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手づくりフェスの向こう側 ── 16回目を迎えるMIYAKO ISLAND ROCK FESTIVALの環境保全活動

2024.04.19 Fri

宮川 哲 編集者

MIYAKO ISLAND ROCK FESTIVALの会場となった平良のトゥリバーにて。青い海と青い空。天気にも恵まれた4年ぶりのロックフェス
 2023年10月14日、宮古の海に4年ぶりの歓喜がこだました。

 MIYAKO ISLAND ROCK FESTIVAL、通称、宮ロック。または、MIRF。この島でこのイベントが生まれてから、じつに19年の歳月が経っている。産声を上げたのは、2005年のこと。宮古に生まれ、宮古に救われたひとりの青年の思いがきっかけだった。音楽好きの彼の声掛けで、当時は“若者”だった地元の仲間たちがひとりふたりと集まり、イベント実施へ向けての小さな事務局を立ち上げた。ホテル、飲食、編集、交通、海のガイド……など、島でそれぞれの本業をこなしつつも、イベントに関しては素人の集団だった。

 宮古のこどもたちに本物の音楽を届けたい。

 事務局のメンバーがイベントに込めた思いは、この言葉。自分たちが育った島への恩返しの意味もあった。イベント会場の調整からアーティストへの打診、設備の発注から予算の管理まで、いろいろな人たちの門を叩き、意見を聞きながら、見よう見まねでイベントをかたちづくって行った。

 あれから19年。度重なる会場の変更に、天候不順。本番間際に台風で中止を余儀なくされたこともあった。それでも離島の小さなイベントは、回を重ねるごとにイベントらしくなり、3,000人を超え、5,000人を超えるまでの人数を集める音楽フェス、野外フェスとなっていった。

 しかし、急ブレーキが掛かる。あのコロナ禍での3年間だ。2020年には開催に向けての準備を進めていたものの、やはり直前に中止を余儀なくされてしまった。21年、22年と空白の時間が過ぎていく。リピーターの多い宮ロックのファンからは、もはやこのままイベント自体がなくなってしまうのでは、とも囁かれてしまう。実際に、事務局のメンバーも大いに悩み苦しんでいた。立ち上げ当時は若者だった彼らも、イベントの回数分の歳を重ね、後輩へとバトンをつなごうとしていた矢先のコロナ禍だ。何もできなかったこの3年はやはり大きい。でも……。
国内を代表するようなメジャーどころがズラリとならぶタイムテーブル。浜辺に設置されたつくり込みも、かなり手の込んだもの。つくり手たちの熱量が伝わってくる
 2023年10月14日、記念すべき15回目の開催日を迎えていた。HY、かりゆし58、HEY-SMITH、新しい学校のリーダーズ、湘南乃風、ザ・クロマニヨンズ、緑黄色社会、サンボマスター、ELLEGARDEN……テイムテーブルに並ぶアーティストの名前は、いまの音楽好きであれば、だれもが知っているメジャーどころばかり。
10月14日、開場直前のトゥリバーの様子。浜辺に沿って、たくさんの人が並ぶ。今年の宮ロックに掛ける思いは参加者たちも同じ
 島内からも島外からも、トゥリバーの特設会場をめざしてわんさと人が集まってくる。開場前には、入場待ちの列が長い海岸線を埋め尽くして行った。目の前にあるのは、宮古の青い海と真っ白なサンゴの浜。2015年に開通した伊良部大橋が青空に溶け込み、さざなみとともに人々の歓声に包まれていく。宮ロックは名実ともに、宮古島を代表するイベントのひとつにまで成長した。そう実感できる瞬間だった。

 紆余曲折。ここにたどり着くまでの道のりは、けっして平坦ではなかった。コロナ禍でのことはもちろん、以前にも振るわない年もあったし、かさんでいく経費に重圧を感じることもあった。誘客にしても荷物の運搬にしても、離島ならではのむずかしさもあり、問題は山積み。しかも、この19年という年月は、宮古島にとっても大きな社会変革があった時代とも重なっている。

 伊良部大橋の開通、下地島空港の国際空港化、外国クルーズ船の来島など、行政や社会がリゾート開発に大きく舵を切っていくなかでの歳月だった。島には多くの観光客が押し寄せ、経済効果は跳ね上がっていく。それにともない、移住者は増え、地価の上昇と住まいの不足が表面化する。レンタカーの数も足りなくなってしまうほどの宮古島人気である。何も宮ロックがなくとも、宮古島には大勢の人がやってくる。

 ただやはり、違和感はあった。別に変革を嫌がるわけではないが、自分たちの知っている宮古島が、自分たちの知らない島になっていく。だからこそ、伝えるべきもの、残すべきものはある。明確にみんなと決めたわけではないけれど、そんなかたちのない何かが、事務局メンバーの背中を強く押してくれていた。そういえば、宮ロックには、立ち上げ当初から大切にしていたもうひとつのコンセプトがあったじゃないか。

 SAVE THE SEA SAVE THE SKY
宮古島には誇るべき海がある。守るべき空がある
 宮古島のこの海を、この空を守っていきたい。「島のこどもたちに本物の音楽を届けたい」という思いと同様に、イベントとして強く持ち続けてきた言葉だった。とてつもなく貴重なこの宮古島の海を、空を、自然を、こどもたちの世代に遺さなければダメなんだと。やはり、大切なものは大切。大きく変わっていく島の毎日を見ているからこそ、また強く感じてしまうのかもしれないけれど、この島の自然のすばらしさを伝えられるのは、地元の自分たちであり、イベントを通じて発信できるものはたくさんあった。
2023年バージョンの宮ロックのオリジナル・パイントカップ
 クリーンカンティーンというアメリカ生まれのブランドがある。BPAフリーで環境にも身体にも優しいステンレスカップやウォーターボトルをつくっているアウトドアメーカーで、「きれいな水」をイメージさせる商品が数多くある。日本国内ではエイアンドエフが取り扱いを行なっているが、同社のパイントカップをモチーフとして、宮ロックでは2016年以降に「環境協賛」という括りを設けるようになった。パイントカップに年ごとのイベントロゴをプリントし、かつ環境協賛への協力企業のロゴも掲載するというもので、集まった協賛金は購入資金に充てるというやり方だ。年にもよるが、先行予約というかたちで来場者への配布を行なったり、オフィシャルグッズとしての販売も実施している。

 この活動の利点は、第一に会場内でのリユースカップの使用を促進させたことで、いままで大量に出ていたプラスチックカップの削減が実現したこと。これは、イベント自体にもいい影響があり、以前はイベント後には山積みになっていたゴミがなくなり、全体の排出ゴミを減らすことにもつながっている。第二には、来場者たちへの告知の意義である。宮古島の海を守る、空を守る。いま手にしているカップを使うことで、不必要なゴミのひとつが減っていく。そんな当たり前のメッセージが、各人の手元に残って行ったことだった。
事前に告知された宮ロックの環境協賛に関するコンセプト。文字量の多さは、それだけ伝えたいことも多いゆえか
 この環境協賛の取り組みは、さらに一歩前進し、2023年は来場者への直接販売へ踏み切った。その購入費用は購入資金の一部であるとともに、宮古島の環境保全への寄付金としても活かされる。実際、この年のパイントカップは、開場から2時間で完売してしまうほどの人気ぶり。イベント側だけの取り組みではなく、来場者側の行動にも意識にも「宮古島の自然を守りたい」という思いが共有できたのなら、相応の意義がある。

 また、これは開催当初の2005年から継続して行なっていることだが、宮ロックはイベントの仕込みに入る前の段階で、地元のボランティアの協力のもと会場周辺のビーチクリーンを実施している。昨年は10月8日の日曜日に実施した。地元のこどもたちもたくさん集まって、トゥリバーのビーチに落ちている空ペットボトルやプラスチックゴミなどを回収している。これらの活動は本当に小さな一歩ではあるが、この積み重ねこそがイベントの柱のひとつでもある“SAVE THE SEA SAVE THE SKY”につながっている。
本番6日前の10月8日に会場となるトゥリバーで行なったビーチクリーンの様子。地元の新聞でも取り上げられるなど、活動は注目を集めた
「かぎすま」だったり、「宮古ブルー」だったり、宮古島の自然のうつくしさを形容する言葉は多い。どれも、島外の人たちから見れば憧れをもって耳に響く。海岸線を縁取る白い砂浜に、いくつもの青が混ざり合った海、天に針山を突き上げるかのようなアダンの葉緑、ショッキングなまでの濃いピンクが印象的なブーゲンビリア……原色の色味ばかりの南の島には、多くの都会人たちが想像する南国の楽園がそのまま描かれている。
常夏の宮古島は花の楽園。原色の花々があちらこちらに咲き乱れ、緑はどこまでも濃く生に満ちている宮古の楽しみは「食」にもある。この島で受け継がれてきた伝統の味も、豊かな自然が育んできたもの
 ただ、そんな自然の豊かさも、むかしのままではない。これは宮古島だけの話ではないが、地球規模の気候変動の影響も大きい。巨大台風の波浪によって壊れていくサンゴ礁、海水温の上昇にともなう白化現象や生息する魚種の変化。さらには、人間の直接活動による眼に見える影響もある。波間をただようビニール袋、砂浜に打ち寄せる数々のゴミ。そしてマイクロプラスチックは、魚たちの胃袋に蓄積されていく。どれもこれも、宮古島の現状である。
海岸には、さまざまなゴミが流れ着く。人間の活動が生み出してしまうこのゴミは、放っておけばやがて微細な粒子となって海に混ざり合う。拾うか拾わないか.....たったそれだけの行動でその後に大きな差が生じてしまう
 たとえば、宮ロックに参加した人たちに、この現状を知ってもらうことができるのか。南の島のうつくしさを実感し、フェスの感動や高揚感とともに、自然に対する意識を持って帰ってもらう。または、その点に気が付いてもらうだけでも意味があるのだが……。

 そのきっかけのひとつにパイントカップがあった。環境協賛をうたったパイントカップを参加者たちが能動的に、競って購入していく様子を見れば、実施する意味があったのだと思っている。参加者たちの充実した笑顔を見ればわかる。宮古の音に酔いしれ、海で遊び、宮古の空気を胸いっぱいに吸い込んで、宮古の“いま”を知ってもらうことが、何よりも大切なことだった。
環境協賛をうたったパイントカップは、瞬く間に売り切れとなってしまった。リユースカップを使うその意識の高さが、参加者たちの行動に現れている。笑顔で買っていってくれるのが、なんともうれしい2024年の2月6日、宮ロックの実行委員会のメンバーは、宮古島市の市長を表敬訪問した。その場で、昨年のリユースカップの売上げの一部を「市エコアイランド推進課」に寄付。いままでの活動についても、座喜味一幸市長に直接報告することができた。左から野津実行委員長、座喜味市長、砂川副委員長。2023年バージョンのパイントカップを手に
 宮ロックには、もうひとつ誇るべきものがある。それは、海辺の広場で展開されるキャンプサイトである。正式にキャンプサイトとして利用を始めたのは、2010年のこと。まだ会場がトゥリバーではなく、上野で開催されていた年だったが、やはり、ここにも宮ロック側の「宮古の自然を守りたい」意識が働いていた。
 
 宮古の自然をいちばん身近に感じられるのは、やはりテント泊である。海っ端に吹く風の強さやときに襲ってくるスコール、虫対策だって必要だ。何よりも、頭の上から降り注ぐ強烈な日差しにも耐えなければならない……だからこそ、宮古島の自然の力強さを実体験できる。会場がトゥリバーに戻ってからは、現在のヒルトンホテル前の芝生の広場がキャンプサイトの定位置になっているが、この会場の目の前にも青い海が広がっている。キャンプサイトは人気で、いちばん近い“宿”として、好んで泊まりに来る参加者も多い。
宮ロックでも定番となったキャンプサイトは、会場から5分ほどの場所にある芝生の広場。目の前には宮古ブルーの海が広がり、朝に夕に自然の営みを感じられる場所。恒例の芸人・パンダル50ccによる宮古島版のラジオ体操も、毎年楽しみにしている人も多い
 キャンプサイトのオープンは、本番日の1日前から後夜祭の当日まで。金曜日から日曜日まで、2泊3日だけの宮ロックの特設キャンプサイトが誕生する。ここにテントを張って、音楽を楽しみ、自然を愛でる。太陽の動きとともに宮古の一日を過ごす醍醐味は、やはり他で味わえるものではない。波の音に包まれて眠る心地よさや、夜空を埋め尽くす満天の星、朝に夕に茜色に染まっていく空、頬を撫でていく海渡る風。テントをベースに一日を過ごせば、目の前の海が満潮で満ち、干潮で引いていく様も目の当たりにする。そのダイナミックさは、地球が生きていると実感できるほどだ。宮古の一日の時間はゆっくりと過ぎ、何をするでもなく、ただそこに居るだけでもいい。ジィッと海を眺めていれば、誰でもこの海を守りたいと思える瞬間があるのではないだろうか。

 宮古に育った事務局のメンバーたちは、この海をこどものころから当たり前として眺めてきた。そこに価値を感じられるようになったのは、大人になってからかもしれないが、この海の大切さを違和感もなく身体で知っているからこそ、宮ロックという特別なイベントをつくることができる。宮ロックが他のイベントとはちがっているのは、離島のフェスだからだけではない。やはり、つくり手たちが込めた島への思いが強く現れ、宮古の自然とともにそこにあるからなのだろう。

 MIYAKO ISLAND ROCK FESTIVALの実行委員長・野津芳仁は、昨年のステージでこう宣言した。

「宮ロックは終わりません。来年もすばらしいフェスができるように頑張ります!」
この写真は今年の開会式でのひとコマ。宮ロックの実行委員会のメンバーが揃って平和の象徴、白バトの放鳩を行なった
 2024年も10月19日に開催を予定している。宮ロックファンのリピーターはもちろん、まだ見ぬフェスであるなら、ぜひとも体験してもらいたい。そして、宮ロックだけではない、宮古島の魅力に取り憑かれてほしい。時代とともに大きく変わっていく宮古島ではあるが、フェスひとつをとってもそこに関わる人々の思いはどこまでも深く、熱い。そして、宮古の海は相変わらずに青いままである。



取材協力:MIYAKO ISLAND ROCK FESTIVAL実行委員会

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