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【ROAD TO HURT100 #3】痛む腸脛靭帯、止まらないゲップ、削られるメンタル…、そして辿り着いた先に見えた景色とは

2018.04.16 Mon

Otsubell

Otsubell コロンビアMD

スポーツアパレルメーカー勤務のotsubellさんのトレラン100マイルレース挑戦記。チームメイトにそそのかされてエントリーしたところ、うっかり当選してしまったハワイで開催される100マイルレース「HURT100」。32kmのトレイルを5ラウンドするという過酷なレース。順調な1周目、コースロストと腸脛靭帯炎の痛みが勃発した2周目、暗闇のトレイルをペーサーのエマさんとともに乗り切った3周目。残り2周、果たして走りきることができるのか!? 怒涛の全3話がついに完結。

▼前回のお話はこちら
【ROAD TO HURT100 #2】ついに初めての100マイルの旅がスタート。順調と思いきや、OMG! まさかの…?!



It’s the quitting that really is hard.
やめること、それが本当に難しいことである

 Nature Centerには、ペーサーを終えたまさしさんと、3周目のParadise ParkでDropを決意したシンさんが待っていてくれた。まさしさんに「まぁあと14時間あるから、1周7時間で行けたら完走できるやろ。理論上は。1周7時間は、登りをがんばって、ゆっくりペースでもいいから下り走ればいけるだろ」と言われた。今思えばそこそこ適当なコメントしてきたな、と思うが、この時はわたしも完全に同意だった。3周してみて、1周を7時間で回るのは、足が痛くさえなければさして難しいタイムではないことを確信していた。普通に登って、普通に下れれば、エイドでの休憩を入れても7時間で回れるだろうと思った。

私が4周目に向かおうとうとNature Centerで準備している間に1位の選手がゴールした(2周の周回差)。その後も夜が明ける前に上位の選手が続々ゴール。早い!

 わたしはここで全身着替えることにする。靴も、靴下も、服も、帽子まで、すべてを新しいものに替えた。靴下を脱いだ時、右足裏に水ぶくれができているのを確認した。前日からワセリンのような潤滑保護材を足に塗りこんでいたし、コース途中で水ぶくれになりそうな違和感を覚えたので一度靴下を脱いで塗り直していたし(正確にはエマちゃんが塗ってくれた)、あんなに神経質に靴も靴下もわざわざ途中で何回も変えていたのに、やはり水ぶくれができてしまった。「見て~水ぶくれできた」と足裏を見せながらケラケラ笑うわたしに、まさしさんからは「見ても無駄や。痛みは変わらないから見ない方がいい」と冷静に返された。エマちゃんとすごしたトレイル上での濃い時間の会話の内容はほとんど思い出せないのに、なんでこんなどうでもいい会話の内容を細かく覚えているのかほんとうに不思議だ。

選手はみんな足裏に水ぶくれができていた。ちなみにわたしの足ではないです、念のため。

 エイドでは「あ~行きたくないな~」などと弱音を吐いていたが、実際のところは身の回りのもの全てを新しくしたことで、フレッシュな気持ちになり、4周目の最初の登りは無双モードだった。正直、復活した! いける! と思った。下りに入っても、走ることはできなかったが、早歩きができるまでに回復していた。

 実際はもちろん、回復したわけでもなんでもなく、エイドに入る少し前に飲んだ痛み止が効いていただけだった。
 けれど、この無双モードは、わたしの「もう無理だな」と思っていた心を「もしかしたら行けるかもしれない」そう思わせてくれるには十分の威力があった。そんな一筋の光が差し込んだ折、突然ゲップが止まらなくなった。

 わたしは大学生になった時くらいからストレスがたまると「呑気症」という症状を発症するようになっていた。主にゲップとおならが止まらなくなるというなんとも日常生活に支障のあるもので、この時もエマちゃんが吐くんじゃないかと心配するくらい延々とゲップが出続けた。さらに、呑気症が出た=強いストレスを感じているという自覚をしたことで、「なんとなく気分が悪いから食べたくない」という気持ちが生まれてしてしまい、ジェルや行動食を食べなくなっていった。

 そして痛み止めの効果も切れ、また地獄の痛みとの戦いに引き戻された。エマちゃんは一定の時間を空けて再度痛み止めを飲むことを勧めてくれたが、わたしはもう、正直痛み止めは飲みたくなかった。痛み止めが効く間隔がどんどん短くなっているのを感じていたし、効いている状態の時でも、早歩きができるレベルで、走ることまではできなかったからだ。このまま痛み止めを飲み続けても、完走は難しいことがわかっていたし、そうすることに何の意味があるのか、理解できない部分が大きかったように思う。

 そしてわたしはついにこの言葉を口にする

「ねえ、エマちゃん、もし、次のエイドでやめたら後悔するかな?」

 正直、わたしはこのとき「もうやめたい」の一心だった。いまこのタイミングでここから先を走れないことが確定した以上、もう完走は絶対に無理だと思った。痛み止めを飲めばもう少し行けたのかもしれないが、飲み続けてまで走る理由もわからなかったし、わたしには続ける理由が見いだせなかった。次のエイドにたどり着けばそれで108㎞。Fun Runの称号が与えられる。それで十分じゃないか。もうこの痛みから一刻も早く解放されたい。わたしは、そんな気持ちに支配されていた。エマちゃんは「うーん、まだ時間はたくさんあるわけだし、別に次のエイドでやめるのがダメなわけじゃないけど、自分の足で4周回りきる、自分の足でみんなが待ってるゴールに行った方が、後悔は少ないと思うけどな」そう返された。

 ほんとにそうかなぁ。。。。どうせ完走できないならどっちでも大差ないとおもうけどなぁ。。。。だったら早く終わる方がいいなぁ。。。。きっと、いくつものレースを完走し、いくつもの苦難を乗り越えてきたエマちゃんの言葉だから、正しいのだろうなとは思っていた。それでもまだ、わたしには続ける理由を見出すことはできなかった。痛い、やめたい。そんな気持ちばかりが、わたしの心を支配していた。

 それでも歩み続けようと思ったのは、夜が明けてきてからだ。エマちゃんと一緒に走り出してから12時間。やっと暗闇から解放され、太陽が昇った。太陽が昇ることで見えてきたそのコースに「すごい! ここってこんな感じだったんだ!」「やば! ここの根っこやばー!」などと、いつも一緒にハイキングしているときのような感動を共有できるようになっていた。そして、わたしは気づく。「そうか、エマはこのトレイルをほぼ見ていないんだ」ということに。正直ハワイのトレイルは、日本の里山と大差はないし、眺望もないし、面白みには欠けていた。つくづくこんなところを5周するなんてふざけたレースだとおもう。けど、それを知っているのは、わたしが日が昇っているときにこのコースを走っていたからだ。エマちゃんがわたしと一緒に走ってくれている間はずっと暗闇で、正直どこを走っていて、どんな景色だったのかなんてまったくわからない状況だった。わざわざわたしのためにハワイまで来てくれたエマを、このまま帰していいんだろうか。できる限り、もっと一緒に楽しみたい。そんな気持ちになった。

 そうして、4回目のParadise Parkへとたどり着く。恐ろしくゲップを吐きつづけるわたしを心配したエマちゃんが「あったかいものを飲めば胃は絶対回復するから、あったかい飲み物をもらおう!」そう言い、ボランティアのおじちゃんに、あたたかい飲み物を頼んでくれた。Hot waterをくれ、と英語で頼んでいるエマちゃんに、ワタワタしているおじちゃんたちの姿をみて、純粋に英語が通じていないのだと思い、「違う、hot waterがほしいって言ってるんだよ」とでしゃばって言い直してみたりしたが、実際おじちゃんたちがワタワタしていたのは英語が通じていないからではなく、純粋に「お湯がなかったから」だった。出てきたのは味噌汁。「ご飯入れるか?」と気の利いたことを聞いてくれたのでお願いし、あったかいネコマンマを期待して受け取ったものは「冷汁」そのものだった。冷え切った味噌汁に入ってる冷え切ったごはん。なんか笑えた。

 そんな冷汁をすすっていると、Paradise Parkを仕切っているおばちゃんがわたしたちのもとへとやってきた。

「今、8時で、あなたたちはまだ4周目。5周目のcut off timeはNature Centerの11時半。後3時間半でParadise ParkからNature Centerまで戻らないとダメだけど、今の状況で3時間半で戻るのはちょっと無理だと思う。もちろんこのまま続けてもいいし、ここでやめて、わたしたちと一緒にベーコンクスランブルの朝食を食べていってもいいし、どっちにする?」

 そう聞かれ、正直「一緒に朝食を食べるのもありだな」と思った。が、エマちゃんが「じゃぁもうさ、残りはハワイのトレイルをハイキングしに来たと思って、時間いっぱいつかって歩こうよ」と提案してくれていたので、それなら楽しく乗り切れるかもしれないな、と思い、このままがんばることにした。

 Paradise Parkを出発するとき、もう完走することは無理だと理解していた。それは決して、わたしだけでなくてボランティアの人全員も理解しているのにかかわらず、わたしを応援し、送り出してくれるてくれる熱意は今までとなんら変わらなかった。そんなボランティアの人達の姿勢に、目頭が熱くなった。「どうせ無理なのにこの人行くんだ」という意識は、正直ほんとに微塵も感じなかった。そこにあったのは、わたしたちを後押ししてくれる、「頑張れ!」という純粋な応援だけだった。

 コース上ですれ違うのはもう5周目に入っているランナーばかりだった。とぼとぼ歩いているわたしたちに、「大丈夫? まだいけるから頑張れ!」と足を止めて話しかけてくれるランナーもいたが、Nuuanuへの登りを登りきったところで、わたしはもう次のエイドへは進まないことを決めた。ハイキングなら楽しく乗り切れるかもなんて甘い考えは出発してすぐに打ち砕かれた。痛み止めが切れ、レース特有のアドレナリンも止まり、そこに残ったのはただただ痛い、早く帰りたいという気持ちだけだった。この先に出てくる道のりを知っているからこそ、そこを乗り越えられる気がしなかった。本当なら右へ曲がってNuuanuへ進む道をまっすぐ進み、スタート地点のParadise Parkを目指した。

 コースを歩いて逆走してるわたしたちをハイカーだと勘違いして、「Enjoy your walk!」なんて言われちゃったりもして、もうすっかり心はぽっきりと折れていた。

 コースの逆走ルートを歩いている間の記憶は「とにかく痛かった」という感情以外ほとんどない。エマちゃんと言葉を交わしていたのか、いなかったのかもあまり覚えていない。明確に覚えているのは「痛い」という三文字を呪文のように繰り返していたことと、5周目を走っているランナーとすれ違うたびに、「あぁ、わたしもほんとうはあそこにいるはずだったのになぁ」と、うらやましく思っていたことだけだった。

 永遠にも思えた道のりを終え、ゴール地点に戻り、4周目途中でコースを逆走して戻ってきたことをスタッフに伝えた。

HURTのゴールは、鐘をならし、看板にキスをして完走となる。
すぐそこにある鐘にも看板にも触れることはできないわたしの手元には、マンゴー味のアイスが届けられた

 悔しいのは、限界まで痛みに耐えたとは思えるけど、自分の持ってる力全てを出し切ったとは思えないことだった。

 完走できなかったくせに言うのはすごくかっこ悪いけれど、走ってみて、「このレースはわたしにはまだ早い」とも、「実力が足りなかったな」とも思わなかった。痛みさえでなければ、この痛みの怖さを知って対策さえできていれば完走できたのに。そう思ったのだ。もちろん、そういう不測の事態を乗り越えるのも、痛みを出ないくらい練習を積むのも含めて実力であり、要するに全部ひっくるめて実力不足なんだってことはわかっているけれど。

 そんな悔しさがあふれ出たのは、ゴールで待っていてくれたシンさんに会い、「走りたかったですね」と口にしたときだった。それまでずっと「痛い、もう無理、やめたい」と思っていたのに、ゴールにたどりついてもう走らなくていいと安心したはずなのに、「走りたかったですね」と口にした今、ここで終わってよかったなんて微塵も思っていないことを初めて自覚した。本当は行きたかったよな、完走したかったな、と心から思った。そしてその気持ちを自覚したら、悔しくて涙が止まらなかった。

 人と戦うことや、スポーツで真面目に努力をすることを避けて生きてきた人生で、わたしは、33歳にもなってから、はじめてひとつの目標に向かって努力を続けるという経験をした。そして努力が成し遂げられなかった現実に直面し、悔しくて涙を流した。そんな日が自分の人生でくるなんて、夢にも思っていなかった。

The pain is temporary, the pride lasts forever
“痛みは一時的なもの 誇りは一生続くもの”

 走っているとき、コース上にこの言葉のサインが何度もでてきた。そしてこの言葉を何度も見ながら、ずっと「こいつ何言ってんのかな? わたしの英語の読解能力が低いのかな?」と思っていた。なぜなら「誇りとかようわからんものよりも今のこの死にそうな膝の痛みの方がぜんぜん問題でしょうよ」と、本気で思っていたからだ。けど、今ならわかる。足が痛い、気分が悪い、胃が痛い、そんなものはレース中に起こる一時的な出来事でしかない。いつかは消え、忘れ去るものだ。けれど、HURTを走ったという経験と誇りは、ずっと人生に根付いていく。

 4周目を自分の足でゴール地点に戻らせようとしたエマちゃんは、きっとこれを伝えようとしてくれていたのだと思う。なぜなら、痛みから解放され、走れなかった悔しさを消化した今「完走はできなかったけど、自分の足でみんなが待ってるゴール地点へ戻ってよかった。みんなに迎えてもらえる場所まで、自分で行けてよかった」と、そう心から思うし、それが今のわたしの誇りとなっているからだ。

 スタートから約30時間、約118㎞でわたしの人生最大のチャレンジは終わりを迎えた。

チームメイトのバヤさんは無事完走。日本人ランナー10人のうち完走したのは6人。

完走者はアメリカのレース定番の、完走記念のバックルがもらえる。

レースのラストランナーのゴールシーン。みんなが選手を待ち構え盛大な拍手で迎えた。

関門時間ぎりぎりで滑り込むようにゴールした松島さんは上裸にワラーチサンダルで100マイルを完走。「選ぶ靴間違えましたね」このレースのハイライトと言えるくらいパンチ力のあるコメントを残した。

3位に入賞した藤岡さんが翌日渡されたトロフィーには、ミサイルが印刷されていて何ともアメリカらしいセンスだなと思わされる。日本じゃ絶対不謹慎って言われるんだろうな。

初めての100マイルで7位に入賞したヒロキくんは謎の犬が印刷されたまな板のようなものをもらっていた。これはちょっといまだになんで犬なのかは理解できていない。

 あぁ、わたしがあの時にみた景色は、絶景だったのかもしれない。

 そう思ったのは帰国して一週間ほどたち、あの出来事をどうまとめたらよいのか考えあぐね、Akimamaをなんとなく眺めながらホーボージュンさんの文章を読んでいた時である。

 わたしはそれまで、帰国してからもずっと、HURTのゴールシーンを思い出すたびに涙が出てくる自分を不思議に思っていた。ゴール直後のむき出しになった感情も落ち着き、完走できなかった悔しさも消化した。なのに、あの景色を思い出すたび、たとえそれが三軒茶屋でひとりアイスクリームを食べている時でさえも、思い出すと所構わず湧き出るこの涙はなんなのだろう、と不思議にそして少し恥ずかしく思っていた。

 ホーボージュンさんは、記事の中でこう綴っていた。

 絶景というのは人に教えられて知るものじゃない。キュレーションメディアで集めるものじゃない。だれかの「いいね!」をたどって出会うものじゃない。絶景はポストカードではない。ポイントカードでもない。僕はそう思う。
 それはきっと心の窓だ。こうして旅に出て、自らの足で歩き、迷い、引き返し、出直し、やり直し、夜に包まれ、眠り、また歩き始め、汗をかき、水を飲み、空をみつめ、後ろを振り向き、ふと顔を上げたときに向こうから飛び込んでくるものだ。
 それは目でなく心に突き刺さる。それを求めていた人に刺さる。自分にしかわからないもの、自分にしか見えないもの、自分が見つけるもの、自分が気づくもの。きっとそういう類のものだ。

(出典:すぐそこにある外国! ホーボージュン「オホーツクの風と謎だらけの巨大島サハリン」後編

 それまでわたしは、絶景とは誰も見たことのないような綺麗な景色のことなのだと思っていた。そして、ホーボージュンさんのように、自らリスクをおかし、その地にたどり着く力のある冒険家のみが見られる景色なのだと思っていた。けどもし、そうではないのだとしたら。だとしたら、わたしがあの時ゴールシーンで見たものは、もしかしたら絶景だったのかもしれない、そう思う。それは決して美しい景色でも、望んでいた景色でもなかった。けれど、「自らの足で歩き、迷い、引き返し、出直し、やり直し、夜に包まれ、また歩き始め、汗をかき、水を飲み、空をみつめ、後ろを振り向き」そして大切な人たちに支えてもらいながらたどり着いた景色、自分にしか見られない景色だった。

 あと少しで手が届きそうだった完走(まぁあと42㎞も残ってたけど)
 ふがいない自分に渡されるマンゴーアイス(おいしかったけど)
 そんなわたしをよく頑張ったねと迎えてくれるボランティアの人たち
 惜しみない拍手を送ってくれた先に完走したランナーたち
 泣いてるシンさん
 日本人選手全員に優しくサポートしてくれたハワイ在住のマリコさん
 このレースのためだけにハワイまで来てくれたオナ神アンディ
 一緒にがんばったバヤさん、まさしさん
 日本で応援してくれた仲間
 ずっと隣で助けてくれたエマ
 HURTを走れた喜び
 人生で初めて経験した壮大なチャレンジ
 そして、永遠にも思えた道のりを超えて自分の足でたどりついた場所

 そこで見たのは心が揺さぶられてしょうがない景色だった。

「このレースを終えたら、そこにいるのは今までのあなたとは違うあなたです」

 スタート前日、レースディレクターのジョンは言った。わたしはこれを聞きながら正直「おっちゃん、そんなえらい大げさな」と思っていた。

真ん中がジョン。そもそも、普通のおじいちゃんにしか見えない。

 よく、「富士山に登ると人生観変わる」などともいわれることもあるが、富士山にも何度も登ったし何度も心洗われるような美しい景色を見たことがあるけれど、人生観が変わったことなんて一度もない。そこにあるのはただただ美しい景色で、わたしの人生を揺り動かすようなものではなかった。トレイルランニングのレースを完走した時に得られる達成感も、人生を変えるようなものではなかった。

 そう思っていたから、ジョンのこの言葉は大げさだと思っていた。

 けど、HURTというレースはそうではないことを教えてくれた。わたしが経験したこの118㎞の道のりは、間違いなく人生最大のAdventureだった。そして、それを乗り越えた先で、心を揺さぶられてしょうがない景色に出会うことができた。思い出すだけで涙があふれる光景を自分の中に焼き付けることができた。それは、HURTだったからなのか、100マイルだったからなのか、純粋に人生最大のチャレンジだったからなのか、完走できなかったからなのかは、今はまだわからないけれど。

 数年前、「え? 走るの? 興味ないです。辛いし」と鼻くそほじくっていた自分に、「絶対100マイル走った方がいいよ!」と言いたいとは今もぜんぜん思っていない。それがない人生は豊かじゃないなんて微塵も思わない。けど、一生懸命努力することも、チャレンジすることも、不安に立ち向かうことも、悔しくてむせび泣くことも、ぜんぜん悪くなかった。できなくてもかっこ悪くても、ぜんぜん大丈夫だった。むしろ全部ひっくるめて、純粋にとっても楽しかったと思えるし、きっと今の自分は、HURTを走る前とはぜんぜん違う自分になれていると思う。

 こんな底辺ランナーのわたしの経験(しかも完走できてない)が、誰の何の役に立つのかはわからないけれど、鼻くそほじくって酔っぱらって道路の生垣で目が覚めるような生活を送ってた糞みたいな自分でも、こんな素敵な経験ができるんだなっていうのが伝わればいいなと思い筆を握りました(自分で思ってたほど面白く綴ることができなくて、ライティングの難しさも知りました)。それが100マイルじゃなくても、ランニングじゃなくても、何か一歩を踏み出そうとしている誰かのチャレンジを後押しできるものになればうれしいです。

レース翌日、膝の痛みに加えて全身の筋肉痛と足裏の水ぶくれの痛み地獄にロボットのようにしか歩けなくなったわたしの姿がこちらです。

おしまい

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