝かしい成績をおさめていった若月さん。冬だけではなく、夏も海外へ遠征してるけれど、毎年のようにフジロックの期間だけは苗場に戻ってきているという。自分の町の祭りに対する誇りがそうさせるのだろう。

「一度だけ帰ってこれなかったことがあったんですよね。スイス遠征があって。情報だけはインターネットから流れてくるので、どうしようもなくムズムズして。海外の選手もフジロックという名前を知っていて『フジロックは俺のホームタウンでやっていて、こんなアーティストが今年はやって来るんだ』って自慢したりしています」

 世界を舞台に戦っているとはいえ、まだ大学生でもある。フジロック期間中は家の手伝いも忘れてはいない。

「夜中の3時くらいまで遊んで、2時間ほど寝て、10時くらいまで家の手伝いをする。そこから夕方まで寝て、夕方から出撃する。それがフジロックでのルーティーン。毎年のように泊まりに来てくれる方もいました。もう亡くなってしまったんですけど、ロック好きのお客さんがいて、その人がセレクトした曲をCDにしてもらったことがあったんです。ビートルズ、ローリング・ストーンズ、ジミ・ヘンドリクス、ボブ・ディラン。そんなレジェンドの人たちの曲が入っていて。友人たちからは、そんな古いロックっておもしろいのか?って言われていましたけど、今も好きで聞いています。世代を超えて共通の好きが見つけられるのも音楽の強さだし、フジロックの素晴らしいところだと思います」

 そのCDに収録されていたボブ・ディランが、今年はヘッドライナーとしてやってくる。若月さんも、当然、ボブ・ディランが今年一番のお目当てだ。

「5月から6月はアメリカに行って、夏はニュージーランドかヨーロッパに行って雪上トレーニングをする予定なんです。7月後半に遠征がかぶらないことを願っています。ボブ・ディランは伝説の人だから、どうしても見たい。ケンドリック・ラマーやジャック・ジョンソンも見たいし。日本人だと30周年のエレカシとか、フジロックで見るライブのおもしろさを感じさせてくれたサカナクションとか。フジロックに行くたびにいろんなジャンルの音楽が聞けるので、好きな音楽の幅がどんどん広がっています。最初はノエル・ギャラガーから入ってロックが好きになったんですけど、フェスを通してそれぞれの魅力を感じています。最近ではレゲエやヒップホップも聞きますよ。すべてフジロックの影響と言っても過言ではないです」

 若月さんにとって世界は決して遠い別世界のものではない。物心がついた頃から世界が目の前にあった。
 得意な種目は技術系と言われる回転と大回転。今年の平昌では、モーグルでフリースタイルスキー男子としては初のメダルを原大智さんが獲得した。しかしもっと歴史の古いアルペンでは、1956年の猪谷千春さんしかメダルを獲得していない。

「今はFIS世界ランキングが200位くらいなんですけど、来年には100位まで上げることが当面の目標です。夏は涼しくて過ごしやすいフジロックがあり、冬は存分にスキーができる。家が苗場で本当に良かったと思っています」

 苗場から世界へ。
 苗場で育った若月さんの視線の先には、4年後の北京オリンピックもある。
若月隼太(わかつきはやた):1999年苗場生まれ。ジュニア時代から大きな注目を集めてきた。2016年のワールドカップ苗場に前走をするなど着実に世界の舞台へ進出。日本のアルペン・スキーを担うひとりして大きな期待を集めている。2022年冬季オリンピック有力選手。実家はペンションの「苗場ラ・ネージュ」。

 ※この記事はFestival Echo '18を再編集し掲載しています。

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ライター
菊地崇 a.k.a.フェスおじさん

フェス、オーガニック、アウトドアといったカウンターカルチャーを起因とする文化をこよなく愛する。フェスおじさんの愛称でも親しまれている。

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